立山、黒部旅行3
敦賀を出てから漸く眠気がさしてきて、はっきりと目が覚めたのは富山県に入ってからでした。ここは石動でしょうか。もう晩夏の朝日が周囲を照らしています。線路一本隔てた向かい側には荷物車が車両の扉を開け放した状態で停まっていて、車内では作業員がシャツ一枚になって荷物の仕分け作業をしているのが見えます。実は、この荷物車を連結した列車は、今もって私にとっては謎の列車なのです。このシーンが石動でなくて次の高岡だったのかもしれませんが、いずれにしても両駅の配線から考えると上り列車と推測されます。時間帯からすれば金沢行きの「黒部」か普通列車大阪行きなのでしょうが、「黒部」の荷物車は1両だけですし、大阪行きの普通にしても私が乗ってる「つるぎ」の乗車位置から考えると疑問符が付いてしまいます。当時の時刻表でもあれば解決する話かもしれませんが・・・
富山には6:25の到着です。(大阪発22:45と富山到着の時間だけ載せた他の方のブログがありました。)一旦改札口を出て国鉄線の北側にある富山地方鉄道の富山駅に向かいます。喫茶店を探す人もいましたが、7時過ぎの発車なので朝食用に売店でパンとパック入りの牛乳を買い込んでの乗車となりました。
乗り込んだ電車は、京阪神の国鉄で茶色に塗られて各停に使われているロングシートの古いタイプの車両に似ていましたが、塗装は明るいグレーに塗られていました。発車してしばらくして長男の叔父から、運転席からの景色を見に行こうと誘われました。いつもならかぶりつきの車窓風景を楽しんだのですが、夜行列車での睡眠不足のせいでまだ頭の中は眠ってるような状態でしたので、程なく私は席に戻ってしまいました。叔父の方は、その後も運転席の後ろに立って、時折運転士に話しかけて電車の専門的な会話をしているようでした。それもそのはずで、叔父はその少し前まで奈良電気鉄道(奈良電)の運転士をしていました。しかし、奈良電が近畿日本鉄道(近鉄)に吸収合併されたために、この機会に運転士の職を辞して家業を継ぐ道を選んだそうです。もっとも後で母から聞いた話では、家業を継ぐと言うのは表向きの理由で、明確には延べられませんが、そのまま近鉄の社員になる事を躊躇う事情があったそうです。