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西野坂について

2016-10-15 10:03:23 | 日記
 JR石川町駅から河岸通りを海に向って歩いていくと西之橋越えるところから、左の小路を入って行くと西野坂入口がありましたのて、「横浜の坂 著者 小寺 篤 発行者 今野繁光によると次のような記述がありましたので投稿いたします。
 西野坂「2百何十段」の石段は、実は今は188段の文字通りの雁木坂で、これを西野坂といった。ただし、町名と坂名とどちらが先であったかわからない。吉浜橋の方から西の橋の方へ、廃船のひしめく河岸沿いに歩いていくと、丘の上の繁り合う両脇から、フエリス女学院の校舎の渡り廊下がある。
 フエリス女学院があたかもヨーロッパ中世の城郭然として、その茶褐色の一面をみせている。それにより添うような形で、蛇腹のような石段の急な坂があって、上り下りの女性たちの色とりどりの姿か、ユトリロの風景さながらに眺められる。その雁木坂を、生糸商や貿易商の令嬢たちが長い袖をひるがえして往来した。横浜の華族女校といわれたところの様子はどうであったか。
 「その頃のミッションスクールでは最高峰のフエリス女学校、一部の女学生の憧憬の的となっていたフエリスに入ったことは、いろいろの意味において満足であり、誇りでもあります。
 「この土地は美しい場所であって、東京湾からも横浜の街のどこからも、よく見える所にあります。けれどもやや奥まった所にあるので、横浜の女子教育機関の場所としては最適の土地であります」その当時、その土地はアメリカ海兵隊の病院設置の予定場所であったものを。アメリカ領事から無償で借用したものであった。
 坂の歴史を遡って、はからずも明治3年の遥かまで行ってしまったが、これも情趣を深めるためにしたことであった。などの記述がありましたので、投稿いたします。

(石川駅からの階段上り口)

(フエリス女学院の校舎の渡り廊下)

(丘の上の本町本通りからの入口 両側はフエリス女学院)

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