今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

急行電車男(前編2)

2014-09-06 23:08:45 | 鉄道旅行
 私の父の生家が広島県東部の福山市にあり、学生時代まで毎年のように両親の里帰りに付いて行ったものです。
当時は車なんかなかったので、いつも京都の我が家からは山陽本線の列車を利用していました。
 物心がついた頃から小学生の低学年までの旅の思い出となると、もう極めて断片的にしか覚えていません。
よく「宮島」号を利用していたこと、蒸気機関車の牽引区間が乗るたびに短くなっていったこと等くらいでしょうか。
 「宮島」については、昭和36年10月改正で大阪始発の気動車急行に変わるまでは、京都始発の客車列車で、準急列車だったようですが、時間帯も良かったのかよく利用していたようです。
 蒸気機関車牽引に関しては、上郡ー三石間と笠岡ー大門間の2か所のトンネルに列車が入る時に、車内に煤が入らないように窓を閉めたのを覚えています。上郡ー倉敷間が電化されたのが昭和35年(1960)10月のことですから、まだ私は5歳になっていなかったときです。
 次にこの区間を利用した時は、岡山で機関車を交換したので、トンネルで窓を閉めたのは笠岡ー大門間だけになり、さらに次の乗車時にはすべて電気機関車牽引に変わっていました。
 京都始発の「宮島」が無くなった後、米原始発の臨時急行で大分・長崎行に一度乗ったと思いますが、当時の時刻表を所持していないので詳しいことはわかりません。その後普通列車を何回か利用しましたが、その話は次回にしたいと思います。
 この当時の車窓風景など全く覚えていませんが、一か所だけ山崎ー高槻の間で、距離を置いて並走する阪急電車(当時は京阪神急行?)と青々とした水田が広がる美しい光景がなぜか今でも鮮明に記憶しています。