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生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

青葉時雨

2022-06-02 22:43:20 | 日々の暮らし
『迷い道  青葉時雨に  胸晴れる』     (私) 青葉時雨(あおばしぐれ)とは葉っぱの雫が落ちること。 心惑いながら、竹藪の下を歩いていたら昨晩の雨の雫がぱらぱらと頭にこぼれて来た。 ぱっと気持ちが晴れました。 小さなことに心迷わすな! 一滴の雫で気持ちが晴れ、感謝の心で手を合わせました。         ここも青葉時雨が降り注ぎ気分が晴れますように。          
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冠は心にある

2022-06-02 20:35:27 | 日々の暮らし

私の心に響いた言葉『若い女は美しい、しかし老いた女はもっと美しい。』
(ホイットマン・草の葉の美女の一節より)

『冠は心に在る。頭にはない。
ダイヤモンドやインド石で飾ってもなければ
目に見えもしない。
わたしのは「満足」という冠だ!』

(シェクースピア・ヘンリー四世より)

『君の路を行きつくと
よき満足がある。
しかし初めに満足する者は先へ進まない。』

(リュッケルト・ドイツの詩人)
冠は心にある
いい言葉ですね。
皆様の心に冠が見えます。

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心の栄養

2022-06-02 15:24:33 | 日々の暮らし

年をとると失うものが多い。
両親、兄弟、友人、同僚、視力、聴力、腕力、記憶…。
全ての財産を喪失していく。
その不安や淋しさに負け、心とじる人もいます。
人は木石にあらず。
人は枯れ木や石ではない、喜びも悲しみも
持つ感情ある生き物です。
失うと言う考えでなく、生きる栄養となって『消化』したと思えばよい。
失ったものをいつまでもくよくよする事なく、新たな喜びに感動する栄養をとりましょう。
生きるて心の栄養一杯とることだから。
江戸時代の女流俳人加賀千代女の
「朝顔に
 つるべ取られて
 もらい水」
が有名ですが、私は違う句が心にしみています。
「蜻蛉(とんぼ)釣り
 今日は何処まで
 行ったやら」
幼い子どもを病で亡くし、その悲しみを抑え、あの子は今日も蜻蛉取りに行っていないんだと懸命に耐えている姿に心打たれています。
この場も心の栄養補給となりますように。

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玉梓

2022-06-02 12:20:12 | 日々の暮らし

万葉集 四四五
「いつしかと待つらむ妹(いも)にたまづさの言(こと)だに告げず往(い)にし君かも」
[訳] いつになったら(帰って来る)かと待っているであろう妻に、使者にことづてもせずに死んでいった君よ。
昔の人は手紙を梓という木の枝に結びつけて贈る習慣がありました。
そこから玉梓(たまづさ)という美しい呼び名が生まれました。
カリカリと言葉を綴るペンの音。
あなたと私をつなぐ心のリズム。
玉梓と共にあなたに贈ります。
心が幸せになりますように。

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よろしく

2022-06-02 07:45:39 | 日々の暮らし

よろしくお願いします。

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