(高速船で1時間40分。五島列島の有川(中通島)に到着。角さんが指を指している所が有川港。)
長崎と天草地方には潜伏(隠れ)キリシタンの文化遺産が多くあります。五島列島だけでも
教会堂が50もあります。秀吉に始まり 家康 家光の次代に キリスト教布教が禁止され
大村藩(大村純忠は日本初のキリシタン大名で南蛮貿易を行った。)にいたキリシタンは
安住の地を求めて 五島列島に移り住んだ。その後も迫害が続き 表向き仏教や神道の信者
として 隠れキリシタンは 篤い信仰をもって 鎖国の江戸時代を生きのびた。
1549年に日本に来日したフランシスコ・ザビエルによってキリスト教は伝えられ 平戸で
布教が開始された。天正遣欧使節がローマへ出港したのも長崎港からで その後のバテレン
追放令で26聖人(宣教師と信徒)が処刑・殉教したのも長崎だった。長崎・島原で天草四郎の
乱(一揆)が起こり 三万5千人もの人々が亡くなっている。江戸末期 隠れキリシタンが大浦
天主堂で来日した神父に信仰を告白、『信徒発見!』 とカソリック世界で大きな話題となった。
これら長崎の教会群と隠れキリシタンの関連遺産が世界遺産に推薦され 来年にも決定される
予定となっています。450年という長い年月を越え 守られてきた信仰を今回五島の地を訪ね
地元の砂岩を使った石造りの頭ケ島天主堂や久賀島の旧五輪教会堂に見る事が出来たのは 本当に
感動でした。今は2所帯だけでこの日本一古い木造教会を守っていることを聞いて 信仰の灯火が
いつまでも守られるよう 心から祈りました。
ここでも美しい碧い海が印象的でした。海上タクシーで見たキリシタン洞窟も色々なことを想像させて
くれるもので 波にゆられながら 昔迫害を逃れた人々がこの洞窟に隠れ住んだ生活を思い浮かべ
ました。結局見つけられて 拷問を受けたと聞きました。今、信仰を守り抜いた先人達をしのんで
大きな十字架とキリスト像が鎮魂の願いを込め 洞窟の入り口に建てられていました。 ザビエルは
中国に較べ 『日本は東洋の内で 最もキリスト教に適した国』と言ったそうですが 過疎化 高齢化の
中で 必ずしもその言葉は生かされていません・・。それでも若い神学生が生まれているともTVの
番組で言っていました。 これからも福音が広く 多くの人々に伝えられることを祈った次第です。
五島列島のガイドさん。五島出身で Uターンして5年とか・・! 楽しい解説でした。
頭ヶ島(かしらがじま)天主堂が見えて来ました。
日本では珍しい石造り(砂岩)の教会。信徒が切り出し 積み上げて10年で完成した。
天主堂の近くに キリシタン墓地。
拷問の道具 重い40キロもある石を膝に積んだ。
頭ヶ島天主堂の前にこんな美しい海がある。
海と空を見ていると 飽きることはありません。
海上タクシーで 中通島から 久賀島(ひさがじま)へ向かう。
白いしぶきをあげて海上タクシーは走る !? 結構なスピードでした。
久賀島にある旧五輪教会堂。1881年建造 日本では最も古い木造の教会。この地域はもう2所帯しかないと聞いた。
傘のようなブオールト(建築構造物)が美しい。
キリシタン洞窟。明治初頭 弾圧を逃れ 船でしか行けない断崖に身を隠した。
信仰の強さを感じる 断崖の十字架とキリスト像。