大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

ライトノベルベスト【大西教授のリケジョへの献身・4】

2021-12-27 06:16:14 | ライトノベルベスト

イトノベルベスト 

【大西教授のリケジョへの献身・4】   




 

 下着姿の明里に驚いたのは、若い父だった……。

「き、キミは……?」

「お、お父さ……?」

「え……?」

 どうやら、若い父は記憶を失ってしまっているようだった。

「信じられないでしょうけど、あたし未来から来たんです」

「未来から……?」

 大学のカフェテリアで、二人は話し合った。

 というか、明里がほとんど喋り、大西は聞き役だった。

 

 父である大西は、頭から否定をすることもせずに、静かに聞いてくれた。その純朴さに心を打たれながら、明里は事情を説明し、決定打を二つ見せようとしたとき、大西が感嘆の声を上げた。

「ボクの娘なのか、明里クンは」

「あ、血は繋がってないけど……信じてくれる前に、これ見てもらえます」

 明里は、研究室でコピーした瑠璃のスタッフ細胞の研究資料を大西に見せた。

「すごい……これはコロンブスの玉子だ。再生医療なんてSFの世界の話かと思っていたけど、これなら、可能だ……ただし、アメリカのスーパーコンピューターでもなければ無理だけどね」

「大丈夫かも。あたし、こんなの持ってきたの」

 明里は、タブレットを見せた。

「これは……?」

「どこまで使えるかは分からないけど、再生医療に関するデータは、出来る限り入れてきた。ちっこいけど、この時代のスパコン並の能力があるわ」

 明里が資料をスクロールさせると、大西は目を輝かせた。

「これで、お父さん、ノーベル賞とれるわよ」

「だめだよ。これは、物部瑠璃さんの研究なんだろ。横取りはできないよ」

「硬いのね、お父さん」

「そのお父さんてのは止めてくれないかなあ、実感無いし、人が聞いたら変に思うよ」

「そうだ、瑠璃さんに知らせなくっちゃ」

 記憶が無くなる恐れがある。そうなる前に伝えておかなければならないと思った。

「ごめんなさい。瑠璃さんのスタッフ細胞使って過去に来てるの。うん、再生能力はある。肌荒れもピアスの穴もなくなってた。それでね……」

「ちょっと貸して」

「あ、お父さん……大西教授と替わるから」

「ボクは、まだ助手だよ。もしもし、瑠璃さん、大西です……いいよ、帰れなくても。いや、明里はなんとか帰す。研究してみるよ。君の研究は進んでいる。ただしタイムリープ機能まで進歩してる。ボクは、ここに来て三十分ほどで記憶を無くしたけど、明里は、まだ記憶している。それに若返らない。若返り機能が生きていれば、明里は、この三十年前には存在しないからね」

「おとうさん……」

「それから、タイムリープに関しては……以上の修正を加えれば出来るはずだ、試して……切れた」

「電池切れ……」

「いや、一定時間しか繋がらないんだろう、ボクも同じようなものを持ってる」

「そのスマホで……」

「繋がらないだろう。もっともボクは、操作方法忘れてしまったけどね」

 それから、数ヶ月、明里は若い血の繋がらない父といっしょに暮らした。そして、大西は未来へ帰れる薬の開発に成功した。

「あ、お帰りなさい」

 珍しく、大西は早く帰ってきた。

「珍しく早いのね、夕食の材料買ってくるわね」

 財布を掴んで、出ようとしたら、腕を掴まれた。

「夕食は、三十年後までお預けだ」

「え……どういうこと?」

「いいことがあったんだ、まずは乾杯しよう」

 大西は、買ってきたシャンパンを開けた。

 ポン!

「キャ!」

 栓の抜ける音に、明里は一瞬目をつぶった。

「ああ、こぼれる、こぼれる……」

 大西は、キッチンに行き、ぶきっちょにシャンパンをグラスに注いだ。

「なんなの、良い事って?」

「仕事上のこと、まずは乾杯!」

「そうだね、じゃ……」

「「乾杯!」」

 二人の声が揃った。

「で、なんなの、準教授にでもなれたとか」

「準教授?」

「ああ、この時代じゃ助教授かな」

「実は……完成した、未来へ帰れる薬が。鮮度が低い、今すぐ飲んで、明里は未来に帰るんだ」

 明里の目から涙が溢れた。

「……分かった。薬を貸して」

「一気に飲むんだぞ。そして2021年12月を念じるんだ!」

「うん」

 そう言うと明里は、受け取った薬を床に流した。

「明里……!」

「あたし、未来になんか帰らない。あたし……お父さんのお嫁さんになる。血が繋がってないんだから、大丈夫」

「……そうなるんじゃないかと思った」

 大西は、別のポーションを出した。

「あたし、絶対に飲まないから!」

「これ、ヤクルト。明里の薬は、シャンパンに入れておいた。もう効いてくる頃だよ」

「お父さん!」

 大西の胸に飛び込んだ明里は、大西の体をすり抜けてしまった。

「ボクは、瑠璃クンの研究が完成されれば、それでいい。そして……明里は、自分の時代に戻って、もっと相応しい人を見つければいい」

「お父さん……」

「ボクは、この時代でやり直す」

「お母さんなんかと結婚しちゃだめだよ」

「お母さんとは結婚するよ。しなければ、お母さんは明里を堕ろしてしまう……大丈夫……」

 言葉を継ごうとしたとき、明里の姿は消えてしまった。

「……初雪か」

 窓の外には三十年後と変わらない雪が降っていた。大西にはひどく新鮮なものに見えた……。

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ライトノベルベスト【大西教授のリケジョへの献身・3】

2021-12-26 05:41:21 | ライトノベルベスト

イトノベルベスト 

【大西教授のリケジョへの献身・3】   

 




 明里は夜を待っていた。

 研究室の中は、何度か来て様子が分かっている。

 廊下には監視カメラはあるが、研究室にはない。幕下大学の予算上の問題なのか、研究の秘密を守るためなのかは分からない。

 明里は、LEDのライトにブルーのセロハンを被せ、部屋の目的の場所に向かう。狭いロッカーに夕方から籠もっていたので、体のあちこちが痛い。

「イテテ……これね、スタッフ細胞は」

 これだけの大発見の研究対象を、ほとんどセキュリティーなしで保管している。

 大学も瑠璃の助手という身分の軽さ、若さ、そしてまだまだ動物実験の段階であることなどで、マスコミが騒ぐほどには関心を持っていない。失踪した大西教授のことも半年の休職期間が過ぎれば退職処分にする予定だ。

 だから、明里は半月ここに通い、研究室の内部や、機器の操作を覚えていった。父を取り戻すために。父が退職になれば、大学を続けることも難しくなる。人より少し見場がいいというだけの母は生活能力はゼロである。

 カチャリ

 コピーした鍵で、スタッフ細胞の保管庫はあっさり開いた。

 覚えたマニュアル通り、左腕の皮膚にチクッと針をたて、切手大のスタッフ細胞の膜を貼り付けた。薄い膜は血を吸って、ピンク色になったかと思うと、数分で、皮膚と同化した。

 一瞬不安がよぎる。

―― 二十歳のあたしが、三十年まえに戻ったら、赤ちゃん以前……存在さえしなくなるんじゃ ――

 でも、明里は好奇心と欲望と、もう一つ訳の分からない感情に身を任せた……。

 朝日のまぶしさに気が付くと、同じ研究室の床に寝転がっていた。

「失敗?」

 思わず声が出たが、見渡した研究室の様子が少し違った。

 机や椅子に木製のものが混じっている……机の上にパソコンやモニターがない……そして決定的だったのはカレンダー。

 日付は1985年、昭和60年の5月になっている。

「か、鏡……」

 立ち上がると、すぐ洗面の鏡を見た。心配していた消滅は起こっていなかった。

 そして微妙に変化があった。

 おでこに出来ていたニキビがきれいに無くなっている。頬に触れると不摂生からきていた肌荒れもなくスベスベになっていた。ネイルカラーが無くなり5ミリほど伸ばしていた爪はきれいに切りそろえられていた。耳のピアスの穴も無かった。床を見ると、渋谷で買った星形のピアスが転がっている。

 そして、暑いことに気が付いた。夕べは2021年の2月にいたので、ダウンジャケットにムートンのブーツである。

 明里は、ダウンジャケットを脱いで、ブーツを誰のものともしれないサンダルに履きかえた。

 しかし、まだ暑い。

 モコモコになるのが嫌いな明里はジャケットの下は厚着はしない。それでもタイツと、シャツの下のヒートテックは暑苦しい。

 時計を見ると、まだ7時過ぎ。こんな時間に来る者もいないだろうと、タイツを脱いで、ヒートテックを脱いだところで、研究室のドアが開いた。

「あ……」

「う……」

 明里の上半身は、ブラ一枚だった。

 で、その姿に驚いたのは、写真でしか見たことのない若い日の父であった……。

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ライトノベルベスト【大西教授のリケジョへの献身・2】

2021-12-25 05:59:03 | ライトノベルベスト

イトノベルベスト 

【大西教授のリケジョへの献身・2】   




 

