「おおさか維新の会」は、「歴史」から普遍的な人権尊重の価値観を学ばず、反対に人権を軽視否定するとともに、国民の近視眼的単眼的主観的な思考判断を意図的に利用し、本心正体を隠蔽して奇抜な詐欺的手法で国民の関心を惹き権力を手に入れた。権威主義的思考で目的のためには手段を選ばず権力を恣意的に使って整合性のない場当たり主義の政策をつづけ、一貫して実現をめざそうとする普遍的な理念を持たない政党だ。
「与党になる事は絶対ない」と言うが、「先の国会の内閣不信任案は野党のパフォーマンスで、会期末の風物詩。付き合う気はなかった」という言葉は、「野党」としての論理の支離滅裂さと無責任さを示している。他の政策と照らし合わせるとつじつまが合わず、その行動言葉は国民に対して、己の正体を隠蔽偽装するためのものである事がわかる。
公明山口が野党共闘を「誹謗中傷罵倒」するために「政策の一致もなく、ただ選挙の時だけ野合する」と言ったが、口をそろえて、「野合だ」と言っている。この事は「お維」が「野党でない」事を証明しているとともに自公政権の別動隊(補完勢力)である事を表明したものである。そして参院選勝利後には、自民公明と結託して「自民改憲草案」実現を目指そうとしている事は明らかである。自民は「野党は憲法改正を争点にでっちあげようとしている」と発言しているが)。公明は言うまでもないが、「お維」は信用できない存在である事を自ら公言暴露している。
「お維」は経済政策においては、アベノミクスの評価に対する態度を明らかにせず曖昧にしているが、これは、本心は支持しているにもかかわらず自己の正体を隠蔽するために意図的に曖昧な姿勢を取っているのであり、アベノミクスに対する批判票を取り込もうとしているのである。また、歳出抑制を主張し、景気回復のため「財政出動」や「公共事業による雇用確保の必要性」に関して、あらゆる政党の中で最も強く反対しているが、これも本心とは全く異なる「ごまかし」である。それは2025年の「万博」を「大阪」に誘致しようとしている事を見れば、明白である。関心をひきつけ支持を得るために抜け抜けと「ウソ」をついているのである。
原発政策についても、「再稼働」については「反対」している。しかし、「今すぐ廃止」と「将来も電力源の一つとする」のどちらをとるかとなると、「どちらともいえない」と判断を明らかにしない。つまり、姿勢には廃止への一貫した明確な信念が見られず、「再稼働」反対はパフォーマンスであり、支持を得るために自己の立場(正体)を隠蔽偽装しているとしか考えられない。国民はこのような姿勢を見抜き許してはいけないと思う。
集団的自衛権行使を認めた「安保関連法の評価」や「日本の防衛力強化」については、「評価している」、「強化すべき」だとしているが、「自民党改憲草案には反対」で、「9条改正は時期尚早」とし、「緊急事態条項は法律の整備でできると考える」という整合性のない矛盾する主張もしている。どちらが本心なのかという事だが、それは、「提案があれば緊急事態条項は議論に応じるのは当たり前だ」と主張しているところに答えがある。「お維」の本心は自民の「改憲草案」支持であり、自民の補完勢力だという事を意味しているのである。だから先の整合性のない主張も、国民に対して「お維」の本心正体を曖昧にし隠蔽するためなのである。
民進と共産の「安倍首相だから改憲の議論に応じない」という主張について、「政治家として職務怠慢」であるとの主張は上記の「提案があれば……当たり前だ」というものと同じ発想であるが、「お維」自身の行動を正当化するとともに、民進と共産に対してのプレッシャーのつもりなのである。一見正しい論法で非難しているように見えるが、これは話のすり替え(詭弁)をしており、「職務怠慢」という言葉はまったく別次元で使用するべきものであるから、気に留めなくても良いものである。しかし、彼らはこのような論法で、非難中傷罵倒し「貶め」ているのである。これは彼らの論法の特徴なのである。このような論法は対話議論を不可能にする。このような論法を用いる背景には文化的基盤の違いがあると考えられる。
安倍政権自民党も公明党も同様の論法であり、それほどまでに彼ら与党の文化が変質(低劣化)しているという事である。説得して理解させられるものではないのである。そのような人間が増加した社会時代になったという事であり、国民はそのような勢力に権力を握らせない姿勢を持つ事が大切だという事になる。政治に無関心で選挙にもいかないという事であれば彼らの思うつぼで日本は彼らのような人間集団のやりたい放題となるだろう。
「自民党憲法改正草案」では「家族」について、第24条で、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わねばならない」。第3項では「家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、……親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」としている。
第24条の後段は、世界人権宣言16条3項が「社会及び国による保護を受ける権利を有する」としているのを、「家族は互いに助け合わねばならない」と書き換え、社会及び国への権利要求を否定し、「家族責任」として現行憲法を改悪したものである。そして、「家族は平等にその責任を負う」とし、「法律で定める」としているのである。その際の家族の形は昔の姿を想定しているのであるが、そのような家族の姿はすでに過去のものとなっているにもかかわらずである。
これに対して「お維」はどのような立場を取っているかといえば、「お維」は「改正草案」を支持していながら、自己の立ち位置を隠蔽するために「家族の形」について、自己の立場を明らかにしない、という卑劣で陰険な姿勢をとっているのである。また、夫婦別姓についても、自民が否定的である事は国民の周知の事実であるが、これについても主張を明確にせず、国民に対して自己の正体本心を隠蔽しているのである。このような立場をとるのは、安倍政権と結託していないように国民に見せる事と、反安倍政権支持者の票の受け皿となる事を狙っているからである。
最後に、参院選の候補者擁立でも、なりふり構わぬ「お維」の体質を国民に暴露しているが、元みんなの党代表の渡辺喜美と元新党日本代表の田中康夫をたてた。
国民の良識が試されている。これで彼ら「お維」の議席数が増加する事になれば、彼らは国民に対して今まで以上に傲慢な態度をとるだろう。