ジミーの自然ブログ (Jimmy's Nature blog )

花の美しさ 自然の素晴らしさを 伝えたい。 

  長崎 軍艦島への旅。 その3

2017年08月30日 | 自然 花 写真

(長崎市内を出て 荒れる海を観光フェリーが進むときは ほぼ諦めていましたが 上陸出来ることになった。)


旅の3日目は 軍艦島観光です。雨風が厳しい中 半分上陸はあきらめながらの
出港です。 港で多くの人々が 簡易のレインコート(200円)を買い 雨を避けます。
万一?上陸した時 傘は使えないのだそうです。(構造物破損の危険がある・・?)

長崎港桟橋から 船で40分 長崎半島を南下し 高島に立ち寄り  軍艦島(通称)へ。
半島の先端近く 約4.5k離れた海上に 2015年世界文化遺産となった軍艦島があります。
正式な名前は端島(はしま)です。護岸コンクリートで島全体を囲い 高層の鉄筋住宅が
立ち並ぶ外観が 軍艦に似ていたので 軍艦島(ぐんかんじま)と呼ばれるようになりました。

端島は炭鉱の島です。 途中立ち寄った「 高島 」も三菱財閥所有の炭鉱の島です。
江戸時代後期から石炭が発見され 明治23年 三菱が島全体と鉱区の権利を買取り
本格的に石炭の採取が始まりました。端島の石炭は良好で黒いダイヤと呼ばれ 日本の
近代化を支えました。富国強兵 殖産興業のスローガンで進められた日本の産業革命に
燃料 製鉄用原料炭として 製鉄 造船分野の近代化に大きく貢献しました。

多くの労働者が島に住み込みで働きました。最盛期昭和35年には 5300人もの人々が
この島に住みました。限られた空間に多くの人々の住居があり 人口密度も東京の9倍。

南北480m 東西180mの島の半分は鉱区 残りの土地に社員寮 学校 病院などが建て
られました。建物は当時として珍しい高層ビルで 私たちも7階建ての高層アパートを
見ました。小中学校 映画館 パチンコ店 公衆浴場 商店など所狭しと建っていました。

後で8月の上陸率は高いと聞きましたが 奇跡的に上陸出来 大変喜びました。世界遺産の
観光地として 観光客船が多く来ていました。この雨の中・・でもです。 ガイドさんの
話し上手に 聞き惚れながら 3つある見学広場をまわりました。




護岸擁壁。 小さなコンクリートの柱は 石炭積み込み桟橋。 8月は比較的波も静かで 上陸出来る確率は90%とか。


下の楕円形が 私たちの上陸桟橋。 人々がいるところが 第一広場。


ガイドさんを囲んで 200円のレインコートを着て 説明を聞く。 人口は最盛期5300人。


日本最古の高層7階の団地アパート。水は当初海水を蒸留。 電気も最初は自家発電。かまども石炭焚きだった?


排気口や電気室 機械室などあった。 もう閉山になって40年以上たっているので 破壊も進んでいる。


写真で見る 社宅、映画館など 桟橋の反対側。 鉄筋構造の10階建てもあった。


1960年代 エネルギー需要が石油に変わり 1000mの炭鉱ではコストがかかって。ここも坑道の入り口らしい。


黒いダイヤ と呼ばれた 良質の石炭。


模型で見る 石炭貯蔵所。貯炭場から石炭の積み込み。 


1974年(昭和49年)閉山し 無人島になった。


桟橋に反対側。既に40年経っていますが 立派な社宅だったことが伺えます・・。 


雨も上がり ガイドさんに3人の記念写真をお願いする。バックは 7階建ての住宅


雨も上がり 観光も終わり 船に戻る。


海上に浮かぶ 軍艦島。 これからも観光で訪れる人々も多くなるでしょう。 上陸出来る確率は8~9月。


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  長崎・五島列島の旅 その2

2017年08月28日 | 自然 花 写真

  (高速船で1時間40分。五島列島の有川(中通島)に到着。角さんが指を指している所が有川港。)


長崎と天草地方には潜伏(隠れ)キリシタンの文化遺産が多くあります。五島列島だけでも
教会堂が50もあります。秀吉に始まり 家康 家光の次代に キリスト教布教が禁止され
大村藩(大村純忠は日本初のキリシタン大名で南蛮貿易を行った。)にいたキリシタンは
安住の地を求めて 五島列島に移り住んだ。その後も迫害が続き 表向き仏教や神道の信者
として 隠れキリシタンは 篤い信仰をもって 鎖国の江戸時代を生きのびた。 

1549年に日本に来日したフランシスコ・ザビエルによってキリスト教は伝えられ 平戸で
布教が開始された。天正遣欧使節がローマへ出港したのも長崎港からで その後のバテレン
追放令で26聖人(宣教師と信徒)が処刑・殉教したのも長崎だった。長崎・島原で天草四郎の
乱(一揆)が起こり 三万5千人もの人々が亡くなっている。江戸末期 隠れキリシタンが大浦
天主堂で来日した神父に信仰を告白、『信徒発見!』 とカソリック世界で大きな話題となった。 

これら長崎の教会群と隠れキリシタンの関連遺産が世界遺産に推薦され 来年にも決定される
予定となっています。450年という長い年月を越え 守られてきた信仰を今回五島の地を訪ね
地元の砂岩を使った石造りの頭ケ島天主堂や久賀島の旧五輪教会堂に見る事が出来たのは 本当に
感動でした。今は2所帯だけでこの日本一古い木造教会を守っていることを聞いて 信仰の灯火が
いつまでも守られるよう 心から祈りました。

ここでも美しい碧い海が印象的でした。海上タクシーで見たキリシタン洞窟も色々なことを想像させて
くれるもので 波にゆられながら 昔迫害を逃れた人々がこの洞窟に隠れ住んだ生活を思い浮かべ
ました。結局見つけられて 拷問を受けたと聞きました。今、信仰を守り抜いた先人達をしのんで
大きな十字架とキリスト像が鎮魂の願いを込め 洞窟の入り口に建てられていました。 ザビエルは
中国に較べ 『日本は東洋の内で 最もキリスト教に適した国』と言ったそうですが 過疎化 高齢化の
中で 必ずしもその言葉は生かされていません・・。それでも若い神学生が生まれているともTVの
番組で言っていました。 これからも福音が広く 多くの人々に伝えられることを祈った次第です。