 物部瑠璃のスタッフ細胞は、ラット実験の段階だった。

 スタッフ細胞は、簡単な細胞の操作で、どんな細胞や器官でも作れるというシロモノで、再生医療の新時代を切り開く可能性を秘めていた。

 大西教授は、長年の勘で、このスタッフ細胞はとんでもない力を持っていると確信した。

 なんとか、瑠璃の業績を広く世に出してやりたい一心で、自分の身体で実験してみることにした。

 自分の腕から取った細胞をスタッフ細胞化し、それを自分に移植したのである。

「お早うございます……」

 瑠璃は、いつものように教官室に入り、いつも自分より早く来ている大西教授に挨拶した。

 

 が、返事が返ってこない。

 

「あれ?」

 と思うと、実験室に通じるドアが開いていることに気が付いた。

 瑠璃は実験着であるお祖父ちゃん譲りの白衣を着て実験室に足を踏み入れた……まるで人の気配が無かった。

 しかし、大西教授のデスクには、プレパラートやシャ-レが置かれ、今の今まで教授がいたような雰囲気であった。椅子の座面に触れると、ほのかに暖かかった。

 なにか、用事で席を外したんだろうぐらいに思って、瑠璃は二秒で教授のことは忘れてしまった。彼女の仕事への没頭ぶりもはんぱではない。

 気づいたのは、昼前だった。

 昼食のため席を立とうとして、電源を切っていたスマホのスイッチをいれた。留守電が一件入っていた。再生するととんでもないものが入っていた。

「これなんです。聞いて下さい」

 大西教授は夕方になっても姿が見えないので、瑠璃は教授の妻と娘を呼んだ。

――瑠璃クン、大西だ。実験は成功した。だけど、とても変なんだ。ここは三十年前の研究室なんだ――

「イタズラじゃないんですか、うちの主人じゃないですね、声が若いし、三十年前だなんて」

 妻は、関心を示さなかった。

「もう一度聞かせてください」

 娘の明里(あかり)は引っかかった。明里は、父とは疎遠であったが、大学生になってからは、大学の事情も分かり、父への反発心は薄れていた。ただ、血のつながりが無いことで、後一歩馴染めずにいた。

「どうですか?」

「……良く分からない。でも何かあったら、あたしに知らせてください」

 スマホには、それ以来かかってくることは無かった。教授も戻ってはこなかった。大学は、教授を失踪したものと考え、とりあえず休職扱いにした。

 

 気になった瑠璃は、携帯電話の音声分析を音響学をやっている仲間のところでやってもらった。

「声は若いけど、声紋検査……大西先生と一致」

「どういうこと?」

「分からない。ただ、他にもね、微かに時計の音や、車の音が入ってるでしょ」

「そう、聞こえないけど」

「増幅してみるわね」

 友人はイコライザーのフェーダーを操作した。確かにアナログ時計と、車の通過音が入っている。

「時計は、セイコーの電池時計。今は生産されていないわ。いまの研究室のは電波時計だし……それに、走ってる車、エンジンの音がみんな三十年以上前のものばかりなのよ」

「というわけなんです……」

「それって……?」

「よほど、大規模な音響トリックを使わないと、出来ないことです」

「お父さん、口には出さないけど、だいぶ大学に不信感があったんじゃないかしら」

 明里は、少し的の外れた推理をした。

「大西先生は、そんな人じゃないわ。特認教授での残留も、ほぼ決まっていたし」

 二人の思考は、そこで停まってしまった。

 明里は話題を変えた。

「瑠璃先生の研究は進んでるんですか?」

「進んでるってか、足踏みね。このごろ実験用のラットが……」

 瑠璃は、言葉を濁した。その分明里の感覚が鋭くなった。前回来たときよりもラットの数が減って、何匹かは入れ替えられていた。

 そして、それは直感だった。

 スタッフ細胞には、大きな副作用……多分、若返ると同時に過去に戻ってしまうんじゃないだろうかと。

 明里は、大胆なことを考え始めていた……。

 つづく

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上からグリコ 幸子のクリスマス

2021-12-24 19:35:55 | ライトノベルベスト

クリスマス短編小説


からグリコ 幸子のクリスマス

 


 久々の休みだ。

 この日を逃せば正月まで休みは取れなかっただろう。

 就職して初めて有給休暇をとったんだ。

 梅田でも有数の大型書店に勤めているわたし、公休日と指定されたシフト上の休み以外は休んだことがない。

 それにしてもクリスマス明けの戎橋が、こんなに冷えるとは思わなかった。

 ほんの十数メートル行けば心斎橋商店街のアーケード。

 あそこならかなり違っただろう。でも、この春に大洗から出てきたわたしは、大阪の地理には不案内で、ミナミと言えばここしか思い浮かばなかった。

 キタの梅田なら、いくらか知っている待ち合わせ場所はあったけど、職場の近くでは、誰の目につくか分からず、ここにした。

 戎橋。

 通称「ひっかけ橋」 

 ナンパ男が多いことで有名だけど、実際は橋の南に大型の交番もあって、見晴らしもいいので、アベックが待ち合わせにしていることも多い。しかし、それは冬という条件を外してのことだ。

 とにかく寒い……。

 他にも何人か橋の上で人待ち顔でいる者はいるんだけど、ざっと見て男の子が多い。

 高校生らしい一群が、さっきまで向かいにいたが、今は、その気配もない。みんな足早に橋の上を通り過ぎていく。


 ちょっとね、三人称的に思ってみよう。


 その方が、いろいろ凌げる。

 ……それから幸子は人並みに背を向け、川の方を向いている。

 変な男たちに声を掛けられないようにするためだ。
 
 幸子は、小林を待っている。

 正確には小林雄貴……大洗の高校時代、三年間同じクラスだった。

 中学も同じで、中学生のころから呼び名は「小林」だった。

 君を付けたり、下の名前で呼べば一気に距離が縮まる。それを恐れて、ずっと「小林」で通してきた。大洗は人口二万に満たない小さな町だ。好きになっても振られてもすぐに噂になる。だから、ずっと「小林」で通してきた。

 それでも気持ちは通じていると思っていた。大学にいくまでは……。

 幸子も小林も、大学は東京だった。

「大学は、どこ受けんの?」

「東京の大学……サチは?」

「わたしも東京……」

 そう言えば、受験する大学の名前ぐらい教えてくれると思った……でも、小林はなにも言わなかった。だから自分が受ける大学も言いそびれた。

 東京に行ってからはバカみたいに思えたけど、幸子は小林の番号も知らなかった。

 ハンパに中学時代からの知り合いなので聞きそびれた。

 聞けば一歩踏み出してしまうようでできない。

 でも、もう卒業なんだから聞けばよかった。

 でも聞いて一歩踏み出せば、当然答えが返ってくる。

 NOと言われるのが……そう言われて傷つくのが、傷ついた自分を見られるのが嫌で、聞くことができなかった。


 東京に行ってから、風の便りに小林が防衛大学に入ったことを知った。


 ああ、言えないはずだ……と思った。震災のあとは自衛隊に対する認識も少し変わったけど、狭い町で、当時は、まだ完全な市民権を得た言葉ではなかったよ。

 現に高校の社会科の先生達は揃って、いわゆる市民派。中には正式な党員もいるというウワサだった。

 幸子はS大学の英文科に進んだ。ルイスキャロルに凝って卒論もイギリス児童文学だった。在学中にアメリカにもイギリスへも行った。

 だけど根っからの人見知り……というほどでもなかったけど、人間関係がヘタクソで、東京で知り合った男も何人かいたけど、そのヘタクソが災いして、恋人はおろか友だちと呼べる相手にも恵まれなかった。

 それに、S大の英文科を出ていながら、第一希望の商社を落とされ、大型とはいえ書店の店員になったことを妹の沙也加などは正直にがっかりしていた。

「やっぱ、大洗じゃ、しかたないか……」

 病院のベッドで一年近く過ごしている妹に言われたのはコタエタ。

 それが表情に出たんだろう。

「せめて、カッコイイ恋人でもつくるんだよ!」

 生意気な顔で言われ、正直者のネガティブ幸子は、あいまいに苦笑するしかなかった。

 小林と再会したのは、彼が店の客として来たところだった。

「あ、ちょっとすみません」

 珍しい標準語が、在庫点検している背中にかけられた。

「あ、どうぞ……」

「どうも…………あ、幸子じゃないか!?」

「あ……こ・ば・や・し」

 閉店の時間が近く、時間を決めて、近くの喫茶店で待ち合わせた。

 さすがにスマホの番号交換なんかは簡単にできたけど、会うことがなかなか出来なかった。

 幸子は基本的には土日の休みはほとんどない。逆に小林は土日が基本的に休みだったが、配属された部隊が防衛費の削減やら、人員不足などで、新品三尉はなかなか休みもとれなかった。
 
