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俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『生き別れ、すれちがい』

2009-01-17 21:46:42 | Weblog
―きぃ~みぃのぉ~なぁ~わぁとぉ~♪― 

さみしげなテーマソングに乗せて、「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」というナレーションで始まるラジオ番組を家族みんなで茶の間に集まって聴いたのは、ワルポンの小学校の2・3年生ごろでした。

「第二次世界大戦、東京大空襲の夜、焼夷弾が降り注ぐ中、たまたま一緒になった見知らぬ男女、氏家真知子と後宮春樹は助け合って逃げ回るうちに、銀座・数寄屋橋までたどり着く。二人はここでようやく互いの無事を確認する。名を名乗らないまま、お互いに生きていたら半年後、それがだめならまた半年後にこの橋で会おうと約束しそのまま分かれる。

やがて、二人は運命の渦に巻き込まれ、互いに数寄屋橋で相手を待つも再会がかなわず、やっと会えた時には真知子はすでに人の妻となっていた・・・」(ウィキペディアより抜粋)
会えそうで会えないすれちがいのドラマ「君の名は」(菊田一夫作)がラジオで放送されたのでした。

☆       ☆       ☆       ☆

いつもの出勤は各駅停車に乗って座ってのんびりと行くのですが、1月14日は遅刻しそうになったので、出勤ラッシュアワーの西船橋駅で各駅停車の普通から通勤快速に乗り換えたのです。

乗り換え時間はほんのわずか、多分30秒ぐらいだと思いますが、電車から降りる人、乗る人、駅舎からホームへ下りてくる人、別のホームに移動する人、快速から普通に乗り換える人の人々々・・・ぶつかりながら押し分けて幅広のホームの反対側の通勤快速に乗り換えるのです。まるで戦場・東京大空襲の戦火をくぐり抜けるように・・・

ホームの反対側へ移動しながら、通勤快速は込みあって背広のポケットの携帯電話機が押しつぶされてはと思ったので、Yシャツの胸のポケットに移そうと、右手の手袋をはずして、左手に丸めた週刊誌と一緒に持って乗り換えました。

つり革に摑まるために右手に手袋をつけようとしましたが、左手には週刊誌だけで手袋がありません。押された時に床に落としたかと思い、しきりと満員電車の床を見たのですが見当たりません! しまった! ホームで落としてしまったのかも知れません。
右と左の生き別れです。


帰りに西船橋駅に寄って聞いてみようと、ずーっと一日中、右手袋のことを思っていたのですが、帰りの電車でついつい週刊誌を読みふけっていたため、西船橋駅で気づいた時にはドアが閉まって電車はホームを離れてしまいました。
右手袋と左手袋のすれちがい、真知子と春樹もかくありなん。

1月15日は失念、忘却・・・ 行けずじまい。

1月16日朝は遅れそうだったので寄れず、またもやすれちがい。

でも、ついに帰りに、数寄屋橋ならぬ西船橋のホームに下り立ちました。
今度こそ右手袋に会える!

ホームで電車の発車を見送っていた帽子に金モールの沢山付いた駅長さんみたいな駅員さんに聞いてみた。
駅ホーム中ほどの事務室まで付いて来て・・・、ありそうだという。
ついに真知子に会えるぞ!

忘れ物を書き出したノートを繰って捜してくれた。
だが、しかし、昨日までここにあったのだが、今はここに無いという。
日比谷線・上野駅の忘れ物センターに送ってしまったというではないか・・・
またもやすれちがい。

「電話の上、上野へ行ってみて」と教えていただいたので、聞いた電話番号へ電話したところ右片手袋があるという。容姿も年代も真知子にそっくりの様子だ。
今度こそ再会できるかも・・・そのまま上野へ直行!

☆       ☆       ☆       ☆

東京地下鉄㈱上野忘れ物センター・お忘れ物総合取扱所(日比谷線・上野駅70m)

3年ぶりに・・・、いや、3っ日ぶりに対面したのです。
春樹と真知子、いえ、左手袋と右手袋が、がっちりと握手したのであります。


お粗末、「君の名は」でした。

(でも、やってみて下さい。右手と左手では握手できません)


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