  

五島列島のガイドさん。五島出身で Uターンして5年とか・・! 楽しい解説でした。


頭ヶ島(かしらがじま)天主堂が見えて来ました。


日本では珍しい石造り(砂岩)の教会。信徒が切り出し 積み上げて10年で完成した。


天主堂の近くに キリシタン墓地。


拷問の道具 重い40キロもある石を膝に積んだ。


頭ヶ島天主堂の前にこんな美しい海がある。




海と空を見ていると 飽きることはありません。

 
海上タクシーで 中通島から 久賀島(ひさがじま)へ向かう。


白いしぶきをあげて海上タクシーは走る !?  結構なスピードでした。 


久賀島にある旧五輪教会堂。1881年建造 日本では最も古い木造の教会。この地域はもう2所帯しかないと聞いた。


傘のようなブオールト(建築構造物)が美しい。


キリシタン洞窟。明治初頭 弾圧を逃れ 船でしか行けない断崖に身を隠した。 


信仰の強さを感じる 断崖の十字架とキリスト像。

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  長崎 五島列島・軍艦島への旅。 その1

2017年08月27日 | 自然 花 写真

      (  長崎 隠れキリシタンの里 外海地区に建つ 『遠藤周作記念館』 ) 


無事 昨夜遅く忍野に戻って来ました。 23日の夜 深夜バスで高知を出て以来
移動を重ねて来ました。土田さんから フットワークが軽いと誉められて?いますが
4日も旅をすると さすがに昨夜は疲れを感じ コロコロを引きずりながらの帰着は
つらいものがありました。

24日朝 満員の深夜バスで 余りよく眠れないまま 早朝新宿バスタに到着 荷物を
新宿に残して羽田空港へのリムジンバスに乗り 角さん、本多さんと会い 2泊3日の
ツアーに参加、40名のグループで長崎へ行き 五島列島や軍艦島をまわり 佐賀空港
から羽田へ戻り 再び新宿から高速バスで忍野へ戻った次第です。 まぁ強行軍ではあり
ましたが 帰りはヘロヘロで 私も年だなーと実感した次第・・?

ともあれ事故も無く 忘れ物もなく 楽しくまわれたことを先ずは感謝します。天候にも
なんとか恵まれて 船で五島や軍艦島に上陸できたのは 本当にラッキーでした。これから
数回 皆さんにも 長崎、五島や軍艦島を見て頂きたいと思います。 初日は長崎市の遠藤
周作記念館と平和公園をまわりました。映画『 沈黙 』を見、小説を読んでこの記念館を
是非訪ねて見たいと思っていました。この記念館が建つ外海(そとめ)地区から多くの隠れ
キリシタンが迫害を逃れて 五島列島に渡ったことを 今回知りました。 小説『沈黙』の
舞台でもあるこの地は 海の青さが素晴らしく 白い建物とよくマッチしていました。
信仰の歴史を感じさせてくれるにふさわしい場所であり 翌日訪ねる五島列島への思いを
強くしました。



記念館から見る 碧い海。 この方向に五島列島がります。






踏み絵の レプリカ。






遠藤周作さんが使っていた 机と椅子。


青を強調した ステンドグラス。


近くに黒崎の教会。


市内に戻って 平和公園へ。噴水を通して 平和の像を見る。


今回も 角さん 本多さんとご一緒。 お二人の心遣いに感謝です。


近くに 浦上天主堂があります。


長崎港にも 大きなクルーズ船(中国系 14万トン 4000名)が泊まっていました。


ホテル『 矢太楼 』 から見る長崎の夜景。  遠藤周作氏もこの夜景をご覧になったとか・・。


順序は逆になりましたが 長崎空港で 添乗員さん2名のお出迎え。

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高知に今咲く花。 今日深夜バスに乗り 明日は長崎・五島へ!

2017年08月23日 | 自然 花 写真

( 今年は 白粉花(オシロイバナ)が 多いです。)


いつの間にか 立秋を過ぎていました。今日は処暑(しょしょ)でもあります。
暑さが峠を越し 和らぐ頃という意味です・・。少なくとも高知では そんな
兆候はありません。東北盛岡では雨がちの冷夏 農家は収穫の減少を心配して
いるとフルダさん、長野の小諸でも日照不足は深刻で トマトが生長しない前に
ひび割れして商品にならない・・と土田さんは言っています。 
高知にいると 毎日朝から蒸し暑く 昼は汗ふきふき 下着を取り替えて 涼を
扇風機でとっています。夜は寝苦しく 明日の元気の為には寝るのが一番だそう
なので 何とか安眠をと・・苦労しています。
暑さでぼーっとなって 余程気合いを入れないと その日の集中力が失われますね。 
昔南方の地方の人々は昼間は働かず ぼぅーとしていると聞いて ナマケモノだと
思いましたが ここ南国高知で こんな蒸し暑さ 寝苦しさの中ではそれが賢明な
策だと つくづく感じた次第です。

高校野球を見たり その応援の方々を見ていると 凄~い!! と思います。私の
卓球チームも同じ。8月は休みになっているグランドゴルフの皆さんは賢明だと思い
ました。猛暑日が続く高知は 高齢者にとって厳しい所だと 身体にしみて分かりました。

8月7日から2週間 真夏の高知で過ごしました。予期していたとはいえ 暑いことは
こんなに大変(高齢者には??)だと思いませんでした。汗がしたたり落ちる猛暑日の
連続はさすがにガックリの毎日でした。朝ゴミを出すついでに 鏡川へ軽い散歩に行く
ときは まだ爽やかな過ごしやすい空気で今の間に3000歩は稼いでおこう?という
気になります。筋肉を維持する為に 身体の体内時計をシャンとする為に 陽にあたる
のは 大事なことだそうです。
私はこの暑さでも 頑張ってクーラーは使わず 扇風機で涼をとっていますが 夜中
何故か 扇風機が止まる(タイマー設定の間違いか いつも2,3時間で止まる・・?)
と眠りから戻され 汗びっしょりで目が覚めます。しばらくすると夏の虫の音が聞こえて
きます・・。 