 小林は、幸子に本の注文というカタチで付き合ってくれた。

 月に一度注文をした本を受け取るということで会いにきてくれた。そして三度目になる先月小林は踏み込んできた。

「いっしょにメシでも食おうか?」

「え……あ、うん」

 で、この戎橋に二十分前から立っている。

 別に小林が遅刻しているわけではない。幸子が二十五分も早く着いてしまったのだ。だからスマホで「早く来い」とメールを打つこともできないでいる。

 そんな幸子を、グリコが見下ろしている。

 陽気に両手を挙げている姿は、幸子を励ましているように見えた……最初は。二十分たった今は、なんだかオチャラケタ吉本のタレントにイジラレているようだった。

―― 上からグリ~コ サディスティックなやつめ♪ ――

 だいぶ前のヒット曲が替え歌になって浮かんでくる。

 センスの悪さに、自分で苦笑する。実際テレビの取材で吉本のタレントが書店に来たことがあった。店のスタッフは陽気に調子をあわせて「そんなアホな」とかカマしていたが、とても幸子にはできなかった。

 ついさっきも、アメリカの東部訛りの英語が聞こえた。

 アメリカ人が道に迷ったようだ。どうやら上方芸能博物館に行きたがっているようだった。「What can I do for you?」と喉まで言葉が出たが、自分自身、上方芸能博物館を知らない。当然、そこらへんの日本人に声をかけなければならないが、その億劫さが先に立って声をかけられなかった。

「バンザイやな、ネエチャン」

 グリコにそう言われたような気がした。

「What can I do for you?」

 いきなり真横で声がした。

 いつからいるんだろう。白ヒゲの外人のおじいさんが、幸子の横で同じように橋の欄干に手を置いて話しかけてきた。

「…………」

 幸子は固まってしまった。

「驚かしちゃったね。キミは英語のほうがフランクに話せるような気がしたんでね」

 幸子は、さらに驚いた。おじいさんの口は英語の発音のカタチをしているけど、聞こえてくるのは日本語。まるで、映画の吹き替えを見ているようだ。

「キミは鋭いね。口の動きが分かるんだ。翻訳機能を使ってるんで、キミには日本語に聞こえている」

「失礼ですけど、あなたはいったい……」

「ついさっき、仕事が終わったところでね……あ、わたしはニコラス。よろしく」

 おじいさんは機嫌よく右手を差し出してきて、自然な握手になった。

「わたし幸子です。杉本幸子」

「幸子……いい名前だ。ハッピーキッドって意味だね」

「あんまりハッピーには縁がありませんけど」

「いいや、もうハッピーの入り口にいるよ……」

「……なんだか温かい」

「ね、そうだろう?」

「おじいさん……」

「そう、キミの頭に一瞬ひらめいた……それだよ、わたしは」

「サンタクロ-ス……!?」

「……の一人。わたしは西日本担当でね。東日本担当のサンタと待ち合わせてるんだよ」

「ほんとうに?」

「ああ、こうやって、わたしの姿が見える人間はそうはいない……おっと、川のほうを見て。他の人間には、わたしの姿は見えない。顔をつきあわせて話したら変な子だと思われるよ」

 たしかに、二三人が幸子のことを変な目で見ていった。

「あの……ほんとにプレゼントとか配ってまわるんですか?」

「こんな風にやるんだよ……」

 グリコの両手の上に大きなモニターが現れた。

 モニターには無数の名前が現れては、スクロールされていく。よく見ると、サンタのおじいさんがスマホの画面を操作するように指を動かしている。

「これで、管理しているんだ……いろんな条件を入力して、親やそれに代わる人間やNPO、そういうのにプレゼントを子どもにやりたい気持ちにさせるんだ」

「世界中ですか?」

「一応ね……でも、サンタも万能じゃない。行き届かないところがどうしても出てくる。ほら、あの薄いグレーで出てくる子は間に合わなかった……ほら、これなんかアジアのある国だけど、90%以上の子がグレーだ」

「あ、消えていく名前がある……」

「いま、命を終えた子たちだよ……」

 痛ましくて見ていられないのだろう、サンタは、すぐに日本にもどした。

 さすがに日本のはグレーは少ない、ほとんどの名前が青になっていた。ところどころ違う色がある。

「あの緑色はなんですか?」

「ああ、あれはモノじゃなくて、目には見えないプレゼントをもらった子たちだよ」

「目に見えない……?」

「ああ、家族そろっての団欒(だんらん)や旅行。進学なんてのもある」

「……わたしも、それもらったんじゃないかしら。親が東京の大学行くのを賛成してくれたのが、クリスマスの夜だったんです」

「ああ、多分、東のサンタの仕事だろうね……2008年……大洗、SACHIKO SUGIMOTO これだね」

「でも、大洗みたいな田舎にも、ちゃんと来てくれるんですね」

「やりかたは色々……ほう、東日本は、こんなことをやったんだ」

 大洗――GIRLS und PANZER モニターには、そんな見覚えのある文字がうかんでいた。

「あれって、コミックですよね、略称『ガルパン』うちの店でも扱ってる……そうだ、大洗が舞台になってるんだ!」

「そう、アイデア賞だね。これで町おこしのイベントにもなったしね」

 幸子は、妹が送ってくれたメールを思い出した。サンタは、さらにスクロ-ルを続ける。

「すごい数ですね」

「ああ、取りこぼしがないようにチェックするのが大変でね……」

「でもガルパンなんかだったら、大人にもプレゼントになりますね」

「でも、結果的に子供たちが喜ぶことならね……」

 サンタは、自分の担当の西日本を出した。

「お、一つ取り残していた。わたしとしたことが!」

「あ、あのピンク色ですか?」

「うん、これは東西にまたがる特殊なケースで、モニターに出るのが遅れたんだな。この子をガッカリはさせられない」

 サンタは、クリックするように人差し指を動かした。

 名前を読もうとしたら消えてしまった。

「あ……」

 そう思ったら、サンタのおじいさんの姿も消えてしまった。そして、頭をコツンとされた。


 振り返ると小林が、右手をグーにしたまま立っている。


「なにボンヤリしてんだ、赤い顔して」

 幸子は、両手で自分のホッペを隠した。

「そういう仕草は昔のまんまだよな」

「もう……」

「ごめんな、少し遅れた」

「そんなことないよ、時間ぴったり」

「俺たち自衛隊は五分前集合が当たり前。待ったか?」

「う、うん。ちょびっとだけ」

「じゃ、蟹でも食いに行くか」

「アンコウ鍋がいい」

「そうだな、古里の味だな」

 小林は、スマホでアンコウ鍋の食べられる店を検索した。

「目標発見。行くぞ!」

「うん、雄貴!」

「……初めて下の名前で呼んだな」

「え……あ、ほんと」

 わたしは一歩踏み出せた。あのサンタのおじいさんのピンクは、わたし……つまり妹の沙也加のじゃないかと思ったのは、明くる年雄貴から指輪をもらったことを妹に伝えたときだった。

「お姉ちゃん、おめでとう!」
 
 そういえば、あの時、二人を上からグリコが見送ってくれていたような気がした……。 

 

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ライトノベルベスト【大西教授のリケジョへの献身・1】

2021-12-24 07:08:09 | ライトノベルベスト

 

イトノベルベスト 

【大西教授のリケジョへの献身・1】   



 大西教授は今年定年退官である。

 助手時代から営々三十四年間、幕下大学の生物学研究室で地味に勤め上げた学究の人である。

 ただ、人間関係がヘタクソで、かつ謙譲の精神の体現者……と言えば聞こえはいいが、研究成果を人にパクられても文句一つ言わない。また、人が実験に困っていたりすると、まるで我がことのように熱心に協力。時に教授の力により研究成果が上がっても、人はめったに大西教授に感謝せず、また教授も、それでいいと思っていた。

「これで幕下大学が世に認められ、生物学や医療科学が進歩するのなら、それでいい」

 そう思ってニコニコしていた。

 しかし、そんな人のいい教授であるのに家庭的にも恵まれることがなかった。

 

 大西教授は晩婚であった。

 

 四十を超えた準教授のとき、当時、まだ健在であった母親が心配し、お見合いパーティーに連れていった。

 当時は明石家さんまやビートたけしが全盛の時代で、トレンドは、面白い男だった。芸人さんたちがとんでもない美人を獲得したりしていて、真面目だけで風采の上がらない男は見向きもされない。

 口下手な大西準教授は、一人片隅でウーロン茶を飲んでいるしかなかった。母親と世話をしてくれた母の知人のメンツを立てれば十分と思い、今回の見合いで、母が諦めてくれればと願っていた。

 大丈夫、運動音痴で非力な僕だけど、大した病気もしなかった。死ぬまで母さんの面倒はみられるから。

 そう思うことで、穏やかに充足する准教授であった。

 そんな大西準教授に目を付けたのが、今のカミサンである。

 カミサンは、そのお見合いパーティーでは一番華のある美人で、大西準教授よりも一回りも年下であった。

 カミサンは、準教授という肩書きに惚れた。そして、いいカモであると思ったのだ。

 男関係が派手だったカミサンは当時妊娠していたが、父親が誰か分からなかった。可能性のある男五人に「あんたの子よ」と迫ったが、偶然五人とも同じ血液型で、当時の技術では、誰が子どもの父親であるか絞り込めなかった。

