ジミーの自然ブログ (Jimmy's Nature blog )

花の美しさ 自然の素晴らしさを 伝えたい。 

   忍野村の 秋の空 

2017年09月30日 | 自然 花 写真

      ( 青い空に 白い雲 ススキも大分白くなってきました。)


今各地で 「 大金鶏菊(オオキンケイギク) 」 の駆除が話題になっています。
外来種で 非常に繁殖力が強く 在来の植物が排除される危険があるからです。
大金鶏菊は富士山麓ではあまり見ませんが 全国で群落で増えているようです。

動物であれ 植物であれ 発生すると 生長を続け 急速に個体数を増していき
しかし大繁殖し 過密状態になると 自然に枯死していく。彼らを取り巻く環境
(生態系)が変化し 新しい環境に適応出来なくなり 自己コントロール出来ず 
一部を残して死んでいく。生き物には天敵というのがいて 食べるー食べられる
関係にあり 競争もあるが共存もあり バランスがとれています。そこに繁殖力の
強い「侵略的外来種」 が来ると 生態系が崩れてしまうのです。

自然界には 多くの生き物がいて共存しています(生態系)。植物が陸上に進出
したのは 5億年前頃と言われています。それらは長い時間をかけて その数を
増やしてきました。既に死滅した生物も多いのです。人類にとって酸素 水 大地
などが必要ですが これは植物も 他の生き物にとっても同様です。これらが豊かに
あるのが 森であり 森はいのちと呼ばれる理由です。人類も長く森の生態系に居ました。 

今都会に人々が集まり 田舎で人口が減っています。これは森が失われ 森が荒廃する
ことを意味します。北京のような大都市は大気汚染で 健康な生活が出来なくなって
います。日本では東京の一極集中が問題となっていますが その東京さえ 近い将来
人口が減少に転じると言います。地方は言うに及ばず その影響は今深刻です。

しかし世界的には 人口は増加の一方です。これにも偏りがありますが 食料の為に
森林は破壊され 多くの魚が海から奪われていきます。生物間競争では人類の急速な
増加の為 他の生き物が急速に失われていきます。金子みすずの詩にあるイワシの
大量の葬式です。人間から見れば海の幸ですが イワシにとっては仲間の葬式なのです。

「もろいガラス玉のような地球」 と手塚治虫は言いました。地球は絶妙なバランスで
成り立っています。しかもまだ科学的に解明されないことが多いのです。ですから
色々な変化に 敏感であることが 必要だと思っています。

私は 人間も イワシも 金鶏ギクも同じ地球に住む生き物という視点で書いています。
地球という生態系に住む一員として考えています。 一時代を支配した三葉虫も恐竜も
命を終えました。地球の主人公が次々と変わっているのが 地球46億年の歴史です。
人間の次は猿だと描いたのは 『 猿の惑星 』という映画です。これからは無機物の
人工知能がこの世の主人公になるかも知れない・・?  そんな思いにもなります。

アメリカと北朝鮮との言葉の戦争が始まっています。これがミサイルや水爆の打ち合いに
ならない保証はありません。愚かな人間の行いです。自己中心の思い お互いの不信 
支配欲・・、状況は違いますが 追い込まれた日本が暴発したようなことが、再び戦争が
起こらないとは言えません。世界の人々はそれを心配しています。お互い頭に来ている
ようですが 冷静になることです。相手の立場を思いやる心を持って 対話することです。

圧力一辺倒では暴発は避けられないでしょう。愚かな人間達の争いで 自由 寛容 平和の
象徴だったアメリカの「自由の女神」が地に埋もれていくのが 映画のストーリーでした。
戦争になれば戦場は地球であり 壊されるのは人類や多くの生き物の住む生態系です。 
人間だけでなく 多くの生命が失われます・・。人類の英知を望みたいところです。







鶏頭(ケイトー) は 秋を感じさせる花です。


 

西洋風蝶草(クレオメ) 毎年咲いている忍野の地に 今年も咲いていました。 


花言葉ー いつも笑顔で 明るい性格の花 と書いてあるのを見ました。


ラベンダー 夏の花ですが まだ野原に咲いていました。


サルビアと共存している・・。


千日紅 忍野ではあまり見ませんが・・。 紅色が仲々褪せないことから この名前がついた・・。


忍野のキャベツ畑。 温度的に 高原キャベツでしょうか?


キャベツはいつもお世話になっている 有り難い野菜です。


日本では あまり見ない 糸杉の並木 ?


赤とんぼ 今沢山飛んでいます。



これは カップルのようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

  高齢者の独り暮らし料理教室 !! 忍野村主催。

2017年09月28日 | 自然 花 写真

      (  忍野村の料理教室風景  生活改善委員会のメンバーから栄養講座 !)


一昨日は 忍野村の 高齢者(ひとり暮らし)の為の料理教室に行って来ました。
私は去年も参加しているので 軽い気分で行きました。 参加は10人程ですが
村が高齢者の為に 食事や栄養について 食生活改善の為にアドバイスをして
くれるという内容です。 

例えば 

肉は薄切り肉が使い安いので 1日3枚(70g)程度を目安に。
魚は白身の方が柔らかくて食べやすいので 1日1切れ(80g)を目安に
生野菜より 温野菜の方が食べ(飲み込み)やすい 。
味付けは1品少し濃い味付けにすることで 食事の満足感がでる。
1日1品 いも料理を加えると 疲労回復の効果も!  などなど

私も毎日料理をするので 有り難いアドバイスでした。その後は皆で料理をつくり
共に食事をしながら 交わりの時です。 独り暮らしの高齢者にとっては 健康
カネと共に大事な問題は 孤独だそうで これを3Kというそうです。 村も色々配慮を
してくれます。今回は無料の料理講習でしたが 少し有料で男性の為の料理教室も
あります。

驚いたことは 私の住むマンションからも同様の高齢者が来ていたことです。私と
ほぼ同年齢、仲々かっこよく 料理を作っていました。私も得意な野菜炒めの技術?で
野菜や肉を適度に切り 炒め物を作ったり 味噌 チーズ入りのリゾットなど作り
ました。他に きのこ汁 アスパラの茹でたもの デザートはチョコレートムース
など 豪華?でした。 

終わりは 今問題の悪質商法対策で 山梨県生活センターから人が来て ビデオを
見ながら説明してくれました。オレオレ詐欺 還付金詐欺 点検商法 利殖商法
睡眠商法など悪質な手口満載です。確かに高知でも高い健康器具を買わされた例も
あり それを相談する人がいない高齢者の弱みにつけ込んでいますので 担当者も
県民生活センターに電話で相談したり 消費者ホットライン188(いやや)に
連絡するように 繰り返し説明していました・・。 感謝でした。


皆で仲良く 分担して お料理を作る。




できあがり。 きのこ汁、 味噌入りリゾット。 豚肉入り野菜炒め・・。


逆光ですが おいしく頂きました。


この後は 私の手作り料理。 鶏の唐揚げ入りラーメン。


これもラーメンですが ピーマンと豚肉入り。



ハムエッグ。


大根の煮物。 ちょっと出汁がききすぎた・・。


かぼちゃの煮物。 1回作ると 何回分にもなるのが 悩み・・?


具だくさんの野菜炒め。 野菜炒めは私の定番 !


豚肉と白菜のミルフイ-ユ。


自然の恵みで頂いた 栗ご飯。


買ってきた栗ご飯 ? と疑われたので ? 今回は炊く前を載せます・・。


念入りに 炊きあがったところも・・。




コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

  秋は 自然の素晴らしさを感じる季節 ?

