元町公園にあるプール脇の階段を上がって行くと途中左側にレンガ造りの異人屋敷跡がみられる。それは、ブラフ溝記念碑の斜めしたあたりにある。ここの案内版があったので、MOTOMACHI140年史編集・著者元町歴史編さん委員会によると次のように記載されている。
この赤煉瓦構造物は、関東大震災前の異人館遺跡で、震災当時はエリスマン夫妻の住居となっていたところです。
この一帯は、かつての外国人居留地の中心地で、多くの外国人住宅のほか、学校、病院、劇場、教会など西洋建築がたちならんで、「異人館のまち」をつくっていましたが、今日なおその面影をそちらこちらに残しています。
本遺跡は、煉瓦壁体が鉄棒によって補強されており、耐震上の配慮がなされていましたが、床部のせりあがりや壁体の亀裂が随所にみられ、関東大震災による被害状況を物語っています。現在、地下室部分を残すだけですが、浄化槽も備え、古き良き横浜の居留外国人の華やかな暮らしぶりをうかがいしることができます。と記載されていましたので、投稿いたします。
「下に掲げた写真」の両わきのタイルは、遺構から出土したものを複製しました。
(洋館についての標示版)
(居留地は位置図)
(横浜の朱たる歴史跡)
(洋館の平面図)
(ようかんの)
(洋館の痕跡)
(復元したタイル)
(復元したタイル)
この赤煉瓦構造物は、関東大震災前の異人館遺跡で、震災当時はエリスマン夫妻の住居となっていたところです。
この一帯は、かつての外国人居留地の中心地で、多くの外国人住宅のほか、学校、病院、劇場、教会など西洋建築がたちならんで、「異人館のまち」をつくっていましたが、今日なおその面影をそちらこちらに残しています。
本遺跡は、煉瓦壁体が鉄棒によって補強されており、耐震上の配慮がなされていましたが、床部のせりあがりや壁体の亀裂が随所にみられ、関東大震災による被害状況を物語っています。現在、地下室部分を残すだけですが、浄化槽も備え、古き良き横浜の居留外国人の華やかな暮らしぶりをうかがいしることができます。と記載されていましたので、投稿いたします。
「下に掲げた写真」の両わきのタイルは、遺構から出土したものを複製しました。
(洋館についての標示版)
(居留地は位置図)
(横浜の朱たる歴史跡)
(洋館の平面図)
(ようかんの)
(洋館の痕跡)
(復元したタイル)
(復元したタイル)
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