 で、カミサンは、高学歴でハイソな男しか集まらない、このお見合いパーティーに参加したのだ。

 しかし、情報が流れてしまっていた。

 五人の男のだれか、ひょっとして何人かがリークしていた。で、主だった男性参加者は、その事実を知っており、最初から彼女を敬遠していた。

 そして、大西準教授は、カミサンと結婚することになってしまった。

 知り合って、半月で肉体関係……下戸の大西準教授は、目が覚めた時の状況で、そう思いこまされていた。

 そして、お腹が目立たないうちにということで、一カ月で挙式。七カ月後には、早産にしては大きな女の子が生まれた。人のいい大西準教授は、すっかり自分の娘だと信じて可愛がった。

 娘とは、小学校の高学年までは、うまくいっていた。

 

 父子ともに実の親子だと、思いこんでいたからだ。

 ところが、娘が六年生の時に交通事故に遭い、詳しい精密な血液型が分かった。

 え、そんな……

 大西準教授は、初めてハメられていたことに気が付いた。

 愕然とした大西準教授は一瞬人間不信に落ち込んだが、十二年間娘に注いだ愛情は不信を凌駕した。

 そうだ、娘に罪は無い。

 そしてカミサンにものっぴきならない事情だったんだろう……そう理解し、何事もないように家族三人の生活を続けた。

 

 これで万事うまくいくはずであった。

 ところが、カミサンは、あろうことか、そんな亭主に苛立ってきた。

 元来は良心の呵責であるべきだったが、いら立ちに転訛させてしまったのだ。

 大西準教授は、その性格が災いして五十を超えても教授になれていなかった。カミサンは、それを亭主の不甲斐無さのせいだと思い、事あるごとに当たり散らし、ある日、酒の勢いで娘に真実を言ってしまった。

「あんたねえ、お父さんの子じゃないのよ」

「え……マジ?」

「マジ」

「…………」

 娘は、それから絵に描いたような不良になってしまい、大西準教授は、所轄の警察と仲良くなるほどの不幸に見舞われた。

 大西準教授は、仕事に没頭することで気を紛らわせた。そして、彼によって業績をあげられた後輩たちが大学に働きかけ、やっと一昨年教授になれた。

 カミサンと娘は、退官されて収入が減ることを恐れ、特認教授として大学に残ることを勧めた。

 まあ、研究さえ続けられれば……それもありか。

 そんなとき、研究室の若きリケジョである物部瑠璃が、スタッフ細胞の開発に成功した……。

 つづく

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ライトノベルベスト『メゾン ナナソ・7』

2021-12-23 06:28:24 | ライトノベルベスト

イトノベルベスト 

『メゾン ナナソ・7』   

 

 

 

 志忠屋の多恵さんから葉書が来た。

 

 なんとか大学に入って半年、志忠屋にもご無沙汰だ。

 

―― たまにはお越しください、奈菜さんも、どうしてるのかなあってカウンターで呟いてますよ ――

 

 奈菜さんに会いたい!

 

 思いが付き上げてきて、スマホでここんとこの予定を確認した。

 週三回のバイトと、前期にどうしても出ておかなければならない講義を確認。

 文学論と国史概説……選択教科だし、講義はつまらないし、レポートの締め切りは迫ってるし、この二つをブッチすれば時間のやりくりはつく。

 

 あくる日、一講時目だけ受けて志忠屋に急いだ。

 

「あら、残念、たった今まで奈菜さん居たのよ」

 ランチのピークを過ぎて洗い物に精を出していた多恵さんが残念そうに言う。

「あ、じゃ、追いかけてみる」

「あ、待って。お昼まだなんでしょ、オニギリ持ってきなさい」

「あ、すみません」

 お代を払おうとしたら「まかないだから」と言ってサービスしてくれた。ペコリとお辞儀をして、川沿いの道を急ぐ。

 あれから、何度かメゾン・ナナソを探りに、ここいらを歩いてみたけど、いっこうにたどり着けないでいる。でも、女の足だ、速く歩けば追いつけないことも無いだろう。

 しかし、追いつくと言うのは道が分かっていて言えることだ。

 不案内な道をやみくもに歩いていては追いつけるもないだろう。

 

 諦めの気持ちが空腹感と共に湧いてくる。

 

 曲がったところに小公園が見えたので、ブランコに腰かけてオニギリの包みをあける。

 オニギリ二個にお新香、焼きのりが別になっていて、これで巻いて食べろということだ。

 ソヨソヨとブランコを揺らしながらオニギリを頬張る。

 焼きのりの香りと食感、ヒンヤリしたご飯が心地い。具は肉厚の塩昆布。肉厚だけど、柔らかいので食べやすい。

 もう一個のオニギリは、多分焼き鮭だ。

 そう思って咀嚼していると、植え込みの向こうに道が開け、道の向こうにメゾン・ナナソが見えた!

 

 見つけた!

 

 感動して立ち上がると、包みのオニギリが地面に落ちて、数回転がったかと思うとバラバラになって、中の具が出てしまった。予想通りの焼き鮭なので『当たった!』とは思ったが、砂粒とゴミにまみれては食べられないだろう。

 と、そこに一匹の猫が飛び出してきて、焼き鮭をかっさらって行ってしまった。

 あーーーーーついてねえ。

 ため息ついて顔をあげると、ついさっきまで見えていたメゾン・ナナソが道ごと見えなくなってしまっている。

 幻だったのか……?

 

 ニャーーー

 

 さっきの猫が、公園の入り口で鳴いている。思わず殺気のこもった目で見てしまう。

『まあ、怒るな。ナナソへの道なら教えてやる』

 猫が喋る不思議さも忘れて時めいてしまう。

「ほんとか!?」

『今日は急ぎの用がある、こんど教えてやるから、楽しみにしてろ。じゃ、焼き鮭おいししかったぜ』

 それだけ言うと、クルンと身をひるがえして消えてしまった。

 仕方なく、あたりの写真を撮って家に帰った。

 

 

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ライトノベルベスト・『メゾン ナナソ・6』

2021-12-22 05:26:37 | ライトノベルベスト

イトノベルベスト 

『メゾン ナナソ・6』   

 

 オジサンともオニイサンともつかない人がナナソの壁のペンキ塗りをしている。

 なんだかとても楽しそう、ピンクレディーの歌をいい喉で歌いながら、見事なハケ遣いだ。

 

「あの、ペンキ屋さん……」

 奈菜さんの姿が見えないので、ペンキ屋さんに声を掛けた。

「あの、ペンキ屋さん!」

「え……俺のことかい?」

「他にペンキ塗ってる人いませんから」

「は、ちげえねえ……その時なの~君たち帰りなさい~と(^^♪」

 ペッパー警部の一節を歌いながら、楽しげに続けている。

「ねえ、ペンキ屋さん。奈菜さん……管理人さん、どこに行ったか知りませんか?」

「さあね、おいら、ペンキ塗るのに熱中してたから分かんねえな……それから、おいらペンキ屋じゃねええからね」

「え、じゃあ、なんでペンキ塗ってるんですか?」

「ハケで」

「あ、そういうことじゃなくて」

 なんだか楽しげな、ペンキ屋モドキだ。

「おれ、ここの住人。白戸っての。ペンキ塗りは、おいらの趣味……畳の色~がそこだけ若いわ~(^^♪」

 歌はいつのまにかキャンディーズに替わっていた。とにかく楽しそうで、ほとんど会話にはならない。

「そんなに楽しいですか?」

「おうよ、多少ガタがきてても……あ、これは奈菜ちゃんにはないしょ。こうやってペンキかけるとなんだか自分まで楽しいって気になる。そこんとこがたまんないね……おかしく~って、涙が出そうよ(^^♪」

 なんだか、ボクもやりたくなってきた。

「白戸さん、ボクにもやらせてくれません」

「冗談いっちゃいけねえよ。こんな楽しいこと、おいそれと人様にやらせられるかって……好き~よ 好き~よ こんなに好き~よ(^^♪」

 ボクは、もうたまらずにハケを持って足場に乗ってしまった。

「あ、もう、勝手に……そんなにやりたいの?」

「え、うん。それに塗ってる方が、白戸さんと話できそうだし。塗ってるうちに奈菜さん帰ってきそうだし」

「しかたねえなあ……じゃあ、おれ向こう側の塗り残しやっつけてくるから、ここ頼むな。すぐに終わるから、いっしょにコーラでも飲もうぜ」

 そう言って、白戸さんは、ナナソの向こう側に行った。

 ……ところが、待てど暮らせど白戸さんは現れない。

「白戸さ~ん……」

 向こう側に行ってみると、白戸さんの姿もペンキを塗った形跡もなかった。

 白戸さーん!

