Yoz Art Space

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一日一書 998 激突!

2016-09-27 17:37:17 | 一日一書

 

激突! 

 

スティーブン・スピルバーグ監督

 

半紙

 

かずら筆

 

 

 

もう1点。

 

 

 

 

見た回数からいうと、この映画が一番多い。

何回みたか数えてないけど、30回ぐらいだろうか。いや、もっとかも。

 

最初、劇場封切りでみて、ほんとうに驚いた。

何という映画、何という監督。

これが、アメリカで、テレビ映画として作られたこと、

監督のスピルバーグというのが、まだ27歳ぐらいだって聞いて更にびっくり。

 

カット割りまで、ほとんど覚えるくらい見た。

何度みても、感心する。

ほんとうの才能がここにある。

スピルバーグのその後は、ジョーズは好きだけど

あとは、それほどおもしろくない。

別に嫌いじゃないけど、また全部見てるわけじゃないけど

「激突!」さえあればいい、と思っている。

 

原題は「DUEL」(対決)。

そのほうが、「正しい」。

「激突!」っていうのは、ちょっと変だけど、まあいいか。

書には、両方書いてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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一日一書 997 ベニスに死す

2016-09-26 19:21:35 | 一日一書

 

ベニスに死す

 

ルキノ・ビスコンティ監督

 

ダーク・ボガード 

ビヨン・アンドルセン

シルバーナ・マンガーノ

 

 

半紙

 

かずら筆

 

 

この映画題名シリーズは、「日本映画ベストテン」のつもりだったのですが

そんなのどこかへ行ってしまいました。

 

全映画の中で、たぶん、この映画が一番好きです。

何度見ても飽きません。

 

でも、封切りで見ることができなかった。

あっという間に打ち切られたからです。

その点では、「神々の深き欲望」と同じです。

ぼくが最初にこの映画を見たのは、封切りから半年以上もたったころ

新宿の東映だったと思います。

映写の最後、海岸のシーンで、古くなったフィルムが切れてしまい中断したのを

今でも鮮明に覚えています。

 

冒頭の海のシーンから流れるマーラーのアダージョが忘れられない印象を残します。

 

美少年役として抜擢されたビヨン・アンドルセンが当時話題になりましたが

この映画では、それよりも、ダーク・ボガードが圧倒的に素晴らしい。

老いてなお、あくことなき「美」への耽溺が、痛ましく悲しい。

 

パゾリーニの映画でもおなじみの

シルバーナ・マンガーノの妖艶さも素晴らしい。

消毒液の匂いが感じられるような、ペストの蔓延するベニスの街の映像も魅力的。

 

ビスコンティの映画は、たくさん見ましたが

やっぱり、これが最高です。

 

 

 

 

 

 

 


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100のエッセイ・第10期・100 完結、そしてその次へ。

2016-09-25 08:29:18 | 100のエッセイ・第10期

100 完結、そしてその次へ。

2016.9.25


 

 というわけで、とうとう1000編目である。しかし、この1000という数字は必死になって求めてきたものではない。1000編を何としても書きたいと思ってきたわけでもない。ただ、やめなかったら、1000になったというだけの単純なことなのだ。しかし、そうはいっても、それなりの感慨はある。

 「100のエッセイ」の第2集の「あとがき」には、こんなことが書かれている。

 「100のエッセイ」の1冊目を出したころ、いつまで続けるんだと聞かれ、冗談に「どうせなら千まで書こうかなあ。」なんて言ったりしていましたが、月日の経つのは早いもので、あっという間にまた百たまってしまいました。今の時点で、ホームページの連載は「第3期」に入っており、それも二十九まで来ています。うかうかしていると、ほんとうに千なんてことになりかねません。考えてみれば、このペースで書いていくと千を書き終わる頃は六十八歳という想像もつかない年齢に達していることになります。まあ、多分どこかでやめてしまうことになるのでしょうが、とにかくたまったものはどうにかしなければなりません。幸い「こんども本にしないの?」などと催促してくださる方もいて、調子にのってこの「第2集」を出版することになりました。

 この「あとがき」を書いたのは、2002年6月1日だが、その時ぼくは52歳。週1回のペースを厳密に守って書いていたので、そのままのペースで計算すると68歳で1000に到達ということだったのだろうが、その後、震災が起きて、「1000字以内」、「週に1回」という自分で作った規定を破棄することとなったために、その時の計算より約1年はやく1000に到達したわけだ。年齢でいうと、来月に67歳になるが、まだ66歳なので、2歳分はやく到達となったわけである。

 「どうせなら千まで書こうかなあ。」なんていう「冗談」が、こうして現実のものとなってみると、それなりの達成感はあるけれど、「計算通り」であることに、やや拍子抜けといった感もある。

 まあ、それでも、ここまで来るには、いろいろなことがあるにはあった。第7期ぐらいまでは、週1回書くということを厳密に守っていたために、週末になると憂鬱だった。ネタがあるときはいいのだが、何にも書くことがないということもしょっちゅうだった。それでも、10分ぐらいねばっていると、何か書けた。書けたけど、それを推敲したり、吟味したりする余裕もなくて、ええいままよとばかりアップしてきたことも数知れない。

