限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第178回目)『グローバルリテラシー・リベラルアーツ・教養(その9)』

2012-09-02 22:31:11 | 日記
この連載の(その3)で教養とは:
 『多様な分野の横断的な理解を通して、世界の各文化の核(コア)となる概念をしっかりと把握すること』
であり、そのキーポイントは:
 1.多様な分野の横断的理解
 2.各文化の核(コア)となる概念を把握する

の2点であることを述べた。それを図示すると下図のようになる。求むべき教養とは、文化を形成している各要素から文化のコア概念をつかみとることだ。


 【リベラルアーツから見た文化の全体像】

この説明では抽象的すぎて分りにくいだろうから、2つほど例をあげる。

まず、機械式時計について、ヨーロッパ、中国、日本、の3つの文化圏でそれぞれどのような展開をみせたか、見てみよう。

ヨーロッパでは、14世紀ごろには各地で機械式時計が製造されていた。16世紀には、とりわけフランスとドイツで時計工業が発展した。しかし、フランスではカトリック教会が新教徒の一派であるユグノーを追放したが、多くの腕のよい時計職人はユグノー教徒だった。ドイツでは1618から30年続いたドイツ30年戦争のせいで、時計職人が大量に国外へ逃亡した。これらフランス、ドイツの時計職人はイギリスやスイスへ向かった。当時のイギリスでは、マンチェスターにはすでに機械産業のベースが存在したので、時計職人が多くあつまった。それがさらに機械産業の裾野を広げることになった。こういった経緯から、後年、産業革命の勃発とともにマンチェスターがイギリスのみならず世界の機械産業の中心となって発展することができた。一般に歴史では産業革命でマンチェスターが中心となったことは習うが、何故マンチェスターなのか、という説明がなされないため、産業発展の継続性が全く理解できない。

この機械産業の発展には、イギリス人気質も大いに関係している。というのは、当初フランスでは時計の購入者は貴族や僧侶などごく一部に限られていた。その上、フランスの時計職人は豪華な装飾の時計を作ることに力を注ぎ、肝心の精度や耐久性などは問題視しなかった。一方、イギリスでは一般の商人がビジネス用途に時計を購入したため、イギリスの時計は、シンプルで実用的なものであった。この2国を比較するだけでも、英仏それぞれの文化のもつ根本的な差が芸術作品や建築物に限らず時計のような日用品にも反映されていることが理解されよう。

また、日中の機械式時計の発展も、この英仏とおなじように日中の文化の差が大きく反映していることがわかる。

中国に初めて時計がもたらされたのは、1583年だった。当時、数多くのイエズス会士が宣教師として中国に滞在し、布教目的で時計を皇帝や貴族にプレゼントしていた。康熙帝(在位: 1661 - 1722)はこういったヨーロッパの時計を4000個以上も収集した大コレクターであった。また、孫の乾隆帝(在位: 1735 - 1795)も、膨大な時計コレクションを所有していた。これらの時計の修理のため、宮廷には時計工場が作られヨーロッパ人宣教師の指導の下、100人以上もの中国人の時計職人が養成され、時計の修理に従事していた。ただ、時計自身は民間に広まることはなかった。つまり時計というのは、いわば宮廷の高級玩具にすぎず、一般社会には何らの影響も与えなかった。

一方、日本にも中国と大体同じころに時計がもたらされた。 1551年にザビエルが布教の許可を得ようと後奈良天皇に献上したのが最初である。時計が普及するきっかけとなったのは、 1610年ごろ、朝鮮からの献上品である徳川家康の時計が故障したため尾張の鍛冶職人・津田助左衛門が修理するように命じられたことだった。。時計を分解・修理する過程で、時計の構造を理解した津田助左衛門は献上品とそっくりのコピーを作った。これ以降、時計は国内でも製造されるようになった。とりわけ 17世紀末に、朝晩の時間の長さが変わるという、日本の不定時法に合わせた和時計が安価に製造されるようになったため、広く普及した。イギリスのマンチェスターで起こったように、日本でも時計の製造技術から、からくり人形はじめ、さまざまな機械産業が派生していった。こういった技術的な蓄積があったおかげで、明治の開国と同時に、近代機械産業が一挙に花開いたのだ。

ちなみに、日本固有の時刻に合わせた和時計は、明治6年の暦と時刻の改正で、無用の長物となり、惜しげもなくゴミとして棄てられた。これを見た欧米人は、和時計のからくりと芸術的な美しさに魅了されていたので、数多くのすばらしい和時計が日本を離れ欧米へ渡った。

この機械時計で見られたように、日中の外来文化の受容姿勢の差は他の分野でも同じように見られた。つまり、日中の文化コアが理解できていれば、近代機械工業の発展の差における日中の差は偶発的におこったものでなく、日中それぞれが根源的にもっている文化的特性がそのまま反映されたものであることが理解できよう。

