長良川の支流・吉田川から見た急峻な山のてっぺんに立つ八幡城です。
明治維新に廃城となりましたが、昭和8年に模擬天守閣が作られました。
石垣は当時の面影を残しています。
1559年(永禄2年)遠藤盛数が築城し、以来、稲葉、遠藤、井上、金森、青山の各氏が藩主をつとめた郡上八幡は4万8千石の城下町でした。
良妻賢母の鑑、内助の功で知られる山内一豊の妻・千代のふるさとでもあり、遠藤盛数の娘だと言われているそうです。
天守閣から足下に広がる街並みです。
「郡上おどり」でも知られ、「郡上八幡博覧館」では年末年始を除いて毎日見られます。
町中では7月中旬から9月上旬まで33夜にわたって踊られ、夜通し踊るクライマックスの「徹夜踊り」は8月の13,14,15,16日4日間だそうです。
町中が観光地で多くの観光客で溢れていました。
名物の蕎麦を「そばの平甚」で食べて帰りました。
明治維新に廃城となりましたが、昭和8年に模擬天守閣が作られました。
石垣は当時の面影を残しています。
1559年(永禄2年)遠藤盛数が築城し、以来、稲葉、遠藤、井上、金森、青山の各氏が藩主をつとめた郡上八幡は4万8千石の城下町でした。
良妻賢母の鑑、内助の功で知られる山内一豊の妻・千代のふるさとでもあり、遠藤盛数の娘だと言われているそうです。
天守閣から足下に広がる街並みです。
「郡上おどり」でも知られ、「郡上八幡博覧館」では年末年始を除いて毎日見られます。
町中では7月中旬から9月上旬まで33夜にわたって踊られ、夜通し踊るクライマックスの「徹夜踊り」は8月の13,14,15,16日4日間だそうです。
町中が観光地で多くの観光客で溢れていました。
名物の蕎麦を「そばの平甚」で食べて帰りました。
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