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ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『仏教伝来の道』

2011-02-20 13:46:24 | Weblog
「仏教伝来の道/平山郁夫と文化財保護」と題する特別展が、上野の「東京国立博物館 平成館」で1月18日から3月6日まで開かれています。

平山郁夫画伯が30年の歳月をかけて描いたという奈良・薬師寺の門外不出の「大唐西域壁画」が圧巻でした。

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薬師寺は法相宗(ほっそうしゅう)の本山で、玄奘三蔵を始祖としています。
白馬・白龍に乗って孫悟空、猪八戒、沙悟浄を供に従え、幾多の苦難を乗り越えて、経典を頂くために天竺(インド)へ旅する三蔵法師の物語「西遊記」は玄奘三蔵がモデルです。

玄奘三蔵は紀元七世紀の始め、タクマラカン砂漠や天山山脈を通って、唐から仏教発祥の地であるインドまで、3万kmの旅と17年の歳月をかけて、仏教原典657部という膨大な量の仏典を、馬200頭に乗せて持ち帰ったのだそうです。

帰国後、生涯をかけて翻訳に打ち込み、大般若経600巻をはじめ74部1335巻にものぼる経典を漢語へ翻訳したそうですが、それでも持ち帰ったものの3分の1しか訳せなかったということです。

この膨大な量の大般若経の中から主要なエキスを取り出して創られたお経が「般若心経」で、写経に用いられたり、日本で最も多く詠まれているお経なのだそうです。

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40数年前、薬師寺に「玄奘三蔵殿」を造ることが決まった時、当時の高田好胤管主は、芸大のまだ助手でしかなかった平山郁夫画伯に、この建物の白い壁に何かを描いてみませんか?と、問いかけました。

平山画伯は、「薬師寺の偉い管主様が、私のような若造に、大事なお堂の白壁に絵を描くことを勧めてくれるとは・・・」と感動され、献納することを約束されたのだそうです。
それ以来30年の歳月をかけて、玄奘三蔵の旅した世界各地を調査探訪して「大唐西域壁画」の大壁画を構想し、自身が描いたのです。

この「大唐西域壁画」は玄奘三蔵に捧げるために描くとの主意で、長安を発ち、嘉峪関を抜け、高昌故城の遺跡を描き、最も難所であった天山を越え、ヒマラヤ山を仰ぎ、仏跡ナーランダーなどをたどり、天竺に至る玄奘三蔵求法の旅とその精神を描いたものです。
7場面13枚からなり、高さ2.2m、トータルの長さ49mの大壁画が完成したのです。

須弥山(しゅみせん)として描かれたエベレストの山々は、そのものが西方浄土として壁画から突き出さんばかりに聳え立ち、その前に立つと思わず手を合わせるような感動を覚えるものでした。

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1972年、日中国交正常化を記念して上野動物園に、パンダの「カンカン」、「ランラン」がやって来て、以来、上野と云えばパンダでした。
「客寄せパンダ」なる言葉も出来るなど、老若男女を問わず大人気でした。

久しくいない状態でしたが、明日パンダがやって来るという。3月には公開されるらしい。
レンタルなので、名前は「レンレン」と「タルタル」かも・・・

上野界隈の商店街では幟を掲げたり、パンダグッズが並んで、パンダ人気に大いに期待しています。

気候も良くなって来るし、上野の森へ出かけませんか・・・


【奈良薬師寺の公式サイトおよび同寺執事様の講話より引用・抜書、参考にしました】


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