倫理・道徳
2015/12/29
倫理や道徳というと、古臭い感じがして、私は、父親や祖父に叱られている気分になります。学校の先生もそんな気分になるのでしょう? 学校の教科に取り入れられることに消極的なようです。
田中真澄先生の新著「100歳まで働く時代がやってきた」を、サクセス・プライズ(モチベーションプログラムSMIの指導者)森尾恵さんに頂きました。
その御本の前書きに、心構えとしての倫理・道徳の考え方が記されていました。
それを読んで「なるほど」と納得し、私の倫理・道徳は、誤解語であった、と知りました。 この本が広く読まれると日本は変わると感じます。昔のスマイルスの「自助論」が日本を変えたように、現代日本が変わると信じます。
生き方とはどう解釈したらいいのでしょうか、それは人生の正しい歩み方(道)のことです。
どのように人生を歩むべきかを研究するのが「倫理」であり「道徳」です。
戦前の家庭や学校教育では、この倫理・道徳が幼い時から教えられました。この「倫理」と「道徳」は同義語と考えていいでしょう。
「倫理」はethicsの訳語であり、「道徳」はmoralの訳語です。
Ethicsもmoralももともとは「習慣」と言う意味ですからこの2つの言葉は同義語になります。
習慣には行動の習慣と考え方の習慣がありますが、この両面において、私達は常に正しい習慣を身に付けていくために「道徳」「倫理」を実生活で生かす必要があるのです。単なる知識として知っているだけではだめなのです。
その点、戦後の教育では、「道徳」も「倫理」も「知識」として教える面が強調され、それを日々の行動や考え方の基本として身に付けさせる面が疎かになっているきらいがあります。
先日、ペルー・マチュピチュ村と日本福島・大玉村が、姉妹都市になりました。
マチュピチュ村の発展に尽力した日本人移民、野内与吉氏(1895-1969年)が大玉村出身であることが縁となった。マチュピチュ村が外国の自治体と姉妹都市を結ぶのは初めてという。
野村与吉さんは、十数年前、帰国した時、村の若い人達に、自分の実行している三つの誓いを話されたそうです。1、勉強しよう。 2、うそをつかない。 3、なまけない。 自分で「倫理」を決め、それを習慣にされて、異国で町長に選ばれ、活躍されたのです。
現在の「倫理」は、法律を守る、校則を守るというような、外からの締め付けを教えているようです。法律に、校則に決められていないことは、しても良いのだと言う雰囲気があります。
「倫理」「道徳」は、自分の生きる道として、自分で考え決める。そして、習慣になるまで実行するものだと、野村与吉さんの例などを身に付けたいですね。
楽しい社会は「倫理」「道徳」から生まれると教えたいですね。
悪い遊び 規制するだけ 倫理なの? 道徳を 身に付けそれが 信用に
2015/12/29
倫理や道徳というと、古臭い感じがして、私は、父親や祖父に叱られている気分になります。学校の先生もそんな気分になるのでしょう? 学校の教科に取り入れられることに消極的なようです。
田中真澄先生の新著「100歳まで働く時代がやってきた」を、サクセス・プライズ(モチベーションプログラムSMIの指導者)森尾恵さんに頂きました。
その御本の前書きに、心構えとしての倫理・道徳の考え方が記されていました。
それを読んで「なるほど」と納得し、私の倫理・道徳は、誤解語であった、と知りました。 この本が広く読まれると日本は変わると感じます。昔のスマイルスの「自助論」が日本を変えたように、現代日本が変わると信じます。
生き方とはどう解釈したらいいのでしょうか、それは人生の正しい歩み方(道)のことです。
どのように人生を歩むべきかを研究するのが「倫理」であり「道徳」です。
戦前の家庭や学校教育では、この倫理・道徳が幼い時から教えられました。この「倫理」と「道徳」は同義語と考えていいでしょう。
「倫理」はethicsの訳語であり、「道徳」はmoralの訳語です。
Ethicsもmoralももともとは「習慣」と言う意味ですからこの2つの言葉は同義語になります。
習慣には行動の習慣と考え方の習慣がありますが、この両面において、私達は常に正しい習慣を身に付けていくために「道徳」「倫理」を実生活で生かす必要があるのです。単なる知識として知っているだけではだめなのです。
その点、戦後の教育では、「道徳」も「倫理」も「知識」として教える面が強調され、それを日々の行動や考え方の基本として身に付けさせる面が疎かになっているきらいがあります。
先日、ペルー・マチュピチュ村と日本福島・大玉村が、姉妹都市になりました。
マチュピチュ村の発展に尽力した日本人移民、野内与吉氏(1895-1969年)が大玉村出身であることが縁となった。マチュピチュ村が外国の自治体と姉妹都市を結ぶのは初めてという。
野村与吉さんは、十数年前、帰国した時、村の若い人達に、自分の実行している三つの誓いを話されたそうです。1、勉強しよう。 2、うそをつかない。 3、なまけない。 自分で「倫理」を決め、それを習慣にされて、異国で町長に選ばれ、活躍されたのです。
現在の「倫理」は、法律を守る、校則を守るというような、外からの締め付けを教えているようです。法律に、校則に決められていないことは、しても良いのだと言う雰囲気があります。
「倫理」「道徳」は、自分の生きる道として、自分で考え決める。そして、習慣になるまで実行するものだと、野村与吉さんの例などを身に付けたいですね。
楽しい社会は「倫理」「道徳」から生まれると教えたいですね。
悪い遊び 規制するだけ 倫理なの? 道徳を 身に付けそれが 信用に