大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校演劇●●志忠屋亭主、雑口雑言・1●●

2017-02-02 06:14:45 | 映画評

●●志忠屋亭主、雑口雑言●●☆☆滝川浩一☆☆

昨年の春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


悪友滝川の、演劇評です。仲間内に回っているものですが、含蓄が深いので本人了解の上転載したものであります。

●亭主、更に観劇す。「桜の園」(1)
●映画評と分けて、別にこのコーナーを劇評の頁にするつもりではないのだが、何やら感じ入ったことを書こうとしたら、たまたま芝居が二本引っ掛かってしまった。個人的な事情を言わせて貰うと、先頃、漸く八尾の実家に引っ越して、現在、口の開いた段ボール箱に囲まれており、店で仕事をしているか、家で掃除・片付けをしているか、どちらかの日常。なんとか時間を作って映画に行き、更にヤリクリして芝居を観に行くのが精一杯。こんな日常でも、色々と面白い事は起こるのだが、いかんせん、じっくり考える時間が無い。

●と、まぁ言い訳しておいて、芝居の話である。今回観てきたのは、パルコプロデュース、三谷幸喜演出、「桜の園」である。三谷が初めて自作以外の本を演出する。しかも、かのチェーホフの名作「悲劇・桜の園」を喜劇として上演する。これは事件である。何をおいても観に行かねばならない。これを見逃しては、地下の(天上の?)チェーホフに申し訳が立たない。
●と、ここまで言うにはちょっとした、これまた事情がある。本編感想に行く前に、少々(?)ウザウザにお付き合い願いたい。
●チェーホフは、日本では一般に悲劇作家だと思われている。演劇に少しでも足を突っ込んだ事のある人ならば、彼が喜劇作家でもある事をご存知であろうし、「桜の園」の表紙を開くと、「四幕の喜劇」と書かれている事もご存知であろう。しかし、喜劇として演じられた「桜の園」を見た事のある者は一人もいない。かつて、民芸の宇野重吉(寺尾あきらのオトッツァマである)が喜劇として演ろうとしたが、ことごとく左翼座員に足を引っ張られ、潰されてしまった。左翼にあらずんば演劇人にあらずという時代でもあったし、これには歴史的経緯が付いてまわるのである。
●「桜の園」はチェーホフの遺作である。彼は結核療養の為、モスクワを離れており、その保養先で本作を書き上げた。モスクワ芸術座の為の喜劇を書こうと、かねがねモチーフを持っていたが、色々な人々との出会いに刺激されてこれを書き上げ、モスクワに送った。即、モスクワのスタニスラフスキー(演出)から「名作だ!感動した!」との返信が来た。このスタニスラフスキーというオヤジは、近代演劇界においては、神とも崇められる人なのだが、チェーホフとは、作品解釈、演出の仕方で再三大モメにモメる人でもあった。
●この人、殊更に何でも悲劇的ドラマに仕立てる癖があり、チェーホフが喜劇のつもりで書いた「カモメ」を悲劇として上演した前科持ちである。今回も、チェーホフは喜劇を書いたのだが、テーマの主軸に「没落貴族の悲劇」があったので、喜劇として演じられるのか不安になり、病身をおしてモスクワに戻った。公開直前の練習を覗くと、これがまごうことなき大悲劇として演出されており、抗議はしたものの、今更変更出来る時点では無かった。
●チェーホフの幸運は、同時代に、モスクワ芸術座という優れた演劇集団が在った事だが、背中合わせの悲劇は、そこに、スタニスラフスキーという天才演出がいた事であり、更に彼とは多くの点で意見の一致を見なかった事である。
●「喜劇・桜の園」にとっては悲運な事に、このスタニスラフスキー演出が大絶賛され、以後、「桜の園」は喜劇としては封印される事となり、チェーホフも、この公演の4ヶ月後にはこの世を去っている。かくして、作者の意志を無視したままに歴史は回って行く事となるのである。
●恐らく次回も劇評までは行かない。グダグダはまだまだ続くであろう。

  この稿つづく
コメント
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