こんな愚痴っぽいことを書くのも 今日がその終わりになるからです。今夜高速バスに
乗り 東京へ行き 角さん 本多さんと長崎・五島旅行に行くからです。長崎も昼間は
暑そうですが 夜はホテルで冷房もきいていることでしょう。そして富士山麓の忍野では
軽井沢並の涼しさが 待っていてくれることでしょう・・? 9月一杯この暑さが続く
西日本の皆さんと冷夏に悩む東北・北海道の皆さんの『 分裂? 』が無いことを切に
望みます・・。 次のブログ更新は 27日。長崎・五島特集です!







サボテンの花。


トロロアオイ 或いはオクラの花


外来種で 要注意の植物 ? ランタナ(七変化)。 確かに高知には多い。


紫紺野牡丹(しこんのぼたん) 


ムクゲの 少し変わった種。


ムクゲの八重。


紅葉葵〈もみじあおい) 紅の色が鮮やか。


葉鶏頭(はげいとう)


鉄砲ユリ 或いは高砂ユリ。


白い芙蓉(ふよう)


ヒマワリ畑


鏡川の水遊び。



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  最近は信じられないことが多い、  高知に今咲いている夏の花。

2017年08月20日 | 自然 花 写真

   ( 待望の芙蓉(ふよう) よさこい祭りの間も咲いていたのですが・・。)


高校野球もベストエイトの激突で 熱がこもってきています。 
私も最近はプロ野球については 興味が無くなっていますが 真剣そのものの
高校野球には つい見とれてしまいます。 優勝候補だと思った大阪桐蔭が
まさかの敗北となりました。討ち取ったと思われたショートゴロを 1塁手が
ベースを踏んでなかったことで次の長打を生み 一瞬の勝利が消え 涙 涙の
敗北となりました。 気持ちの上では仙台育英を応援していたので一応は喜んだ
のですが 桐蔭の選手達の涙を見ていると 本当に気の毒な気持ちになります。

一塁手は皆に慰められていましたが 喜びのあまり塁を踏むのを忘れてしまった
のは 何とも信じられない出来事でした。こんなことがあるのも一生懸命頑張った
中で起こる ハプニングで どう慰めてよいか 分かりません。

東京地方が19日連続の雨模様とは驚きですが 仙台は29日連続とか? 東と西と
こんなに気温の差が出るとは? 地球規模で言えば プラスがあればマイナスがある
訳で ある地方が大雨だと他の地方は乾燥、四国九州が高温だと 関東から東北 
北海道とは冷夏 低温が続くようです。高知は既に稲刈りも終わり 新米が発売
されているのに 稲の成長期に太陽の光が当たらない地方では 農作物の不作で
値段が上がっています。 この異常現象も 信じられない出来事です。

アメリカホワイトハウスの辞任 更迭劇も私には 信じられない出来事だし 無論
北朝鮮の指導者の考えも分からない・・? 度重なるテロ、難民の事故 伝染病
卵に入る殺虫剤 ヒアリなどの発生・・不可解な 信じられない出来事が頻発して
います。世の中こんな分からない出来事ばかりで何を信じて生きればいいのか・・?  

私には『 若き日にあなたの創造主を覚えよ』という伝道者の真理の言葉があり 
神を畏れる生き方の中で 心の落ち着きを感じていますが 森の中に一人隠遁して
暮らす生き方はエゴにさえ感じます・・。




柳葉ルイラ草 メキシコ原産と言いますが 結構高知に多いです。


芋根の星朝顔 


ガウラ


高知は何故か 野生の鉄砲百合が多いです。


白粉花。


春野町展望台への山道。


展望台から見た 総合運動場。 ほんの一部ですが・・。


水球をやっているようです。 涼しそうでいいですね・・。


犬も水浴び! 


鏡川で 小魚を狙う シラサギ。


羽黒トンボ  結構涼しげに見えます。


稲刈りの済んだ田んぼ


新米 早いですね。 もう2週間前から出ています。


高知はまだまだこんな入道雲の毎日が続きそうです。


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  炎天下で行われた 第64回よさこい祭りも終わりました。

2017年08月18日 | 自然 花 写真

    ( 高知城で行われた よさこい祭り全国大会。)


今日で よさこい祭りの写真も最後です。 今年も追っかけが出来てよかった!
来年は 私も踊る !? と家内が言っています。やはり同じ阿呆なら 踊らにゃ
ソンソン ! ですかね? 汗を吹き飛ばしながら 踊りまくる姿は 若者ならでは
です。 よさこい祭りを楽しみにしている人も多いです。 わざわざ引っ越して来る
人もいるほどです。 高知が元気になる夏の祭りが 来年も楽しめますように!!

大気不安定  最近この言葉が多いですね。 先日も高知で もの凄い雷がありました。
確かに突然降ってきて ゲリラ豪雨となり ドカーンと雷が鳴り響く。こんな異常気象の
元で人間は無力ですね。ただただ雷雨を避け 通り過ぎてくれるのを待つだけです。
こんな天気が2~3週間も続いたら もうガックリです。そんな影響は 日照不足と
低温となって 野菜の生育にはね返ってくるんですね。そして野菜の高騰という
有り難くない経済事情となります。これ以上冷夏が続くと 主食である米の収穫にも
影響がありそうです。20年前に タイから外米を緊急輸入した事態がありました。
冷夏の影響は 折角好転した経済を冷やしてしまうかもと言われています。自然が
私たちに与える影響は 大きいものがありますね。

去年、平成28年度の 日本の食料自給率は 38%に落ち込んでいます。天候不順が主な
原因です。(カロリーベース)毎日の天候異変に 一々困惑することは無意味のようにも
思えますが それが「生活」に影響してくると 国民的、国家的な問題ともなってきます。

