さぶりんブログ

音楽が大好きなさぶりんが、自作イラストや怪しい楽器、本や映画の感想、花と電車の追っかけ記録などをランダムに載せています。

歴史探偵「元寇ーモンゴル帝国の秘密」を見て

2022-07-20 23:35:40 | 映画・番組等、各種鑑賞録

最近、私の中ではモンゴルづいているんでね、撮り溜めてある歴史探偵の中から7月6日放映分のこれを見てみた。

面白かった。

有名な蒙古襲来絵詞・・・竹崎季長が馬に乗って奮戦する姿は描かれているが、強力な騎馬軍団を持つ蒙古兵はなぜ徒歩なの・・・って子供の頃ちらっと思ったかもしれないが、そのまま忘れてしまっていたなぁ。

蒙古兵は軍船一隻あたり5頭の馬を乗せていたらしく、最低でも1500頭は馬がいたはずだというのだが・・・。

実は馬の輸送って本当に大変なのだということを実証する部分から番組は始まる。現代のトラック輸送でも馬が嫌がってなかなかトラックに乗らない様子が映し出される。ようやくトラックに乗っても、輸送中は心拍数が通常は40ぐらいのところを80以上・・時には112くらいにまで跳ね上がる。24時間輸送すると10頭中3頭は発熱する。うち1頭は高熱になり、下手をすると肺炎を起こしてしまうことも。

なので現代のトラック輸送では3時間に一度は休憩を入れるんだそうだ。

一方、元寇の際、モンゴル軍は17日間かけて海を渡ってきた。玄界灘はそもそも荒れる海。かつ乗っていた船は平底船というかなり揺れる船である。船を作らされた高麗は中国式の底の尖った船だと費用も時間もかかるためモンゴルのいう期日に間に合わないため、平底船にしたようだ。モンゴル側も海のことがよくわからないので安易にOKしてしまったようだ。

実際平底船と底がV字の船とで揺れ方を比較。佐藤二朗所長の顔をつけた起き上がり小法師の動きで、その違いは歴然。V字の船は、波を切って進むが、平底船は波に乗り上げてしまうから、前後・上下の揺れが物凄いのだ。以前司馬遼太郎の「空海の風景」を読んだ時、日本の遣唐使船が平底船でよく難破するため、遣唐使は新羅船で帰りたがっていた・・なんていう記述があったことを思い出した。う〜ん、朝鮮半島には揺れに強い船を作る技術があったのに、モンゴル軍は圧力をかけすぎて自らの首を締めたか・・。こんな揺れる船に17日も揺られたのでは、馬は使い物にならないだろう。

文永の役の時は、騎馬戦の得意なモンゴル軍は馬を使えず撤退、弘安の役の時は博多湾から上陸すらできなかった。日本側が3メートルの防護壁から矢を射掛けたこと、河口に杭を刺し小型船が入り込めないようにしたことなどが上陸を阻んだとのこと。暴風雨は確かに起こったが、元寇を防げたのにはさまざまな理由がある。だが、それを日本は神に守られている国だと思い込んでしまったことが、のちの日本に重大な悪影響を及ぼしたのである。


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