生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

老いて賢者の道を歩め

2016-07-09 03:49:38 | 日々の暮らし
仏語に「独り坐を組み、独り体を横たえ、独り歩む。

そして、自己を整える者は、林でも森でも自由に楽しむことができる」

という教えがあります。

私はいつ頃から仏教を学んだのだろうか。

20代後半から、書道を始めた時からかも知れません。

書道は仏教の経典を、写経することから始まっていますから、

沢山の経典を読み書きしたことで仏教を知ることになったのだと思います。

私のお手本も、経典から使っていますので。

日本最古の写経の文字を残している人が、
聖徳太子で法華経の肉筆が皇室に保管されています。

仏教を学ぶと

「生きるとは苦しみである」

「生きるとは思い通りにならないことである」

「苦しみとは四苦八苦である」

「善とは」「八正道とは」「業(ごう)とは」「慈悲とは」「智恵(般若)とは」

「涅槃(ねはん・悟り)とは」
「輪廻転生とは」
「六道とは」等の意味を学びました。

『清らかに澄む

月のように生き

仏道を求める人を

バラモンと呼ぶ』

(お釈迦様)

僧侶から離れ、俗世からも離れ、山中の庵に独居した良寛さんを思い浮かびます。

インドに生まれたお釈迦様はヒマラヤ山脈を見て、

「善き人は遠くにいても

雪山の如く輝いて見える」

と述べています。

仏教の教えを噛み締めて、
私の書は写経から

「祈りや、生きる力や、魂を浄化する」

書へと変化してきました。

また、お釈迦様は

『ただ空しく年をとるな

老いてこそ賢者の道を歩め』

髪が白くなったからといって「長老」とみなされるわけではない。

ただ年をとっただけなら
「空しく老いた人」

と言われる。

と手厳しい言葉を残しています。

この言葉にドキと反応した私は

特に戒めにしないと。

好きな字に

「坐」という字があります。

土の上に人が二人並んでいます。

自我(自分への執着)

自己(本来の自分)

といわれています。

または、自分と仏ともいわれています。

仏と共に静かにすわり、日常の修行をして悟りを得て、

自我という執着を捨て、自分の内にある

仏を照らし出しなさい

との意味があります。

まだまだ、努力が足りません。

仏の前にどんよりした雲がありますので。



私は僧侶ではありませんが、仏道を学ぶ独りの修行者として、

これからも皆様のお力になれるよう励んでいきたいと思います。

合掌
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 不思議なご縁 | トップ | 夢中 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日々の暮らし」カテゴリの最新記事