説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

あわれみは好むがいけにえは好まない

2012-01-22 00:15:12 | 説教要旨
2011年1月15日  説教要旨 マタイの福音書12章1~8節
(1~8)ひもじくなって穂を摘んで食べ始めたイエスの弟子たちを見て、パリサイ人たちは安息日に労働してはならないという律法を弟子たちは犯していると訴えてきました。イエスはダビデが部下の者たちと一緒に祭壇のものを食べたところ(第Ⅰサムエル記21章)を指し、王でさえ規則を破っているではないか、わたしこそ神殿であると答えられました。神は、神を愛し人々をあわれみ愛することを好む、いけにえは好まない、人の子が安息日の主であると言われました。安息日の神聖は必ず守らなければならないという律法も人間のために与えられた戒めでしたが、パリサイ人は神さまを中心としなかったために、神の本来のみこころと反対の歩みになっていました。。
(9~14)羊が穴に落ちたとき安息日だからといって引き上げないだろうか、はるかに価値のある人を安息日にいやすことは神のみこころである、と言われました。イエスとパリサイ人の間にはいつもぶつかりがありました。律法は正しく良いもので律法によって罪がわかります。そして十字架を信じる信仰によって罪が赦され義とされるのです。パリサイ人たちは律法を守っていましたが神のみこころを中心とせず、自分を義とするためにみこころと反対のことをしていたので、それが大きな問題となっていました。律法を守ることは重要ですが、それは信仰によってなされるものです。旧約時代は律法を守ることで義とされますが、結局守れないことがわかりました。律法は救いに導くための養育係なのです。新約時代に入った現在は信仰の時代であり、信仰がカギです。神は私たちを信仰によって歩むように一人一人を導いておられます。また、‘クリスチャンだったらこうするべき’という考えも良いことですが、中心は神に従うことです。いけにえでなく神の導きに従うことをなしていきましょう。神は最善しかなされません。すべてを感謝し従いましょう。神は愛の方で、愛の律法を全うされていきます。       (文責・木本)