私は1943年(昭和18年)生まれです。まだその頃 日本は戦争をしていました。正直なところ
戦争体験はありません。ただ親父が戦死して 母子家庭となったこと 戦後の物不足の中で 何故か
アメリカの缶詰が叔父の家にあったこと 兄が進駐軍に石を投げ MPに家の中まで入ってこられ
恐ろしかったこと 母が再婚するとき何故か私だけ叔父の家に残され ワンワン泣いていたことなどが
小さな思い出にあります・・。
そんな家族の思い出をする為に文章を書き始めたのではありません?? 戦後の70年間私たちは
大変な歴史の中に生きているんだなーという思いからです。戦後10年の復興期 そして高度成長期へ
更にここ20年(失われた20年)不況の中を生きてきて(政府は好景気の継続と言ってますが・・。)
その間に公害や温暖化が世界の問題になり 日本は戦後のベビーブームから少子高齢化へと社会は
変化してきました。
150年前の明治維新から世界の潮流である資本主義の影響下に入り込み ? 今も大量生産・消費・
廃棄の時代に生きていること。お蔭で?3億年以上かかって出来た化石燃料(石炭・石油・天然ガス)を
数百年で使い切る高度エネルギー時代の真っ只中にあります。20世紀から核エネルギーも加わり 更に
情報が支配するコンピュータ・人工知能の時代に突入することになりました。人間が主人公であって そう
でないような状況です。せいぜい数千年の人類の文明と呼ばれる時代に 私たちは生きています。恐ろ
しいスピードです。『 人生50年』がいつの間にか『 人生100年 』時代への大変化 この
大変動期をどう生きればいいのか・・? 日本にとっても 個人にとっても 未知との遭遇なのです・・。
少し歴史を止めて 歴史をふり返り 今果たして人類が正しい道を歩んでいるのかどうか検証する必要を
感じます。世界の人口がここ250年の間に急速に増加したように(日本では明治から)大量生産に
よる商品も急激に増加し ある意味私たちの欲望を満たす 豊かな生活をエンジョイすることが出来る
時代となりました。『 パックスロマーナ 』 という言葉があります。二千年前のローマ時代こそ
最も平和で豊かだとローマ人が豪語した言葉です。現代人のある人々も『 現代の繁栄 』を楽しんで
いるかも知れません。 しかしローマが没落したように 現代も没落の多くの火種を抱えています。
人口の急増 国家間の格差(先進国と途上国) 植民地や資源、市場を争う戦争 貧困 飢餓 難民
暴力、公害・温暖化、自然破壊・・、世界がそして地球がバランスを失うような変化が起こっています。
日本も同様で 明治時代の富国強兵・殖産興業が 戦後の経済復興 高度成長と名前が変わっても
国が目標を作り それに国民が一体となって突き進んでいく そんな体質は変わっていないようです。
戦後物不足に悩んだことが アメリカの豊かで便利な生活に憧れを抱かせ 三種の神器に夢中に
なりました。1980年代日本はアメリカに代わって 『JAPAN AS NO1』と言われるまでに
なりました。 私などもその明るい面に酔いしれていたようです。 不動産バブルもありました。
労働力だけが資源の日本が 今や外国から労働力を求める時代へ。元々無かった化石燃料などの
資源は変わらず外国から輸入せざるを得ず その為には輸出も必要であり 何よりも国内需要を
高めること 消費を拡大すること 十分でない給与・年金を貯蓄より支出に向けないと日本経済は
もたない・・、 政府が2%のインフレを求めても 将来の不安から財布の紐を緩めない国民との
綱引きがありました。土台物価上昇を目標とする経済政策などあるでしょうか? たとえ無駄な物
でも消費(購入)しないと経済は悪化するのです。消費税を10%あげても 様々な軽減措置で
経済(購買力)の落ち込みを防ぎたいと躍起です。消費を落とさない為だったら 消費税をあげな
ければいいのに・・? 国民から税金を取らないと 国家財政が危うく 消費が落ちこむと経済が
ダメになる・・、坂道であっても 自転車をこぎ続けないと倒れてしまうのです・・。(続く)
ひさし振りにタンポポ。 背は低くても 黄色が鮮やか。
これは白いタンポポ ? 白花タンポポ という。
一年ぶりに見る 仏の座(ほとけのざ)
同じ時期に咲く 姫踊り子草は まだ見ていません・・。
菜の花ももう普通に咲いています。
ダイダイ色の金盞花(きんせんか)
これはもう名残の ?と言いたい コスモス。年中咲いている・・と言ってもいい・・。
相変わらず 日本水仙ですが・・。 神秘的な美しさです。
少し花びらが尖った 白い水仙。
これは八重の水仙。
白と黄色が微妙ですね・・。