2017年09月25日 | 自然 花 写真

  (  山中湖は クジラの形に似ていると言われますが その尻尾の辺りから見た風景。 )


フランスのルソーの言葉に 「 自然に帰れ! 」があります。彼は都会では孤独であったらしく
パリ郊外の森の中を散歩し 観察者として生涯を終わったようです。 都市生活で失われた 或いは
鈍くなっている視覚 聴覚 嗅覚 触覚などを田園生活の中で取り戻し 人間本来の生活 楽しい
生活を見いだしたようだ。

私も東京の生活から山梨の忍野村 或いは高知へと住まいを移して 大都会にないものを得ています。
先日安倍政権のやりたい放題に愛想を尽かして 文句を言いましたが 日本の中央から発信される情報に
何か違う 違和感を感じています。都民ファーストもそうですが 都会中心の考え方に異和感を覚えます。
流行の言葉で言えば 「 違うだろうー!」という感覚です。 それだけ現代のエネルギーに ついて
いけなくなっているのかも知れない・・。 

「 都へ出ると 自分を随分落ちぶれたと思う 」 と鴨長明も言っている。「 庵へ帰ってくると
  心が落ち着き 世俗であくせくしている連中が気の毒になる。 」とも言っている。彼によれば 
「 方丈の庵 自然を友とし 」 「 自ら身体を動かす楽しみもあり 山中の風光は 四季折々に
  大きな味わいがある。」と。 「 この世は人災 天災の中にあり。 嘆くなかれ。富あれば
  悩み多く 貧しければ鈍す。人いずれより来たりて いづれかへ去る。何をあくせく・・。」とも。

ルソーは 理想として 自然の中にある人間の如く 五感を研ぎ澄ませ 全身で発想し 行動する、
真に人間的かつ創造的な 生き生きとした生活、 自然と親しみ 自然に学び 自然との共存の中で
愛情を育む心こそ 現代人が切に求めるものであると・・。 自然は決して私たちをだまさない。
私たちは自分で 自分をだましているのだ とも言っている。

日本でも 外国でも 権力志向が強く 成功ー勝利が私たちの生きる目的であるかのように思っている
人々が多い。 高度な社会とはそんな社会では無い筈。 技術文明が成熟し 便利さ 物の豊かさが幸せと
勘違いされているこんな時代。これでは若者達が喜んで生きる世界とは言えない・・。

「 自然に帰れ! 」 は そんな現代に生きる私たちに与えられる 教訓に満ちた言葉です。




近くに 富士アザミの群落がありました。


富士アザミは名前の通り 富士山麓に咲いていますが 何故か大きい花です。


ススキは お月見にもかかせない・・ですね。


もう1回 ヒガンバナ。 この花も 彼岸には欠かせない・・?


コスモスも 秋に欠かせない・・。


萩の花も 秋の七草の一つ。


マメの花に 似ています。


珍しい ガマの穂。


多分 ナナカマド。


この木は 固く 炭になるようです。


まだ銀杏(いちょう)は黄葉していませんが、真ん中の木は サクラ?


エノコログサも色づきました。


秋明菊(しゅうめいぎく)はかなり古く 日本に渡来。 漢名は 秋牡丹 とか。


富士山を見るのに 邪魔なアカマツの枝に 小鳥がとまる。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋分の日 日本の政治は何処へ行くのでしょう ?? 

2017年09月23日 | 自然 花 写真

       (今年初めての 彼岸花(ヒガンバナ) 秋分の日に間に合って良かった !)


日本は戦後70年 外国と戦争せずに来ました。私たちは 「平和ボケ」しているかも知れません。
憲法で戦争を放棄して 平和を求める国民と自負してきたところですが 憲法9条中心に改定が
叫ばれ 安全保障関連法が強行されてきました。 「自衛隊は軍隊でない」と説明されていますが 
日本人がみても これは軍隊です。自衛の為なら許されるという政府自民党の考えですが 自国の
範囲を大きく超えて アメリカと共に自衛隊は活動しています。 今北朝鮮の核保有の動きが急に
なり 核大国であるアメリカは声高に非難し 「潰滅」も辞さない構えです。軍事行動も含め全てが
テーブルに乗っているといい 日本政府も強く「制裁」を支持しています。まさに同盟国です。対話は
効果がないとして 圧力一辺倒です。 北側の強い非難を浴び 既に「言葉の戦争」になっています。

そんな緊張の中で 呑気に総選挙ということです。国会議員は国政より自分の選挙の勝ち負けに翻弄
されます。国家より自分の選挙の当落に必死になります。 本当に危機感を持っているのでしょうか? 
今なら票が取れるという浅ましさは一国のリーダーと言えるでしょうか? 日本の平和 アジアの安全と
いう大事なこの時に 政治空白を作って 何が 日本の、アジアのリーダーでしょうか・・? 

韓国が人道上の理由から9億円援助することをアメリカなどと共に批判していますが 日本の政府の
呑気さこそ批判されるべきでしょう。 総理の専権事項とは 勝手し放題のことでしょうか? 
勝てればいいという姿勢こそ 森友、加計問題における無責任政治と軌を一つにするもので 先月 
内閣改造して 「仕事人内閣」と広言していたのに 一月を経ず所信表明もなく 冒頭解散など 国民を
侮辱するものです。少し支持率が改善すると 野党の弱腰をいいことに 党利党略で丁寧な説明も無いまま
解散強行とは ただずるがしこい政治屋のすることに覚えます。 解散に大義はいらないのでしょうか?

国民に教育無償など甘い餌をちらつかせておけば 財政再建など先の話と高をくくっている姿勢は 将来の
日本に余りに無責任です。 こういうことを言っても そんなのは犬の遠吠えと思っているようですが 
国民はそれほど馬鹿ではないと思います。財政再建は地球温暖化と同様 今日、明日の問題とは見えない
ようで 国民にとって日本にとって 実は深刻な問題なのです。いやなことは後回しで 目先の利益しか
考えない手法で 「憲法改定」まで持っていこうという安倍総理の姑息な考えを 選挙を通して 国民が 
「NO!」を示していく時ですねー。 戦後70年 日本が築いて来た民主主義が劣化してきています。 
思えば 今日は秋分の日、祖先を敬い お墓参りする日ですが 戦争で亡くなられた多くの人々に誇れる
日本でありたいと思い 敢えて今の政治に苦言を呈する次第です。






先日の台風で倒れた秋桜(コスモス) それでもしっかり花を咲かせています。




これは 野原のコスモス。 強い風に吹かれています。


松林の中の  晒科升麻(さらしなしょうま)は 今が盛りでs。




赤マンマ(イヌタデ)も赤さを増して来ました。




水引き 小さな花ですが 緑の中に 赤さが目立ちます。


ピンクの秋明菊。 秋の花です。


雨の多い日々。 木の切り株に苔やシダが育ち キノコも栄養を得て どんどん増えています。


きのこというか 猿の腰掛けのような・・? 


緑の栗は 熟さず 終わってしまうのでしょうか?


