癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

旧磯谷道を歩く

2012年05月08日 | 登山・旅行
  
<恵山側の入口から登って行くと標高100m付近に現れるお経岩
・・・堀川乗経が天保年間に書いた言われている「恵山名号」。彫刻し直したのは昭和35年>

 この磯谷道というのは、函館市と合併前の恵山町磯谷(現函館市御崎町・道々635号線の行き止まり)と椴法華村元村(現函館市元村町)を結んでいたという恵山の東側を通る幕末の頃からの旧山道である。現在は廃道になっている。

 以前から、車社会になる前には、恵山町海岸沿いの最終集落(御崎町)から椴法華に抜ける山越えの道は絶対あったはずと思ってはいた。それを道南の古道・旧道の探査研究をしているも~さんが、その道が掲載されている明治29年と大正4年の5万分の1地形図や江戸時代末期の文献をもとに、昨秋から今冬に掛けて自分の足で何度も探査し、その結果を整理して詳しくサイトに掲載している。

 今日は、その記録をもとに、恵山側からその磯谷道を恵山の椴法華コースの林道まで辿り、再び水無沢まで戻り、ホテル恵風まで下って、往復してきた。

 もちろん、標識などは一切ない。手がかりはも~さんの案内図と1~2m幅の深く掘れた旧道の痕跡だけである。も~さんの案内図には地形や等高線が入っていないので、現地確認ができず、ウロウロしたり、行きつ戻りつしたりするところが3ヶ所ほどあった。

 帰路、ホテル恵風の上の源泉?のところで作業をしていたホテルの関係者らしい50代の男性は、「小学生の頃、多分同じ道だと思うが、遠足で恵山の御崎町まで歩いたことがある。」とのことだった。

 帰路、磯谷峠を越えてから、も~さんの記録の東側コースへ入ったが、途中でお経岩の下で合流する道への分岐を見落としたらしい。戻って探すのも面倒なので、その先にも続く旧道らしい痕跡を下ったら、一本東側の沢の上に出てしまい、その右尾根の上に続く階段の道を下って道々へ出た。

 トータルで3時間40分ほどの探検もどきの旧道探査行を楽しむことができた・・・・。


<道々635号線行き止まり手前の岩田川沿いの道から上の沢を横切って右側の尾根へと登って行く>


<磯谷峠手前の標高200m付近から磯谷峠を越えて下る辺りは恵山岬灯台への送電線沿いを進む>


<コース上の一番高い標高235mの磯谷峠・・・右側に送電線が通っている>


<水無沢へジグを切って下る道>


<ホテル恵風の駐車場から越えてきた尾根を見上げる・・・中央左の平らなところを越えてきている>


<帰路の山中の道で採った今年初物のタランボの芽・・・当然、天ぷらとして夕食の食卓に上った>

 詳しい探査記録は、下記でどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com (アップ完了)