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3月21日(金) 「純」と「不純」

 昔はよく街で見かけたが、今はあんまり見ないもの一つに「純喫茶」がある。あの「純」とは何を意味するのだろう。「純喫茶」があるのだから「不純喫茶」があるはずだが、「不純喫茶」なる店は見たことがない。
 純喫茶とは、字面だけを見て判断するに、喫茶、つまりお茶を喫することだけを目的とした店、ということになる。と、いうことは和風の「純喫茶」ならば、店に入ると、まず、にじり口があって、入ると頭巾をかぶった宗匠がいて、茶をたててくれる。で、出す料理は懐石だけで、お菓子は茶菓子。それ以外のものを出すことは不純ということになる。また、洋風の「純喫茶」でも、紅茶と、それ以外はスコーンかビスケットぐらいしか出してはいけないはず。
 ところが「純喫茶」に入ると、コーラもあるしコーヒーもある。はなはだしきは、ピラフやカレー、スパゲッティまである。どこが「純」なんだろう。
 また、「純文学」なるものもある。当然「不純文学」があるはず。そもそもブンガクとはなんぞや。と、大上段に構えてもムツカシイから、文を読んで感動を得るモノをブンガクと定義しよう。と、なると、純粋に感動を得ることだけを、目的に読むブンガクを「純文学」ということになる。それ以外のブンガクはいったい何を得るために読むのだろう。
 ミステリー、SF,ハードボイルド、ポルノ、時代劇、ライトノベルなどは、「純文学」とはいわれない。これらの小説は普通、娯楽を目的に読まれる「不純文学」である。では、ポルノ小説を読んで、その迫真のベッドシーンに劣情をもよおすどころか、ある種感動を覚えたら、それは「不純」か「純」かどっちだろう。
 また、「不純異性交遊」という言葉があった。では「純粋異性交遊」とはどういう交遊だろう。若い男女のカップルで、「不純」か「純粋」かどう違うのだろう。男が女の身体だけが目的のヨコシマな考えでの交遊は「不純」で、精神的なモノを目的としているのならば「純粋」なのだろうか。
 と、なると人類以外の動物、獣も、魚も、鳥も、昆虫も、み~んな「不純異性交遊」ということになる。あ、そこのゴクラクフウチョウのカップル、いーけないんだ。
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