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1月17日(木)その2 6434人の13回忌

 あの日から13年たった。あの地震で亡くなった6434名の方々は13回忌を迎える。この中には小生の知人も何人かいる。確認できただけでも、中学の時の同級生が2人。先生が1人。小生が今住んでいるマンションの前のオーナーさん。時々買い物をしていた近くの八百屋さん。近くの公園でよく見かけた小さな女の子。
小生は神戸に長年住んでいるから、知らないだけで、もっとたくさんの知人が亡くなっているだろう。知人の知人とたどって行けば、小生に縁のある方々がどれほどたくさん亡くなったことか。
 昨年、病気で二人の友人を亡くした。知人、友人を亡くすのは非常に悲しい。二人とも小生より若い。大きなショックだった。これは病気で亡くしても、地震で亡くしても同じのはず。だから、小生は、13年前には昨年よりはるかに大きな悲しみを味わったはず。ところが震災直後は正直、悲しみは感じなかった。ともかく家族を、この巨大な異常事態から脱出させること。破壊された神戸は、必ず復興することを信じて、少しでも早く1月17日以前の生活に戻ることを一生懸命考えていた。だから、1月17日の午前中に神戸の街に立っても、それが非現実的な風景に見えて、非日常の世界に紛れ込んだような不思議な感覚だった。
悲しみは2,3日たってやってきた。瓦礫が散乱する中で、ペットボトルやビール缶に花が一輪さして、路傍に供えられているのを目にする。それが街のあちこちにある。ここで人が死んだと実感する。交通事故の現場でも同様の供え物を見かけるが、事故の場合は花屋で用意されたきれいな花束で、供えてあるお菓子や食べ物もきれいなものだ。ところが、あの時の供え物は欠けたペットボトル、へこんだビール缶に野草の花を摘んで供えてあった。
 子供向けのキャラクター商品やお菓子が供えてある場所を目にすると、特に胸が痛んだ。ここで子供さんが亡くなったのだ。
 あれから13年。神戸は外観は復興したように見える。確かに街のハード面は復興した。しかし、愛する人を失った人は、何年たっても心に開いた大きな穴をふさぐことはできない。あの地震で遺族となった人々の心が完全に癒されてこそ本当の復興といえるのではないだろうか。
 あの大震災をくぐりぬけて、小生はなんとか平安に暮らしている。このような大震災経験者はその経験を可能な限り後世に伝え、同様の災害が発生した時に、その経験を役立ててもらえるように考えることが責務だろう。
 まずいえること。行政はまったく頼りにならない。こんなことをいうと、必死になって、どうにかしようとしていた公務員の方々に申し訳ないと思う。誤解しないでいただきたい。公務員の方々が手をこまねいていただけとはいわない。この人たちも被災者だったのだ。物理的に総ての被災者を救済することは不可能だったことは理解している。
警察、消防は無力だった。もちろん最大限の努力をしてくれていたことは判っている。それでもあの巨大な災害の前には無力だったといわざるを得ない。なんとか頼りになったのは自衛隊だった。自衛隊の給水車の蛇口から水が出ているのを見たときはどれほどうれしかったか。
結局は自分でどうにかするしかなかった。小生は震災翌日、電車が通じている甲子園まで歩いて行って、大阪まで必要な物を買出しに行った。震災当日の夜、避難所の小学校に配られた食料は一人おにぎり1個だけだった。幼い子供たちはお腹をすかしていた。
人跡未踏の砂漠に取り残されたのではない。未曾有の大災害で神戸は瓦礫の荒野と化したが、20キロほど離れた大阪は別世界だった。また、神戸市内でも六甲山の山麓や、北区は比較的被害が少なかった。そこで、小生が得た教訓。幼い子供、お年寄り、病人といった弱い立場の人たちを、どのような手段を使ってでも被災地の外に出すべきだ。負傷していない成人ならば、なんとかなる。このような人たちを早急に被害地域の外に自動的に脱出させる方策はないものか。小生が知っている限りでは、このような人が家族にいる場合、そのまま被災地に残って、最低限の医療を受けるか、知人、つてを頼って脱出している。被災地で支援を受けられなく、頼る知人もいない人は孤立無援となる。
 例えば、支援物資を搬入しているトラックやヘリコプターといった輸送機器は、荷降ろしをした後は空で帰るのだろか。もしそうであるならば考えものだ。そのような輸送機器を、上記のような人たちの脱出に使えないだろうか。
 私たち被災者は非常に大きな物を失った。しかし得た物もあった。行政がほとんど機能しない被災地において、自然発生的に助け合いの輪ができた。1月19日の昼食は避難所の小学校の校庭で食べた。そこで豚汁とおにぎりを手渡してくれたおばさんの優しい笑顔。寝る場所だった小学校の講堂ではフィリピン人の一家と隣同士だった。小生の家族とこの言葉が通じない一家とは場所を譲り合って、持っているお菓子を分け合った。大阪からの帰りしな、国道2号線沿いをとぼとぼ歩いているとトラックのおじさんが乗ってけと声をかけてくれた。神戸まで便乗させてくれた。
 こういう人たちの善意にどれだけ助けられたことか。新型インフルエンザの大発生、東海地震、南海地震、これらの大災害は必ず来る。パニックが起きるといわれている。しかし、阪神大震災の経験からいうと「人の善意」はまだまだすてたものではない。どんなにひどい災害でも絶望することはない。「人の善意」がある限り。  
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1月17日(木) 阪神大震災

 今は2008年1月17日午前5時45分。ここは神戸市東灘区。
 今年、一番寒い朝。木枯らしがヒューヒューと吹いている。
 5時46分になった。


 黙祷
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