大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校演劇・クラブはつらいよ

2012-05-31 14:02:17 | エッセー
クラブはつらいよ(夏編その一)

☆一学期も半ば過ぎ
季節はバラが盛りをすぎアジサイの頃。アジサイの花言葉って知ってるかなあ? 移り気というあまりありがたくない花言葉。四月に新しい気持ちで始まったクラブ。今はどうだろう……地区の、新人公演や合同発表会もそろそろたけなわ。中にはできがイマイチ、個人的にも伸び悩み、中間テストの成績も振るわず「もう、だめだ~」と思い始めている人もいるんじゃないだろうか。わたしが演劇部の顧問をやりながら劇団をやっていたころ、一番注意したのは、春に元気よく「なにがなんでも演劇したいんです!」と、テンション高く入ってくる子であった。テンションが高い分、落ち込みやすく、冷めやすい子が多い。アジサイのようにコロコロと関心が移ったり、自信を失ったり、こんなクラブじゃだめだ、辞めようか……などと思い始めていないだろうか? むろん中には順調に成績も伸び、クラブもおもしろくなってきたという子もいて、それはそれで喜ばしいことである。しかしおおかたのクラブでは、多かれ少なかれ、こういうアジサイ部員を抱えているのではないだろうか。花にはそれぞれ開花期というものがある。梅は三月、桜は四月、バラは五月で、アジサイは六月。人も同じで、開花期がある。入部早々ドッカーンと大きな花を咲かせる子もいれば、二年のこの時期にまだツボミのままの子もいる。ただ、それは早い遅いの違いであって、まだそんなに深刻に思い詰めるこたはないと思う。ただ土が合わないと自他ともに感じる子は別の道(クラブや勉強)を探った方がいい。砂漠にサボテンは根付いても、百合の花は咲くことはない。また、水の豊かなところではサボテンは腐っていくだけである。では、一応土には合っているものとして、今月も話を続けていくことにする。

☆基礎練習
四月から始まった基礎練習は続いているだろうか、ストレッチの後のランニング、「あめんぼ赤いな、あ、い、う、え、お」それから、いろいろ紹介した発声練習、無対象演技。そして、それらを応用したいくつかのコント。「芸術は場数だ!」その精神で今月も先に進んでいこう!