 けれども、勝手気ままに書いてきたことが、こうしてネット上にであれ、ちゃんと読める形で残っていて、自分でも好きな時に読めるというのはいいものだ。本には2冊しかできなかったけれど、それはそれでよかったと思っている。後は、10期分をすべて、「Yoz Home Page」の方へ格納するという仕事が残っている。(今はまだ、第9期の途中までで作業が中断している。)

 さて、これからは、自由気ままに書いていきたい。週1回とか、何字以内とか、そういう「しばり」は一切なしだ。

 「やるべきことを、やるべき時に、しっかりやる」という栄光学園で叩き込まれた精神は、そろそろ返上してもいいだろう。「やりたいことを、やりたいときに、やりたいようにやる」ことにしたい。しかし、これは、想像以上に難しい。「べき」でしばられないと、人間というものは、うまく生きていけない動物のようだからだ。「たい」は自由でいいようだが、言い換えれば「意欲」の問題なのだから、そうそう人間をうまく導いてくれるとは限らない。しかし、困難なら、それもまた一興ではなかろうか。

 「100のエッセイ」というタイトルはもう使わない。今後のタイトルは、いろいろ考えた末、「木洩れ日抄」とすることにした。畏友林部英雄の名句「木洩れ日が思想を照らす不思議な時だ」による。高校時代の林部氏の作だが、今も忘れがたい。木洩れ日のように、ちらちら頭に浮かんでは消える日々の思いを綴るには格好のタイトルに思えるがどうだろうか。通算何編まで書けるか、それは神のみぞ知るだが、末永く書きつづけていきたいものだと思っている。


 



「100のエッセイ」は、18年半にわたって書き継がれ、ここにめでたく通算1000編達成となりました。長い間、ご愛読ありがとうございました。心より御礼申し上げます。なお、本文中でも触れましたとおり、今後は「木洩れ日抄」として、エッセイを書き続けて参りたいと存じます。更新は極めて不定期となりますが、引き続きご愛読いただければ幸いです。



 

 

 


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100のエッセイ・第10期・99 「栄光学園物語」のことなど

2016-09-24 14:05:45 | 100のエッセイ・第10期

99 「栄光学園物語」のことなど

2016.9.24


 

 「100のエッセイ」が完結したとき、やっぱりこれは本にしたいと思った。そのころは、まだ、職場の同僚でもインターネットでホームページを見るという習慣や環境を持たない人も多くて、何か書いてるらしいけど、何書いてるの? って聞かれても、ホームページ見てくださいと言えないという不便があった。それに、ぼく自身、まだネットで読むということに違和感があった頃で、何とか本という形にしたいと思ったのだ。

 版下の作成はお手のものなので、あとは印刷・製本を頼めばいい。学校に出入りの印刷屋さんに相談したら、そういうのおもしろそうだから是非やらせてくださいと、格安の値段で請け負ってくれた。確か20万円ほどだったと思う。部数は300部。出来てきたときは嬉しかった。買ってくださいなんていえやしないから、片っ端から知人に進呈した。今では手元に数部ほどしかない。

 それは自費出版だったが、ぼくには、死ぬまでに何とか実現したいと思っていたたった一つの夢があった。それは、自分の本を、ちゃんとした形で、つまり自費出版ではなくて、商業出版で出したいということだった。参考書や問題集なら、何とかなりそうだったけれど(実際、その後、数冊の問題集や参考書は出した。)、そういう教育関係ではない本を出したいと思っていた。

 で、思ったのは、この「100のエッセイ」をどこかの出版社が出してくれないだろうかということだった。自費出版してしまったものを、更にどこかの出版社から出すなんてことは、まず考えられないことだろうが、とにかく、自分で企画書を書いて、サンプルとして「100のエッセイ」を出版社に送ってみることにした。どうせ送るなら大手がいいやということで、講談社の文芸部に送った。しかし、当然すぎることだったが、何の返事も返ってこなかった。

 やっぱりなあと思ったが、それでも諦めきれなかった。講談社はでかすぎた。作戦変更だ。そうだ、もっと地元密着の出版社にしてみよう。そう思って、今度は、かまくら春秋社に送ってみた。これもしばらくは何の反応もなかった。ところが、1ヶ月ほど経ったころだろうか、かまくら春秋社から、原稿の依頼が来た。今度新しく出した雑誌「星座」にエッセイを書いてくれないかということだった。これは嬉しかった。ぼくは「新緑の窓から」という、ちょっと気取ったエッセイを書いて送った。これが、教育以外の原稿でお金を貰った最初だった。そして最後だった。(今のところ)

 エッセイの依頼は来たが、結局「100のエッセイ」の出版については、なんの返事もなく、まあ、それはそうだよなあと思って諦め、もう他の出版社へ送ることはやめてしまった。

