限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

百論簇出:(第58回目)『日本人は本来的に勤勉な国民にあらず』

2010-05-01 00:05:36 | 日記
世の中の定説で私が納得できないものがいくつかある。いろいろな本を読み、かつ考えた私の結論は
 1.『日本人は自然が大嫌い』(2009/5/9)
 2.『日本人は集団行動が嫌い』(2009/11/9)
であるということは、このブログで以前述べておいた。

今回はその続きの第3弾として、
『日本人は本来的に勤勉な国民ではない』
について述べたい。

本題に入る前に、まず次のたとえ話を聞いて欲しい。

ある所にひ弱な、怠け者がいた。独り者の時は安逸に暮らして居たのだが、結婚して双子の子供が出来た。途端に、生活が苦しくなった。それで、地下鉄の工事現場で働くとバイト料が高いと聞いてでかけた。しかし、ひ弱な体だと雇ってもらえないので、帰ってステロイド注射をして筋肉質に改造して再度応募した。今度は、無事雇ってもらえて、一生懸命働いて稼いだのでようやく一家そろって充分楽に暮らしていけることになった。そのうち、子供も大きくなり、家から出て行ってしまった。妻に先立たれたものの、年金も入るように安逸に暮らすことができるようになった。その内ステロイドの効き目もなくなり、また地下鉄工事もしなくなったので、みるみるもとのひ弱な体に戻った。

この怠け者は、家族の食い扶持を稼ぐため、止むを得ず筋肉質になったが、その必要がなくなると、またもとの体に戻ったというのは、ちょうど日本人は元来、勤勉ではなかったが、人口が増えたため急に勤勉に働かざるを得なくなったが、生活が豊かになったと同時に本来の生活態度(つまり怠け者)に戻ったということを示している、と私は考えている。

このことを検証するには、日本の人口の変化を示した次のグラフを見て欲しい。


この図を見て分かるように、日本というのは、鎌倉時代に約700万人になった。江戸のはじめ、1600年には人口は2倍弱の1300万人になっている。400年間で、人口増加が1.8倍ということは、平均で年率0.15%の増加率しかない。

一方、江戸時代の初期からは人口がぐんぐん増え、享保年間(1716 - 1745)には人口が3200万人にも達している。つまり、120年間に人口が2.5倍強、絶対数で1900万人も増加している。この間、人口の増加率は、年平均で0.78%にもなる。つまり、江戸時代は所期から中期にかけて人口が爆発的に増加した時代で、皆必死になって増産に励まないといけない状況であったことが分かる。そこまで、怠け者体質であった日本人にステロイド注射が打たれ始めた時期が江戸の初期であったのだ。それに輪をかけたのが、石田梅岩の心学や二宮尊徳に代表されるような勤勉性を称揚する教えである。彼らは、勤勉というのは、利益を目的とする卑しい行為ではなく、人格を磨くための修行だと教えることで、勤勉中毒者を増産した。



つまり、私の考えは、日本人が勤勉になったのは、江戸時代になって人口が急に増えたため、止むを得ずに習得した『獲得形質』でありけっして『生得形質』ではなかったということである。このことは、江戸以前、すなわち平安時代、鎌倉時代、室町時代の庶民の生活を描いた記録物、具体的に言うと、
『今昔物語(特に世俗偏)』、『宇治拾遺物語』、『沙石集』、『古今著聞集』
などの庶民(といっても大抵、京都近辺の中産階級の話が多いのだが)の生活ぶりになんとも、勤勉さに欠ける要素を多く感じる。例えば、中流貴族といえども、ちょっと落ちぶれてしまうと、土塀が崩れても修理せず、庭の雑草も茂り放題となっている。概して生活態度が、南洋、ポリネシアの島々の楽天的な様子を彷彿とさせる。

この意味で、1990年のバブル崩壊以降、日本経済が不振にあえぎ、国家の競争力がひところ、世界第一位や第二位といわていたのが、今や 20位や30位と後退しているのを、嘆く風潮があるが、私は別段嘆くことではないと考える。つまり、バブル崩壊して20年、いまようやく、江戸初期から継続して打たれ続けたステロイドの効力が消失し、元の日本人本来の体質、つまり江戸以前の『非勤勉性』が戻ってきたのだと考える。

別な観点から言えば、戦前のように、ステロイドを打たれ続け、毎晩、地下鉄工事現場で働いていたマッチョな体は、元来ひ弱な体質の日本人にはきつすぎたのだと感じる。しかし、それでも悲痛な思いで頑張らないと食っていけない状況であったのだ。それが、今ようやく、元の南洋民族当時の生活のように、あくせくとしないでもやっていける時代になったのである。現在、就職しようとする学生は、勤勉に仕事をしようという意識よりも、何やら楽しいこと、あるいは生きがいを求めて職探しをするという。

さらには、そういった就職活動すら面倒だとして、自主的にフリーターやニートになる若者(だけでなく中年も)が増加していると聞く。これは根本的に勤勉さというものが日本人のDNAとして組み込まれていない証拠ではないだろうか?もし、日本人が根っからの勤勉性に富む人種であれば、このような社会現象は起こらないはずと私は考える。
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1 コメント

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Unknown (無銘)
2016-05-21 02:25:05
もし集団の圧力が無かったら怠け者になるだろう。
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