【参考文献】
 『時計の社会史』 角山栄 (中公新書)

もう一つの例として韓国を考えてみよう。現在(2012年9月)日本と韓国とは竹島をめぐって国家間に対立感情が渦巻いている。しかし、この隣国とは我々は2000年の長きにわたり多くの面で影響を与えあってきた。現在の嫌韓感情、嫌日感情は何も1910年の日韓併合から突如として起こった訳でもない。従軍慰安婦問題にしろ、領土問題にしろ、問題の根源は、私の見るところでは、李朝朝鮮時代の正邪を明確にせよと唱えた朱子学に行きつく。白黒をはっきりさせる朱子学的姿勢は李朝末期の排外思想と結びついて衛正斥邪となり狂信的に広まった。こういった過去の経緯から現在の日韓に横たわる問題を考えると、韓国側からみると、現実はどうであれ常に韓国が正で日本が邪である、という前提から話が始まらなければならない。この前提は彼らにとっては疑う余地のない絶対真理である。従って日本がいくら客観的事実に基づいて道理を説いたり、国際法を持ち出してみたところで、彼らの考えを覆すには至らないのは明らかだ。

しかし、韓国人自身も朱子学のこの正邪を峻別する教条主義的な行き方には内心は相当辟易しているはずだ。それは、次のような事実に見て取れる。
 ○韓国はOECD加盟国で自殺率が最も高い
 ○韓国の最近の急激な出生率低下
 ○一旦、国を離れた同胞にたいする冷たい棄民的取扱い
 ○余りにも煩雑な祭祀(チェサ)から逃れるキリスト教徒の増加
 ○大学ランキングのトップ20校の内、16校までがソウル市に偏在
 ○韓国がOECD加盟国で最高の私教育費支出


こういった問題の根っこはすべて彼らの過去の歴史、とりわけ高麗と李朝にあることを、いろいろな本を読むことで私は知った。書店にいけば、現在の韓国の世相やテレビドラマに関する本が山と積まれているが、残念ながら、これら皮相的なトレンディな本からは本質的な点は見えてこない。やはり、もっと核心をついた次のような良書を読むべきだと私は思う。
       朝鮮・韓国に関する本
歴史
  • 朝鮮王朝史(上・下)(日本評論社) 李成茂(李大淳、金容権・訳)
  • 完訳・三国史記 (明石書店)金富軾(金思・訳)
  • 哲学・宗教
  • 朝鮮儒教の二千年(朝日新聞社) 姜在彦
  • 看羊録―朝鮮儒者の抑留記(東洋文庫) 姜(朴鐘鳴・訳)
  • 懲録(東洋文庫)柳成竜(朴鐘鳴・訳)
  • 韓国は一個の哲学である(講談社現代新書) 小倉紀蔵
  • 韓国人から見た北朝鮮―独裁国家のルーツ(PHP新書)呉善花
  • 文学
  • 韓国古典文学の愉しみ(上・下)(白水社) 仲村修(編集)
  • 風俗・生活史
  • オンドル夜話・現代両班考(中公新書)尹学準 
  • 韓国の食生活文化の歴史(明石書店)尹瑞石
  • 韓国の科挙制度―新羅・高麗・朝鮮時代の科挙(日本評論社)李成茂(平木實、中村葉子・訳)
  • 熱河日記・朝鮮知識人の中国紀行 (1、2)(東洋文庫)朴趾源(今村与志雄・訳)
  • 外国人の旅行記
  • 朝鮮紀行(講談社学術文庫) イザベラ・バード(時岡敬子・訳)
  • 朝鮮事情(東洋文庫)ダレ(金容権・訳)
  • 人物伝
  • 人物・朝鮮の歴史(明石書店) 李離和(南永昌、他・訳)
  • 技術史
  • 韓国科学史―技術的伝統の再照明(日本評論社)全相運(許東粲・訳)
  • 韓国科学技術史 全相運
  • 現代のビジネス書
  • サムスンの真実(バジリコ) 金勇(金智子・訳)

  • 私はこれ以外にも朝鮮や韓国関係の本は多く読んでいる。私は同じテーマに関して、著者が異なる本を数多く読むことが良いと考えている。著者によって視点や思想的立脚点が異なると取り上げる事象も異なる。しかし同じ事象が別の著者の本にも出てくるならそれは Evidence として記憶にとどめておく必要がある。これらの Evidence を多角的に検討して自分なりの考えを構築していくのが、私の言う『EBD -- Evidence Based Discussion』である。