高知に居ると 関東 東北の低温 日照不足が実感として とらえづらいですね。私が
驚いたのは 昨日卓球をしていて ボールを打った後のラケットに 水気がしっかり残る
ことでした。
私も始めての経験でしたが ゴムのラバーに ボールの打った跡がハッキリ残るのです。
ボール跡がへこむののではなく 丸い水の跡が付くのです。私なりの考えでは 体育館の
中は湿度が 90%以上あります。蒸し蒸し状態です。ラケットにボールが当たると湿気が
圧縮され 水分になり ラケットに水たまり(水跡)が残る?? のです。私も確信はあり
ませんが 何度打っても その度に位置は変わりますが 丸い水跡が残ります。 これは
初めての体験で その結果ボールはすべり 下へ落ちて 相手のコートに飛ばないのです。

私もおかしいなーと思い続け ラケットを見て これは何? と気付いた次第です。今日も
卓球に行きますので 再度確認したいと思います。出来れば証拠写真を撮りたいと思います。
またしばらく卓球が出来ないので 例え蒸し風呂の中でも 身体を動かしてきたいと思って
います。




常連のほにやの皆さん。 踊る方も 見る方も 炎天下 !


濱長花神楽の皆さん。




俵屋グループの皆さん。




十人十彩の皆さん




旭食品の皆さん


NTTドコモの皆さん。




トラックちふれの皆さん。


ミストを浴び 涼をとります。


木陰で休む 外国人参加の方も。


1万8000人の踊り子の皆さん 有り難うございました。 お疲れ様でした!!


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 この一週間 色々なことがありました。 写真はよさこい 4回目。

2017年08月16日 | 自然 花 写真

    ( 我が家の近くの旭演舞場。 スーパーの駐車場を使って 踊ります。)


時の流れは 早いですね。 先週から始まったよさこい祭りも 終わりました。
東京の雨天と違い 炎天下の高知は まさに 「燃えた3日間 」でした。

14,15日と高知で全国聖会がありました。ひさし振りに高知で行われたので
私たちの教会も 頑張って多くの人が参加しました。福島から 佐藤彰牧師を
お招きし 3回にわたって 大震災以降の出来事を中心に 神の祝福を豊かに
頂いたことを証しされました。聞く側も実体験に基づいたお話に感動しつつ
「 最悪の中でも 最善を与えて下さる」 神の恵みに感謝し 賛美しました。

15日は終戦(敗戦)記念日でしたね。戦争の愚かさを知らせる番組がありました。

よさこい祭りが 生の躍動を感じる喜びの時とすれば 哀しみの時もあります。
私たちの教会の信徒であるS姉が 長い闘病後11日に昇天され 前夜式 告別式が
ありました。本当に驚き 姉妹を失った寂しさは 今も心に深くあります。60台の
若さでした。山梨へ行く前にお会いした時も 大変やつれておられて心配はしていた
のですが その後 入院され少し回復され 太ってこられたと聞いていたので 安心
していたところでした。ご親族も遠方から 毎週のようにかけつけ看護されていました。

姉妹はここ数年視力が衰え ガンを発症し転移し 喉や舌の手術で声も出なくなり 又
この間 ご主人も亡くなられ 苦しみの中に一人暮らし(愛犬(人間で言えば100才) 
とは一緒でしたが・・。)を続けておられました。私も高知に移り住んでお話する機会が
増え ご一緒に家庭集会をしたり 身近にお付き合いをして頂いていました。積極的な
性格で 高知流に言えば「 ハチキン 」でした。皆さんにどんどん話しかけ 誰からも
好かれる方でした。善き証し人でした。私は「教会の灯 世の光」のような方だと尊敬を
していました。

思えば 3年前の兄の死から 高校時代の友人の病死 そして 若い教会員の突然死と
私にとっては身近な人々の死が続きました。今回のことも 私にとって大きなショック
でした。クリスチャンには 死は天国へのスタート台であり 神の御国で ご主人とも
再会され 何よりもイエス様にまみえる時であり 安らぎの永遠の命を頂くことなので
決して悲しいだけではないのですが  やはりこの世の別れは つらいものですね・・。

来週は 長崎・五島への旅に出かけます。 沈黙を書いた遠藤周作の資料館や五島列島の
教会を巡ります。 友人の角さん 本多さんと一緒です。その後忍野に戻ります。

高知も今 もの凄い雷雨に見舞われています・・。今日も よさこい祭りの思い出をつづります。 





四国銀行のキャラクターを演じる 島崎和歌子さんも 毎年参加します。


四国銀行のグループの踊りも仲々素敵です。花メダルを貰っていますね。


今年のよさこい大賞をとった 十人十彩の皆さんに敬意を表して・・。 






高知のゆるキャラの一つ カツオ人間! 黒い色と独特の形が人気です。


色々なゆるキャラがあります。


子供も 大きな旗を持って・・。


大人の旗は やはり 迫力があります。


小道具にはマスクも入ります。




男性も それなりに決めています!

 
この方は TV局の女子アナ。 やはり美人ですね。             


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  よさこい祭り 第三回  踊り子さんは一生懸命 !!

2017年08月14日 | 自然 花 写真

  ( 今年の大賞を獲得した十人十彩(じゅうにんといろ) 息がピッタリ。)


高知上空をミサイルが飛ぶなどという まるでB29が飛来するかの状況でも 踊りを
止めることは出来ない・・? 地上に平和があっても 領空はPAC3の配備、隣県には
再稼働した伊方原発もあり 不測の事態になりかねない・・。アメリカも威嚇の応酬を
しているが 親分がゴルフ三昧のリゾート気分では 北朝鮮にその戦意を笑われるだけ
ではないか・・? 2人のお山の大将気取りに 現代の政治の末期症状を見る思い・・?

