初詣などに伊勢神宮内宮へ参拝する人々が非常に多いようであるが、あの宇治橋の鳥居をくぐった先の風景は「皇室の風景」として神聖天皇主権大日本帝国政府が創り出したものである事を認識できている人は非常に少ないと思われる。
現在見られる内宮参道の風景は、玉砂利、低い松、刈り込みと芝生という構成でできている。しかし、幕末の風景は、内宮周辺には、御師と呼ばれる「伊勢参り」のプロモーターたちの屋敷が数多く建ち並んでいた。幕末の絵図によれば、宇治橋を渡って伊勢神宮内宮に至るまでの地域にも、多くの民家が建ち並んでいた事がわかる。
現在の伊勢神宮内宮参道の風景は、江戸時代からのものでもなく、それ以前からのものでもなく、明治時代以後の新しいものなのである。つまり、帝国政府が内宮周辺地域の大改修を行い現在の元になる姿を創り出したという事なのである。この風景は、神聖天皇主権大日本帝国政府が整備した宮内省内匠課の造園担当者が創り出した「皇室の風景」であり、当時在籍していた小平義近、福羽逸人、市川之雅、折下吉延らが創り出したものなのである。
(2020年6月13日投稿)
そして、この「皇室の風景」の完成形は、明治天皇の伏見桃山陵と、昭憲皇太后の伏見桃山東陵であり、この時の責任者は内務省内匠頭であった片山東熊(建築家)と内苑頭であった福羽逸人(園芸家)であった。
神聖天皇主権大日本帝国政府は、あらゆる面で、歴史を改ざんし、歴史を都合よく創り出し、臣民(国民)に自己の支配統治の正当である事を押し付け刷り込んだ(洗脳)のである。
(2023年1月2日投稿)