    【参照ブログ】
     【麻生川語録・16】『EBD -- Evidence Based Discussion』

    さて、今まで述べた私の考えるリベラルアーツ教育と世間のリベラルアーツ教育の差について考えてみよう。2つの点において大きな差がある。

    まず、一番の差は、取り上げるテーマやコンテンツではなく方法論的な差である。私の主張するのは、複数の観点から各文化のコアとなる概念をつかみ取る際に『手触り感』を感じなければいけないということだ。つまり、私は物事を本当に理解するためには、何事も(一番抽象的といわれる数学ですら)観念論的・理念的ではなく具体的・感覚的にとらえないといけないと思っている。従来のリベラルアーツ教育(に限らず大抵の高等教育)では抽象度の高いことがレベルの高いことだという間違った概念のもと、小難しい単語だけの議論に終始していた。こういったやり方では、各文化の要素の自分なりの解釈ができず、いつまでたっても学んだ事が未消化のまま残る。ましてや文化のコアを抽出するなどは、とてもできない。これが、従来のリベラルアーツ教育がいくら分野を広げても、コンテンツを充実させても、教育効果がでなかった理由である。

    【参照ブログ】
     【麻生川語録・10】『手触りのある歴史観』
     【麻生川語録・15】『手ざわりのある歴史観』

    次の大きな差は、理解のアウトプットの仕方にある。私は、リベラルアーツを学んだということは、独自の意見を持つことだと考えている。従来のリベラルアーツの教育では、定説や権威ある学者のいうことが正しいからそれを理解することが重要だと考えてしまっている。そして学習者自身が、自分のような未熟なものの意見は間違っているに違いない思い込んでしまっている。

    この状況を自宅に友人を招く家庭パーティに喩えると、権威に盲従するというのはあたかもデパートの惣菜を買い揃えて客をもてなすようなものである。一方、自分独自の意見を持つというのは、たとえ拙くとも、自分の手料理でもてなすようなものだ。招かれた客はどちらを評価するであろうか?デパートの惣菜はたとえ味は良くても、客は感激しないものだ。つまりそういった味は誰だってすぐに買えることを知っているからだ。それに反して、手料理は少々不味くとも、作った本人の料理に対する考え方(料理哲学でも言おうか)を知ることができ、おおいに満足するに違いない

    結局、我々がリベラルアーツを学ぶ時に最も重要なのは、自分自身が納得のいくまで徹底的に物事を考え抜くという気概をもつことである。つまり、自由で旺盛な批判精神、健全で明朗な懐疑精神をもつことが重要である。こういった精神をもち、自分で集めた証拠(Evidence)を自分の頭で帰納的に考え抜いて、独自の見解を作り上げる。これが私が大切だと考えていることだ。

    冷静になって、ちょっと考えればわかるが、世の中の定説や多数意見は必ずしも正しいとは限らない。あるいは、有名人や識者が言っているからといって正しい訳ではない。古くは、万学の祖と崇められ、ヨーロッパ文化に多大な影響を与えたアリストテレスは『天体論』の中で、地球は宇宙の真ん中で静止していると主張した。また東京大学名誉教授でもあり、文化人としては最高の栄誉である文化勲章受章者でもある江上波夫氏は『騎馬民族征服王朝説』を唱え、戦後の日本史学界において一世を風靡した。しかし、今から見れば、アリストテレスの説にしろ江上氏の説にしろいい加減なイカモノであったわけだ。こういった観点から、自分の頭で考えた末、おかしいと思えば、『裸の王様』の坊やのように勇気をもって、間違っている、と言うのがリベラル(自由)な教養人の態度であろう。

    さらに言えば、現在の法律・法規も間違っている点が多々ある。つまり、法律で定められているからといって必ずしも正しいわけでない。また法律で禁止されているからといって必ずしも間違っているわけでもない。当然のことながら、法律というのは、しょっちゅう改正されている訳だから、ある期間は間違った法を運用してということになる。法も信頼しない、現在の法を超越した次元で考える。これがリベラル(自由)な教養人に求められていることだ。

     **********************************************

    さて、9回にわたって『グローバルリテラシー・リベラルアーツ・教養』というテーマで論じてきたが、私の考えるリベラルアーツの学習というのを山歩きに喩えると次のようになる。行先も分からないリベラルアーツの学習というのは、川や道すらもまともに書かれていない、あやふやな地図を頼りに樹木が鬱蒼とおい茂った山中で秘湯を探訪しているようなものだ。行けども行けどもさっぱり何も見えない。自分の勘だけをたよりに歩いていると、だれもいない山奥で突然、素晴らしい秘湯に出会えるのだ。湯につかりながら、歩いてきた道のりの険しさを思い返すと、世俗的な名誉や地位、金が何だかとても小さく見えてくる。そういった境地に達するのがリベラルアーツ学習の王道だろうと思っている。

    残念ながら、私はまだその境地には達していないが。。。

    (了)


    2015/11/29 追記
    本論に続いて、次のブログもご覧ください。リベラルアーツに関する考えが深まるでしょう。
    【続編】『幻のタイトル 「リベラルアーツ ルネッサンス」』(10回連載)


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