そんな中では 庶民は 踊って日頃のうっぷんを発散させるしかないのでしょうか?
そんな屈折した思いはないでしょうが  連日力強いパフォーマンスを発揮してくれる
よさこい踊り子隊 205チーム、一分一秒を惜しみかのように 跳ねて飛んで笑って
汗を流しています。 そんなエネルギーを受けて 私もカメラもシャッターを切ります。

よさこい祭りの終わった高知のお町は静かなもんですと 昨日タクシーの運転手さんが
忙しさを懐かしむように 言ってました。年に一度 このよさこい祭りの時だけふって
湧いたように 若者が増える ひろめ市場の隅々まで客が入る 居酒屋も タクシーも
お土産屋さんも潤う・・、こんな機会が年に2~3回あればと運転手さんも言っていた。

踊ることが楽しい 仲間が出来るのがうれしい 地域が盛り上がって頼もしい! との
声も多い。子供が踊れば 「ジンバ」も 「バンバ」もまた踊り 笑顔が自然に出ます。
カメキチ? も多くいます。長い望遠をつけて プロ並みの写真を撮ろうと 一生懸命!?
ある意味踊り子さん以上に熱心で シャッターを押し続けています。私もその一人・・?

小さな花メダルを欲しいと必死に踊り 審査員の前では 笑顔をつくる踊り子さん ?
よさこい祭りの良さは お客さんと踊り子さんとの距離が近いこと 交わりがあること。
熱中症を恐れるどころか 汗びっしょりかいて まだ踊りたいという気持ち 3~4万の
人々の中で 熱中症になる人は 驚くほど少ない。 私たちも体温が上がるほど炎天下で
応援しながら 人垣の後ろで立ち尽くしていても 帰ろう! という気はあまりない?

今回は外国のグループもあったそうで 又外国人がグループに入って踊る姿を当たり前に
見るようになった。サンバが世界に広がるように よさこいも外国で踊る時が来るかも?

今日も よさこい祭りの熱っぽい写真をお送りします。どうか現場の雰囲気をくみ取って
皆さんの元気に加えて下さい。明日は「終戦記念日」 平和ボケしている訳ではありませんが 
しばらくよさこいの写真を続けます。 







何しろ 205チーム 18000人の踊り子さんですから 全てを伝えることは出来ません・・。


男性も 毎年化粧が 派手になります !


ちょっと のんびりムード。


地方車(じかたしゃ)の中では 司会役 歌い手さん 太鼓をたたく人 ここも汗だくです。


ちょっと 休憩! 水分もしっかり !


笑顔美人の第二弾 !!












笠から少しのぞく笑顔。 和風美人ですね。

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  よさこい祭りも いよいよ本番! 暑さの中に 高知は燃える !! 

2017年08月13日 | 自然 花 写真

    ( あまり男性を紹介する機会がないので、 今日は一番に持って来ました! )

11時頃から始まって 夜の9時まで 16の演舞場・競演場で踊り続ける訳だから 
もう大変! と私など思ってしまいます。しかもお客様の前では 笑顔一杯ですから 
さらに大変・・、 でもこれを楽しみに 数ヶ月の練習にたえ 中には県外から移住
までして人気グループに入り 今日の本番に備えている と言う人々もいて 私など
想像もつかない世界なのかも知れません。『熱中症』で倒れたというニュースは余り
聞かないのも 不思議です。

私の卓球もそうですが 館内が蒸し風呂状態である上に 休み無く飛んだり跳ねたり
するのはよさこいと同じなので そうか!集中していれば 暑さも気にならないのだと
変に納得しています。無論各演舞場も 冷たいお茶だけでなく ドリンクもサービス
して気は使っているようです。観客も団扇を踊り子さんの向け 涼を送っています。 

見る方だって 立ちっぱなしで2~3時間は当たり前。日射しを直接受け フラフラ
状態で見る訳ですから 決して楽ではありません。暑い夏のさなかに 何で?という
考えの方もあるとは思いますが そこが夏の祭り、それぞれ趣向をこらし 衣装を考え 
練習を重ねて 本番を迎える訳だから 気合いを入れ 集中して頑張っているのです。
普通では全くあり得ない世界ですね・・。 高知が熱気で地響きを立てている !と
いった感じです。 河口湖から小泉さんが 車中泊で高知へ来てくれました。3日間
バッチリ 『 生のよさこい祭り 』 を楽しんでくれました。感謝ですね・・。



今度は子供達の踊りです。


首にかけて貰った 花メダル。 よい踊り子さんのシンボル !? です。






こんな子供達が沢山いてくれる未来は 明るい !!!


もうこどもとは言えず お嬢さんのグループかも・・。


ここからは 少し年齢を上げた皆さんです !?










市電の中も 踊り子さんばかり・・。


ひろめ市場も大賑わい 空席などありません・・。


山梨から車で来て下さった 小泉さんと一緒によさこい見物。


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今年も よさこい祭りが 始まりました。 私の追っかけも・・!

2017年08月11日 | 自然 花 写真

  ( 大漁旗のはためく中を 路上を踊りまくるよさこい祭りが 始まりました。)


第64回よさこい祭りが始まりました。 全20チーム 18000人が
土佐の高知で踊りまくります。まさに猛暑・炎暑の中 踊る方も見る方も
汗だくです。お互い熱中症にならないように 気をつけながら頑張るという
感じです。会場は市内7カ所の演舞場 9カ所の競演場。道路で踊るのが
基本です。20名~100名を超えるグループが揃いの衣装と練習に励んだ踊りで
会場狭しと踊りまくます。この暑い中で あんな激しい踊りは出来ないと
思う程 間近に見ると すごい迫力です。

