本日開催された退職組織の研修会に参加・・・今年五稜郭に復元された「箱館奉行所」の講演会と見学会。
まずは箱館奉行所の歴史と復元工事に関わる講演会で、基礎知識を注入して、見学会へ・・・。
箱館奉行所は、幕末の箱館開港により、江戸幕府が設置した蝦夷地を統治するための役所で、五稜郭は、この奉行所を守るために築造された。
しかし、その後、箱館戦争の際には、旧幕府軍の本拠地となり、明治4年(1872年)には開拓使によって奉行所庁舎を含むほとんどの建物が取り壊されてしまい、わずか8年の歴史で幕を閉じた。
それが、約140年を経て、全面積の1/3の部分が、この度4年掛けて再現された・・・。
太鼓櫓(左上)と大棟の懸魚と鬼瓦
襖を開け放つと72畳の広さになる大広間
一番広い部屋を支える太い梁
五稜郭と箱館奉行所について解説する「歴史再現ゾーン」
再現できなかった部分の部屋割り区画のみを地面に表示
○2008年11月の復元工事一般公開に参加したときのブログ
http://blog.goo.ne.jp/sakag8/d/20081103
○「箱館奉行所」の公式ホームページ
http://www.hakodate-bugyosho.jp/
まずは箱館奉行所の歴史と復元工事に関わる講演会で、基礎知識を注入して、見学会へ・・・。
箱館奉行所は、幕末の箱館開港により、江戸幕府が設置した蝦夷地を統治するための役所で、五稜郭は、この奉行所を守るために築造された。
しかし、その後、箱館戦争の際には、旧幕府軍の本拠地となり、明治4年(1872年)には開拓使によって奉行所庁舎を含むほとんどの建物が取り壊されてしまい、わずか8年の歴史で幕を閉じた。
それが、約140年を経て、全面積の1/3の部分が、この度4年掛けて再現された・・・。
太鼓櫓(左上)と大棟の懸魚と鬼瓦
襖を開け放つと72畳の広さになる大広間
一番広い部屋を支える太い梁
五稜郭と箱館奉行所について解説する「歴史再現ゾーン」
再現できなかった部分の部屋割り区画のみを地面に表示
○2008年11月の復元工事一般公開に参加したときのブログ
http://blog.goo.ne.jp/sakag8/d/20081103
○「箱館奉行所」の公式ホームページ
http://www.hakodate-bugyosho.jp/
太さ、長さ以外に、木質も問われますし・・。
でも、写真の梁、ひょっとして集成材ですか?
梁は、集成材ではなく、会津にあった松の一本物だそうです。繋ぎ目はありますが・・・。
港から3kmの距離は、設計当時は軍艦から大砲が届かない距離だったらしいですが、箱館戦争のときは、甲鉄という新政府軍の新しい軍艦からの大砲が、港から見えて標的になった太鼓櫓に命中したそうです。