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とつぜんSFノート 第43回

 1976年。京都烏丸今出川の今はなき京都府立勤労会館の会議室。1月の星群の例会。星群祭のことが話題となった。第1回星群祭(1974年)第2回星群祭(1975年)は、いちおう成功との認識があった。第2回の時も、今年もやる?やらない?ではっきりしなかった。結局やって、ファンダムでは好評をはくしたものと思っていた。
 で、小生はみんなに聞いた。「今年もやらへんの」で、みんなの返答。「なんならあんたがやったら」このひと言で小生は第3回星群祭実行委員長をやることになった。この実行委員長拝命は、小生が生まれて初めて引き受けたSFイベントの実行委員長だった。
 第1回星群祭は参加はしたが、準備段階では小生はまだ星群に入会していなかった。第2回の時は会員として横で見ていたから、どんなことをやるかは、おおむね判ったが、実際に自分がやるとなると大いに戸惑った。
 日本SF大会のような大きなイベントだと、何人ものスタッフがいて、実行委員長は具体的な作業は行わず、調整、決断、判断、交渉、といった仕事が主な仕事だ。ところが星群祭のような小さなイベントだと、スタッフといっても実行委員長と、事務局長の二人だけで準備作業を行わなければならない。
 まず、テーマを決めた。「エンタティメントとしてのSF」自分で設定したテーマではあるが、70年代の日本SFを総括したテーマだったのではないか。70年代初頭に、早川書房のSF担当が福島正実から森優に替わった。これによって、日本のSFが娯楽性を全面に打ち出した路線も包括するようになった。「文学性」を重視し、眉間にシワを作りながら「考える」ことを読者に求める、福島路線から、楽しむために読む、本を読んでいるあいだだけでも浮世のウサを忘れられるSFが多く供給されるようになった。
 ちょうど、このころ時代が呼んだような作家が二人現れた。日本SF第2世代作家である。田中光二と山田正紀。小生は二人の登場を非常にうれしく思った。特に田中光二は小生の嗜好にぴったりの作家だった。西部劇好き、冒険小説中毒、海人間、当時、田中氏は横浜在住、小生は当時も今も神戸、港町の住人。田中光二の作品は、それまでにない斬新な小説だった。非常に映像的で徹底的にエンタティメントに特化した小説だ。
第3回星群祭のゲストに田中光二氏を呼ぶことにした。田中氏に星群祭にゲストとして参加くださるよう手紙を書いた。快諾の返事をもらった。ちなみに
小生が知っている範囲では、SFファンが開催するSFイベントに作家をゲストで呼ぶ場合、作家は好意で参加する。ギャラは出ない。講演を行ってもらったり、パネルディスカッションにパネラーとして参加してもらっても、講演料などは出ない。100%作家の好意で参加してもらっているのである。田中光二氏はこのころ、すでに売れっ子作家だったが、手弁当で横浜から京都まで来ていただいたわけ。この当時の日本のSF界は作家とファンの間は、大変に親密で近かった。
小生は、不慣れながら、諸先輩方のアドバイスを受けながら、なんとか第3回星群祭開催にこぎつけた。
 田中氏は前日に京都に着いた。星群祭の前日は合宿をやっている。その合宿に現れた田中光二氏の第一声。「麻雀やらない?」
 1976年7月18日(日曜)京都府立勤労会館にて第3回星群祭は開催された。ゲストは田中光二氏、眉村卓氏、柴野拓美氏、風見潤氏。この4氏の講演。4氏を囲んでのパネルディスカッションを行った。
 なお、このころの星群祭ではショートショートコンテストを行っていた。この第3回の1位は「氷結美女」山本弘。あの、と学会会長の山本氏である。
 で、なんとか無事に第3回星群祭を終わることができた。 


 
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (悠々遊)
2013-05-30 22:45:47
はっきり覚えていることと、すっかり忘れていることと。
普通なら旅費交通費に宿泊費と、少なくもン十万円の講演料でお願いするべき方々に、手弁当で来てもらいながら、半ばそれを当たり前としていたんですから、我々SFファンとはなんともずうずうしい人種だったものですね。
同じ小説でもほかの分野ではまず考えられないことでしょうね。
 
 
 
悠々遊さん (雫石鉄也)
2013-05-31 08:51:37
SFファンがずうずうしいというより、SF作家がSFファンを大切にしたといった方がいいかも知れません。
昔は、作家とファンの間がものすごく近かったのですね。
それに作家自身も、SFファンでもあるわけですから。そういう作家たちに、私たちファンも甘えていた所もあったのかもしれません。
 
 
 
朗読のお願い (haru)
2013-05-31 16:47:50
ショートショート「ネクタイ」を朗読させて頂いてもいいですか?
どこか、「ごめんなさい」と雰囲気が似て、女性の狂気がじんわりと。。。
お願いします。
 
 
 
haruさん (雫石鉄也)
2013-05-31 22:08:27
朗読OKです。
楽しみにしています。
 
 
 
凄いなあ… (アブダビ)
2015-10-16 01:04:17
ファンダムの黄金時代を活躍されていたのですね。
田中氏は実は私も一部ファンです。
山田氏の評価のコメントできつい事を書いてしまってるけど。
御父様を描かれた「オリンポスの使徒」や
晩年の作品も読んでいるのです。
田中氏は天性のアトベンチャー作家だったらしく、その方面ではストレートな作品が書ける点では山田氏に勝っている思います。ただ…そっちの方面に完全に軌道修正された為に、そう…良い意味でエドガー・ライス・バロウズやR・E・パワードのように
どの本も面白いが捻りは少ない作家として
過ごされたように思います。
その点で、変幻自在な山田氏に比べて、
80年代の冒険小説ブームが去ってからワリを食ってしまったと思います。
それと冒険小説・ハードボイルドブームのお蔭で、田中氏の味わいである「翻訳小説的な文体」が読者には珍しくなくなってしまったのもひにくでした。
御家庭も不幸が続いたようで、自殺未遂のあとはお名前を聞きません。
御元気に過ごして下さっていると良いのですが。
 
 
 
アブダビさん (雫石鉄也)
2015-10-16 04:53:36
ファンダムで活躍というほどのことはしてませんが、ファンダム活動を楽しんでました。
私、田中氏の冒険小説が大好きで、「大いなる逃亡」「男の塩」「白熱」「きつね狩り」「ビッグ・ラン」など。
確かに、おっしゃるように山田氏に比べて、田中氏は直線的すぎたかもしれません。ファンとしてはそこがいいのですが。
 
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