説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2017年9月17日 説教要旨

2017-10-14 22:08:08 | 説教要旨
2017年9月17日 説教要旨 
エペソ人への手紙5章1節~9節

「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。」

私たちはイエス・キリストの十字架を信じた時に罪が赦され、神の子どもとなります。その私たちを神は愛しておられます。どのような愛で愛されているかというと、そのままの私たちを愛しておられます。罪人であり、弱い者、愚かな者である私たちを愛しておられ、十字架でひとり子のイエス様を私たちの身代わりにするほど愛され
ています。しかし、私たちの方で実感がなかったり、よくわからないことがあります。このとき、問題なのは神様に接しないとわからないのです。大切なのは神様に触れ、交わりをもつことです。問題やすべてのことを神様の前に出して祈ったり、すべてを感謝したり、罪は悔い改め、教会に繋がり、主に従っていくときに私たちは神様を体験し、神様の愛を知っていきます。私たちが神様の愛を体験的に知っていかないと、真に「神様にならう者」、人を愛したり、「愛のうちを歩む者」となっていかないのです。

「あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。」

聖徒とはイエス様を信じた者のことです。私たちは罪人ですが、イエス様という尊い犠牲が払われているゆえに聖徒なのです。不品行は性的な罪、けがれは神様以外の霊的なものに触れること、むさぼりは貪欲などです。それらは口にするのもいけない、そして感謝に口を用いなさいと言われています。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためは、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」また、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」と聖書は言っています。私たちは信仰を用い、悪いと思う事や失敗、問題もすべてを感謝する時、神様が私たちの益のために働いて下さるのを見ます。

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