 奈菜さんが、白戸さんを呼ぶ声がしてナナソの正面に回った。

「白戸さん、向こうを塗ってくるって、それっきり」

「で、なんでキミがペンキ塗ってるわけ?」

 アハハハ……。

 管理人室で、コーラを飲みながら、奈菜さんと大笑いになった。

「白戸さんはね、家賃貯めちゃって、その代わりにナナソのペンキ塗り買って出たのよ。まあ、それで差引つけようって、コーラまで買ってきたんだけどね」

「あんちくしょー!」

 ボクは二階の「白戸」と張り紙のされた部屋に向かった。ドアにカギはかかっていなかった。

「やられたわね……」

「いいんですか?」

「いいのよ、ボランティアみたいな管理人だったし」

「だったし……どうして過去形なんですか?」

「もう、住人は、だれもいないから」

「誰もって……クミちゃんと大介くんとかは?」

「あの二人は、お風呂屋さんに行ったきり帰ってこない」

 奈菜さんは筋向いの部屋を指さした。そのドアには「空室」の張り紙がされていた。いや、二階の部屋全てに貼ってあった。一階の住人は、とうに誰もいない。ナナソは奈菜さんだけになってしまった。

「まあ、広すぎるけど、あたしの書斎ね、このナナソは……どう、越してこない? もう家賃なんか、どうでもいいから」

「ええ……」

「まあ、考えてみて」

 ボクは、一晩考えて、ナナソに行った。

 ところが、ナナソのあった場所はコインパーキングになってしまっていた。周りの景色もガラッと変わっている……。

 いま思い起こすと、ナナソは、ちょっと変わっていた。奈菜さんはじめ住人の人たちはスマホはおろか携帯も持っていなくって、管理人室の前にピンクの電話があるきりだった。テレビもアナログの箱型だったし……。

 なんだか長い夢を見た後のようだった。

 ひょっとしたら、昨日の返事次第では、夢の向こう側にいられたような気がした。

 

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ライトノベルベスト『メゾン ナナソ・5』

2021-12-21 06:27:17 | ライトノベルベスト

イトノベルベスト 

『メゾン ナナソ・5』   
 

 

 めずらしく二階からギターの弾き語りが聞こえている。

「ああ、よっちゃんがツアーから帰ってきたの」

 奈菜さんは、お茶を入れながら心持楽しそうに言った。

「ツアーって、ミュージシャンなんですか?」

「そうよ。メジャーじゃないけど、もっと売れてもおかしくない人だと思ってる。どうぞ、相変わらずのお番茶だけど」

 奈菜さんが出してくれた番茶に茶柱が立っていた。

「お、茶柱」

「あら、ほんと。いいことあるかもね」

「いいことが、やってきました」

 気づくと、管理人室の受付の窓に、よっちゃんの顔が覗いている。

「溜まってた三か月分の家賃です」

「どうも、よっちゃん忙しいから、なかなか会えないもんね。ま、入ってよ」

 奈菜さんは、互いの紹介をしながらお茶を淹れなおした。今度は茶柱は立たなかった。

「ツアーって、どんなとこを回るんですか?」

「どこでも。今度は関西中心だったけどね。歌声酒場とか大学の学園祭とか……たまには結婚式の余興ってこともあるけどね。これは実入りがいいの。それが二件あったから、でね、聞いてよ。二件目の結婚披露宴にレコード会社の人がいてさ。今度ゆっくり曲を聞かせて欲しいって!」

「よかったですね!」

 パチパチパチパチ

 ボクと奈菜さんは、揃って拍手した。

 ボクが帰るのに合わせて、よっちゃんはギターを持って付いてきた。

 

「ちょっと遠回りして、大川の土手にいこうよ」

 大川の河川敷は、今にも寅さんや金八先生が出てきそうな、ゆったりした時間が流れていた。

「キミは、大学に入ったら何をしたいの?」

「ええと……」

「まさか勉強なんて言わないでしょうね。そんな名刺みたいな答えだったら軽蔑だよ」

「笑わないでくださいね……作家になりたいんです」

「すごいじゃん。なんとなくなんていったらはり倒してやろうと思った。で、もうなにか書いてるの?」

「まだ、プロット程度のものばっかですけど……」

 ぼくは、二つプロットを話した。その場に合ったものがいいと思って大川の土手が舞台になっている話をした。よっちゃんは、とても喜んでくれた。

「肉付けは大学に入ってからだね。とにかく入らなきゃ話にならないもんね。勉強もしっかりやれよ!」

「なんだか、さっきの言葉と矛盾だ」

「んなことないよ。物事には、順序と程度ってものがあるから。それ胸に刻んでりゃ、きっと開けてくるものがあるわよ……」

 よっちゃんは、遠くを見るような眼差しになった。トンボが、その前をよぎった。

「あたしの歌聞いてくれる?」

 返事をしようと息を吸い込んだら、もうギターの伴奏が始まった。

「よっちゃんの曲って、明るいのが多いですね」

「音が楽しいって書いて音楽だからね。それに明るくなきゃ、結婚式なんかには呼んでもらえません。だけど、あたしは、もう少し情感があればって、目下苦闘中」

「情感て?」

「例えば、こんなの……」

 よっちゃんはイルカの『なごり雪』を歌った。ボクも好きな曲なんで、いっしょに歌った。

 汽車を待つ君の横で 僕は時計を気にしてる……♪

 二日たって、ナナソに行った。よっちゃんの部屋は窓が閉まってカーテンが引かれていた。

「よっちゃん、手紙を置いてった。これ」

――がんばれ、わたしよりずっと!――

 その一言だけが書いてあった。

「彼女、いつ帰ってくるんですか?」

「よっちゃん、ギター買い換えてた……安物に。前のは中古で売っても二十万くらいにはなるやつだった。五年も聞いてれば違いぐらいは分かるわ」

 そう言うと、奈菜さんは「空室」という張り紙を持って二階に上がっていった。 

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ライトノベルベスト『メゾン ナナソ・4』

2021-12-20 06:33:53 | ライトノベルベスト

イトノベルベスト 

『メゾン ナナソ・4』   




 今日も奈菜さんはいなかった。

 中村さんの部屋で待たせてもらおうかと思って、中村さんの部屋のドアをあけると「空室」と張り紙があった。

 仕方ない、今日は諦めよう。

 そう思っていると隣の部屋から声がした。

 女同士の話声で、なんだかやりこめられているほうが奈菜さんの声のような気がした。

 これは助け船を出した方がいいと思って、加藤たか子と書かれたドアをノックした。

 トントン

 だれ!?

 若干のやり取りがあったあと、加藤さんは話し相手が多い方が楽しいと判断したらしく、ボクを招じ入れ、自分と奈菜さんの間に座らせた。話の内容から、加藤さんは、某都立高校の先生であると分かった。

「……と言うわけで、今日はストなのよ」

 なんで、学校の先生が平日に病気でもないのに出勤していないのかと、それとなく聞いたら。中教審答申に反対し、おまけになんだか忘れた理由で、都立高校のほとんどでストをうっているらしい。それを知らずに奈菜さんが「あら、加藤先生、今日は学校お休みですか?」と声を掛けたのが発端らしい。

 話題……というか演説の内容は中教審から女性の自立というところに話が移っているようだ。

「奈菜さんみたいに管理人やってるのは悪いとは思わないけど、若いんだから、もっと社会に出てからでもいいと思うの。アパートなんて住人で自治会こさえて自主運営。管理人さんは、家賃に見合ったアパートの管理さえしていればいいのよ。伯母さんの後釜に収まるのは、奈菜さん、若すぎる」

「そりゃ、職業婦人も悪くはないと思うんですけど……」

 奈菜さんは、軽くいなそうと思った。

「その婦人という意識と言葉がいけません。分かるわよね、キミ?」

「え、ああ、婦人の婦のツクリがまずいって考え方ですよね」

 ボクも現役のころに、組合の女の先生から聞かされていたので頭に染みついていた。

「そうよ、あれは女偏に帚(ほうき)と書いて、女が家庭で非人間的に縛られていたときの、女性蔑視のシンボル。看護婦、婦人警官、みんな廃止すべし!」

 ボクは、このことについてかねがね思っていた疑問や不満をぶちまけてみたい衝動にかられた。

「加藤先生の説は間違っています」

 正面から切り込んだ。

「どこが間違いなのよ。女と帚をくっつけて、それを女の代名詞に使うなんて、封建制度まる出しじゃないの!?」

「いわゆるホウキは、女偏に竹冠のない『帚』ですが、これは、いわゆるホウキではなくて、古代中国で巫女が神事に使う宝器であるものの名前が由来になっています。箒と似てるんで混同されただけです。第一「婦」の字を無くしたら青鞜社のころから連綿と続いてきた『婦人解放運動』の言葉が使えなくなります。大東亜戦争をアメリカにむりやり太平洋戦争と言わされたようなもんです」

「え、日本人が呼び換えたもんじゃないの?」

「米語の『パシフィック ウォー』を和訳したものをGHQが強制したものです。もし、戦時中の日本人に『太平洋戦争』と言っても通じません。それに、太平洋戦争って言ったら、その前から起こっていた中国との戦争がすっぽり抜け落ちてしまいます」

「そ、そうなの?」

「『婦』にもどりますけど、看護婦、婦人警官を無くしたら、日本語が貧弱になります」

「どうしてよ!?」

 加藤先生は、一歩踏み出してきた。

「看護婦は言葉だけで性別が分かります。かりに性別のない『看護師』というような言葉を作ったら、いちいち「女性看護師」てな具合になって、言葉のリズムを崩してしまいます」