今日のランチは 大戸屋。 痩せたサンマがありました。 今年は不漁だそうですね。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

  秋晴れの1日。 山中湖と富士山。

2017年09月21日 | 自然 花 写真

     (  今日はスッキリ、 山中湖から見る 秋晴れの富士山。)


昨日は 秋の彼岸の入りでしたね。 墓参りに行かれる方も多いでしょう。
お供えに おはぎを供える人が多いのでしょうか スーパーでおはぎの類が
山積みでした。私も甘い物が好きな方ですので 一つ買って自分で食べました。
彼岸とは 彼方の岸 すなわちあの世のことですね。仏教的には煩悩に満ちた
此岸(この世)を離れ 悟りの世界へ行くことを 彼岸に達すると言います。

もう若い人々には 彼岸と言っても 死語かも知れません。今は秋分の日と
言った方が分かり安い。農耕民族の日本人は芽吹きの春には1年の豊作を願い
収穫の秋には自然やご先祖に感謝するという意味で 春分の日 秋分の日が
祝日になっています。自然への信仰と先祖供養が結びついて 彼岸には墓参り
という習慣になったようです。そんなわけで お彼岸の間にある秋分の日が
お墓参りの季節になっているようです。

先日の台風18号は 日本列島を縦断しました。もうこれ位にして欲しいと
思いますが アメリカでは又新たなハリケーンが来ているようですし 9月
10月も 昔台風銀座と言われた程 台風が多いです。特に今年は最も暑い
夏であったようで 猛暑ー海水温の上昇ー大雨の図式が定着してしまった
ようです。仙台では36日間 東京でも21間 雨が続き 50年に一度の
とか 記録的大雨とか そんな言葉に慣れっこになってしまったようです。

今日のブログに「 栗ご飯 」 の写真を載せましたが 台風で未だ未熟な
栗のイガが多く地面に落ちていたのは 本当に残念なことです。高知春野で
多くの白い栗の花を見た印象が残ってたのに 毎年この時期 タダで自然の
恵みを頂けるのを 楽しみにしていたのに 本当に勿体ないことです。農家の
方は 生活がかかっているだけに 果物やコメが収穫前に落ちたり 倒れたり
するのは 耐えられないことでしょう。その傷みを感じながら 小粒の栗を
頂いたところでした。





黄色い部分は北富士演習場。


富士山の上に出る雲は 千変万化。








駐車場には サルビアの花。


山中湖と富士山の組み合わせも仲々のもの。


以前 黒い山と書きましたが よく見ると 赤くて緑っぽい。




栗を拾い 皮をむいて 栗ご飯 !! 


ついでに 白菜と豚肉のミルフイ-ユ。 味は少ししみ込み過ぎた。


これは富士吉田から見た 富士山。 どちらが カッコイイですかね・・?


前回倒れた稲を トップに紹介しましたが その後行くと 少し立ち直ってきました! 


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原発誘致で町はどう変わったのか? 伊方原発の例 島岡さんの著作から ラスト!

2017年09月20日 | 自然 花 写真

    ( 稲刈りを終わらせた田んぼ。 台風の影響で7~8割は倒れていました。)


4回に分け 島岡さんの原発反対の活動を 簡単にまとめました。旧窪川町の人々には
大変な苦しみだったと思います。そこに生活があり 将来もあるからです。先発の愛媛 
伊方原発に関わった人々も同じでした。島岡さんの著書「 生きる 」の中で伊方町を
訪ねた報告が出て来ます。

高度成長期の昭和43年頃 「町に何か大型の事業を取り入れないと時流に乗り遅れる、
過疎の歯止めに」と切羽詰まった思いで町は原発を誘致した。町の将来にバラ色の夢を
描いて取り入れた。住民には安全性の問題や原発の実態について 充分知らせなかった。
説明会を開いたが 住民もあまり関心を示さなかった。原発と言わずに 大型の事業を
すると言って 四国電力と町職員で用地買収を行った。原発の説明よりも用地買収を
優先した。町議会で満場一致(全員保守系)で可決した。(昭和44年)立地が決まり
交付金が入り出したが 町役場に金があるとして 各種の要求が多くなった。住民に 
「タカリ」「ネダリ」の風潮が強く 生産意欲を減退させた。

漁業権を八千万円で売り渡した漁業者は 近海のアワビその他の魚介類が 原発より流れ
出た大量の温排水により死滅したことを嘆いた。 周辺の山々のミカン園には 農民が
手入れを放棄した荒れ園も見られる。高い賃金という甘い餌で 多数の作業員を呼び寄せ 
結果ガン患者をつくり出し 死なない内に追い払う・・。「 原発は安全 」という思い
込みだけで 安心していた人々が多い。 

原発が稼働する伊方町には 全く活気が無い。公民館 体育館 診療所 小中学校など
新しい建物は目に付くが それらを活かす活動がない。町はさびれ おまけに人の心まで
変えてしまった。若い者は暴力団になったり 遊んで暮らすことを覚え 仕事をする若者が
少なくなった。選挙には金をばらまき 買収選挙が人前で堂々と行われていた・・。

昭和30年当時 原発が無ければ日本は農業だけの三等国になってしまう。何が何でも原発だ。
という雰囲気があったという。 私も高度成長期を生きた人間として当時の背景 風潮は
分かる気がします。 そこに人間の弱さ 汚さも垣間見えます。 島岡さんのように
「どんなきれいな言葉で飾られようと 反対してほしい。生命をはぐくむ農業と原子力は
決して共存出来ない。人間が生きる大地を汚してはならない。」という強い思いを持った
人は少なかった。「 いつ果てるとも知れない苦しみだけが残った。」と後悔する伊方町の
老人の言葉が 多くの人々の思いを代弁している。

近く総選挙があるらしい。原発は各地で再稼働される動きにある。6年前の東日本大震災を
風化させてはいけない・・と思う。3.11迄 多くの人々が「原発は 原子力の平和利用だ」と
思っていた。しかし未だ福島原発のメルトダウンの核燃料の処理も出来ないである。核の
ゴミの処分方法さえ決まらない。 「 原発のない社会こそ安全な社会の土台である。」
命を育む安心安全な食と反原発は結びつく。「 美しい故郷の自然と農業を守る。」 という
島岡さんの本気度から学びたい。 島岡さんの著作から 多くのことを学ぶことが出来ました。
感謝です。



しっかり立っている稲もありますが・・、これでは 収穫も苦労ですね。


小諸もそのようですが 早めに刈り取った方が 良かったかも・・?


森の中では 大きな木が倒れていました。 溶岩台地には 土が薄いのです。




栗の木も倒れていました。


国道も落ち葉で 林道のようになっていました。 




細いアカマツ。これで100年くらい・・。 それでも台風の風に耐えました。


折れている白樺もありましたが・・。


まだ青いイガ 栗の実も 虫が食っていたり まだ白かったりで 実りの秋とは遠い感じです。

 
少し前に拾ってきた栗。 実が小さいです。 それでも頑張って皮をむき 明日は栗ご飯 !?


灰色は地衣類。 苔などと溶岩の上に最初につく植物です。 富士山ウオークのガイドさんに教わりました。


富士山研究所であった生態系についての講座。 高齢者が多いでしょう・・。


富士吉田から見た夏の富士山。 もうじき初雪・・、 そんな夢を見ました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風一過 !!  きれいな夏の富士山が見えました !

