イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

僕の読書遍歴

2006年05月13日 19時57分05秒 | Weblog
大学のころ、たいそうな貧乏学生であった。唯一の電化製品はモノラルのラジカセが一台きり。テレビを持つことなどは論外だった。
それは、少し寂しい思い出でもあるが、持っていなかったが故にいいこともあった。
テレビがないことによって生み出された、膨大な暇な時間。
どうする、どうするんだ俺。
行き着く先は読書。
生まれてこの方読書などしたことがない。活字を追うことなど、苦痛で仕方がなかった。しかしそれよりもなお苦痛に思えることがあった。
時間を持て余す事。
若く血がたぎる、その当時の自分にとって、時間を持て余すことほど苦痛なことはなかったのだ。
最初に手にした小説は横溝正史の金田一シリーズ。
イヤー読んだ読んだ。でも間抜けなことが一つ。必ず出てくる等々力警部のことを、読み方が分からず、「とうどうりき」と読んでいたのだ。アーなんとも読み辛い名前だ、なんて三年くらい思っていました。後に友人から本来の読み方を聞いたときは、鼻血でそうなくらい赤面したことを覚えています。
次に手を出したのは太宰治。
これも読んだ読んだ。そしてのめり込んだ。玉川上水を訪れてみたりして、太宰を理解できるのは、俺だけだなんて思ったりしたものです。
太宰も一通り読んでしまうと、後は特定の作家に傾倒するということもなくなり、手当たり次第に読みました。
井上靖、三島、遠藤周作、夏目、芥川、三浦綾子、志賀直哉、ドストエフキー、トルストイ、宮本輝、山本周五郎、伊集院静、北村薫、重松清、、、、。
一度読み始めた小説はすべて通読、読破してきたぼくですが、過去に唯一、最初の数ページを読んだきり、本をゴミ箱の中に捨ててしまったものがあります。
大江健三郎。
あまりの読み辛さに嫌気が差しました。
今なら読めるのだろうか。
いや、読みたくない。駄目だ、きっとまだ読めない。修行が足りない。
大江健三郎さんには、まことに申し訳ないが、僕の脳みそでは、この人の小説を楽しむことはまだ出来そうもない。
僕の読書遍歴でした。


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