神の見えざる手2009/12/16
飼犬のポチが轢かれて死んだのは、引越しの5日前でした。
父親は転勤で熊本へ、祖父母は片野の公団住宅へ、私は福岡の下宿へと、一家ばらばらになった時でもあります。
ポチは10才近くでジステンバーの後遺症で身体が呼吸に合わせ痙攣して、格好悪い重量15kgくらいの毛の長い黒犬でした。
片野に置くか?熊本に連れて行くか?引越し荷物と一緒に送るか?など相談している時の事故でした。
「親孝行な犬だなぁ」「犬も自分が重荷になっていることが分かったのかなぁ」
など考えながら、砂津川に流しました。(昭和32年のことです)
何故想い出した?というと、今週、友人と喧嘩みたいになって、そのまま後ろめたい気持ちで別れた事からです。不景気の今、こういう会ももう止めなくてはいけないと思ったり、マンネリで面白くないなどと思った事が、態度や言い方で相手の人が察知したのでしょう、「止めよう!」と言い出したからです。
「神の見えざる手」が働いて物事はひとつの調和に至るとアダム・スミスは言います。どうしようどうしようと、自分の浅知恵で考えなくても、なるようになる、ケ・セラ・セラが悩まないコツかもしれません。
浅見帆帆子さんは、「自分の思うように周りのことは動いて行く」と、沢山の著書に書いていますが、こんなエピソードを言っているように感じます。
「自分が考えた行為が、状態を生み出した」のが真実ならば、「良いことばかり考えておれば良い結果が出る」と帆帆子さんは哲学しています。
しかし、自分の考える内容は何処から来るのでしょうか?
自分の潜在意識から?神の導きから?としたいけれど、相手の態度・発言から誘導されたことも多いように思えて、自分の意志のみで考えているのではない、やはり、神の見えざる手は現代でも働いておると考えるほうが正解に近いと感じます。
民主党も鳩山さんも、「自分で決定しそのように行う」と我を出さず、神の見えざる手はどこに働いているか、と考えながら、「桐一葉落ちて天下の秋を知る」と社会の流れを見て、それに乗って欲しいですね。
鳩山さんも長くなさそうですし、小沢さんにもアセリを感じます。
菅さんも出番は近いとダンマリを決め込んでいますね。
飼犬のポチが轢かれて死んだのは、引越しの5日前でした。
父親は転勤で熊本へ、祖父母は片野の公団住宅へ、私は福岡の下宿へと、一家ばらばらになった時でもあります。
ポチは10才近くでジステンバーの後遺症で身体が呼吸に合わせ痙攣して、格好悪い重量15kgくらいの毛の長い黒犬でした。
片野に置くか?熊本に連れて行くか?引越し荷物と一緒に送るか?など相談している時の事故でした。
「親孝行な犬だなぁ」「犬も自分が重荷になっていることが分かったのかなぁ」
など考えながら、砂津川に流しました。(昭和32年のことです)
何故想い出した?というと、今週、友人と喧嘩みたいになって、そのまま後ろめたい気持ちで別れた事からです。不景気の今、こういう会ももう止めなくてはいけないと思ったり、マンネリで面白くないなどと思った事が、態度や言い方で相手の人が察知したのでしょう、「止めよう!」と言い出したからです。
「神の見えざる手」が働いて物事はひとつの調和に至るとアダム・スミスは言います。どうしようどうしようと、自分の浅知恵で考えなくても、なるようになる、ケ・セラ・セラが悩まないコツかもしれません。
浅見帆帆子さんは、「自分の思うように周りのことは動いて行く」と、沢山の著書に書いていますが、こんなエピソードを言っているように感じます。
「自分が考えた行為が、状態を生み出した」のが真実ならば、「良いことばかり考えておれば良い結果が出る」と帆帆子さんは哲学しています。
しかし、自分の考える内容は何処から来るのでしょうか?
自分の潜在意識から?神の導きから?としたいけれど、相手の態度・発言から誘導されたことも多いように思えて、自分の意志のみで考えているのではない、やはり、神の見えざる手は現代でも働いておると考えるほうが正解に近いと感じます。
民主党も鳩山さんも、「自分で決定しそのように行う」と我を出さず、神の見えざる手はどこに働いているか、と考えながら、「桐一葉落ちて天下の秋を知る」と社会の流れを見て、それに乗って欲しいですね。
鳩山さんも長くなさそうですし、小沢さんにもアセリを感じます。
菅さんも出番は近いとダンマリを決め込んでいますね。