鳴子を持って 聞き慣れたよさこい節の一節を入れれば あとは自由の演出で
若い人にも受けるジャズやサンバもあれば 和風のゆったり のんびりした
音楽もあって その創意・工夫が 私たちを楽しませてくれます。金賞を得る
ような躍り込んだグループもあれば 前と後ろでは踊りがずれているような
グループもあり 笑いをさそいます。高齢者には 今の若者と交わりの機会が
もてる場でもあります。普段は姿を見ない若者が 降って湧いたように かつ
笑顔で びしっとした所も見せてくれるので 大変楽しいです。 私なども
カメラで 若者 特に美人系を写真に出来る 素晴らしい機会でもあります。
ちょっとおじさん的ですが 笑顔が美人を作るのを 実感します。笑顔と笑顔が
はじける そんな場にもなります。今回も笑顔美人に焦点を合わせ 楽しい写真を
皆さんにお伝えしたいと思います。間近に汗が吹き飛ぶところで見る迫力 音楽の
ボリュームもすさまじいので 私など正直音は苦手ですが 夏の暑さを吹っ飛ばす
力になりますね。私には追っかけだけで 踊る力はありませんが 美子姉は 来年
踊るのに 意欲満々 ?です。 まぁ意欲は大したものです・・。



ここは 路上でも帯屋町のアーケード。 冷房もあって踊りやすい、


観客が間近なので 手を抜く?ことは出来ません。




皆さん 意外に衣装(コスチューム)はしっかりしているので 暑いと思われます。


au(えーゆー)のコマーシャルに出て来る 乙姫様らしい?


地方車(じかたしゃ) このよさこい節の一節を踊りに必ず入れます。


あとは衣装も 音楽も 踊りの自由・・。 皆さんの創意工夫が 楽しいです。


よさこい美人を特集します。




やはり 笑顔が美人をつくる と思います・・。








次回も よさこい美人を載せますので 男性の方 必見です !!

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高知無事着 そこは炎暑の世界 !? 忍野から高知の写真を載せます。

2017年08月09日 | 自然 花 写真

( 京都駅から 高知駅まで 台風5号の中を走り抜けた JRバス。 )


無事高知の家に戻りました。トミーさんが言うように 『無謀な行い』
だったかも・・?  写真が1回遅れになりますが 忍野出発から
高知到着までを 載せます。事故も無く無事に戻れたことを感謝します。

台風一過の高知ですが 昨日は今年一番の暑さ 猛暑日となりました。
かつ夜は 25℃を下がらない 熱帯夜ということです。市内は36.5℃
という報道ですが 私は自転車で動いていて もう炎暑という感じでした。
湿度は65%程で 忍野より低いのかなーと思いますが 帰ったとたんに
この暑さで 身体が動かない 熱があるみたいに 頭がどんより 動かず
ただただ ぼけっとした 『 熱中症 』 的状態でした・・。

3ヶ月前に予約のあった歯科医で 定期検査などをしてもらいました。
夏休みなので 子供達が多く来ていましたが 受付で一番におしぼりを
出してくれたのには 少々驚きです。 勿論冷たい水のサービスもあり
かつ前日には 予約確認の電話も入り いたれりつくせりのサービスです。
当然な様ですが 予約時間がいつもピッタリで 待つこともありません。
これなら 暑くっても 頑張って通いたくなりますね・・?!

そのついでに 鏡川のほとりを歩いて来ました。大雨にもかかわらず 水位は
もう下がっていました。聞けば仁淀川周辺も 結構雨が降り 水嵩が増していた
という事ですが 高知はまずまず被害は無かったようです。今回の5号台風は
遅くて 長くてほぼ完璧な形で 日本を縦断していきました。偏西風の位置が
高く 導き?が無かったので 動くに動けないという事でしたが 世界でも
異常気象が多く伝えられています。こんな調子で毎年苦労させられるのは本当に
困ったことですね。今日も東北は大雨の予報、  お気をつけ下さい。



話しは 遡りますが 忍野を出発する前の我が家から見る 森の風景


小鳥の小屋。



富士山駅から 深夜バスに乗り 早朝京都へ。 前回のブログの文章参考に ご覧ください。


八坂神社で 市バスを降り 円山公園を抜けて 知恩院へ。


雨の中 ほとんど人は見かけません。


今サルスベリが 美しい。


知恩院が見えてきた。


山門  三門が正しい。


蓮の池 遠くに納骨堂。



 朝 9時半 再びバスに乗り 神戸の税関 だったと思います。


いよいよ明石大橋を渡ります。 雨の打ち付けるガラス越しですので 見えにくいですね。 




雨の中でも トラックなど 凄い勢いで走っていきます。


高知県に入り 山々の緑が はっきりしてきました。 市内はもう青空でした。 


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今日は進行形で 台風5号のさなか 京都から高知へ。

2017年08月07日 | 自然 花 写真

   ( 今年初めてのサルスベリ !?  今京都駅の喫茶店で パソコンを叩いています。)



台風に向き合うように? というか 誘われるように京都へ来ました。
駅ビルの中にも 生暖かい風が通り抜けていきます。台風到来を思わせる
少し強い風がオープンエアーのビルを通り抜けていきます。

早朝京都に着き 早速バスチケットセンターへ。 予約していたバスが
出るかどうか確かめると キャンセルの可能性が高い・・ とか !?
仕方なく 善は急げで 一本早いバスに切り替えて 今バスの出発を待って
いるところ。 その間にも 空は暗くなり 私のソバを通っていく観光客も
不安そう・・。 それにしても外人観光客が多ですね。 何しろ世界の京都
ですから 当然ですが 台風をものともせず? どんどん客が増えていく
感じです。 

バス予約を変更した後 両親 親族などが眠る 知恩院へ挨拶にいきました。
祇園で市バスを下りて 傘を差しながら 石段を上がります。雨で濡れて
いるので 慎重に登ります。 サルスベリの花や蓮の花を池の中に見ました。
今御影堂が 平成の大修理をしていますが 大方は何百年のたたずまいです。
歴史と言うか 伝統の重みを感じますね。今時どんどん変わるのが 進歩とか
成長といいますが 変わらないものがあってこその 世の中ですね。
 
朝食をしているところに 土田さんから電話を頂きました。よりによって
台風の日を選ばなくてもという非難めいた雰囲気も無い訳ではないようですが
心配頂いて 恐縮しました。 バスは西宮を通過していますが 高速バスが
閉鎖されると終わりなので この後 明石海峡大橋を渡り 淡路島を抜け
四国へ入ってしまえば しめたものですが それ以前に高速閉鎖にならない
ことを祈るばかりです。