「リズムくらいなんだってのよ。女性の地位向上の方が、よっぽど大切だわよ!」

「じゃ、お手伝いさんはどうなんですか? 地位が向上しましたか? BGをOLって呼び換えたけど、やってることは、やっぱ腰掛のお茶くみじゃないですか」

「そんないっぺんに変わりはしないわよ。まず、象徴である言葉から変える。それから中身よ」

「じゃ、先生という言葉はどうなんです。戦前の呼び方そのものじゃないですか。公的な呼称の教育職公務員では長すぎますし。それに……」

 ボクたちの激論は二時間続いた。奈菜さんは、いつの間にかいなくなっていた。

「ごめん、あの先生、どうにも苦手でね」

 管理人室で改めて奈菜さんから、お茶をもらった。どこかで飲んだお茶だと思ったら、中村さんが残していったお茶だそうだ。

 その後分かったことだけど、加藤先生は期限付き常勤講師で、その後勤務校が替わったので、メゾンナナソを出て行った。

 またひとつ空室が増えた。
 

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ライトノベルベスト『メゾン ナナソ・3』

2021-12-19 06:02:58 | ライトノベルベスト

イトノベルベスト 

『メゾン ナナソ・3』   


       

 今日は迷わずにメゾンナナソにたどりつけた。

 でも、管理人の奈菜さんの姿は見当たらなかった。

「奈菜さんなら、出版社だよ」

 管理人室の前で「どうしよう」と思っていると、五十代半ばのごま塩頭のオジサンが声を掛けてきた。

「まあ、おっつけ帰ってくるだろう。よかったら俺の部屋で待ってなよ」

 けして愛想のいい人ではなかったけど、この人の部屋で待っていれば確実に奈菜さんに会えるような気がして、待たせてもらうことにした。

「俺、中村吾一っていうんだ。つまらんオッサンだけど、まあ、奈菜さんが帰るまでだ。今お茶淹れるから」

「あ、おかまいなく……」

 おかまいなくと首を回しただけで部屋の様子が知れる。

 小ぶりな洋服ダンスに座卓、あとはキッチンに小型の冷蔵庫があるくらいのもので、あっさりしている。

「まあ、何もないけど煎餅とお茶だ。酒を出すにはお天道様がまだ高いからな」

 そう言うと、中村さんは、蒸らした急須のお茶を注いだ。

 淹れ方が、男のボクが見ても見事だ。二つの湯呑に交互に注ぎ、瞬間急須を持ち上げるようにして、お茶の最後のエキスを落とした。

 そして、座卓に置いた湯呑と塩煎餅の配置が、そのまま生物画になりそうなほどに、それぞれの位置を占めている。

「並べ方が、その……見事ですね」

「ハハ、多少はね。なんせ、この通りの男やもめ。せめて整理整頓ぐらいはね……こういうのを色気を付けるっていうんだ」

「色気?」

「ああ、軍隊用語だけどね。きちんとやるだけじゃなくて、どこか最後はスマートでなきゃいけない。ハハ、カッコつけてもただのオッサンのくせだけどね」

 ゆっくり湯呑を口に持っていくと、長押に軍艦の写真が額縁に収まっているのに気付いた。

「あの船は?」

「雪風……俺が最後まで乗っていた駆逐艦だ」

「駆逐艦て、自衛隊の護衛艦みたいなのですか?」

「そうだな……この雪風は、戦争の初めから、ミッドウエー、大和の水上特攻まで、絶えず海軍の最前線にいた。その中で唯一無傷で終戦を迎えた艦だよ」

「ついてたんですね」

「ただの死にぞこないさ……戦後はしばらく復員船をやっていたけど、賠償で台湾に持っていかれた。そこで十何年働いたあとスクラップになった。返してくれって運動もやったんだけど……返ってきたのは舵輪だけだった。乗組員の大方は……人生のお釣りみたいに生きてる」

 どこかで、波の音が聞こえたような気がした。

「ほう、聞こえるのかい……今の若い奴には珍しい。奈菜さんが興味を持っただけのことはある」

 ボクは、密かに期待していたことを言われたようで、少しうろたえた。中村さんは、それを横顔で受け止めて微かに笑ったような気がした。

「中村さん!」

 ノックと同時に奈菜さんが入ってきた。

「珍しい、奈菜さんが、そんなに慌てて。宝くじでもあたったのかい?」

 奈菜さんが手にした紙切れを見て、中村さんが冷やかした。

「来たわよ、召集令状!」

「ほんとかい!?」

 中村さんが出て行ったあとの部屋は、波音がいっそう大きくなった。

 窓を開けると、遠く雪風が、南に向かって走り去っていくのが見えた……。

 

 戦争が終わったのって、たしか1945年だよな?

 

 時間の計算が合わない……でも、そんなことはどうでもいいくらい窓から見える海は爽やかだった。

『管理人室に寄ってってねぇ』 

 階下で奈菜さんの声。

「はい、お邪魔します」

 そう答えて振り返ると、今どき珍しい……なんて呼ぶんだろう上下に開く窓の外は、どこか昭和の匂いのする街が広がっていた。

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ライトノベルベスト『メゾン ナナソ・2』

2021-12-18 04:41:32 | ライトノベルベスト

イトノベルベスト 

『メゾン ナナソ・2』   




 

 グーグルの地図を検索しても出てこなかった。

 あの川を北に500メートルのはずだ。

 1キロ先にまで伸ばして探してみたが『メゾン ナナソ』は見当たらない。

 確かにナナさんは風呂帰りのクミちゃんと大介くんの後を、一分ほどおいて川沿いを帰って行った。

 風呂屋までは分かった。

 鶴の湯という銭湯で、グーグルをウォーキングモードにして地図の中を歩いてみても、ちゃんと鶴の湯はあった。でも、その先が判然としない。

 これは川沿いといっても路地を入った脇道なんだろう。グーグルの地図でも入りきれない脇道はいくらでもある。

 ナナさんが気になったのか、時代遅れの『メゾン ナナソ』の名前から思い浮かべたアパートが気になるのか、クミちゃん大介コンビの醸し出す昭和の匂いが引きつけるのか……たぶん全部。

 

 グ~~~~

 

 いや、それ以上考える前にボクは朝飯を食べていないことに気づいた。

 財布をつかんでコンビニを目指す。

 コンビニは臨時休業だった。

 ドアの前に警官が立ち、規制線のテープが張られている。

 あ……思い出した。

 昨夜夢うつつでパトカーのサイレンを聞いた。このコンビニに強盗でも入ったんだろう。

 仕方なく、もう一つ向こうのコンビニを目指す。

 その途中で気づいた。

 これは、あの川沿いの道に出る。スマホで検索すると、川沿いに一度だけ行ったことがあるコンビニがある。

 目標変更。

 コンビニで、パンとカフェオレを買って、外に出た。

 照り付ける太陽にクラっときて自転車にぶつかりそうになった。

 自転車は器用にボクを避けて川沿いを北の方に……少し驚いた。

 自転車は、今時めずらしいドロップハンドルに八段はあろうかと思われる変速機がついていた。

 えらい自転車マニアなんだと思いながら自然に川沿いを北に歩いていった。

『メゾン ナナソ、この先北に300メートルです』

 スマホが、検索もしないのに教えてくれた。

 資材置き場を過ぎると道幅が狭くなり、細い路地が目に入った。

 

 路地を抜けると、そこに『メゾン ナナソ』があった。

 

 木造モルタル二階建て。玄関は申し訳程度の庇があり、庇の上には木彫り金塗りの『七十荘』の立体文字が薄汚れて傾いている。間口一間の入り口は両開きだけど、片方だけが開いていて、閉じた側にはアクリルかなんかの切り抜きで『メゾン ナナソ』とあった。

「あら、夕べのキミじゃない!」

 ナナさんが、アパートの横から箒を持って現れた。

「お早うございます」と言いながら、手に持っていたコンビニの袋が無くなっているのに気付いた。

「ハハ、朝ごはん買いに出て、落っことしちゃったの?」

 

 笑いながらナナさんは、トーストを焼いてスクランブルエッグをこさえてくれた。

「ナナソって、七十って書くんですね」

「うん、すごく読みにくいから入り口にカタカナにしたの」

「じゃナナさんのナナソも七十って書くんですか?」

「そうよ。子供のころから苦労したわ。だれがよんでもナナジュウだもん。下のナナは奈良県の奈に菜っ葉の菜。これはまんまだから、たいがいナナちゃんで通ったけどね。あ、そういや、君の名前聞いてなかったよね」

「ですね。ボク……こう書くんです」

 メモ帳を借りて、山田五十六と書いた。多分読めないだろう。

「ヤマダイソロク……君もちょっと珍しいね」

 ナナさんは、あっさりと読んでしまった。

「今時アパートの経営ってむつかしいんでしょうね」

 失礼な質問をあっさりしてしまった。

「古いからね、七部屋あるけど、詰まってるのは六部屋だけ。月二万円」

「二万円!?」

「よかったら空いてる部屋見ていく?」

 部屋は意外に広かった。

 四畳半のキッチンに八畳の部屋にトイレ付。これなら五万でも安いと思った。

「気が向いたらいつでも越しといでよ。今のアパート、ここの倍は取られてるでしょ?」

「ええ……」

「お風呂が無いのがね……管理人室にはちっこいけどあるの。女性に限って使ってもらってる。男の邪魔くさがりは台所のシンクで風呂がわり。みんな器用よ」

「失礼ですけど、家賃収入だけじゃやってけないでしょ?」

「もちよ。あたしはボランティアのつもりで管理人やってるの。相続したときは即更地にして売り飛ばそうと思ってたんだけどね」

「なにか、わけでも?」

「みんないい人ばっかだからね」

 それから他愛ない話をしたが、ナナさんの本業が作家だということ以外は忘れてしまった。

 話し込んでいるうちにボクは眠ってしまって、気が付くと自分の部屋で居眠っていたから……。

 

