スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

ゴットランド島の「政治ウィーク」

2008-07-14 04:59:37 | スウェーデン・その他の政治
ゴットランド島ヴィースビュー(Visby)で開催された「政治ウィーク」が終わった。一週間にわたって朝早くから夕方まで様々なシンポジウムやセミナーが同時並行で開かれ、しかも面白そうなテーマが同じ時間帯に並んでいたりしたので、選ぶのに苦労したし、一つの会場から別の会場へすばやく移動するのが大変だった。この一週間で開かれたシンポジウムやセミナーの数は500前後。

そして、晩は各政党の党首が日ごとに交代で野外演説を行う。

前回の書き込みで、このイベントを「政治の祭典」と呼んだけれど「政策主張のマーケット」とか「政策アイデアの見本市」とも呼ぶことができそうだ。それだけ様々な団体が自分たちの主張やアイデアを多くの人に広めようと努力し、また一般の人や様々なオピニオンリーダーが一つのセミナーから別のセミナーに梯子しながら、世論の動向を分析したり、説得力のある政策主張は何なのかを探ったりしていたのだった。


ただし、そのような“真面目な”イベントだけでここまで多くのスウェーデン人が集まるわけではない。この一週間のもう一つの楽しみは、毎日、夜から深夜にかけて開かれる「交流会」。雑誌やテレビ、その他のメディア、シンクタンクなど様々な団体が独自に開いていている。友人と一緒にいくつか参加したけれど、シャンペンを片手に立ち話をしながら、周りを見渡してみると、あちらこちらに政界やマスコミ・メディアの著名人がいた。なーるほど、スウェーデンの「政治/メディア・エリート」はこうやって自身のネットワークを広げて、キャリアに繋げているのかがよく分かった。(こういう場では、顔の広い友人と一緒に参加するのがいかにお得か、ということもよく分かった。)ただ、政界やマスコミ・メディアの著名人とはいえ、スウェーデンでは一般に若い人々の勢いが活発なので、このような「交流会」における年齢は多くが20~40代だ。

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このイベントは、毎年この時期に行われているものだが、ここまで大きな政治イベントに発展したのは最近のことなのだ。

事の始まりは1968年。当時はエランデル(Erlander)が首相を務めており、オロフ・パルメ(Olof Palme)はまだ教育大臣だった。パルメは毎年、夏休みをゴットランド島の北部にある小さな島で過ごしていた。このことは、彼の属する社会民主党のゴットランド支部もよく知っていた。それなら、せっかくだから地元で小さな演説会を開き、パルメが夏休みを終えてストックホルムに戻ってしまう前に、一言喋ってもらおう、という企画が立ち上がったのだった。

町の中心の公園に荷台の開いたトラックを置き、それをステージにして演説を行った。たまたま町に居合わせた観光客や地元の人、数百人が聞いた。

写真の出展:Dagens Nyheter

その後、パルメはほとんど毎年のように同じ場所で演説を行った。とはいっても、最初のうちはごく小規模なものだった。

そのうち、パルメは自分の演説の内容がメディアによく取り上げられて、ニュースに流れていることに気付いた。実はスウェーデンの7月といえば、多くのスウェーデン人が夏休みを取る月。政治にしても経済にしてもあまり動きがなく、ニュースの話題に乏しい季節なのだ。だから、いくら小規模とはいえ、パルメが演説を行うと、メディアは待っていましたとばかりにニュースのネタに使う。だから、パルメもそれを意識して、人々の心に訴えかけるような、もしくは、世論を掻き立てるような内容を盛り込んだりしたのだった。

それを傍で羨ましそうに見ていたのは他の政党。パルメの社会民主党ばかりが注目を浴びるのは気に食わない!、それなら、自分たちもゴットランド島に赴いて、独自の演説会を開こうではないか!と、闘いを仕掛けることにした。先陣を切ったのは保守党(穏健党)の党首Gösta Bohmanで、1976年からパルメの社民党と同時期に演説会を行うようになった。そして、他の党も続いた。すべての党の党首が初めて勢揃いしたのは1982年のこと。それから、単に演説だけでなく、社会民主党が1982年から「経済政策セミナー」を開くなど、政治に関連するセミナーも開かれるようになる。

おそらく喜んだのはメディアだっただろう。また「民主主義」という観点からも非常に意義の大きいイベントではないかと思う。というのも、各党が演説や政策議論を行うときの内容というのは、日本のように抽象的で漠然としたものではなく、非常に具体的なのだ。普段は日々の生活に忙しいスウェーデン人も、この月はのんびりと休みを取っている。そして、ニュースを聞きながら、各政党が今どのような具体的な政策主張を様々な政策分野において持っているか、知ることになる。

パルメが暗殺されたのは1986年のこと。ゴットランド島のこのイベントの立役者はパルメだっただけに、彼がいなくなれば、このイベントも下火になり、ついには消滅するだろう、と多くの人が思った。

しかし、1990年代に入ってからも何とか生き残り、2000年代に入ってからは規模が急成長した。政党だけでなく、財界や雇用者団体、労働組合や利益団体、NPOなども合わせてセミナーやシンポジウムを開いて、自分たちの主張を行うようになった。今では200を超える各種団体が参加し、500以上のセミナーを開くに至っている。

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