今明石大橋 鳴門大橋を渡り 四国に入りました。今最も台風が強いのでは
ないかと思います。神戸を抜け 淡路島の2つの大橋を渡る スリリングな
時間でした。 台風の雨風が強くなると 高速走行が難しくなるからです。
特に2つの大橋は 横風などがあり 危険なので横断停止になる危険があった
からです。ドライバーからもそんなアナウンスがあり 正に祈る思いでした。

結構ドライバーも緊張したと思います。 私も心の中で 通過した時は拍手
したものです。ラインで もう高知は雨が止み セミが鳴き出したとのこと
でしたから しばらく休めば 再開通するだろうとは 思っていましたが
やはり少しでも早く 帰りつきたい気持ちがはやります・・。 京都で
京阪バスの高速は既に今日の運行停止を決めていました。保守的な?JRバスも
そうなってもおかしくない感じはありました・・。

これから台風は和歌山辺りに上陸するとの予報・・夜の便ではどうなったか
予測はつきませんが ともあれ四国の地に着けたことは よかった! 便を
早くして 正解だったかなーと胸をなで落としています。まだ雨風はつよく
窓を打つ雨も相当なものです。乗客もだんまりですが きっと無事な安全を
願っていたことでしょう・・。



これは忍野の私の部屋から見た雨模様です。



立葵(たちあおい)の赤。忍野で見た花たちです。


ひまわりの黄色。


白いオイランソウ。


秋桜(コスモス)も もうチラホラ。




これは ダリア。


マリー ゴールド。


百日草


ピンクのムクゲ。




白いムクゲ


今年初めての 風蝶草。 




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  野の花 森の花 富士山ともしばらく お別れです。

2017年08月05日 | 自然 花 写真

     (  早朝 久し振りに 富士山がすっきり顔を見せてくれました。ほんの僅かの時間でした。)
 

予想通り 台風5号が 四国 京阪神にも やってきそうです。
こんな予想は 当たりますね・・!? それにしても記録ずくめの台風です。

この台風で 色々なことを学びました。台風は自ら動けず 高気圧や偏西風に
引っ張られて移動していくこと。全く動けないこともあること・・。海水温の
高さでエネルギーを貰い ますます低気圧になり 風も雨も強くなること。
台風の発生箇所が ここ30年で 150kmも北上していること 温暖化の
影響があるようです。

奄美に昔の仕事仲間がいるので 他人事とは思えないです。 1日で1ヶ月分の
雨が降った このあとも考えると 2月分かも知れないというものすごさです。

私のいる忍野のように溶岩や森林が水を吸収してくれれば 相当違うのでしょうが
山の土砂や流木を抱き込んで 濁流となって人家のある村に流れ込み 今までの
川の流れと違う別の流れを作ることもあるようで そうなると今までの住宅地や
畑など どうなってしまうのかと 気がかりになります。又山の手入れが出来て
いない所では より多くの流木となって 被害を大きくしているのではないかと 
気になります。どうか前回の豪雨の被害者の方々が仰有っているように 台風が
静かに避けていってくれることを 願うばかりです。

明日 富士山を離れて 京都経由で高知に戻ります。約1月の滞在でした。各地の
猛暑とほとんど無関係に過ごせたのは 本当にラッキーでした。いつも蒸し暑さで
フラフラという愚痴?を聞くと こちらが涼しいです、クーラーも必要ありません
とは言えず ただ黙って聞いているだけですが よさこい祭りのある高知はまさに
炎暑の極みでしょう・・? それでもよさこい祭りの熱っぽい盛り上がりに出会える
ことは やはり楽しみではあります・・。 熱中症にならないよう 頑張ります・・!?



昼顔。 朝顔とは違った美しさです。


萩の種類でしょうが 後で調べてみます。 今はスタバです。


木の花には 白いものが多です。 




林道。 強い日射しを木々の葉がさえぎってくれます。


うばゆり。 出かける前に この花を見られて 良かった !


ムクゲとノウゼンカズラ。マンションに咲いている樹木の花。 カラフル ??


花魁草(おいらんそう)


野のユリ


月見草。 小さい花ですが 黄色は遠くからでも よく分かります。


コーンフリー、 ひれはりそうとも。


紫御殿(むらさきごてん)


露草。小さくても きれいです。


激しい雨。 梅雨が明けても 何回かこんな雨に出会いました。 




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  私たちにとって本当に良い環境とは? 

2017年08月04日 | 自然 花 写真

     (今日は百合特集です。6月から咲き出し 8月末まで楽しめます。)



私たち人類はこの地球に生まれ 他の生き物と共存しながら その有能な知識・知恵・技術で
自然の試練や困難を生き抜いて繁栄してきました。今や72億人という信じられない数になり
『地球を支配』するまでになっています。 
20世紀のハイテクの時代 もっと言えば 250年前の産業革命の時代 もっと言えば 
500年前の大航海時代 更に言えば1万年前の農耕開始の時 更にもっと言えば5万年前の
アフリカから出発し アジア ヨーロッパ 南アメリカの端にまで 進出していった あの頃から
ヒト族は 他の生物から異なっていました。

森に住んでいたころ チンパンジーと同じ祖先から別れたとはいえ まだまだ四足歩行で
森に守られ 木々の実を主に食べていた頃 人類は他の霊長類と余り異なることのない動物の
一員でした。気候の変動からか 森を離れ 草原に下りて生活を始めた頃 彼らは火を使って
他の生き物を避け 又攻撃し 固い肉や茎を柔らかく美味しく食べる工夫をし 石の道具で
切ったり、削ったり 投げたりして 他の生き物と差をつけ始めました。直立二足歩行を始める
ことにより 背骨の上に頭を乗せ 手を自由にして 道具を使い 食料を集め 他の生き物と
戦う術を得て来ました。脳の大きさが最初の人類の3倍にもなると 言葉 文字を覚え 絵を描き
祈り 葬儀まで行うようになりました。