2017年09月18日 | 自然 花 写真

     (  夏山の富士.真っ黒ですね。 台風一過で澄んだ空気の中に 黒い富士山です。)



台風18号が日本列島を縦断しています。 それにしても天気予報はよく当たります。
私は深夜1時過ぎに起き 外が風で荒れているのを知りました。改装して初めて雨戸を
閉めました。 森が大きく揺れていました。富士山をさえぎる松の木が折れてくればと
不謹慎な思いもよぎりましたが 朝見たらしっかり立っていました・・。この辺りも
被害は無かったようです。 今回は九州・四国を含め ほぼ日本列島縦断でしたから 
影響のあった方も多くおられるかも知れません・・。 お見舞い申し上げます。

月曜日は敬老の日ですね。 65才以上を老人(高齢者)というのでしょうか?
そうすると私も立派な? 高齢者で 敬老の日に値いするのでしょう・・? でも
ハッキリ言って この日はうれしくありませんね。 自分のことだと思えないし
たとえそうであっても「 敬老 」 という言葉を無くしてしまいたいぐらいですね。
政府が 「 人生100年時代 」 を声高く言っています。 それが実現する時代
には65才で敬老なんて 誰も考えない時代に なっていることでしょう・・。

先日富士山研究所で講演会がありました。聴衆のほとんどは高齢者でした。勉強熱心
だと思いました。図書館でも高齢者が多い。山歩きも高齢者中心です。レストランも
しかりですね。 高齢者を消費者として取り組もうと ビジネス世界も一生懸命です。
テレビショッピングなども明らかに高齢者の健康 夢 不安に焦点を合わせています。
高齢者がお金持ちだと言思われているし 事実「オレオレ詐欺」の対象は高齢者です。 

人生100年に向けて 高齢者が元気なことは結構なことですが 若い人達はどの世界に
生きているのかなーと 少し気になります。最近インスタグラムが話題ですが ここは
若い女性が中心のようです。漫画世界もそのようですね。時々遠足で幼稚園・小学校の
子供達を見る機会があると うれしいです。 歩く高齢者のグループもよく見ますが・・。

先日のニュースで 来年度の国家予算では 厚労省の予算が 又増加するそうです。
年金 医療 福祉予算です。 別のニュースでは65才以上の医療費が一人年62万で
群を抜いているそうです。 とりわけC型肝炎の治療で 新薬が導入され 多額の
負担になっていると報じていました。 まさに それは私だ! と思いましたね!?

百までアクティブに生きる!  ポジティヴに生きれば長生き出来る・・? 長生き
するしないは 自然の摂理だと思いますが 元々 命の息を与えられた私たち 命の
息が消えれば 肉体の寿命も終わる・・。身近な人が死んでいくのを見て 私は生きる
エネルギーが消えていくのだなーと思いました。別の言葉では 霊が徐々に肉体から
離れて行く 天に戻って行く・・。

葛飾北斎は90迄生きた人ですが 100才を超えて生きる気持ちがあったようです。
今日やることがあれば 人は元気でいられるそうです。 活力が無くなると生きていて
面白くない、 日々がつまんないと魂が抜けていく・・? 生命の火が消えていく・・。 
身体の衰えが 生きるエネルギーを失わせるのかも知れません。先日から紹介している
島岡さんは エネルギーに満ちた方です。大地から得たエネルギーが溢れている人です。   

角さんは来年 「 喜寿 」と言っていました。私は来月誕生日で74才になりますが 
自動車免許の更新で 事前に高齢者講習を義務づけられていることを 今回知りました。
それと今まで5年有効であった免許期間が3年に変わることも・・。 自動車はもう
ほとんど乗らないので返納してもいいかなー という思いでいます。少しさびしい気に
なります。 講習前に眼鏡の度を合わせておかねば・・・と思っています。




夜の風はさすがに凄かったですが 朝方は もうすっかり遠くへ行っておりました。


頂上付近。 登山シーズンは1週間前に終わりました。 今年は去年より多く 22万人(吉田口)だったとか。


もうじき初雪ではないかと 期待しています・・。


我が家から見た富士山。 アカマツが伸びて ほとんど見えなくなりつつあります。



我がマンションから国道へ出る 砂利道に多くの枝が落ちてました。


国道添いの歩道にも多くの枝や葉っぱが落ちていました。


散策公園の樹木は未だ若木。 結構倒れていました。


林道では 結構太い木も 折れて倒れていました。


やはり台風で落ちたか? 栗の実。


先日も栗拾いにいったのですが 少々早いと帰ってきていました。 台風一過は チャンス!?


でも多くは 未熟で 白っぽい栗の実でした・・。






風で こんなに多く落ちていたのですが イガが開いてなかったり 色が白かったりで残念でした・・。



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

  連続の夕焼け! 野原は秋の装い !

2017年09月14日 | 自然 花 写真

    〈 昨夜も こんな夕焼けが出ました。 空一杯がピンクでした。)


アメリカに相次いでスーパー台風が来た。北朝鮮の脅威が叫ばれる中 多くの命を奪ったスーパー台風!
日本にも 次々と強い台風が襲ってきている。7月5日の九州北部を襲った豪雨の被害は記憶にあるが 
異常気象 気候変動が相次ぎ 明らかに昔の自然災害と異なった様相が現れ 科学者は「自然界が変わって
来た!」 と警告をしている。 

地球温暖化による海水温の上昇が度重なる豪雨 スーパー台風の主たる原因だが 沖縄以南は言うに及ばず
日本列島の太平洋岸、日本海も海水温が上昇してきている。一見1℃以下の僅かな上昇でも 水蒸気の発生
が大きな積乱雲を発生させ 豪雨と強い風を起こしている。今までは日本列島に近づく台風は 徐々に弱く
なるのだが どの海も海水温が高いので 気圧が却って下がり 勢力が増して来ている。気象庁も過去では
徐々に勢力が弱まるとの経験から 誤った判断をしてしまう・・。避難勧告が遅れ 逃げ遅れる人々が大量に
出て 台風通過後も洪水で交通が止まり ライフラインが切れ 多くの人々が危険にさらされる・・・。

こんな恐ろしいシミュレーションが先日のTV番組で行われたが これは決してあり得ない脅しではない。
アメリカのスーパー台風ハービーも1300mmの大雨で13兆円の損害が出たという。東京の下町では
1000人規模の死者が予測されている。いち早い正確な情報に基づく「 避難 」が唯一の対策とのことで
ある。避難と言っても 人口密度の高いゼロメーター地帯は 100万人単位の避難が必要になってくる。 

季節が秋になって 秋の味覚と言われるサンマが大変な不漁で あるチェーンの飲食店では サンマが
2回りも小さく かつ日本沿岸では獲れず 遂にメニューから外したと報道があった。これは今年だけの
傾向で無く 毎年不漁が続き 不漁記録を更新している。これも研究者は海水温の上昇が原因で 北から
来るサンマは熱い海を嫌い 日本列島から離れていくのだそうだ。自然界の動きは単純ではなく 未知な
部分は多い。 日本最大の珊瑚礁が石垣島近くにある。(琵琶湖の半分の大きさ) しかしこのサンゴが
90%も白化現象を起こし 内70%が死滅したという。以前書いた通り サンゴの死滅も海水温の上昇
で 栄養を与えてくれるカッチュウソウが外に出てしまい 栄養不足で死んでいくそうだ。珊瑚礁は小魚
にとっては大変有り難い住み処で これが失われると小魚達にとって 命に関わる大きな問題である。

このように自然界で起こっている様々な現象が海水温の上昇 温暖化に起因している。私たちの生活に
すぐ現れるものもあり 数年後10年後 更に遅れて現れてくるものもある。北朝鮮の脅しは即対応すべき
ものだが 一見 敵が見えない温暖化も確実に人類に影響があり 私たちに迫っている。そこから逃げる
(避難)しか方法がないとは 余りに情けない話しではないか。それほどまでに大きな存在である自然に
私たちは もっと目を向け 自然(生態系)の中で生きている事実を しっかり見るべきではないかと思う。



反対側の窓からも 美しい雲のファンタジー。


稲もすっかり豊かな実り。


コスモスもきれい。


ヒマワリも咲いている。


エノコログサも色づいてきた。


力芝(ちからしば) 根強い雑草です。 


晒菜升麻(さらしなしょうま) 変わった名前だが 若い芽をさらして 食用にしたらしい。




道の駅に来ました。 青空に一本松。


ツバメが見えますか ? そろそろツバメが南の国へ 帰っていく季節です。


入道雲も盛ん ! 


