宮澤賢治「春と修羅」の「序詩」の冒頭部。
(半紙)
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わたくしという現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
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この後に、50行ほど続く長い詩です。
賢治の詩は、童話に比べて、極めて難解で(童話もけっしてやさしいわけではありませんが)
意味するところをちゃんと説明することはできません。
言葉で説明できないからこそ、ぼくは何度も賢治の詩を授業などで朗読したり
自分でときどき唱えるように音読したりして味わってきました。
賢治の研究というよりは、単なる愛読者、それも極めて偏った愛読者にすぎませんが
「書」に表現することを覚えてから、朗読とはまた違った詩の味わい方を知ったような気がします。
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この作品は、2009年の「第2回 書を楽しむ麗川会展」に出品したもの。
初めての詩文書の作品でした。