チョコハナな日々

ちょこっとした日常のさまざまなことに対する想いを書いていきます。

親が頑張らなくてもいいような社会へ

2009-12-19 | 障害者問題あれこれ
新聞やテレビに出たことにより、ブログミーナわーるどへのアクセスが増えているようです。

みなさん興味があるのでしょうが、中にはひどいコメントもありました。

応援のメッセージよりも非難や疑問をぶつける方が多いようです。

コメントは承認制にしたようですが、竹原市長と比べると非難のコメントも載せています。

若いお父さんは冷静に対処されていて、とても感心します。

しんどいでしょうに。

竹原市長の性格でも非難のコメントは載せないということは誰でも非難されることはつらいということです。

ところで、この非難や疑問の類のコメントを読ませていただくと、わたしからいわせると「余計なお世話」ですね。

「あなたの子どものために看護士を雇えというのですか、なぜ自費でしないんですか?なぜ障害児の通園施設や養護学校へ行かないんですか?」というようなもの。

今回の件は、気管切開という医療的ケアの必要なお子さんですが、医療的ケアが必要かどうかでなく障害のある子が一般の保育園へ行く、それに余計に税金も使うということは許しがたい感じなのでしょう。

「昔よりも障害者への視線が優しくなった」という方がいますが、表向きだけで根本的なものは何も変わっていないのが分かります。

たかが保育園へ入る、というだけで親は苦労しないといけないなんて、悲しいです。

別に障害があるから優先的に入れてといっている訳ではありません。

要望書を読むと、わたしは当たり前の要望だと思います。

うちの子を保育園へ入れるとき、署名活動は必要ありませんでしたが、最初の保育園の保育士が全然見ようともしないで結局措置換えしたことがあります。

あのときも大変でしたが、行政の担当者から「保育園に障害のある子が入ると、園に別に補助が出る」と聞きました。

確か、当時一人につき80万円だったと思います。

うちの子には特別つけませんでしたが他の保育園ではパートを雇ったところもありました。

今もそういう補助は出るのではないでしょうか。

わたしは第三者として、みいなちゃん家族と立川市との交渉を見守って行きたいと思います。




募金の想い出

2009-12-19 | 日々のひとこま
雪が降った、こんな冷える日に思い出すのは募金の集金。

「平山さん、台車も持って行かないと」。

「えっ、鞄に入らないんですか?」

「無理ですよ、今日は僕が付いて行きますから」。

Tさんに台車を押してもらって二人でちょっと先の社協へ向かう。

現場に着くと、待っていたのは募金箱の山?大中小とさまざま。

いろんな形の募金箱をグリーン色の袋に詰め込んで台車に載せる。

もちろん鞄にも入る分を入れて、道路の段差に気をつけながら慣れた手つきでTさんが台車を職場まで押す。

手伝ってくれたTさんは営業の仕事へ戻り、パートのわたしは袋から募金箱を出し、募金箱のお金を機械に投入する。

本当によくもまぁ善意の小銭が集まったもんだと感心する。

しかし、募金箱の中に入っているのは小銭だけでない。

郵便局の機械は数百万するらしいが、銀行の機械はあと一桁は高いらしい。

その機械が時々止まる。

募金箱の中にクリップなどが入っていて、それを取り除かないと集計ができない。

不器用なわたしは機械にも弱い。

何度教えてもらっても頭に何も残りません。

でも、窓口の女の子には仕事が出来て優しい子もいる。

「Hさん、すみません、機械が止まっちゃたので見てもらえますか?」

Hさんは「またかよ」と内心思ったかもしれないが、そういう顔は出さずに詰まった原因を取り除いてくれた。

もちろん、Hさんが忙しいときは無理なので、別の人を見つけ機械のところへ連れてくる。

社協から「また、募金が溜まった」という連絡が入ると、台車を押して集金へ行った。

今となると、歳末助け合いで集まったあのとても重たい無数の小銭が懐かしく感じる。