今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

急行電車男 前編10

2015-12-04 23:31:25 | 鉄道旅行
急行「びんご2号」その1

 昭和41年(1961)の春休みだったと思いますが、この時も往路は普通列車広島行で、今回は父との二人旅になりました。
 この列車には3度目の乗車となりましたが、毎回少しづつですが変化がありました。
今回特に気付いた事が2つあり、その一つがこの列車の先頭に立つ機関車でした。これまでは、流線型をした機関車(EF58)が引っ張っていたのですが、今回はブルーとクリーム色に塗り分けられた、貨物列車を引っ張っているのと同じ箱形の機関車でした。おそらくこの日はEF61が先頭に立っていたのでしょう。まだ形式までは理解していない頃でしたが、鉄道少年の私には珍しい光景で今でもその時の事をよく覚えています。

     1980年頃(大阪)

 二つ目は、須磨駅を通らなくなってしまった事です。兵庫を出発した列車はこれまでとは違った方向に進んで行き、「あれっ」と思う間に以前通った線路を進行左側の車窓に見ながら走っているではありませんか。
 私は、線路際に建つ家並の間からちらりと海が垣間見られる須磨駅付近の光景が何となく好きでした。複々線化により家並から離れた位置を通るようになったので、海があまり見えなくなってしまいました。代わりに明石付近では旧線よりも一段高いところを走るようになったので、明石海峡の見通しは良くなりましたが、海岸沿いを走っていた旧線に比べて海からは遠くなってしまいました。須磨駅が通過になり「すまー、すまー」と言うホームのアナウンスも聞けなくなり、何か物足りないような寂しいような気持になったものです。尤も快速や普通電車は引き続き旧線を走るのですが、後年快速電車でこの区間を乗車しましたが客車列車とは雰囲気がまるで異なりました。
 ところで、この区間(鷹取ー西明石)の複線化は1965年(昭和40年)3月になっています。本来なら旧線は快速、緩行電車専用になり、機関車に牽引された客車列車は複線化に伴い新線経由になったはずなのですが、同年10月ダイヤ改正までは旧線経由で須磨に停車しています。従って、「宮島小旅行」の往路に乗った広島行普通列車は、まだ須磨駅停車で運転していたことになります。