俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『古希の祝いⅡ』

2014-10-30 13:12:44 | 観光地
26日、26日と筑波山へ一泊で行って来ました。

と云うのは、小中学校の同級会が9月に田舎であって古希の神社参りをしたのですが、今回は同じ小中学校の関東在住の同級生が筑波神社で古希のお祓いを頂いたのです。
云ってみれば、古希を祝う会の“はしご”をしたのです。
高校のは8月のお盆の時にありましたが、欠席したのでトリプルにはなりませんでした。

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我々は昭和19年、20年の生まれです。

産めよ増やせよの戦前戦中に比べ、戦争末期生まれは本当に少なく、団塊の世代の22~24年生まれと比べると半分ぐらいの生徒数でした。
終戦後の物の無い、食べるものもにも事欠く時代を生き延びて来た仲間なのです。

春には山菜を、夏は川魚、秋は木の実やきのこ、晩秋には川ガニ、冬には野ウサギやキジ、ヤマドリを、食料として、おかずや腹の足しに争ってとったものです。
それらは遊びであると同時に、空腹を満たすための仕事(狩猟)でもあったのですから、遊び仲間であると同時にライバルでもありました。

ものごころ付いた頃から今日まで過ごして来た、いわゆる竹馬の友なのです。

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筑波神社でお祓いを受けました。


物知りの仲間が、お社の脇に植えてあった “つくばね”の実を見つけ、羽子板のはねつきの原型だったと教えてくれました。
スギ、ツガ、モミなどの針葉樹に寄生する反寄生落葉低木でビャクダン科の植物です。


境内では例のガマの油売りの口上実演に人だかりが出来ていました。


宿では下界を見下ろしながら、良く温まる温泉に浸った後、盛大に宴会をやって古希を祝いました。
朝起きると、下界は霧の中です。
でも、出立し、下に下りた頃には晴天の日本晴れ。

牛久大仏に寄りました。
正式には浄土真宗東本願寺派本山東本願寺「牛久大仏」と云うとのこと。
背丈100m、青銅製大仏としては世界最大でギネスブックにも登録されています。
胎内に入り一周すると、あたかもあの世へ行って来たかのような感覚になりました。


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帰り際に「阿見アウトレット」に立ち寄りました。

ここからも横向きの牛久大仏が手招きするように間近に見えました。
いや、あの世へ行くのは、まだ早い。

中華料理店で、たらふく食べて帰途に着きました。



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