(無対象のメソード)
(1 重いバケツ)
一度、実際に水を一杯入れたバケツを持ち上げてみる。そこで、身体のどこの筋肉にどれほどの力が入っているか、身体の傾き具合は、重心の位置はどこか、他の部員とともに確認する。裸でやれば全身の筋肉の具合が分かるのだが、まあ、体操服程度のものでもわかるので、できたら夏用の体操服でやってみるといい。確認ができたら、今度はバケツを空にしてやってみる。水が入っていたときの筋肉の緊張、重心の位置などを確かめて持ち上げてみる。きちんとできれば重さを感じるから不思議である。ただ自分でそう感じているだけではだめ。他の部員にも見てもらい、できていれば完成。次にバケツそのものを無対象にして同じことをやってみる。
(2水道の栓をひねる)
無対象の水道の栓をひねり水を出してみる(旧式のほうがいい。まちがってもセンサー付きの水道なんか想定しないようにって……そんな人いないか?)簡単にできてしまうようだが、案外むつかしい。たいてい栓をひねりすぎてしまう。ふつうで九十度、バケツに入れるときでもせいぜい百八十度くらいである。たまに水圧の低い水道があるが、そういう特殊な状況は設定しないこと。最初ひねり始めた時の軽い抵抗を感じておこう。無対象でも水の出しっぱなしは、もったいないので無対象のバケツに水を溜めておこう。無対象でもバケツを置いておかないと、水浸しになる感じが……すれば、かなり感覚がよくなったと言える。
(3子供用ビニールプールに水をはる)
無対象の空のバケツを持ってきて水道の栓をひねって水を満たし、それを運んで子供用のビニールプールに水をはる。音響係を一人置いておき、音響係が水道の栓のひねり方を見て口で水道の音(ジャージャーとかドードーとかポトンポトンとか)を出す。複数でやる場合、後の者が音を出してもいい。部員全員でやってもいい。ただし全員でやるときは一人はリアリティーが崩れないか見ておくこと。以前やった縄跳びほどのリアリティーが感じられたら完成。
(4コップに水をくんで飲んでみる)
水道の栓をひねり、コップに水をくんで飲んでみる。栓のひねり方がちがうことや、コップに水が溜まる重さの変化、コップの端にくちびるをつけたときの感覚、飲むときの手の傾きの変化(最初はたいてい水をかぶってしまう)口、舌、喉の動き、食道を通って水が胃におさまる感覚に気をつける。
(感情表現のメソード)
先月まで、「発声のメソード」としていたものの改題である。発声には、距離と方向と目標と目的があると言ってきた。その目的を乗せているのが感情なので、今月からは、感情表現のメソードとする。言葉には記号としての意味と感情が含まれている。多くの役者が台詞を感情としてではなく記号として発し、記号として受け止めてしまい、作品をだめにしてしまうことがある。前回書いた「ワアーニャ伯父さん」でソーニャが愛するアーストロフからお酒のグラスを取り上げるときのエピソードがまさにこれである。言葉は第一に記号である。だから、外国に行くと、まるでことばが通じない。ときに特定の言葉が音として同じでも、ちがう意味を持つために悲喜劇がおこる。例を二つばかり……ギリシャだったかトルコだったかでレストランのことを「タベルナ」という。たどたどしい英語でレストランを聞くと、相手はいきなり「タベルナ!」日本人は、ただただビックリ!? しかしたいてい言葉を重ねていくうちに意味を察して無事にレストランにたどり着ける。これは言葉を乗せている感情に気づくからである。もう一発。アメリカのアイダホの田舎から日本に留学にきたアメリカ人の若者がいた。日本のゴミゴミにホームシックになった彼を、日本人の友人が気を利かし千葉かどこかの田舎に連れて行った。一面のジャガイモ畑が懐かしく堀りたてのジャガイモにほおずり。そこへ畑の主がやってきて「掘った芋いじっでねえ!」 アメリカ人の若者はビックリ! たどたどしい日本語で「イマ、イチジデース!」……分かったであろうか。 畑の主の言葉は「What time is it now!?」と聞こえたのである。これは、昔大手週刊誌に載っていた本当の話である。これは言葉が記号であることのいい例である。役者は台詞を記号として発しても、聞いてもいけない。それを乗せている感情にこそ気をくばらなくてはならない。              
(ネコネコ)
以前「あめんぼ赤いな、あ、い、う、え、お」に気持ちをのせて会話をやってみてはと提案した。実際指導している生徒にやってもらうと短時間ではあるが、じつにいきいきした「会話」になった。しかし、これは「植木屋、井戸替えおまつりだ」で終わりになってしまう。今度は、二人一組でネコの声、ニャーとかミャーとかフーとかゴロニャンとかネコの鳴き声で会話をやってみる。多少の身振り語(ジェスチャー)は入ってもいいが、基本はネコの鳴き声だけでやる。間を空けないこと、笑いたくなったら遠慮なくハハハと人語で笑っていい。分からないときは「ニャー?」とかでたずねる。五分から十分程度が適当。終わったら観ていたものがどんな会話が行われたか答え、やっていた者も何を話したか確認する。どんな会話をやってもかまわないが特定の個人や団体をけなしたり悪口を言うのは禁止。
(楽しい思い出)これも二人一組でやる。一人はベテランが望ましい。できることなら指導慣れした顧問の先生がいい。一人が今までの人生で一番楽しかったことを思い出す。もう片方は質問をする。ポイントは直接感情に結びつくような質問はしないこと。「どんな場所だった?」「まわりにはどんな人がいた?」「どんな服を着ていた?」「時間は?」「お天気は?」「座ってた。じゃあ、どんな座り方?」など、物理的なことを聞く。相手にその時の楽しさがよみがえりはじめたら、さらに細かく聞いてみる「何が聞こえた?」「何か匂った?」「なにが目に入った?」など。そして相手にその時の楽しさが完全によみがえったら成功。きっとそのときは周りの人たちも楽しい空気に包まれるだろう。これも注意してもらいたいのだが、人をいじめて楽しかったとか、どこかにスプレーで落書きをしたとか、いわゆるワルサをやって楽しかったような話題はNGである。これはアメリカのアクターズスタジオで行われているメソードの応用で、本来は「人生で一番悲しかったことを思い出す」のだが、素人が下手にやると心理的な傷をえぐるだけになり、人を傷つけるだけに終わってしまうので「楽しい思い出」にしてみた。たとえば妹が生まれて初めて家に戻ってきたときとか、ディズニーランドに行ったときなど。最初は、ただ漠然と楽しかった、嬉しかったでしかないが、つきつめていくと「赤ちゃんの匂いがした」とか「ゲートで係りのおねえさんの笑顔を見たとき」など、楽しさの瞬間を記憶しているものである。感情解放のメソードである。

今月のコント(ジュンとヒカリの六月)