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ライトノベルセレクト『メゾン ナナソ・1』

2021-12-17 05:59:45 | ライトノベルベスト

イトノベルベスト 

『メゾン ナナソ・1』   
       


 
 
 気が付いたら彼女はそこに居た。

 サロペットジーンズのスカート。サラリとした髪が、僕の二の腕にかかったので気づいた。
 
「ごめんなさい、せっかく集中してたのに」
 
 化粧気のない、でも十分にきれいな笑顔で彼女は言う。そこはかとなく、懐かしくいい香りがした。
 
「いいですいいです、どうせ暇つぶしのゲームですから……」

 ボクは今時めずらしい浪人生だ。
 
 贅沢を言わなければ入れる大学はあった。
 
 でも、そういう大学は進路実績がイマイチなので、当初の希望校を一般入試で四つ受けて見事に落ちた。
 
 で、今は親の仕送りとバイトで浪人をやっている。

 バイトが終わると、三日に一度くらい、この『志忠屋』に来る。
 
 本店は大阪にあるんだけど、バイトで腕を磨いた多恵さんが東京にブランチを出した。
 
 本店のマスターは親父と古い友達で、バイト時代の多恵さんとも顔なじみだったので、自然と、ここに寄り付くようになった。
 
「スマホ、面白い?」
 
「あ、いや……癖なんでしょうね、女の人が無意識に髪を触るみたいな」
 
 言いながらマズイと思った。彼女が、たった今まで、それをやっていたような気がしたから。
 
「フフフフ……」
 
 図星だったのか、穏やかに笑って。でも、それが魅力的で、内心オタオタしてしまい、言葉の接ぎ穂が無くなってしまう。

 それからサロペットの彼女も黙った。
 
「あの、近所の方ですか?」
 
「そうよ、そこの川沿いの北。500メートルぐらいのところ。メゾンナナソに住んでるの。これでも管理人」
 
「え……」
 
「ハハ、似合わないでしょ。持ち主の伯母さんが亡くなってね、アパートってむつかしいのよ。住んでる人がいるからすぐには処分できない。で、立ち退きとか処理がつくまで、あたしが、親の代わりに管理人。まあ、いい人ばかりだから、あたしでも務まる」

 それからなんだか話し込んで、気づいたら二人で川沿いの生活道路を歩いていた。

 横丁から、お風呂帰りらしいアベックが出てきて、サロペットさんに「こんばんは」と小さく挨拶した。
 
「うちの住人のクミちゃんと大介君。仲いいでしょ」
 
 二人は無言で、先を歩いていく。サロペットさんは気を使って歩調を落とし、ボクも、それに倣った。
 
「あの、お風呂ないんですか、アパート?」
 
「あったらアパートなんて言わない」

 前を歩く二人が、なんだか新鮮だった。無言なんだけどスマホをいじるわけでもなく、それでいてちゃんとコミニケーションがとれている。
 
「あ、あなた方向逆なんじゃない?」
 
「あ、ほんとだ」
 
 ボクは南へ行かなければならないのに北についてきてしまった。

「あたしナナソナナ。また志忠屋で会えるといいわね」
 
「あ、ボクは……」
 
「ボクはボクでいい。じゃあね」
 
 サロペットのナナソさんは、クルリと髪をなびかせて振り返ると、軽やかな足取りで向こうに行った。

 ナナソナナ……ハハ、上から読んでも下から読んでもいっしょだ。でも、どんな字を書くんだろ?

 そんな疑問が、懐かしい香りがシャンプーの香りであることに気づくことと引き換えに残った……。
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ライトノベルベスト『わたしの彼は吸血鬼・3』

2021-12-16 05:23:34 | ライトノベルベスト

イトノベルベスト 

『わたしの吸血鬼・3』  

     


 事務所に戻ると衣装の仮縫いが出来ていたので、その補正をやった。

 明日は、新曲のプロモを撮るんで、時間がないのだ。

 アイドルは忙しい……正確には、アイドルグループが忙しいのであって、わたし個人が忙しいのとは意味が違う。そりゃあ、センターの潤ちゃんなんかはピンの仕事も多く「あたし、忙しいの!」って、資格はあると思う。でも、選抜のハシクレに過ぎないわたしは、たまにバラエティーのニギヤカシに呼ばれる以外は、モエちゃんといっしょのラジオが一本あるっきり。

 アイドルは忙しいなどと、イッチョマエなこと言えてるのはハシクレ選抜であるおかげ。

「おつかれさまー」

 そう言って、帰宅できたのは、もう日付が変わりそうな時間だった。

 すぐにお風呂のスイッチ入れてメイク落としていると、鏡にお月さまが映っている。

 フルムーンだ。

「……こういう風流なことに気づけるのは、わたしの感性……それとも、ただ潤ちゃんほどには忙しくないせい?」

 アイドルに相応しいロマンチストだからだよ……

 遠くから声がした。

 え? え?

 鏡に映った満月の中にこうもり傘差した男の人が、メリーポピンズみたく、わたしの部屋のベランダに近づいてきた。

「あ、アルカード……!?」

「おっと、サッシは開けちゃいけないよ。今夜は、キミの素顔を見られただけで十分さ」

「あ、ハズイ!」

「そのままで……」

 アルカードの声にはあらがえなかった。わたしは、じっとアルカードの目を見つめてしまった。

「さあ、もう一分だ。まもなくお風呂も沸くよ。じゃあ、またね……」

 そういうと、アルカードは、こうもり傘を差して、再び満月の中に消えていった。

 それから、アルカードとの距離が縮まるのには時間はかからなかった。

 お互いのグル-プの曲は三日後には、オリコンの一位と二位を競うようになった。

 アルカードは三日間、夜になるとやってきてくれた。

 ベランダにばかり居られては、かえって人目に付く。四日目の夜、わたしはアルカードを部屋に入れた。

 アイドルといっても、わたしクラスのアイドルは、そうそう良いところには住んでいない。キッチンとバスの他は、ウォークインクロ-ゼットが付いているのが取り柄という、1Kだ。むろんセキュリティーなんかはしっかりしていて、多少の物音が上下左右の部屋に漏れることはないけども。

 アルカードは、部屋の隅で体育座りして、わたしを見つめている。話は、とりとめがないってか、もう小学生並。

「どこのロケ弁が美味しい?」「11時回るとタクシー券もらえることが分かった!」「潤はデベソなんだよ。でも『さよならバタフライ』のプロモとるときに整形したの。デベソの整形!」「アハハ」

 てな感じ。

 けして、わたしが座っているベッドの上には上がってこようとはしない。そして、長くても三十分もすると、こうもり傘で帰っていく。

 わたしは、アルカードが耐えていることが分かった。わたしたちは、エレベーターの中でAの行為にまでは行っていたけど、Hにはほど遠い。

「そこじゃ遠いよ、こっちにおいでよ(#^0^#)」

 わたしは、ベッドの半分を空けた。二回同じことを言って、やっとアルカードはベッドの端に腰掛けた。

「もうちょっと、寄ってきていいよ……」

「これ以上、近寄ったら、オレは、もう後戻りできない」

「……できなくってもいいよ」

「ありがとう、その前に言っておかなきゃならないことがある」

「オレは、ほんとは吸血鬼の子孫なんだ」

「え……?」

「マジで……仲間はもう人間の血が濃くなり過ぎて、もう吸血鬼とは言えない。サイドボーカルのアルカーダは、まだマシな方だけど、クォーターさ。もう吸血の必要もない。でも、オレは違うんだ。ネイティブな吸血鬼なんだ。このグループ始めたのも、オレに必要な血液を集めるためなんだ」

「冗談でしょ?」

「本当さ、もう昔みたいな吸血はやらないけど、ってか、できない。だから輸血用の血液のいいのを買ってまかなっていた。でも、不適合な血が多くて、もう、オレは見かけほど丈夫じゃないんだ」

 そのとき、月光が差し込んできて、アルカードの手を照らした。まるで八十歳のオジイチャンのようだった。

「その手……」

「もう、手まで若さを保っていられなくなってきた……も、もう帰るよ」

「待って!」

「オレ、最初はキミの血が欲しいためだけに、近づいた。あのグル-プの中で無垢なのはキミ一人だったから」

「無垢って……?」

「キミは、まだ男を知らない。キスさえ、あれが初めてだった。そして、オレが変な現れ方をしても、キミはなんとも思わなかった。そんなキミを好きになってしまって……もう、キミの血はもらえないよ」

「……血を吸われたら、わたしも吸血鬼になってしまうの?」

「それはないよ。母さんと父さんが神さまと契約したんだ。オレを生かしておくために、もう吸血鬼のDNAは残さないって。自分たちの命と引き替えにしてね」

「だったら、わたしを。あしたはオフだから、一日貧血で倒れていたっていいんだから!」

「だめだ、どうせ、吸血鬼は、オレの代でおしまいなんだ。早いか遅いかだけの違い……」

 ドタ

 そこまで言うとアルカードは倒れ込んでしまった。わたしは彼の口をこじ開けて、わたしの首にあてがったが、アルカードは、もう噛みつく力も残っていなかった。

 こうと決めた女は強い。

 わたしはカッターナイフをもってくると、開いたアルカードの口の上で手首を切った。そんなに深い傷ではない。これからも彼に血をあげるためには、これで命を落とすわけにはいかない。

 ポタリポタリと、わたしの血はアルカードの口に入っていく……しだいに、血の色を取り戻していくアルカード。

「よかった、アルカード生きてちょうだい」

 すると、アルカードが急に苦しみだした!

