仏教語に、「不可思議」という言葉があります。
サンスクリット語のアチントヤ(考えられない)を訳したものです。
キリスト教を「奇蹟の宗教」と呼ぶとすれば、仏教は「不可思議の宗教」あるいは「不思議な宗教」と呼べそうです。
仏教は奇蹟を認めず、奇蹟を必要としない宗教であることが不可思議だから。
しかし、良寛の詩に
『花は無心にして蝶を招き蝶は無心にして花を尋ぬ。花開く時蝶来たり蝶来る時花開く。われもまた人を知らず人もまたわれを知らず。知らずとも帝則(大自然の法)に従う。』
知らず知らずのうちに、われわれは自然の大道に従って生きているという意味です。
ごくありきたりの光景が美しくもあり不可思議なことである。
この不可思議なことを仏教では奇蹟として表現しているのです。
仏教語で不可思議という言葉は奇蹟という意味で大自然をさしており、良寛さんの詩がそれを説いています。
自然を愛し、死ぬ時はこの自然を形見に残しますという良寛辞世の句を思い出します。
ありのままに生きる
ありのままの自然を
伝え残すことが仏教やキリスト教の本質だと思います。
あなたの神を信じなさい。それが奇跡ですと聖書にあります。
正月から奇跡の言葉が頭に浮かぶので書きました。