それでも自然の脅威は 古いヒト族を死滅させ ホモ・サピエンス(賢い人)のみ地上に残り
1万年前には農耕を始め 牧畜も始め 生活に余裕が出来 人口を増やしてきました。これには
地球の気候が温暖化にチェンジしたのも大きな原因でした。イエこれが人類繁栄の最大理由だった
かも知れません・・。農耕が始まれば人々はその地に定着し 村をつくり リーダーを選びました。
収穫の多い人々は豊かになり そうでない人々と差が生まれることも自然の成り行きでした。
村から町へ そして5000人くらいで小さな国家(都市国家)が生まれました。そこに争いが
生じるのは人間の性として 当然のことです。一方で人類はますます知識を深め 知恵を得て
言葉も文字も話すことさえ出来ない他の霊長類とも自ら差別化して その支配地を広げました。

ソクラテス 仏陀 孔子のような哲人が生まれ 科学 学問 芸術も広がり 文明へと結晶して
いきます。キリストの言葉が聖書の形で残って 2000年後の私たちもその考え 思想 神への
思いを知ることが出来ます。聖徳太子や卑弥呼のはるか前の出来事を 私たちは文字で知ることが
出来ます。すごいことですね。象やライオンが生物的に人間より勝っていたとしても 火を持ち
武器を持つ人類にとてもかないません。神はそれを見越して 自ら汗して耕し 生活の糧を得る
ように この地上のよき管理者たれと命じられたのですが 神から離れた人間は 自己中心となり
欲望のままに 近世以降世界の海に乗りだし 世界の支配者たらんと 略奪と戦争を繰り返して
きました。

賢い人の筈の人類が 多くの生き物を殺し 地球を破滅させる危機まで起こしているのは どういう
ことでしょう? この世に平和共存が必要なように 生物界では 生態系を守ることが何より大事です。
人間は幾ら地球の支配者ぶっても この地球の大地 水 空気 光の中でしか生きていくことは出来ません。
あくまで 同じ細胞で作られた生き物だということを自覚して 生物多様性の中で 他の生物と共存
する道を求めなくてはなりません。それは 賢い人=ホモサピエンスの生きる道です。数万年前にいた
森林や草原の生活を思いおこし 便利で効率化した大都会の人口環境の前提に 自然の営みがあることを
自覚すべきだと思います。 前回の森里川海の恵みに支えられた生活こそ 人類が生き残れる持続可能な
環境であることを考え直してほしいものです。











これは 藪萱草(やぶかんぞう)ですね。やはり百合の仲間です。






先日高座山(たかざすやま)で見た 百合。 鬼百合に見えますね。


これはクレマチスの仲間 ?


マンションの庭のムクゲ


雨の合間に チラッと見えた富士山。


カラ松にも 陽が当たる。


神奈川県に 120mm降った時 忍野も激しい雨でした。


雨と言えば アジサイ

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森里川海の恵みを 次の世代に。 ( 最終回 )

2017年08月02日 | 自然 花 写真

        (この提言を 分かりやすく描いた説明画を載せます。 )


何回かに分けて 森里川海をつなぎ、支えて行くための 『 提言 』 を 私なりにまとめてきました。
今日が最終回です。今日本を取り巻く環境は大変厳しいものがあります。 地方から都市への人口移動は
止まるところがなく 今後30年の間に50%以上人口が減る地域が 日本の多くを占めています。それは
地方の都市の消滅を意味しています。日本全体が人口減少に向かうのですから 当然といえば言えますが
その少ない人々が更に地方を捨て 都会に集中していきます。残された地方の人々は高齢化し 町や村は
過疎化して 生活インフラが維持出来ないところが多く出てきます。

人の管理が不足することにより 森林 里地里山の荒廃は進みます。人工林の荒廃や耕作放棄地が増加し
野生鳥獣の被害も増加します。森・里・川・海のつながりが失われ 気候変動に加えて 森林の保水機能
の低下 二酸化炭素吸収量の減少 身近な資源の枯渇 人々の自然とふれ合う機会も減少していきます。
記録的豪雨による災害も 森林の保水機能 土砂崩れ防止の機能が低下していることが一因となっています。

20世紀 特に戦後に起きたライフスタイルの変化によって 輸入に頼る化石燃料の増加、食料 飼料の
外国依存 (食料自給率は40%)など 食料 燃料 資材など国外に頼ることで 日本の農業 林業 
里地里山への依存が少なくなり 働きかけも少なくなりました。都会と農村のコミュニティが失われて
きました。森里川海が生み出す生態系サービスも減少 自然が提供し続けた きれいな水 清浄な空気 
土壌の保全安全で美味しい食料などのサービス失われてきています。都会の人々が受けている自然の恵みは 
農山漁村が生み出してきたことを 私たちは忘れてきました。

気候変動による生存が脅かされる中で 国土の価値の見直し 地域経済の活性化 健康と豊かさの両立  
環境を守る経済活動 日本に期待される環境技術の開発・普及 更に食料不足・水不足に悩む外国への
援助協力 など人類の文明を新たに創造していく大きな課題もあります。

つなげよう、支えよう森里川海プロジェクト を今こそ国民的テーマとして実行していく時です。
この提案を多くの人々に伝え 理解を得て 関係者が協力して 様々な検討を行う必要があります。
中でも森里川海循環共生協議会(仮称)などの仕組みが地域の実情に合わせ 検討が必要です。
各地でモデル事例を作ることが現実的です。森里川海の役割について 国民的合意を得ることです。

私たちのライフスタイルの見直し 変更に向けた取り組みも大事です。この提言は森里川海をつなぎ 
支え私たちの暮らしとのつながりを再構築するため とりまとめたものです。地方や都市 世代や
職業を越え 多くの人々が集い それぞれの立場で行動し 自らのメッセージを発信し 社会を 
ライフスタイルを変革する大きな力へと 発展することを願っています。 









     




















『 『 つなげよう 支えよう 森里川海 プロジェクト 』から利用させて頂きました。感謝します。

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