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金沢七井 「白井」編

2014-09-12 16:53:19 | 日記
 今日は、「金沢七井」のうち、前回の「亀井」に引き続き「白井」へ行くことにして家をでました。場所は、「金沢図書館」から予め資料をいただいていたので、「京浜急行金沢文庫駅」付近に存在していたと云うことは分かっていましたので、京浜急行駅で下車して、一戸建ての比較的古い家であれば、当時を知る家ではないかと飛び込みで尋ねることに致しました。
 最初の家で「金沢七井」についての経緯を説明して場所を伺うと、この周辺は「京急の分譲」で移り住んだから分からない。もっと奥の方の家であれば昔から住んでおられると思いますので、そちらで聞いてくださいとあっさり断られてしまいました。
 歩きながら見渡すと奥の方に旧家が有るではありませんか、そこでも同じ説明をしたが、残念ながら、私は、嫁いできたもので昔の事は分からないと断られてしまい、やむを得ず一段高台の団地の道順を伺い高台へと向かいました。
 階段を登り詰めて、右に折れて、初めての家の玄関の呼び鈴を押すも留守の様で誰も出てきませんでした。続けて、次の家の呼び鈴を押すと年を召した女性が出て来てくれました。「金沢七井」について説明すると「古い井戸」のことを知っていました。場所は、文庫駅前の「みずほ銀行」の隣の家にあったと記憶していると云われ、行って見ましたが、門扉がしまっていました。
 しかし、このまま帰るわけにもいかないので、みずほ銀行で、お隣家に入り方を伺ったところ、銀行の裏側の方に門があります。そこの引き戸は、自由に引いて中に入れると聞き、早速行って見ると門がありました。
 引き戸を引いて中に入り、玄関の呼び鈴を押すと中から中年の女性が出て来てくれましたので、「金沢七井」について説明し、伺いましたところ、この家は、昔周辺を所有していた元地主であったと云うことでした。この方もはやはり嫁いできた方で、当時のことを振り返り話してくれて、この辺は、川もあって、京浜急行の車庫が立ち並んでいて、時代とともに宅地開発が進みすっかり市街地に変貌したと話されていました。
 昭和20年代までは、御姑さんが白井館を経営するかたわら、鉱泉の風呂も経営されており、湯の色は白いが、手拭いを使うにしたがって次第に赤くなってしまったそうであります。湯に入ると肌がすべすべと滑らかになり、お客さんに喜ばれたそうです。しかし、滑り安く湯船や床の手入れが大変であったと話されていました。
 肝心の井戸でありますが、四角のコンクリート枠口に、木の板で蓋をされていて健在でありました。中をのぞいてみましたが、水面は見えましたが、色は定かではありませんでした。
 さて、「白井」の由来は、地主の方の話の通り、また「金沢区生涯学習わの会」の資料でも水の色が白く見えたと云うことから、「白井」となったそうであります。
 今回は、「急がば回れ」のことわざどおり、後半、割と円滑に井戸の在りかを確認することが出来ました。


(金沢文庫駅前)

(駅前直ぐ右線路に沿っての道路ここを行き左側に門)

(道路から見える門)

(白井がある家の門)

(「白井」からみずほ銀行側の門を望む)

(健在な「白井」井戸)
 

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