紅葉も始まっています。




早咲きの紅葉? 


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

  鮮やかな夕焼けと 面白い形の花と 毒キノコ??

2017年09月13日 | 自然 花 写真

    (  マンションの北側の空 左に陽が沈むのですが 空一杯に金色の雲が輝いていました。 )


昨夕美しい夕焼け でした。午前中は雨で出かけるのもままならず 部屋で本を読んだり
貯めたTV番組を見たりしていました。たまたま読んでいた本で 高齢者はすることが
無く 暇つぶしに苦労をする・・というような内容でした。長生きすればするほど 
周りの人々が死んでいくので 高齢者は一人で遊べるようにしておくように・・という
アドバイスも・・。ちょっとお節介かなーと思うのですが、 確かに今日のように雨が
降ると外へ出かけられないので・・、 私も何をすべきか・・ ちょっと困ります。

本を読むのは上品? でいいのですが 最近目が疲れやすく 仲々長時間は無理です。 
私は幾つかやることを用意しておいて 飽きたり 疲れたりしたら 他の事にチェンジ
します。動と静の組み合わせというか 本を読んだり ブログ作りに疲れると 片付け
とか 掃除・料理・皿洗いとかウオーキングとか ハーモニカを吹くとか動的なことを
します。歩くのは健康の基本ですから 出来たら5000歩、無理でも3000歩は歩く
ように、勿論部屋の中でも 動物園のクマのように歩きます・・。昔ダンスをやっていた
ので 音楽をかけ ステップをふみながらワルツを踊る・・というのはカッコいいーなと
思います?

そんな閉じ込められた一日のご褒美かどうか 夕方6時頃になって美しいダイナミックな
夕焼けが出ました。富士山には2重、3重の笠雲のような雲がかかり 紅く 黄金に輝き
ました。1年に2~3度しかない光景 富士山のプレゼントです。早速皆さんにお裾分けです。

8月の立秋から 処暑 9月の白露を経て 中秋の名月 秋分を迎えようとしています。
暦は確実に秋を示していますが 忍野辺りの富士山麓も 秋の気配が濃厚になってきました。
稲穂がすっかり重くなり 黄金の光を放っています。 ススキ 秋明菊 桔梗 コスモスなど
秋の七草も揃ってきました。栗の実も大きくなってきました。 キノコも話題になっています。
天高く馬肥ゆる秋 と言いますが ぶどうや 梨 桃 トウモロコシ サツマイモなど 秋の
果物・野菜もスーパーで目立つようになりました。いい季節になってきました。 ただ台風が
ちょっと心配です ?





こちら南の 富士山が見える側。 こちらも見事な夕焼けです。








ここからは 最近歩いた山道で見た花やきのこです。


釣船草です。 いつ見ても 素敵な造形です。


ホトトギス草。短にホトトギスとも言いますが、 この花の造りも見事です。


ヤマホトトギスとも言います。





雨の後で キノコが出ていました。




多分毒キノコだと思いますが 山梨のTVでは ツキヨダケを食べて 食中毒になったと 報じていました。


満月のお月様のようですね。



最後に もう一枚。 2重 3重の笠雲が 黄金に輝いていた。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

窪川原発阻止の闘い!  島岡幹夫さんの著作 『 生きる 』 から  その4

2017年09月11日 | 自然 花 写真

    ( 私のマンションの庭に咲く 秋明菊(シュウメイギク)) 


四国電力が愛媛伊方原発に続いて 四国の太平洋岸に原発建設を計画したのは昭和40年後半だった。
当初窪川町に隣接する佐賀町が浮上、激しい住民反対運動により町議選で原発反対派が多数を占め
誘致への動きは消えた。反対の要になったのは海の汚染を恐れる漁協の反対だった。しかし原発の
火の手は旧窪川町で再び燃え上がった。55年6月町長が『原発誘致もあり得る』と表明したからだ。

窪川町は高知市の西75kmにある 豊かな農業台地である。島岡さんは肺結核の為勤務先の大阪府警
から窪川町に戻っていた。その時乳がんだった母親と同じ病院でベッドを並べた。コバルト照射で
傷口は真っ黒に焦げていたという。『 放射能だけは・・』 という思いが起こった最初だった。
原発反対の動きは 島岡さんと11人の共産党幹部が呼びかけ 反対組織作りと署名集めに乗り出した。

約30人の準備会で 保守は島岡さん一人だった。窪川町は保守支持1万人 他の会派は合計しても
1/3だった。保守票にどうアピールするかが運動の分岐点だった。以前は熱心な自民党員だったが 
『 原発は駄目だ。党をやめる! 』と党籍を離れ 昼間は宣伝カーで街宣運動、夜は130集落で
学習会を開いた。
小学校単位で11の支部をつくり 労働組合の参加を促した。島岡さんの活動力は凄いものだった。
乳牛を飼っていたので 最初に酪農農民会議を40戸で立ち上げ 500人が参加した。婦人会議も結成
妻の和子さんが代表を務めた。 30才までの青年会議もつくった。反対署名は7013人を集めた。

窪川町議会が始まり 推進、反対の両請願が審議された。反対請願代表として 島岡さんは演壇に立ち 
『窪川町は県内有数の農業の町 生命を生み育てる農業、畜産と原発は絶対に共存出来ない。放射能は
微量でも環境破壊が起きる。次の世代へ遺伝子障害が起きる。原発設置で年間10億円の収入が得られ
ても 100億円ある一次産業が衰退する。年10億の収入は 町おこし村おこしで充分に可能だ。』 と
訴えた。
結果は 推進派は13、反対派は4であった。議場は大きなどよめきが起こった。傍聴席にいた元町議が
『 議会の決定は間違っている。私は請願の代表の一人だが 辞退届を出す。今後反対運動に協力する。』
以降 氏は反対町民会議の会長に就任。町を憂う保守派や中立の人々が町民会議に参加されるようになった。

推進派は県知事と共に原発推進に取り組むとし 四国電力も「窪川は最適地」として立地調査に進んだ。
町民会議は町長のリコールを決断した。投票までの4ヶ月間は 窪川町民にとって苦悩の期間だった。
署名を集める受任者は350名になった。町民会議は 「郷土をよくする会」に改組された。元農協組合長が
会長になった。保守派の重鎮だった。署名は5954名にのぼり 選挙管理委員会へ届けられた。有権者の
43.5%になった。マスコミも報道し 静かな町は日本中の言論の戦場のようになった。県知事は変わらず
原発推進を表明していた。国 県 四国電力の全面バックアップを受けた町長側は 大物政治家 国会議員
30数人が常駐し 握手作戦を行った。電力会社の宣伝マンが動員され 右翼も加わり様々な圧力 妨害が
行われた。しかしリコール賛成6332名 反対5848名でリコールが成立した。投票率は92%だった。

曲折を経て 町長は辞表を提出した。辞任届には 「公約実現が不可能なことが明確になった」 とあった。
小さい町である。兄弟姉妹が相分かれ骨肉争う長いトンネルであった。昭和63年議会の原発論議終結宣言は
過去の対立を超え 満場一致だった。事実上の原発計画撤回であった。8年にも及ぶ長い闘いだったが
自分たちの町への自覚に目覚めていく過程でもあった。禍根を未来に残すことは防げた。 以降も各地の
反対闘争に関わってきた。3.11東日本大震災が起こった時 島岡さんたち原発反対派の主張は意味ある
ものとして思い出された。「 原発を止めた男 」として再びスポットライトを浴びた。しかし島岡さんは
寡黙だった。福島の人たちに思いをはせる時 『 何故もっとやらなかったのか? 』 と何度も口にした・・。





釣船草(つりふねそう)も各地で咲き出しました。 いつもながら文章と写真は無関係です。


晒科升麻(さらしなしょうま) マンションのの周りの草むらでも咲き出した。




道路脇の花壇に植えられている ラベンダー。


関東ヨメナ。 白いのと 青っぽいのとありますね。


赤マンマは俗称で イヌタデと言います。 この花も秋の気配。


オオマツヨイ草。 色んな所で咲いています。 9月一杯咲いています。


風変わりな アジサイが咲いています。


ススキ(尾花ともいう) の穂。まだ針金のように細いが これから花が咲き 種が出来る。


穂に 小さなつぼみ 花が見えますか ? 


