2005/11/10 幼児決断=前提観念
昔勉強したけれど完全に理解出来なくて引っ掛かっていた考え(概念)
が、新しく習った事と一緒だったと気付いた時はうれしいですね!
前提観念の考えを常に頭に置いて「私はどうなりたいのか?」と質問
し続けて行こうと決心しました。
そうしていると前提観念の単語の意味するものは、20年前HCIで習
った「幼児決断」「再決断」の内容と同じだと分ったのです。
【幼児決断】とはいわゆる「三つ子の魂 百まで」です。
私達人間は、生まれたばかりの頃「何の力もない自分が、こんなに大切
に育てられるのは、自分に素晴らしい価値があるからだ。自分は神様のよ
うな存在だ。世話してくれる母親や周りの人は仏様のようなやさしい人だ
」と考えるそうです。
I am OK. You are OK.の境地なのです。
少し 成長し、自分に欲望が出てきた時、周りの人はそれを汲み取らず、
無視されたり、反対されるようになると、「他人は私のことなどどうでも
良いのだ。他人は冷たい。他人は強い。私は弱い」と自他を比較し
IAM NOT OK YOU ARE OK あるいは I AM OK YOU ARE
NOT OK のポジションに立つようになります。
「他人は冷たい。私は能力がない。他人は裏切る」などとその幼児の時
に決めたことは、社会の経験を重ねるたびに強化され、自分の人生観とし
て、その後の自分の人生を決めてしまうことになります。
自分で決めた考えを【幼児決断】と呼びますが、人間はそれを「絶対正
しいもの」としてそれ以降の人生を生きるのです。
間違った幼児決断しておれば、悲劇です。
大人になった時の眼でもう一度考え直し、訳の分らぬ幼児の時の決定は
誤っている可能性があるとし、新しく見直した考えを【再決断】と名付け
、自分自身が成長するためには、再決断する必要があると説くのが、
HCIのトレーニングでした。
他人と関わるのが下手な私は、再決断を「私は楽しんで人と関わってい
る」とし、積極的に自分の考えを発言し、仕事の範囲を広げました。
他人に騙されたり、陥れられたりすることも起きて、裁判の被告にもな
りました。
人と付き合うのも、相手を見てしなくてはと、引っ込み思案にになりつ
つある所で、前提観念を習ったのでそれだけしみじみ思うのでしょう。
【前提観念】の単語は【決断】に比べれば、自分の意志が要らぬ感覚で
間違った思い込みを訂正することが容易くなる気がします。
自分のあるべき将来の姿を想像しても、そうなれる筈がないと止める
ところに、幼児決断の呪いがあるようです。
そうなれないと感ずる時、そこに前提観念・幼児決断への気付きがあ
るのです。
今ミネラルを摂り、防腐剤・着色料づけのコンビニ弁当を食べないで
良質のサプリメントを摂ることが、21世紀に大事なことと思い、そんな
健康食品産業の販売に参入したいと、将来のあるべき姿を想像してみま
すと、「そんなにうまく行く訳ないやろう。専門家の医者がいるのだか
ら素人の私達がやっても駄目だよ」と聞えるようです。
仕事は旋盤など機械仕事でなければならぬという前提観念は崩れつつ
ありますが、自分の能力・やる気・体力に関する前提観念を破るべく考
えを進めなくては始まりません。
こんな風に考えていますと、何かへの挑戦は、自分の前提観念への挑
戦に思えます。
ミツワ製作所のタイムカードの前には「見方を変えれば流れは変わる」
と書いています。
これも、「前提観念を変えれば、すべてがスムースに行くようになる」
という意味に見えてうれしくなります。
エジプトのサダト大統領の合言葉は「思考の枠組みを変えることの出
来ない人間は社会を変えることは出来ない」だそうです。
思考の枠組みとは前提観念そのものを意味し、又思考の限界を意味し
ているようで、これもうれしいです。
当分、「前提観念」は私のキーワードです。