あの人の手紙

2023-08-20 03:16:05 | 南こうせつ
かぐや姫





泳ぐ魚の群に 石を投げてみた
逃げる魚達には 何の罪があるの
でも今の私には こうせずにはいられない
私の大事なあの人は 今は戦いの中
戦場への紹待券という ただ一枚の紙きれが
楽しい語らいの日々を 悲しい別れの日にした

殺されるかもしれない 私の大事なあの人
私たち二人には 何の罪があるの
耐えきれない毎日は とても長く感じて
涙も枯れた ある日突然帰ってきた人
ほんとにあなたなの さあ早くお部屋の中へ
あなたの好きな 白百合をかかさず
窓辺に 飾っていたわ

あなたのやさしいこの手は とても冷たく感じたけど
あなたは無理してほほえんで 私を抱いてくれた
でもすぐに時は流れて あの人は別れを告げる
いいのよ やさしいあなた 私にはもうわかっているの
ありがとう私のあの人
本当はもう死んでいるのでしょう
 昨日 手紙がついたのあなたの 死を告げた手紙が





おそらく平時には、泳ぐ魚たちを、微笑みを持って眺めて、餌を与えるような心優しき人でも、ひとたび戦時に入ると平常心を失ってしまうのは

仕方のないことかもしれません。
 
もちろん、恋人や、夫や息子たちが、戦場にて、生死を賭けた戦いの中にあることを思うときに、平静、平常心でいられるわけがありません。

そして何よりも戦争が悲惨なのは、戦争への行き場のない憤怒や憎悪が、弱いものに対して、その残虐性や暴力性として転嫁されてしまうことです。
 
まさに戦争が社会の狂気を作り出すのです。

戦場への招待券、つまりは召集令状は、薄紅色に近い赤色の紙に、黒の文字で印刷されていたことから「赤紙」と呼ばれていました。
 
現存する「赤紙」は、召集された本人が兵営に持って行ったために、極めて少ないようです。

召集令状で徴兵された兵士、つまり応召兵士は、俗に一銭五厘と云われ、これは、当時の郵便はがき料金が一銭五厘であり、

はがき一枚で調達し使い捨てできる兵士という意味で、すなわち職業として軍務に就いている職業軍人らが多い下士官や古参兵が、応召兵に対して、

差別的な言動を伴って、よく使った言葉とのことです。

もっとも、召集令状そのものは、郵便で届けられるものではなくて、市町村の役場の兵事係から、本人あてに直接に届けられたそうで、

本人が住所地に不在の場合には、家族らが本人あてに郵便はがきや電報で報せなければならない義務があったそうです。
 
そして、理由なく召集に応じなかった場合は、罰金刑もしくは拘留という罰則がありました。
 
また、その兵役拒否の行動が戦時における不穏な活動としてみなされ、治安維持法などの対象として、罰せられることもありました。

銃後(じゅうご)の守りという言葉がありました。

銃後とは、直接戦闘に加わっていない一般国民、または、戦場になっていない国内のことで、いまでいえば、後方支援ということになるでしょうか。

出征した兵士が戦死すると、市町村の役場の兵事係から、戦死公報というものが届きます。
 
激戦地の場合は、遺骨が戻ることはまれで、骨箱には木や石が入っていたこともあったそうです。

どんな国家大義があろうと、ひとりのにんげんのいのちよりも、大切なものはないはずです。

しかし、地球上では、いまだ国際紛争を解決する手段として、戦争が起こっています。
 
そして、多くの人が戦争の惨禍に遭っています。

我が国では、戦後が長らく続いていますが、いまだ戦中の国々もあり、また戦前の国々も多くあります。

平和な日本から、国際平和に向けての取り組みを行っていくこと、それが先の大戦で亡くなられた方々への真の慰霊につながることだと思います。

安らかにお眠りください。
 
そして、子孫が再び同じ過ちを起こさないように、見守ってください。
 
ぼくたちも、ぼくたちの子孫に、あなたがたが、もたらしてくれたこの平和を必ず伝えてまいりますから…。

この曲は「かぐや姫」としては、おそらく唯一、ストレートな反戦歌と呼べるものでしょう。

もちろん、歌詞内容としては、召集されて戦地に赴き、散っていった恋人のことを歌ったラブソングとも言えなくもないのですが、

罪なき恋人たちを戦争に巻き込んで、そして、永遠に引き裂いた戦争の悲惨さ、理不尽さが、切々と伝わる名曲だと思います。

南こうせつさんは、1986年(昭和61年)から、毎年、広島で慰問コンサートを開いてきました。

ちちをかえせ ははをかえせ
 
としよりをかえせ こどもをかえせ
 
わたしをかえせ
 
わたしにつながる にんげんをかえせ
 
にんげんの にんげんのよの あるかぎり
 
くずれぬへいわを へいわをかえせ
                 
                                                   「原爆詩集」より 峠三吉

こうせつさんは、あるとき訪問した老朽化した原爆養護ホームで、人間の尊厳を無視するような大部屋で暮らさなければならない被爆者の姿を見ました。

このことをきっかけに、コンサートを開いて、その収益金の一部を広島市に寄付し、原爆養護ホームの新設に貢献してきました。

戦後60年にあたる2005年(平成17年)8月6日には、伊勢正三さんと、山田パンダさんにも協力を依頼して「かぐや姫」を復活させて、

世界平和、核兵器廃絶を願う「かぐや姫」のコンサートを開いています。

南こうせつさん、「おいちゃん」らしい反戦平和活動ではないでしょうか。




































































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