イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

あだ花鈴木君のこと 4

2009年04月08日 18時53分29秒 | Weblog
ヤッコは僕たちと入れ替わりにアパートを出て行った先輩でした。

嫌なやつでした。

つづく
 ぼくの母校では一二年は町田にある鶴川校舎で、三四年は世田谷校舎で学ぶことになっていましたので、二年の春休みを境にほとんどの学生は世田谷方面に引越しをしていくのが慣わしになっていたのです。もちろんヤッコもそれに習い引っ越していったのですが、二年でとるべき必須科目を落としてしまい、週に二回ほど鶴川校舎に通ってきていたのでした。そうして授業が終わると決まって懐かしそうに、もといたアパートに顔を出すようになっていったのです。

本来は会うこともないはずの先輩。

最初にヤッコを僕たちに引き合わせたのは大家さんでした。
ヤッコサンハネ、三年生ナンダケド、必須科目ヲ落トシチャッテネ、週ニ二回鶴川校舎ニ来テルンダヨ、マァ頼レル人ダカラ、アパートニ顔出シタトキハ歓迎シテアゲテヨ、そういって大家さんはヤッコを僕たちに引き合わせると、家賃収入で増築した、アパートの隣にあるそこそこの豪邸になぜか足取り軽く帰っていったのでした。
鈴木君以外の三人はヤッコの顔を見た瞬間「こいつとは関わらねえほうがいいな」と、ありきたりの表現なのですが、ピンときたのです。それは中学高校とさんざん厄介な先輩たちと付き合ってきたカンでした。カンですが、それはもはや霊感ともいえるほどの確信的なカンでした。
不良と言うのもさまざまで正義感あふれる不良から、ヤクザまがいの狡猾な不良までと、意外と多岐にわたって存在しているため、不良は不良で頭を使わなければ淘汰される過酷な環境に身をおいていたりするのでした。しかも、最終的には暴力によって己の道を貫くと言う姿勢は変わりないので、ヒリヒリとするような人間関係の駆け引きのなかで、対暴力のキョウヨウは何が何でも身に着けておかなければならない必須だったのです。

ヤッコは見るからに厄介そうないでたちをしていました。度つきのサングラスに角刈りのヘアスタイル、ヤクザが好みそうな襟のばかでかいシャツに黒のスラックス。そのくせやたらと細い首と腕。いかにも先輩風を吹かしたがっているのが見え見えなのでした。
こういうやつを図に乗らせると本当に厄介なのです。
僕は腕時計をチラッと見ると、表情一つ変えず、抑揚をまったく付けない平べったい口調で「すいません、俺授業が入ってるんで失礼します」とだけ告げ、そそくさと大森君の部屋を後にしました。「オイ」と言うヤッコの声が聞こえましたが、このような時は聞こえない振りをするのが一番いいのです。それとほぼ同時に太郎さんと部屋の主の大森君もやはり平べったい口調で「俺もあるんで失礼します」と次々に僕の後を追ってくるのでした。
後に残されたのはヤッコと鈴木君だけでした。

助け舟を出さないわけにはいかない。

僕は大森君の部屋へ戻り、
「鈴木君もあったよな」とさそうのですが、
「いや、ないよ」との軽いこたえ。
「あれなかったっけ、いやあったよ、火曜日のこの時間一緒に行ってたよ」
「え、いや、なかったよ」
「いや、あったでしょ」といいながら僕はさりげなく鈴木君にウインクをしたのですが、この危機的状況の意味を知らない鈴木君は、張り詰めた空気を感じ取ることもなく、
「いやないよ、ほんと、ほんと」
とさらに軽い返事をする始末なのでした。
ぼくは、あきらめました。
どれほど暴力に対するキョウヨウはあったにせよ、やはり暴力は避けたいのです。殴りあうと言う行為は恐怖心との戦いなので、その瞬間は足がガタガタと震えすくんでしまうほど、怖いものなのです。ですからできれば、服装や目つきや図体の大きさや声の出し方によって、治められるなら治めたいのです。ヤッコの鋭い視線が、これ以上鈴木君を誘いだせばヤッコとの小競り合いは避けられないと、そう判断させたのです。
「そうか、じゃあ勘違いだな、それじゃ行ってくる」
この間ヤッコを一度も見ることなくぼくたちは鈴木君を置いて大森君の部屋を後にしたのでした。
助け舟にまったく気づかない鈴木君はとうとうヤッコと二人っきり。

ヤッコとどのような時間を過ごしたのか、鈴木君にどのような災いが起きたのか、彼はひと言も喋ろうとはしなかったので解りませんが、口の隅にできていた軽い青あざが何があったのかを物語っていました。きっと僕たちがヤッコに与えた精神的な怒りはまっすぐにひとり残された鈴木君に向かい、そうしてその怒りを一身に受けたに違いありません。
それから数日間、鈴木君が大森君の部屋を訪ねてくることはありませんでした。

そしてたった一人の後輩であっても先輩の威厳を知らしめることに成功したヤッコはそれ以後必ず週二回鈴木君の部屋に立ち寄るようになっていったのでした。

もう少しつづく