ヒカリが何かを探している。そこへジュンが通りかかる。もう一人は陰で音響係り。奥の家の中から童謡が聞こえている(当然、音響係りが、アカペラで歌っている)
ジュン ヒカリ、なに探してんの?
ヒカリ あ、ジュン。ちょうどいいとこ来た。いっしょに探してよ。
ジュン いいよ。でも何探してんの?
ヒカリ ホースをね……
ジュン ホース?
ヒカリ うん、今日って六月と思えないくらい暑いじゃん。で、妹を水遊びさせてやろうと思って……
ジュン トコちゃん?
ヒカリ うん。今CD聞かせてる。そろそろ飽きるころ……あいつ水遊びさせときゃご機嫌だから……
ジュン あ、二人で留守番か?
ヒカリ ちょっち違うよ。お母さん車ででかけちゃって、あたしがトコの面倒みさされてるわけ。そろそろ帰ってくると思うんだけど。
ジュン そうか、で、ホースってわけなんだ。
ヒカリ うん。
ジュン でも、これでヒカリがいかに家の手伝いしてないか分かるね。
ヒカリ なによ、それ?
ジュン 普段やってりゃ、ホースのありかなんて分かるじゃん。
ヒカリ 悪かったわね……あ、そうだ。プールをこっちに持ってくりゃいいんだ。(プールを持ってくる)
ジュン やっとスイッチ入ったか。
ヒカリ (プールに水をはる。水の音は音響係りが口で発する)わたしの頭ってADSLだから……
ジュン 名前はヒカリなのにね。
ヒカリ よっこらしょっと。
ジュン やっと立ち上がったか。
ヒカリ アハハ、うまいこと言うじゃん。
ジュン ってか、ここってよかった?
ヒカリ え?
ジュン ここって、お母さん帰ってきたら、車止めるとこだよね。
ヒカリ あ……水溜まったら動かす。
ジュン ……水って、溜まったら重いよ。
ヒカリ ……かな?
ジュン うん。
ヒカリ ……じゃあ、ここまでにして。あとはバケツででも入れるか?
ジュン それが、賢明かな(ヒカリ水道の栓を止め、プールを運ぼうとする)
ヒカリ うーん!……ちょっち手伝ってくれる?
ジュン しかたないなあ……
二人 うーん……こらしょっと!(なんとか運ぶ)
ジュン じゃあ、あとはバケツで。
ヒカリ バケツ……?
ジュン そこにあるじゃん。
ヒカリ あら、ほんと!
ジュン だれの家だよ、ったく(二人で、何往復かして水を満たす)こんくらいでいいんじゃない?
ヒカリ だよね。じゃあ、ジュ-スでも持ってくるわ(ジュースをとりにいく)
ジュン 炭酸きいたやつがいいな、シュワーって!
ヒカリ はい、どうぞ。ヒエヒエだよ~ん。
ジュン あんがと……うーん、一仕事終わったあとって、効くねえ!
ヒカリ ドウカン、ドウカン……ん?
ジュン ……なんか、カッカしてくんね。
ヒカリ 白いサワサワ~だよ。
ジュン って……缶酎ハイだよ、これ!?
二人 ヒック……!
ジュン ヤバイ。むこうから福井先生がくるよ!(背中で、缶酎ハイを隠す)
ヒカリ ハーイ、福井先生!
ジュン バカ、こっちから声かけることないだろ……アハハ、いいお天気ですね、先生……
ヒカリ あ、暑いっすね……
ジュン え、あ、なんでもないです。ヒカリの妹に水浴びさせようって……
ヒカリ ビニールプールに水入れてたとこなんです……
ジュン は、はい。
ヒカリ なんだったら、先生も……
ジュン 入れるわけないだろが!
ヒカリ ハハ、ですよね……
ジュン ハハ、じょ、冗談です。はい……はい、失礼します。
ヒカリ しますぅ……行っちゃった。
二人 ……ゲフ!!(大きなゲップ)チャンチャン。
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高校ライトノベル・らいと古典『わたしの徒然草48』

2012-05-30 09:47:39 | エッセー
わたしの徒然草48

徒然草 第四十八段

 光親卿、院の最勝請奉行してさぶらひけるを、御前へ召されて、供御を出だされて食はせられけり。さて、食ひ散らしたる衝重を御簾の中へさし入れて、罷り出でにけり。女房、「あな汚な。誰にとれとてか」など申し合はれければ、「有職の振舞、やんごとなき事なり」と、返々感ぜさ給ひけるとぞ。

