癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

1日目 日本橋~1,板橋宿~2,蕨宿<合計18.7km>

2016年05月24日 | 登山・旅行
 家を7時過ぎに出て、JRで五稜郭駅から函館駅へ。さらに、直通バスで空港へ。9:00発ANAのシニア空割13,590円で、羽田へ。
 羽田からモノレールで浜松町、さらに浅草線に乗り換えて、日本橋到着。

 日本橋では、会社が近いとのことで、教え子のnaoさんが迎えてくれた。


11:30、naoさんにシャッターを押してもらって、スタート記念撮影


5街道の起点や現在の国道の起点を示す日本国道路元標識


老舗らしい風格の三越デパート


会社の近くまで10分ほど一緒に歩いてくれたnaoさんと別れ、国道17号線を北上。


途中の立ち食いそば屋で、かき揚げそばの昼食。ボリュームもあり、かきあげがとくに美味かった。


江戸総鎮守として、崇教を集めた神田明神


東大の赤門は、加賀前田家上屋敷の御朱殿門


真性寺の地蔵尊、江戸六地蔵のひとつ


13:40、国道17号線を離れて、旧街道の面影を残す巣鴨地蔵通り商店街へ。
ちょうど、とげぬき地蔵尊で有名な高岩寺の大祭で大賑わい。露店と人で歩くのがたいへんだった。


とげぬき地蔵尊で有名な高岩寺


近藤勇の墓だが、土方歳三の墓と連名になっている。永倉新八が、明治になってから建立したらしい。


そのまま旧街道の道幅のままの板橋商店街へと続く。下町商店街の風情がうれしい。


14:55、1つ目の板橋宿の石碑に到着。


15:15、再び国道17号線の歩きとなる。ここまでの1時間半ほどの間が、旧街道らしくて良かった。
まもなく、中山道3番目の志村一里塚。道路の向かい側にもあり、2基一対で現存する全国的にも大変貴重で、国の史跡に指定されている。


薬師の泉庭園。徳川吉宗が賞賛した清水が湧く。昔は街道の旅人の喉を潤す貴重な清水だった。


東京都と埼玉県の県境となる荒川に架かる戸田橋


戸田の渡し場跡碑
このあと、再び国道17号と別れて、旧街道の道へ。


緑の多さにホッとする下前公園通りのケヤキ並木


17:00、2次目の蕨宿の石碑


マンホールの蓋にも中山道蕨宿


蕨宿民族資料館と右側が本陣跡。
開館は16:30までだったが、通りかかって、話し掛けてきたお爺ちゃん(こっちも爺ちゃんだが)が、「北海道から来たんだから」と、無理矢理頼んで開けさせてくれた。
中には、昔の南北10町(1090m)の宿場の模型や宿や店の様子などが復原展示されていた。出てくるのをわざわ待っていたお爺ちゃんに感謝。蕨宿のことをいろいろ教えてくれた。

ここを今日のゴールとして、中山道から外れて、ホテルまで1.3km歩く。


17.30、予約しておいた蕨駅前の蕨パレスホテルへ到着。


まずはブログをアップし、近くの餃子の王将で夕食。揚げそばと餃子と生ビール1杯。

半袖の山シャツと山ズボンで歩き通した。昼は暑くて汗をかいたが、徐々に涼しくなり、後半は汗をかくことはなかった。とくに急がずのんびり歩いた。

【歩数計】36134歩(朝、家を出てから)
※距離は、ガイドブックに掲載されている宿場から宿場までの距離のみで、それ以外の、ホテルまでの往復などは含まれていないので、実際はもっと歩いている。

【諸経費】モノレール・地下鉄670円、昼食360円、麦茶129円、コピー20円、テーピング用テープ439円、夕食1338円、ホテル代(朝食付き)7000円。合計9956円。

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