「こ、この血は!」

 アルカードは、顔を隠すようにして、ベランダから、いつもの十倍ぐらいのスピードで逃げていった。

「あ……!?」

 わたしは思い出した。わたしは男性経験はない。そればっか思っていた。これに間違いはない。針千本飲んでもいいくらい間違いはない。

 でも、選抜に入るまでに、三度ほど整形をやっている。それも潤ちゃんのデベソの手術のようなものじゃない。一度は出血が多く輸血したこともあった……あれだ!

 S・アルカードは、突然の解散になった。原因はアルカードの体調不良。解散記者会見には、アルカードのお父さんが車椅子に押され、酸素ボンベを付けながら現れ、息子のことを謝っていた。

 お父さんは、記者会見が終わると、わたしの方を見てニッコリと笑った。で、気がついた。

 アルカードのお父さんは、彼をたすけるために、とうに亡くなっているはずだってことを……。

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ライトノベルベスト『わたしの吸血鬼・2』

2021-12-15 05:38:54 | ライトノベルベスト

イトノベルベスト 

『わたしの吸血鬼・2』  



 

 わたしは間の悪い女だ。

「なんでアイドルになりたいの?」

 オーディションで聞かれた。

「え、あ、自信があるんです!」

 と、ピントの外れた答えをした。でも、これがプロディユーサーの白羽さんの気に入ったのだから世の中わからない。

「とっさの答だろうけど、キミは本質をついているよ」

 そう褒められた。

 でもそれはまぐれで、他は間の悪いことが多い。選抜のハシクレになったころ、スタジオの様子がわからないので、せっぱ詰まって入ったトイレ。用を足してるうちに間違いに気づいた。だって、男の人の声が五人分ぐらい聞こえたから。

―― やばい! ――

 息をひそめていたら、いきなりドアを開けられた。

 わたしってば、ロックするのを忘れてた。

「あ、ごめん」

「い、いいえ……」

「いま、女の声しなかったか?」

「いや、ADの新人。悪いことした」

 その人は、うまく誤魔化してくれたけど、トイレの出口で他の子に見つかった。で、しばらく「XXは男だ!」という噂が立てられ、しばらくシアターのMCなんかにイジラレ、二週間ぐらいは人気者になれた。

 でも、さえないバラエティーキャラというイメージになって、狙いの「清純」からは遠くなった。

「待ってえ~」の声で、センターの潤ちゃんが、ドア開放のボタンを押してくれた。

「持つべきものは、センター……」

 ブーーーーー

 定員オーバーのブザー。

 仕方なく、わたしは次のを待った。

 やっと次のがやってきて「閉め」のボタンを押そうとしたら、スルリとイケメンが入ってきた。

 ボタンは、地下の駐車場しかついていなかった。数十秒間、イケメンといっしょだった。

「オレのこと分からない?」

「え……?」

「S・アルカードのアルカードだよ。スッピンだと分からないよね」

「あ、そ」

 わたしは、本番中に居中に振られて「小野寺潤さんが好みです」という、彼の言葉にこだわっていた。

「あれは、立場上、ああ言うしかなかったからだよ。本当に好きなのはキミだ……」

 語尾のところで、振り返ったら、アルカードの顔が真ん前にあって、自然にキスになってしまった。

「ごめん……勝手に言い訳して、でも、本当の気持ちだから……ハハ、言っちゃった」

「う、うん……」

「その『うん』は、本気にしていいのかな?」

「あ、あの、その……」

「困らせるつもりはないよ。ほんのちょっとだけ、一分もないくらいキミの部屋のベランダに行っていいかな? 今夜十二時ごろ」

「え、あ……困ります」

「大丈夫、スマホの履歴だって消せるんだ。分からないように行く。それに部屋の中には絶対入らないから」

「でも……」

「あ、いけねえ、おれ一階なんだ。まだ駆けだしだから、帰りは地下鉄なんだ」

 そう言って、アルカードは一階のボタンを押した。

 チーン

 エレベーターは一階に着いた。

 一階には、アルカードによく似た十人ちょっとが佇んでいた。わたしを見ると、そろって軽く頭を下げた。

「じゃ、おつかれさまでした」

 仲間も同じことを言ってドアが閉まった。

 地下に降りると、みんながマイクロバスで待っている。

「どうした、なんだかボンヤリしてるわよ」

「え、あ、そう?」

「XXはタイミング悪いのよね」

「でも、あのエレベーターって、十八人まで乗れるんだよ。それが十七人でオーバーになる?」

「あ、それって、だれかが二人分重さあるってこと!?」

「それはね!」「つまりよね!」「アハハ」「言う前に笑うな」「だって」

「ほら、車出るよ!」

「「「「「「あ、待ってぇ!」」」」」」



 賑やかにマイクロバスは動き出した……。 

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ライトノベルベスト『わたしの吸血鬼・1』

2021-12-14 05:19:33 | ライトノベルベスト

イトノベルベスト 

『わたしの吸血鬼・1』  




 アイドルは恋愛禁止……という立前になっている。

 これ、国民的常識。

 研究生のころは律儀に守っている。でも、二十歳も過ぎるとね……ま、いっか。

 というわけで、半分くらいの(業界の都合で、具体的な割合は言えません)子はテキトーにやってます。

 たまに、週間Bなんかにすっぱ抜かれて、地方に飛ばされたり、坊主頭になったりたいへんなんです。

 え、でも何カ月かしたら戻ってきたり、逆に、それを売りにしたりして逆ブレイク?

 そんなのは、ごくごくわずかなラッキーな子で、プロデュサーも事務所も、その辺はよく見てます。

 ゴクタマで、行けると思ったら、それでオセオセになる。

 でも多くのハンパなアイドルは惨めなもの。

 卒業宣言もな~んもなしで、ある日突然、メンバー表から消えておしまい。

 だから、わたしは気をつけていた。

 いちおう選抜のハシクレだけど、ほんとハシクレ。「端の方で暮れかかっている」の省略形かっちゅうぐらい。

 そんなわたしにも彼ができた。

 

 S・アルカードって名前の男性ユニットのセンター。

 半年前まで東京ドームの横でヘブンリーアーティストの資格もらって、ももクロと同じ時期からやっていたって言うから苦労人。『バンパイアーナイト』でブレイクして、習慣歌謡曲に出てきた。そこのセンターがアルカード。

 わたしたちは、めったにグループ以外の人と番号の交換なんかやらない。

 それが、そんなことした覚えもないのに、家に帰ったらメッセが入っていた。

―― 突然で、すみません。S・アルカードのアルカードです。よかったらメールください ――

 最初は不気味だった。

 教えてもいない番号知ってるし、ポット出のさい先分からないユニットだし。だいいちメイクがすごいんで素顔が分からない。もちろん口をきいたこともない。

 わたしは無視した。

 で、不思議なことに、メールをそのままにしておいても、三日もたてば履歴から消えている。ま、スマホとかには詳しくないから放っておいた。

『バンパイアーナイト』は順調にヒットチャートを駆け上り、四週目には、オリコンの三位に食い込んできた。

 番組でも、わたしたちと、並べたり絡めたりするようになってきた。あいかわらず五十字程度の短いメールはくれていたけど、やっぱ無視。そして、もう、明くる日には消えるようになっていた。

 スマホオンチのわたしは、相手のスマホに、そういう機能がついていて、迷惑にならないように向こうが消去してくれているのかと思った。

 番組で、MCの居中さんが彼に振ったことがあった。

「アルカードはさ、AKRのどの子あたりが好みなんだろうね?」

「あ、まず、他のメンバーから聞いてやって下さい」

 で、S・アルカードのメンバーが、いかついメイクの割には純情そうに、うちの選抜のトップテンあたりの子の名前を挙げていく。だれもわたしみたいなハシクレの名前をあげたりはしない。

 いよいよ、アルカードの番になった。

 わたしは迷惑に思っていた割には期待してしまう。

「みなさん素敵なんで、迷ってしまいますけど……同じセンターとして、小野寺潤さんかな。あ、かなは失礼ですね、小野寺潤さんです」

 メイクに合わない甘い声で、アルカードが言った。

 ショックだった。

 てっきり、わたしの名前を言うのかと思った。

 さらにショックなのは潤ちゃんが本気で顔を赤くしたこと!

 くそ、なんかのイタズラだ! たぶん、うちのメンバーの誰かの……と、わたしはスネていた。

 そして、この段階で、わたしはアルカードに興味を持ってしまっていることに気づかなかった……。

 つづく 

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