国道から ほんの少し離れた林道ですが とても静かで散歩にはもってこいです。


秋の気配を感じる 蔦(つた)の紅葉。


朝焼けの空 雲は厚く 富士山もすぐ隠れてしまう・・。


近くのレストランのランチで オムライス。 大胆ですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

  タイの島岡塾  島岡さんの著作 『 生きる 』 その3

2017年09月09日 | 自然 花 写真

   (  高座山(たかざすやま)で  松虫草。 去年も 北富士演習場でよく見ました。)

島岡さんは 自分の農業体験を タイの寒村に出向き 指導している。2000年から10回タイの
タラート村に出かけた。彼は無論タイ語は出来ない。英語も話せず 土佐弁だけである。
タイ東北部イサーンと呼ばれる地域 その中心都市からも2時間半車で走り タラート村に着く。
高地で乾燥激しく 塩害にも悩まされる地域。村の男達は 台湾 韓国 中東へ出稼ぎに行く。
村は100戸の家族が暮らす貧しい農村。未舗装の道路 牛で代かきをする人々 放牧される牛たち・・。

島岡さんがタイに行くきっかけは 有機農業の発展に取り組む 『 大地を守る会 』から
「 スローフードの原点を探りませんか? 」という誘いだった。イサーンの地には雨期と乾期があり
乾期は猛暑日が続く。 農家は水稲栽培と女性達の機織りが生計の元だが 収入は少ない。
島岡さんはある農家にホームステイした。彼は最初 貯水池の確保と有機複合農業のスタイルを
教えた。自分が命をかけた農業体験を 必要としてくれる人たちに伝えることだった。行く毎に
緑が増える畑、農家が少しづつ豊かになっていく様子に喜びを感じた。

島岡さんは千葉で農業語学研修をした通訳を間にして ホームステイのミーチャイ夫婦と話し合った。
主人は台湾に何年も出稼ぎに行き 土地を買い 牛を増やしていった。島岡さんの若き頃の人生と重なり
あった。大阪で出稼ぎをし 牛を一頭ずつ増やしていった経験が島岡さんにあった。ミーチャイ夫妻を
助けたいと思い 島岡さんは資金を提供して『島岡基金』をつくった。地元の農民が彼の基金を利用して
ため池を掘った。水の少ないこの地方に必要なものだった。6年の間に18家族がこの基金を利用して
医療や教育にも利用された。

彼らは島岡さんを 「 農業の師 」 と仰いだ。島岡農業塾の誕生によって 無農薬栽培の技術 日本
から持ち込んだ野菜の栽培方法が伝えられた。菜園や果樹園も年々種類を増した。彼らとの交流も深まった。
2011年の東日本大震災の時 彼らは寄付を集めてくれた。この時島岡さんは初めて 自身の反原発闘争に
ついて語った。『 どんなきれいな言葉で原発計画が語られても 生命を育む農業と原子力は共存出来
ない。 人間が生きる大地を汚してはならない! 』

島岡さんがタラート村を訪ねる時 毎回同じお土産を持参する。 釣り針と釣り糸だ。ため池で魚釣り
する子供達は大喜びだ。こんな交流が出来るのも 日本もタイも戦争をしない国故だと島岡さんは思う。
ミーチャイ夫妻の娘さんがバンコクに旅立つ時 母親は娘に 庭の土を袋に入れて持たせたという。
ホームシックになった時 コップにこの土を入れ 水を注ぎ その上澄みを飲む。2,3日続けると
弱った身体は回復するという。人は生まれ育った土地、風土によって生かされる。土に生かされる農民
故の話しだ。土を愛する人たちがいるからこそ 農業は守られ 維持出来る・・と島岡さんは思った。 



高座山( たかざすやま)  小学生が遠足に来ていました。 


森の中に入ると 気持ちがいいですね。 森林浴のお蔭 ??


ススキに似ているが チガヤかも? ススキもカヤ属に属している。 秋の七草の一つ。


野アザミ。 これも種類が多い。


富士あざみですが これから赤紫に色づく・・。


岩シャジン。 似た花にソバナというのもあります。


花うどに似ています・・。


こおにゆり (小鬼百合)?  鬼百合の小型ですが 高さは1mもあります。


仙人草 ? 十文字草とか 似ている花は多いです。


ススキにもう種が付いている ? 去年のものかも・・?


赤とんぼ 真っ赤なのではありません。独自の名が有る筈ですが・・?


季節外れのアジサイ。


高座山。 頂上下の緑は 夏に花火を打ち上げる為(忍野八海祭り) 刈ってある。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高座山に登りました!?  島岡さんの著作 『 生きる 』から  その2

2017年09月07日 | 自然 花 写真

  (今回登った 1300mの高座山(たかざすやま) 忍野村にあり 実質300m登るだけです。)


 窪川原発反対運動フイールドワーク参加者の一人に 宮城県出身のTさんがいた。 2011年8月島岡さんの田の
稲刈りを手伝っていた。四万十町は 「仁井田米」ブランドで知られるコシヒカリが収穫される。稲刈りは稲作農家に
とって最もうれしい作業である。彼は5ヶ月前 故郷で大震災に遭遇した。

春休みで帰省し 田植えの準備を家族でやっていたその矢先である。家族は無事で 家も被害は無かったが生活の
ライフラインは全て駄目になった。夜になると何も出来ないが 水は知り合いの家で湧き水を貰いプロパンガスが
あって温かい食事も出来 薪ストーブで暖房もとれた。隣り町は津波で壊滅的だった。
6日後電気が復旧した。しかし事態は更に深刻になった。福島原発が電源を喪失して 爆発を繰り返した。
彼は現代の生活が如何にもろいものかを痛感した。昔ながらの火を使う生活が いかに安定していたか 頼りに
なるものか実感した。

昔は自然にある物を日常に取り込みながら生活をしていた。今は多くの人々が全てをサービスとしてカネを払って
受け取っている。電気一つ使えなくなると 生活が全てお手上げになる。昔の農家では薪を割り 自給用の畑を耕し 
水を汲みに行き 夜は夜でわらじを編んだりして 自給の道を確保していた。生活の為の仕事があった。年に数日の
休みしかとれない働きずくめの生活があった。それに較べれば 今の農家も便利になった。社会分業というか他人に
頼る生活 そのための稼ぎが必要になり カネの世界に巻き込まれていった。