 それから数ヶ月ほど経ったころだろうか、かまくら春秋社の編集部から電話がかかってきた。相談したいことがあるから社まで来てくれないかという。用件は直接話すとのこと。何だろうと期待に胸を膨らませた。「100のエッセイ」の出版の話じゃないだろう。かといって、またエッセイを書けという依頼でもないだろう。そういう依頼なら手紙一本ですむはずだ。最初のエッセイのときもそうだった。とすると、もっと大きな依頼か。そうか、月刊の「かまくら春秋」にエッセイを連載してくれという依頼かも。おお、それなら、オレはとうとうプロの「エッセイスト」だ、なんて妄想して、わくわくした。

 約束した当日、依然として期待に胸を膨らませて、かまくら春秋社を訪れた。出てきた編集者が、ぼくに言ったことは、やっぱりエッセイの連載の話だった。しかし、単なるエッセイではなくて、「栄光学園物語」というシリーズものを企画しているので、その原稿を書いてくれないか、ということだったのだ。実は、かまくら春秋社では、かつて「鎌倉学園」「逗子開成」の「学び舎シリーズ」という連載をやったことがある。その時は、編集者が取材をして原稿も編集者が書いたのだが、今回その続編として「栄光学園」の連載を考えている。あなたならそれを書いていただけるんじゃないかと思うという。それが無理なら、学校の他の先生との共同執筆でもかまわないという。

 がっかりだった。全身の力が抜けた。なんだ、学校の歴史を書くのか。めんどくさいなあ、と思った。そもそも歴史は苦手だ。それに、それじゃ結局「栄光学園」が主で、ぼくは単なる書き手にすぎない。ぼくはもっと自由に文学的なエッセイを書きたいんだ。栄光学園の歴史なんて書いたら、多くの卒業生やら在校生やらが何を言ってくるかしれやしない。荷が重い、気も重い、断ろうか、そう思った。

 けれども、この編集者は、ぼくの「100のエッセイ」を読んで、この人に書いてほしいと思ったのだ。たとえその題材がぼくの意に沿わぬ学校の歴史であったにしても、なんの実績もないぼくだ。そもそも題材のえり好みができる立場じゃないだろう。そう思い直した。それに、編集者氏が言った、連載が終わったら単行本としての出版を考えています、という言葉が決め手となった。自分の本を出す千載一遇のチャンスじゃないか。歴史は苦手なんて言っている場合か!

 突然、やる気になった。それなら、あくまで、ぼくが個人として書きます。共同執筆はしません。もちろん、学校の歴史を書くのですから、校長などに校閲はお願いしますが、あくまでぼく個人の立場で書いてよいということでしたら、書かせてください、というようなことを言ったような気がする。

 そうした経緯があって、ぼくの「栄光学園物語」は2001年9月から、2003年12月まで全28回(第1部14回、第2部14回)にわたって連載された。第1部で完了のつもりだったが、これでは単行本にするには量が少ない。「その後」を続けて書いて欲しいと言われたが、「大船移転」後のことは、書いてもあまりおもしろくない。まして自分が教師として勤めた時期については生々しくて書く気がしないと言ったら、それなら、あなたご自身の栄光学園での6年間を書いたらどうですか? という。冗談じゃありません、ぼくなんかの6年間なんて書いても、おもしろくも何ともないじゃありませんかと言ったのだが、編集者は、いやいやきっとおもしろいと思いますよとおだてるので、ついその気になって、第2部を書くことになった。こっちはもう「栄光学園物語」ではなく「山本洋三物語」である。第2部のほうがおもしろいと色々な人に言われたが、第1部と違って勝手気ままに書いたからかもしれない。けれども、結局アイツは学校を利用して自分の本を出したに過ぎないじゃないかという思いを多くの人、特に学校関係者に抱かせたことだろう。これについては、こうしたことの次第なのだから弁解の余地もない。

 「栄光学園物語」は、2004年4月、単行本として出版された。5000部刷ったということだが、それから12年たった今でも、再版の話はない。絶版の話もない。連載時に1回1万8000円の原稿料をもらっただけで、単行本の印税は一銭も貰っていない。それなのに、生徒や同僚には「多額の印税を得ている」と誤解されて困った。まあ、そんな下世話なことはともかく、商業出版をするという長年の夢はこれで曲がりなりにも、いちおうは、かなったのだった。「100のエッセイ」を書き続けてきたことの思わぬ余波だった。そしてそれはぼくのような半端な人間にとっては、望外の幸せだったとつくづく思う。

 「100のエッセイ」は、第2期が完結したときに、もう一度自費出版で500部作ったが(30万円ほど)、それ以後は、いくら何でもお金がかかりすぎるので、自費出版はやめた。その後、当然のごとく第3期、第4期と続いていき、とうとう第10期に入ってしまい、今まさに完結しそうになっているというわけである。




 

 


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一日一書 996 アポロンの地獄

2016-09-24 10:48:40 | 一日一書

 

アポロンの地獄

 

ピエロ・パオロ・パゾリーニ監督

 

 

半紙

 

鶏毛筆

 

 

HDRトーンを使ってみました。

 

 

映画の衝撃といえば、まずこの映画。

以来、パゾリーニの映画は、

封切りのたびに見続けました。

 

そして、ヴィスコンティ、フェリーニ、など

イタリア映画に首ったけの日々でした。

今では、イタリア映画のあの熱気、どこへ行ってしまったのだろう。

 

 

 

 

 


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