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SFマガジン2011年7月号


SFマガジン2011年7月号 №664       早川書房

 今号は特集「伊藤計劃以後」ということ。読み切り短編は、木本雅彦の「『僕の物語』における『の』の物語」の一編だけ。この作品は、いわば作家のくりごとを垂れ流しているだけで、はたしてこれが小説といえるのだろうか。と、いうわけで今月は「雫石鉄也ひとり人気カウンター」はなし。
 伊藤計劃は2009年3月に亡くなった。だから、それ以後というと、2010年代の日本SFはどうなる、という企画だ。
 伊藤計劃は確かに非常に優れたSF作家だった。しかし、惜しいことにわれわれに残してくれたオリジナル長編SFは「虐殺器官」と「ハーモニー」の2作のみ。この2編はゼロ年代を代表する日本SFの収穫である。それはまちがいない。しかし、この2編、今まで日本SFが走ってきた、走路の延長線上に位置する作品だろう。伊藤の出現が日本SFの走路を大きくカーブさせたとか、また、まったく新しい支線を作ったというのなら、「以後」という言葉も理解できる。普通の追悼企画でいいのではないか。だったら2009年7月号の追悼企画をもっと充実させるべきだった。
 伊藤計劃企画の一環として、「2010年代の日本SFに向かって」という企画。この中で3.11後のSF的想像力ということで、冲方丁、小川一水、長谷敏司の3氏がエッセイを書いていた。これは好企画。5月号のレビューで、鹿野司のエッセイを、わざわざSF専門誌に書くような記事じゃないと批判したが、そのあたりのことを、編集部はちゃんと考えていると見える。あれだけ大規模な災害に見舞われ、しかも壊れた原発から高濃度放射能が垂れ流されつづけるという、人類が経験したことのない事態が今も進行中なのだ。SF者として3.11以後を考えるのは大切なことだ。SFマガジンは小説をメインに扱う文芸誌だ。文芸誌といえども、こういうジャーナリスティックな視点を持つことも必要だろう。ただしあくまで文芸誌で小説がメインであることを忘れないように。
 連載評論《現代SF作家論シリーズ》第6回は石和義之のアーシュラ・K・ル・グィン論「氷原のアンティゴネ─『闇の左手』論」これは作家論でではない。たんなる「闇の左手」のワイド版レビューである。巽さん、ちゃんと監修してくださいよ。
 先号に続いて、第6回日本SF評論賞の発表。今回は選考委員特別賞。藤元登四郎『高い城の男』─ウクロニーと「易経」こちらはさすがにちゃんとした評論になっていた。ウクロニー(歴史改変)と易経を有機的に絡めたものとしてフィリップ・K・ディックの「高い城の男」を論じているのは面白かったのだが、ディックはこの作品で易経をコンピューター代わりに使ったと、この評論から読めないこともない。そのあたりのつっこみがもう少し鋭かったら良かった。
 
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