しかし震災にような非常時になると 昔ながらの生き方が戻って来る。避難所では皆助け合って 炊き出ししたりして 
困難を分け合った。 ボランティアという形で都会の見ず知らずの人々の協力もあった。共助の精神が自発的に発揮された。
人間が地に足を着けて暮らしてきたことが 証明された。そこに力強さがあった。震災にあい 若いTさんは改めて農家が
持つ強さ 土と共に生きる人のたくましさを知った。今日食べる食料がある。季節はどんな事情があっても巡って来る。

植える時に植えないと手遅れになる。今やるべきことがある。祖父は『 今が植える時期だから 農家が食べ物作らないで
どうするべー 』と言い ジャガイモの植え付けを始めたという。父も消防団の活動をしながら 田植えに向けて動き
出した。『 放射能汚染地帯で 稲作をするのは間違いだ!』という声もあった。悔しさが体中にあふれた。
消費者に買って貰う米ではない、『 この田んぼに留まる、狭い日本どこに逃げても同じだ! 田んぼと稲を守る!』と
決めた。

Tさんから見れば窪川の自然の恵みに溢れていた。 放射能汚染の故郷はもう美しいとは言えない・・。
島岡さんは 若いTさんに『 もし窪川が放射能で汚染されても おまんと同じように自分の故郷を見捨てない。
自分が出来ることを必死に考え 死ぬ気で行動する。若いおまんは故郷にしがみついて 行動しろ』と言った。
Tさんは島岡さんの稲刈りを手伝わせてもらって 窪川では 毎年同じように稲が刈れる変わらない暮らしがあって 
きれいな川と山があって しみじみ幸せだなーと思った。原発事故が起きて 故郷は状況が大きく変わった。でも
それを自分だけの問題にしてはいけない。

被災地の外にいる 原発の電力に依存している人たちとも分かち合って これからの食を、農業をどうするか、 
問題を投げかけながら生きていきたい! 日本人皆が問われていることだから・・。絶望しないで 毎年来る
季節のように 変わらない生活を守り 脅かすものに対して戦う。『 私は故郷の宮城でコメを作ります。
農業をやります。農家は食べ物を育てる 命の担い手です。』 

島岡さんも Tさんの言葉を聞いて 熱い『農の心』を感じたという。妻の和子さんも涙したとある。
『 農とは 生きることを分かち合うこと 』 いつも和子さんが口にする言葉である。 



忍野村の中心。役場 保健所 図書館 学校などの建物。



途中 富士山も忍野村もよく見えます。 これはファナックという工場用ロボットを造る会社です。



山道も 大雨でえぐられてきています。


そんな多くの人々が登る山ではないので 雑草が道を塞いでいます。


先日よく分からなかった花 くさぼたんです。


竹煮草(たけにぐさ) もう枯れて 種が付いてきています。


先日紹介した 草藤(くさふじ)です。


おみなえしです。 秋の七草ですね。


これも秋の七草 藤袴(ふじばかま)


われもこう。


岩しゃじん。


何故か このすすきは もう種が出来ています。 もしかしたら去年のもの・・?


もう栗の木にも 実がなって来ています。


頂上に着きましたが 周囲の見晴らしは ゼロ !?  苦労の割には ?  少しガックリ !

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北富士演習場から見る富士山と 秋の野草。 島岡さんのこと1回目。

2017年09月05日 | 自然 花 写真

     (  ススキが風にそよぐ 秋の空・・ ?  )

写真は 北富士演習場から見た富士山と野草です。 不安定な電波のせいもあって 充分な写真
でないことをお詫びします。 いつも通り写真と文章は 異なっているのを お許し下さい。


この6月に 四万十町の島岡さんを訪ねた。島岡さん夫妻は農家です。 昔私が 旅行会社に
いた時からご縁を頂いており 高知へ移住したこともあって一度お訪ねしたいと思っていました。 
島岡さんは高知で有名な方で 『 原発を止めた男 』 として30年前 話題となった人です。

四万十町(旧窪川町)は四万十川の流れる 自然豊かな地です。ここで長年農業 酪農業を営み 
有機・無農薬栽培を手がけられてきました。元旦から大晦日まで休み無しの生活をこつこつと続けられ
目標だった水田3ヘクタール、乳牛30頭 山林30ヘクタールの夢を実現された。 それだけでも 
地域の中核農家として 食の安全を支え 守る大きな働きですが 昭和の時代に旧窪川で起こった
原発反対運動のリーダーとして 計画撤廃に成功した功績は 世界的にも評価されています。私は
トマト一個さえ作ったことがない人間で 汗を流して 土を耕してこられた方に 先ず尊敬の念が
湧きます。

その窪川原発阻止の闘いと農業の未来について書かれた『 生きる 』という本を6月に頂き 少し
づつ読んできて 教えられるところが本当に大きかった。島岡さんの仕事から生まれた考え方が地に
ついていて 素晴らしい。『 カネは一代、命は永遠。原発があっても 町は栄えることはない。命と
引き換えの補助金に 頼って生きるより 豊かな自然を子孫に伝える。』 この言葉を実践されて来た
生涯こそ 高く評価される。

農家にとっては 昭和45年に始まった国の減反政策が大きな問題となりました。やむにやまれず
島岡さんは仲間と一緒に減反差し止め訴訟を起こされた。(平成7年) 「 このままでは瑞穂の国が
消える・・」と

野菜 果樹 薬草など複合経営をされ成功された島岡さんだが その過酷な労働と借金につぐ借金も
大きく 更に農産物の自由化や減反政策で苦しんだと言われる。若い働き手がどんどん都会に出て行く
中で 農家には大きな資金が必要です。 最低限 トラクター 田植機 コンバイン 軽四輪トラック 
倉庫などの投資に1500万以上の資金が必要だと その著作で語られている。更に土地改良の資金が
必要な上に 減反政策が 補助金はあっても 農家の収入を大きく削ってしまった。その上 他との競争の
中で 高価な飼料や牧草が必要になったと言います。経費の増大と減反による収入の減少が借金返済への
大きな痛手となりました。何より減反の継続は農業経営の意欲を失わせるものです。 町の農家戸数も減少が
続いている。農地価格の下落 外国農産物の自由化による売り上げの減少 など農家には打撃になる事態が
連続して起こっている。減反がなく全ての農地を水稲栽培が出来れば 年200万の所得が期待出来た筈だと
書かれています。『水田の持つ使命から 減反政策は即中止すべきです。』 と訴えた島岡さん達だったが
『長期的視点は傾聴に値する』としつつ 平成13年 判決は棄却された・・。

TPPが締結されれば 外国産農産物が大量に輸入される。小規模零細農家の大部分は姿を消す懸念がある。
政府は2018年度に減反を廃止する方向だが 今日本の農業 食の問題について より深く考えるべき
段階だ。日本農業の未来は 国民の命と食の安全をどう守っていくか 国民全体の課題である。 

『 日本に住む人たちがやっと気付き始めた食の大切さ 食の安全 幸せに生きるには何が一番必要なのか? 
健康も全て食から 農から 農はみみずの存在から。 (みみず)は戦火無き平和の土に生きる こんな
メカニズムを 忘れていないか 或いは知らないのか ならば知らせる必要がある。ならば声を大きくしょう!』
有機無農薬栽培を手がけて30年の平成21年に 島岡さんはこのように述べている・・。 ( 続く )




北富士演習場にひさし振りに来ました。


富士山の姿を見るのも 久し振りと言いたいところです・・。


われもこう です。


くさふじ 草藤と書くのでしょう。 今盛りです。


藤の花に劣らない 青紫色の美しさ。


いたどりの白い花


いたどりのピンクの花


岩シャジンだと思います。


はくさんふうろ(白山風露)?  よく咲いている花です。


フジバカマ(藤袴) でした!  野草はまだ初心者・・です。


草牡丹(くさぼたん) この花も よく野原で見るのですが・・? カールしたところが 可愛い.
 !


