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金沢七井 「御仲井」 

2014-10-11 16:06:25 | 日記

 今日は、「金沢七井」の最後の七つ目「御仲井」へ行くことにして家をでました。場所は、「京浜急行金沢文庫駅」の旧釜利谷通りから、コーポランドへ行く道に入りその先を左に入った処の民家の敷地にあると「金沢区生涯学習わの会」による資料に記されていたから、京浜急行金沢文庫駅で下車して、旧釜利谷通りを北西に向って1.5キロほど歩き、右にコーポランドへ行く道を探しても何処か全く分からない。
 例によって、飛び込みで聞くことにし、出来るだけ門構えの大きい家を見渡しながら行くと適当な屋敷を発見し、玄関の呼び出しベルを押すと中から、初老の女性が出てきたので、資料を示しながら金沢七井について説明するとそれなら、聞いたことがある。
 あのビニールハウスが立ち並んでいますが、その向こう側に、空き地があります。そこのT字路を右に入って行くと井戸のあるHMさんのお宅があります。と案内していただきました。彼女は、この町に生まれこの町で育ち過ごしてきましたのよ。今日は、昔のことを知っていて役に立ったと笑いながら、冗談交じりに話しておられました。
 早速、案内された通りの道筋を辿っていくと「御仲井」あるHMさんのお宅を見つけることが出来ました。呼び出しベルを二度ほど押して見るが、出てこないので諦めかけていると、スコップを持った主人が南側の庭の方からやって来ました。
 挨拶をして、早速、金沢七井の「御仲井」の井戸があると伺いきました。それで、その井戸を確認したいと話しますと、これです。と玄関直ぐの脇にある鉄蓋を指したので、思わず良かったと声をだしてしまいました。現役で井戸を保存されているのですね。と申し上げると、主人曰く、飲料水とまではいきませんが、庭の草花などに利用していますと話されていました。
 資料によりますとここに、「お寺があった」とありますが。と問いますと、主人いわく、金沢八景にある日蓮宗の「上行寺」と聞いて、私は、びっくりでした。あの「荒井」の井戸を屋敷に備えていた「上行寺」元住職の先代の寺が、ここにあったと聞いて、縁と云う事なのでしょうか。本当にびっくりいたしました。
 井戸の確認をして、ここを案内していただいたお宅に再度訪問し、お礼行ったところ、私もお役に立つことが出来たと笑顔で返してくれました。
 さて、これで金沢七井を全て見て歩きましたが、保存され残っていたのは、「染井、亀井、白井、赤井、御仲井」の5つでありました。このうち、確りと井戸の名前を石に刻んで、誰にも分る様に保存されていたのは、最初の訪れた「染井」1件でありました。残念ながら跡形もなく姿形もなかったのは、「荒井」ですが、この井戸は、国道16号の整備に伴い道路の敷地として埋没され、もう一つの「御井戸」は、自宅の建て替えによる土地利用の関係から、埋没したこの二か所でありました。
 七井の当初の目的は、一方は、海に面し、もう一方の背後地は丘陵地であることから、飲料水に困っていた住民の飲料水等として、井戸水は生活に欠かせない手段して活用されてきましたが、明治の始めから横浜区が周りの町村巻き込みながら横浜の拡張に取り組んむ、とりわけ久良岐郡の村や町が挙って、横浜の水道と施設整備に期待して、合併された模様であります。
 何時の時代も生活環境の変化から、常に新しいや利便性の追求と変革をもとめる人間の欲望は、未来に向かって、何処までも何処までも追求されていくのでしょうか。?

(旧釜利谷道路)

(ビニールハウスのある通り)

(空き地の周り門から「御仲井」のある家の方向を望む)

(鉄蓋のある井戸「御仲井」)

(玄関脇に位置する「御仲井」)

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