生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

嵐は去る

2020-01-26 03:58:04 | 日々の暮らし

ユーチューブで津波の怖さをたくさん紹介していました。
91年アメリカ東海岸沖で起きた暴風雨の名前で、海の荒波が30メートルに達して陸地が一瞬に沈んだ。
その津波の名前がパーフェクト・ストーム(究極の嵐)。

私たちにも人生のパーフェクトストームが来るかも知れません。
そんな時にも自信を持って荒波に立ち向かい
乗り越えましょう。
必ず嵐は去りますから。
勇気持ちましょう!
        感謝

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瑞花

2020-01-25 22:14:14 | 日々の暮らし

大粒のはらはら舞い散る雪を花弁雪(はなびらゆき)といいます。
雪の多い年は豊作といわれています。
また、幸福が降ってくる雪ともいいます。
あなたの頭上にも幸福の花弁雪が舞い散りますように。


「はらはらと

花弁雪は

瑞花(ずいか)かな」

はらはらと降ってくる
雪はめでたい花のようだ。
       感謝

 

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澄んだ月

2020-01-25 03:47:37 | 日々の暮らし

『山かげの岩間を伝う

苔水(こけみず)の

かすかに我はすみわた

るかも』

    (良寛)

山かげにある岩の間を伝わって、苔の下をかすかに水が流れるように、ひっそりと私は山かげにある庵(いおり)に住み続けよう。

仏教最古の経典の法句経に「清らかに澄む
月のように生きていく」

独り森の中で瞑想している人。
わけもない罵倒や暴力、拘束にも怒ることなく堪え忍耐力と勇猛な心を持つ人。
彼をわれはバラモン
(最高の僧侶)と呼ぶがあります。

これらの句にあてはまる人が、江戸時代の僧侶、良寛さんだと思います。
「僧に非ず、俗に非ず」と僧職からも俗世からも離れ、山中の小さな庵にて仏道を求めた。
日々の糧(かて)は托鉢(たくはつ)のみに頼り、すり切れて向こうが透けて見えそうな衣を着ていた。
ある時、村人から盗人とまちがえられて、乱暴を受けたが一言の言い訳も抵抗もせず、相手の気のすむようにさせていたそうです。
「清らかに澄んだ月」のように生きた良寛こそ、私はバラモンだと思っています。
長い人生には浮き沈みが交互にやって来る。
得意のときもあれば、
思わぬ逆境に見舞われ、ひそかに涙を流すときもある。
それを、どう乗り越えたらよいか、まだまだ助言できるには力不足ですが少しでも役にたてればと言霊(ことだま)を綴って行きたいと思っています。
       祈願

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夢幻のごとし

2020-01-24 01:31:23 | 日々の暮らし

老人施設でお世話していたおばあさん、夜おしめ交換に行ったら、「もういいよ」「ありがとう」と小さな声でおっしゃりました。
いつもの言葉だと思っていたら翌日亡くなった。
さすがだと感心しました。
そこで思い出した一休さんの言葉。
一休さんが80歳の頃、
応仁の乱で西の総大将を務めた武将、山名宗全が病床で不安になったのか一休禅師を呼んだ。
見舞いに来た一休は
『なんじすでに末期な
り、我もゆき人もゆく
。ただこれ一生は、夢の如く、幻の如し』
と言葉を掛けたそうです。
宗全は安心して往生したそうです。
「あんたはもうじき死ぬだろう。
だけど、あんたは一人
じゃない、私もゆき、
他の人達もゆくのだか
ら不安になることはな
い。あんたも愛や名誉
など、いろいろあった
ろうけど、人の一生は
夢、幻だよ。喝!(かーつ)」
凄い言葉を掛けたと驚きました。
見事なあのおばあさんも自分だけでなく誰もが行く道だからと落ち着いていたのでしょうか。
また、江戸末期に物外(もっがい)という名僧があるお殿様に依頼されて正月の床の間ように書いて渡した書があります。
『婆死ぬ、嬶(かか)死ぬ、倅(せがれ)死ぬ、孫死ぬ』
正月に死ぬばかりの書に驚きませんか?
縁起が悪いと思いがちです。
順序よく死んでゆくことがめでたいという意味です。
順序が逆になっても、後悔や憎しみを持たないことがめでたいとの意味もあります。
何か勇気が沸いて来ませんか。
まだまだ生かされているのだから明日も頑張りましょう!
       感謝

 

 

 

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恩に報いる

2020-01-23 06:21:47 | 日々の暮らし

「知恩報恩(ちおんほうおん)」昔の人は生命は恩によるもの。
仏や衆生(生きているすべてのもの)や親により積もり積もって今日に至ったものなので恩を知り、それに報いることは人の本分であるという意味の言葉です。
この気持ちが神仏に向けられた時、宗教心となります。
宗教心とは感謝と相手を大切にすることです。
特に日本人の宗教心を表現したと言われている歌があります。

「なにごとおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」
    (西行法師)

ここにどのような神がいらっしゃるのかは存じ上げないが、身にしみるようなありがたさがこみ上げてきて、思わず涙がこぼれてしまった。

西行法師が伊勢神宮に参詣した際に詠んだとされる歌です。

来月仲間と関東のお伊勢参りに行くので紹介しました。
   感謝の御礼に

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