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親鸞専修念仏をなぜ旧仏教が禁止要求し鎌倉幕府が弾圧したのか

2023-02-25 15:15:20 | 宗教

 親鸞聖人生誕850年特別展「親鸞ー生涯と名宝」が開催される。主催は京都国立博物館、朝日新聞、NHK京都放送局、NHKエンタープライズ近畿で、特別協力が真宗教団連合である。

 朝日新聞は2023年2月23日朝刊に一面全体を使ってその事に関する紹介をしている。親鸞真宗また専修念仏がなぜ民衆の心を惹きつけたのか?大谷大学の草野顕之名誉教授「念仏自体はどこの宗派でもやっていた。だが、法然はお金をかけて仏像を作ったり、戒律を厳しく守り、修行に耐えたりするのではなく、誰もが等しく唱えられる念仏だけが救済の道だと説いた。親鸞が求めていた教えだった」という言葉と、又紹介文の末尾に、親鸞は「信心の定まるとき往生また定まるなり」と説いた、としている。しかし、今一つ納得できない。

 鎌倉時代初期に、法然ら専修念仏側と旧仏教側(延暦寺・興福寺など)の間で激しい論争があった。法然らは「念仏以外の善行には宗教的価値はなく、念仏以外では往生できない」と主張。旧仏教側は「念仏以外にも写経・読経や真言止観・造寺造塔など、あらゆる善行は往生の功徳となる」と反論し、法然らを念仏絶対視の「偏執」と非難した。

 そして、延暦寺は1204年に、興福寺は1205年に専修念仏禁止を鎌倉幕府に要求し、幕府は1207年に専修念仏を禁止し、法然は土佐へ、親鸞は越後へ流罪とした。

 当時、民衆は「地獄」の存在を信じていた。荘園領主と民衆も宗教性を帯びた関係となっており、荘園領主の民衆支配は宗教を利用したものとなっていた。荘園領主は神仏と一体化しており、例えば「年貢を納める」という行為も宗教的「善行」とされ、領主に従順であれば領主から現世安穏・極楽往生を約束されたが、反抗する者は神仏に反逆する者と見做され、現世来世にわたって仏罰神罰を下した。年貢を納めれば極楽に往生できるが、荘園領主に反抗すれば「地獄に堕ちる」とされていたのである。極楽往生の可否が荘園領主側にとって都合のよい社会であった。そのような社会状況下において、法然ら専修念仏側が「善行」一般の功徳を否定したのである。「極楽往生は念仏信心によって決まるのであって、年貢納入など何の関係もない」と。これにより、荘園制を支えているイデオロギーから民衆を解放する事となった。専修念仏は中世の旧仏教的支配秩序を崩壊させる危険性を感じさせるものとなった。ここに鎌倉幕府が旧仏教側の要求を受け入れ専修念仏を弾圧する理由が存在した。専修念仏は来世の往生を説いたが、それは現世の生き方をも変える影響力をもっていたという事だろう。この特別展開催は「2024年に立教開宗800年を迎える」という単なる節目の記念行事として実施するという意味だけのものなのか、はたまた親鸞の教えを現代人にも通用する教えとして国民に訴えようとする意志を有するものなのだろうか?

(2023年2月25日投稿)

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