2016年7月17日 説教要旨
ローマ人への手紙4章13~12節
聖書は人間の努力によっては決して罪から解放されないと語っています。「律法は怒
りを招くものであり、律法のないところには違反もありません」(15)とあり、律法
は人間が神の決まりを守れないことを知らせるためのものであるのです。
なので、私たちはクリスチャンになっても自分の力ではなく、神の恵みによって行う
者であることがわかるまで、頑張っては挫折をし、同じところを周る無駄な努力をす
ることになります。
アブラハムの信仰は「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あ
なたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父
となるためでした。」このみことばにあるとおり、アブラハムは神のことばに信頼し
た歩みをしていきました。このアブラハムの歩み、信仰の歩みをする者がアブラハム
の子孫であり、世界の相続人なのです。
そして「しかし、『彼の義とみなされた』と書いてあるのは、ただ彼のためだけでな
く、また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえら
せた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。主イエスは、私たちの
罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからで
す。」(24~25)
律法を守れない罪人の私たちのために、神は救いの道、イエス・キリストの十字架の
贖いを用意されました。このイエスの十字架の贖いを信じる者はみな救われます。そ
して、イエス様の復活はイエス様の十字架の贖いを保証するものであり、私たちが義
と認められたことの確認として与えられたものです。
ローマ人への手紙4章13~12節
聖書は人間の努力によっては決して罪から解放されないと語っています。「律法は怒
りを招くものであり、律法のないところには違反もありません」(15)とあり、律法
は人間が神の決まりを守れないことを知らせるためのものであるのです。
なので、私たちはクリスチャンになっても自分の力ではなく、神の恵みによって行う
者であることがわかるまで、頑張っては挫折をし、同じところを周る無駄な努力をす
ることになります。
アブラハムの信仰は「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あ
なたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父
となるためでした。」このみことばにあるとおり、アブラハムは神のことばに信頼し
た歩みをしていきました。このアブラハムの歩み、信仰の歩みをする者がアブラハム
の子孫であり、世界の相続人なのです。
そして「しかし、『彼の義とみなされた』と書いてあるのは、ただ彼のためだけでな
く、また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえら
せた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。主イエスは、私たちの
罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからで
す。」(24~25)
律法を守れない罪人の私たちのために、神は救いの道、イエス・キリストの十字架の
贖いを用意されました。このイエスの十字架の贖いを信じる者はみな救われます。そ
して、イエス様の復活はイエス様の十字架の贖いを保証するものであり、私たちが義
と認められたことの確認として与えられたものです。
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