ススキの先に 山中湖が見えます。。


戦車などが通る道路の両側は ススキの野です。


島岡さん活動をまとめた 『 生きる 』という著作。今回の文章は 遅くまで話しを聞いたものをまとめました。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忍野村の花 秋の気配です。

2017年09月03日 | 自然 花 写真

( 部屋から かすかに見えた 富士山。 今日は忍野、富士吉田の花をお届けします。)


季節は秋になりました。 実りの秋です。高知では既に早稲米の収穫は終わって 
店頭に新米が並んでいました。先日行った長崎では 未だ緑の稲田が続いていたが
ここ富士山麓では もう稲穂が秋風に揺れている。 うれしい季節ですが 今年の
異常気象は 北に冷夏の大雨 日照不足、南の猛暑 大雨を招いた。この天候異変は
アメリカ・ヨーロッパでも同じで アメリカの台風ハービィーは1300mmという大雨を
もたらし まだ2週間程ヒューストンでは 水が引かないとニュースは伝えている。

アメリカのパリ協定離脱が異常気象と直結しているといえないが 地球の温暖化が 
海水温の上昇となり台風の発生 海面上昇 洪水の発生と関連していることは間違いない。
アメリカの台風被害は数兆円に及ぶと言っているが 長い目で見て 温暖化を防ぎ 
異常気象を予防し 農業生産を安定させる方がアメリカ経済に貢献する道と考えられる。
問題の本質を冷静に 客観的に見つめて 世界が力をあわせて 将来の安全を守って
いきたいものです。

各地は残暑のようですが ここ忍野は ヒンヤリした空気が窓から入って来ます。
バイクで走っても 涼しい風が流れて 森の中を走るのは 快適そのものです。
ただインターネットが使えないのは 困ったことで スマホでちょっと調べ物と
いう時も 「現在グーグルに接続出来ません。」という文章が出てきてガックリです。

ドコモからワイモバイルに変えた結果ですが スマホやインターネットが当たり前に
なった今日 隔絶された世界に置かれたような気持ちになります。テレビは問題なく
見られるのですが ちょっとしたことはスマホから情報を得る方が便利ですから 
現代から取り残された感じで ちょっとさびしい気がします。ブログは図書館、スタバ
時には村役場へ行って 更新しています。

次回から 四万十町の島岡さんの活動を 何回かに分けてお伝えします。 写真は撮り
貯めた? 富士山を中心に 秋色の自然をお伝えする予定です。



韮(にら)の花  


琉球朝顔? 以前西洋アサガオと言ってましたが オーシャンブルーと言われる 琉球朝顔の方が正解では?




ひさし振りのダリア。


紅いダリア


金糸梅(キンシバイ)。 この花もひさし振りです。 夏の花ですが 高知では牧野植物園で見ました。


花魁草(おいらんそう) 花の香りがおいらんの白粉に似ている? 白粉花という花がありますが 忍野では見ない?


秋を連想させる 秋明菊(シュウメイギク) 1年ぶり!ご無沙汰!? という感じ。


秋桜(こすもす) この花も秋ですが 夏から冬まで 先続けます。


赤いサルビア。 夏から秋まで咲き続けます。


百日紅( さるすべり) 名前の通り この花も夏から秋まで 鮮やかに咲いています。


花虎の尾(この花は 8~9月に咲きます。


ちょっと緑っぽいですが 稲穂はしっかち付いています。


忍野で ススキを見ると 何故かうれしいです。


 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長崎・五島列島の旅 その4 総集編!?

2017年09月01日 | 自然 花 写真

   ( 来年 長崎 島原 五島列島の潜伏キリシタンの遺跡が 世界遺産となりますように。)


今日は9月1日 防災の日です。8月は 山梨でも日照不足で平年の70%だったそうです。
その影響は野菜の高騰として現れているようです。先日電話で聞きましたが 小諸でも
雨が続き トマトが成熟前に 実が割れ出しているとのこと。これでは売り物になりません
よね・・。7月は猛暑で家電の売り上げも アップ、8月は逆に売り上げが落ちて 成長率も
ダウン!? 消費者も 農家の方も大変です。天候異変が生活や経済に影響を与えている訳で
これが今後も続くと 日本の「不況」脱出はますます難しくなりそうです。

仙台では1ヶ月以上雨続きと聞きます。日照率が平年の21%で、野菜の出荷は30%とか・・。
釧路はもう外へでるのがイヤになるほど寒いと聞きました。ここ忍野でも 紅葉が既に始まって
いる木もあります。先日山中湖畔の別荘を訪ねましたが 朝晩はもう暖房が必要だとか・・。
秋が来るのは大歓迎ですが 猛暑の後に寒気の秋ではちょっと困ったものです。昔から生命は
環境に影響され そんな中で死に絶える生命体も多かったのですが それを進化により 又工夫に
より生き抜いてきた生物が今繁栄している訳です。こんな異常気象 気候変動のもとでは
絶滅種は増えていくかも・・。

長崎・五島列島の旅も今日で終わりです。 今も 碧く澄み切った海を思い浮かべます。
そこに隠れキリシタンのような 或いは平戸・出島や 龍馬の亀山社中のような歴史が
刻まれています。軍艦島(ぐんかんじま)も明治以来の産業革命の歴史の中にありますね。 

旅は私たちが知らない世界に誘ってくれます。また機会があれば 平戸や五島列島を泊まり
ながらまわってみたいです。 『 沈黙 』が好きな黒井さんと又話し合ってみたいと
思います。転んだ司祭が 踏み絵を踏んだ弱いキチジローに『安心して 行きなさい』と
言った、 これが多分この作品の結論 『 赦し 』 でないかと思います。或いは神の
愛ではないかと 思いました。 もう50年になる作品ですが 多くの方の共感を呼んでいます。


話しはかわりますが 今日は忍野村で村民の健康診断の日です。1年に1度 受けることに
よって体力・健康の推移が分かります。無料で色々な検診をしてくれるので 人間ドックに
かかってない高齢者には有り難い検診です。結果は1ヶ月先ですが 今回はC型肝炎の治療も
しているので その後の様子も知りたく 検査日に間に合うよう 忍野に戻って来た次第です。
ひさし振りに 昼間富士山が顔を 出してくれています。 うれしいですね。




長崎港ターミナル 斬新なデザイン。 


五島列島の有川港に着いて これからガイドさんと一緒に島をまわります。


五島列島 久賀島の 旧五輪教会の 木造リブヴォールト これで天井の重みを支える。


五島列島に龍馬も来ています。 亀山社中の船が沈んだのを悼むためでした。 つい手がまわってしまいます・・?


今は廃校 ? 中通島の 小中学校。 TVでやっていましたが ここを卒業して神学生も生まれているとか。


五島列島の一番大きな島 福江島のターミナル。 空港もあります。 椿油の産地でもあります。


五島列島の福江島 お孫さんとお別れの時 おじいちゃんは何度も手を振っていました。


五島列島には 多くの風力発電の風車があります。


頭ヶ島の教会堂の庭に咲いていた アメリカデイゴ。


海のそばに ハマユウも咲いていました。


長崎 平和公園の平和像の前で グループの記念写真ですが 猛暑で参っている状態・・。


ホテル 矢太楼から見た 長崎の夜景。


ホテルで食べた ふぐ刺し・・。 豪華に見えるでしょう・・? 


更に小振りの 伊勢エビも出ました。 まぁ旅のご褒美ですね・・。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする