(前回から続く。。。)
【ショーペンハウアーからプラトンへ】
ミュンヘン大学で英語の講義を取っていた他には、ドイツ語の語学研修コースの参加していた。これは、中級レベルの20人程度のドイツ語のクラスで、世界から学生が集まっていたはずだが、どうも2人のフランス人の女子学生と一人の台湾学生以外にはあまり話をした記憶がない。私にとっては、授業の内容は易しかった上、宿題もほとんど無かったので、時間的には非常に余裕ができたのはうれしかった。それで、ドイツ語の勉強はもっぱらこの自由時間を使って自分の好きな本を読んでいた。とりわけ、日本では入手が難しかったショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)全集10巻を寮の近くの本屋で見つけて早速購入した。
ショーペンハウアーは日本では、素人哲学者、女嫌い、厭世家、など否定的な面ばかりが強調されるが、これは日本人が彼の寸鉄人を刺す毒舌に対して免疫が無いためであろう。ドイツでも確かに評価しない人が居る反面、ファンも多い。
たとえば、かのフリードリッヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche)は次のように述べている。
『ショーペンハウアーの本の第一ページ目を読んだだけで、この本は片言隻句も見逃さず、最後まで読み通すべき本だ、と確信する読者がいるが、私もそういう読者の一人である。』
"Ich gehoere zu den Lesern Schopenhauers, welche, nachdem sie die erste Seite gelesen haben, mit Bestimmtheit wissen, dass sie alle Seiten lesen und auf jedes Wort hoeren werden, das er ueberhaupt gesagt hat."
さらにフランツ・カフカは彼の文体を絶賛し、次のように述べている。
『ショーペンハウアーは言葉の芸術家だ。彼の文体だけでも彼の本は十分読む価値がある。』
"Schopenhauer ist ein Sprachkuenstler. Wegen der Sprache allein muss man ihn unbedingt lesen."
カフカがここで言っている、ショーペンハウアーの味わうべき文体とは皮肉なことに、ショーペンハウアー自身が大哲学書と自画自賛した主著『意志と表象としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung)ではなく、暇つぶしに書いた、『哲学小品集』(Parerga und Paralipomena)であった。私も先ずは、毒舌のパンチの効いたこの小品から読み出した。当時(18・19世紀)のヨーロッパの学者は必ずラテン語とギリシャ語を自由にできた。それで、ショーペンハウアーのこれらの文章の中にも、古典からの原文のまま引用されていた。ただし、現代の読者のために、編集者の方でドイツ語訳がつけられていた。しばらく読むと、彼が数多く引用しているのが、プラトン、セネカ、キケロであることが分かった。
『私の語学学習(その13)』で述べたように、以前、モンテーニュによって目を開かされたギリシャ・ローマ文明への情熱の埋け火(いけび)がこのショーペンハウアーの本によってさらに熱いものになった。それで、市内の大きな本屋で、セネカ、キケロのレクラム(Reclam)文庫版を買った。プラトンは、レクラムでは少なかったが、dtv という出版社から6巻で安価な全集が出ていたので購入した。本格的にこのプラトンを読み出したのは、1978年になってからであったが、最初読んだときはまるで禅問答のようだったが、何度か読むうちに、そのレトリック(dialogue)がそれまで文章における論理性というものを知らずにいた私には非常に衝撃的であった。つまり、自然言語を使ってあたかも幾何学の証明問題を解くように厳密に論理を構築できるということを知った。それと、従来考えていた講演形の話し方ではなく、相手との対話形が、真理探究にはベターであるのだ、と分かった。
このプラトン全集、びっくりすることに訳者はシュライヤーマハー(Friedrich Daniel Ernst Schleiermacher)という1768年生まれの神学者である。神学者と言えば、キリスト教こちこちで男色がむしろ崇拝されていたギリシャの異教徒のものを苦心して訳すなどとは今では考えられないであろう。しかし、それ以上に驚くのは、彼の文章が200年経た現在でも、そのままの形で出版されている点である。 1768年生まれと言えば、日本では小林一茶(1763年生まれ)や、『言志四録』で有名な儒者、佐藤一斎(1772年生まれ)と同世代だ。日本では、これら江戸時代の文章ですら、すでに現代語訳なしでは読めなくなっていることを考えると、文化遺産の継承に関して、日本では、見えない障壁(barrier)が高く立ちふさがっていると考えても間違っていない。
このシュライヤーマハーの訳文は確かに、現代のドイツ語とは多少異なっていることは私にでも分かった。例えば、『私にはこう思える』とは、現在では、Ich denke, dass ... となるところだが、かなりの部分で、mich duenkt ... と表現されている。これは英語で methinks という表現が古めかしいのと相似である。
しかし、私が気に入ったのは、彼が極めて正統なドイツ語を駆使していることだった。ドイツ語の場合、形容詞でも動詞でも名詞化して使うことが可能である。この用法が許されることによって、ドイツ語が哲学のように観念的術語を多用する分野では、他のヨーロッパ言語とは(すくなくとも英語に対して)比較にならないほど、柔軟な思想表現が可能となっている。ところが、最近のドイツ語では、英語からの借用語を多用する傾向にあり、それが一種のハイカラ的雰囲気を醸し出しているようだった。日本語においてカタカナ語が多いと、うんざりするように、ドイツ語においても英語由来の『カタカナ語』は、非常に目障り、耳障りに、私には感じられた。そういった現代の悪弊にまったく染まっていないシュライヤーマハーの訳文は、ショーペンハウアーとも異なった文体で、私を魅了した。しかし、ところどころ、非常にまどろっこしい訳文を目にする度に、これは訳者(シュライヤーマハー)が正しく理解していない為か、あるいは元来プラトンの文章がそのように表現されているか、どちらの可能性であるか、私には分からなかった。その疑問は『ギリシャ・ローマ文明への情熱の埋け火(いけび)』を一層熱いものにした。
結局、シュライヤーマハーのドイツ語訳を読んで以来、私はプラトンに心酔することになった。この時に買ったプラトン全集は、紙質が悪く、いまでは酸化して濃い茶色になってはいる。他人にとっては、汚い本にしか過ぎないように写るが、私には20歳代前半の若い時に何回も読んだこの本には、言い知れぬ愛惜の念を抱いている。
(続く。。。)
【ショーペンハウアーからプラトンへ】
ミュンヘン大学で英語の講義を取っていた他には、ドイツ語の語学研修コースの参加していた。これは、中級レベルの20人程度のドイツ語のクラスで、世界から学生が集まっていたはずだが、どうも2人のフランス人の女子学生と一人の台湾学生以外にはあまり話をした記憶がない。私にとっては、授業の内容は易しかった上、宿題もほとんど無かったので、時間的には非常に余裕ができたのはうれしかった。それで、ドイツ語の勉強はもっぱらこの自由時間を使って自分の好きな本を読んでいた。とりわけ、日本では入手が難しかったショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)全集10巻を寮の近くの本屋で見つけて早速購入した。
ショーペンハウアーは日本では、素人哲学者、女嫌い、厭世家、など否定的な面ばかりが強調されるが、これは日本人が彼の寸鉄人を刺す毒舌に対して免疫が無いためであろう。ドイツでも確かに評価しない人が居る反面、ファンも多い。
たとえば、かのフリードリッヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche)は次のように述べている。
『ショーペンハウアーの本の第一ページ目を読んだだけで、この本は片言隻句も見逃さず、最後まで読み通すべき本だ、と確信する読者がいるが、私もそういう読者の一人である。』
"Ich gehoere zu den Lesern Schopenhauers, welche, nachdem sie die erste Seite gelesen haben, mit Bestimmtheit wissen, dass sie alle Seiten lesen und auf jedes Wort hoeren werden, das er ueberhaupt gesagt hat."
さらにフランツ・カフカは彼の文体を絶賛し、次のように述べている。
『ショーペンハウアーは言葉の芸術家だ。彼の文体だけでも彼の本は十分読む価値がある。』
"Schopenhauer ist ein Sprachkuenstler. Wegen der Sprache allein muss man ihn unbedingt lesen."
カフカがここで言っている、ショーペンハウアーの味わうべき文体とは皮肉なことに、ショーペンハウアー自身が大哲学書と自画自賛した主著『意志と表象としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung)ではなく、暇つぶしに書いた、『哲学小品集』(Parerga und Paralipomena)であった。私も先ずは、毒舌のパンチの効いたこの小品から読み出した。当時(18・19世紀)のヨーロッパの学者は必ずラテン語とギリシャ語を自由にできた。それで、ショーペンハウアーのこれらの文章の中にも、古典からの原文のまま引用されていた。ただし、現代の読者のために、編集者の方でドイツ語訳がつけられていた。しばらく読むと、彼が数多く引用しているのが、プラトン、セネカ、キケロであることが分かった。
『私の語学学習(その13)』で述べたように、以前、モンテーニュによって目を開かされたギリシャ・ローマ文明への情熱の埋け火(いけび)がこのショーペンハウアーの本によってさらに熱いものになった。それで、市内の大きな本屋で、セネカ、キケロのレクラム(Reclam)文庫版を買った。プラトンは、レクラムでは少なかったが、dtv という出版社から6巻で安価な全集が出ていたので購入した。本格的にこのプラトンを読み出したのは、1978年になってからであったが、最初読んだときはまるで禅問答のようだったが、何度か読むうちに、そのレトリック(dialogue)がそれまで文章における論理性というものを知らずにいた私には非常に衝撃的であった。つまり、自然言語を使ってあたかも幾何学の証明問題を解くように厳密に論理を構築できるということを知った。それと、従来考えていた講演形の話し方ではなく、相手との対話形が、真理探究にはベターであるのだ、と分かった。
このプラトン全集、びっくりすることに訳者はシュライヤーマハー(Friedrich Daniel Ernst Schleiermacher)という1768年生まれの神学者である。神学者と言えば、キリスト教こちこちで男色がむしろ崇拝されていたギリシャの異教徒のものを苦心して訳すなどとは今では考えられないであろう。しかし、それ以上に驚くのは、彼の文章が200年経た現在でも、そのままの形で出版されている点である。 1768年生まれと言えば、日本では小林一茶(1763年生まれ)や、『言志四録』で有名な儒者、佐藤一斎(1772年生まれ)と同世代だ。日本では、これら江戸時代の文章ですら、すでに現代語訳なしでは読めなくなっていることを考えると、文化遺産の継承に関して、日本では、見えない障壁(barrier)が高く立ちふさがっていると考えても間違っていない。
このシュライヤーマハーの訳文は確かに、現代のドイツ語とは多少異なっていることは私にでも分かった。例えば、『私にはこう思える』とは、現在では、Ich denke, dass ... となるところだが、かなりの部分で、mich duenkt ... と表現されている。これは英語で methinks という表現が古めかしいのと相似である。
しかし、私が気に入ったのは、彼が極めて正統なドイツ語を駆使していることだった。ドイツ語の場合、形容詞でも動詞でも名詞化して使うことが可能である。この用法が許されることによって、ドイツ語が哲学のように観念的術語を多用する分野では、他のヨーロッパ言語とは(すくなくとも英語に対して)比較にならないほど、柔軟な思想表現が可能となっている。ところが、最近のドイツ語では、英語からの借用語を多用する傾向にあり、それが一種のハイカラ的雰囲気を醸し出しているようだった。日本語においてカタカナ語が多いと、うんざりするように、ドイツ語においても英語由来の『カタカナ語』は、非常に目障り、耳障りに、私には感じられた。そういった現代の悪弊にまったく染まっていないシュライヤーマハーの訳文は、ショーペンハウアーとも異なった文体で、私を魅了した。しかし、ところどころ、非常にまどろっこしい訳文を目にする度に、これは訳者(シュライヤーマハー)が正しく理解していない為か、あるいは元来プラトンの文章がそのように表現されているか、どちらの可能性であるか、私には分からなかった。その疑問は『ギリシャ・ローマ文明への情熱の埋け火(いけび)』を一層熱いものにした。
結局、シュライヤーマハーのドイツ語訳を読んで以来、私はプラトンに心酔することになった。この時に買ったプラトン全集は、紙質が悪く、いまでは酸化して濃い茶色になってはいる。他人にとっては、汚い本にしか過ぎないように写るが、私には20歳代前半の若い時に何回も読んだこの本には、言い知れぬ愛惜の念を抱いている。
(続く。。。)