ある日、天下太平を祈るパーティーに藤原光親が、お招きにあずかりました。
で、光親は、後鳥羽上皇から、食べかけの料理を勧められました。
「これ、美味いからよ、光親、おまえも食ってみろよ」
「それは、それは……」
と、光親はテキトーに食べて、トレーごと御簾(スダレ)の内に食べ散らかしたものを差し入れた。
で、コンパニオンのオネエチャンである女房たちが、呆れかえった。
「わ、キッタネー。ここは大学の学食とちゃうねんよ。なんちゅうオッサンや、あたしらに片づけろってか!」
そこへ、ホストである後鳥羽上皇がお出ましになり、こうおっしゃった。
「さすが有職(宮中のしきたり、マナー)に詳しい光親。粋なことするやないか」
と、感心なさったとか。

これはすごく変である。上皇サマからのクダサレモノを食い散らかして、トレーごと御簾の内、つまり、上皇さまの席近くにポイとウッチャラカシテ消えてしまった。テーブルマナーを知らない、わたしのような田夫野人のオッサンのようで、光親は変である。それを「粋なことを」と、感心する上皇も変。

変だから、兼好のオッチャンは書いたのだろうが、どこを、どの程度変と思って書いたのか分からない。その後の光親と上皇は、以下のようになる。
承久の変(承久三年)の時、後鳥羽上皇が北条氏の討伐の企てに際し、クールな藤原光親はまだまだ時期尚早と上奏したがヤンチャクレな上皇には聞き入れられなかった。その後、光親は義時追討の案文を上皇に書き。このことは、上皇の謀議共々鎌倉にもれ、謀議に参加した光親卿は捕われの身となり、鎌倉護送の途中で篭坂峠において打ち首になってしまった。

承久の変は、名前ほどには上級ではなかった。武士の力は、たとえ将軍たる源氏の血筋が途絶えようと、揺るがぬものであった。あっさり、鎌倉に動員された十九万の軍勢に破れてしまった。そのあたりの機微を知っていれば、このTSUREDURE48は、兼好のオッチャンの時代と、人を見る目のシタタカサとタシカサを感じさせてくれる段である。

これに似た話が百年前にあった。
阿波と淡路を領国としていた蜂須賀家は、その遠祖を蜂須賀小六という地侍……もっとアケスケにいうと、夜盗の頭目であった。それが、豊臣、徳川の時代を泳ぎ切り、無事に明治の御代に華族に列せられた。
当時は、テレビはおろかラジオも無い時代。人々の娯楽は歌舞伎や講談、浪曲であった。
そこでよく演られた演目が『太閤記』である。『太閤記』では、矢作川の橋の上で寝ていた藤吉郎(後の秀吉)と、夜盗の頭目、蜂須賀小六との出会いは、前半のヤマである。
今で言えば、総理大臣の名前は知らなくても、AKB48は知っている! と、いうぐらいにポピュラーな話である。
蜂須賀家は、これを気にして、偉い大学の先生に頼んだ。
「先生、なんとか我が祖である蜂須賀小六が……ではなかったと、証明してください」
と、頼んだ。
「まかせてください」
先生は胸を叩いて資料、史料にあたった……結果。
「やはり蜂須賀小六は……で、あられたようで……」
で、蜂須賀さんは、ガックリきていた。

そんなある日、蜂須賀さんは明治天皇のお呼び出しをうけ、歓談していた。
明治天皇が、所用があって、しばし、その場を外された。蜂須賀さんは何気なく、テーブルの上の菊の御紋入りのタバコを一握りポケットに突っこんだ。まあ、家人へのお土産と思われたのであろう。当時は「恩賜のタバコ」と、大変ありがたがられた。
所用を終えた明治天皇が、お席に戻られると、タバコがゴソっと減っている。
「ワハハ、蜂須賀、血は争えんのう」
陛下は、たいそう面白がられ、蜂須賀さんも、恥ずかしいやら面白いやらで、笑っちゃった……。
これは、司馬遼太郎さんのエッセーに書いてあったことであるが、明治という時代の明るさと大らかさを現したエピソードである。
ちなみに、タバコに刷られていた菊紋を考案したのは、わたしの記憶違いでなければ、後鳥羽上皇である。
後鳥羽上皇の想いは、奇しくも数百年の時を経て、蒸留酒のようなウィットになった。
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大阪春の演劇まつり・劇団きづがわ『歌わせたい男たち』

2012-05-12 21:04:17 | 評論
劇団きづがわ『歌わせたい男たち』

 わたしが常々、大阪府高等学校演劇連盟のコンクールの本選会場に勧めている大阪市立こども文化ホールで行われました。今年の春演の皮切りに相応しい程よい賑わいでした。

「今日は、マチネーなので混雑いたします……」
 会場係の団員さんが、開場と同時に、そう叫んで、場内整理にかかられましたが、キャパ400ちょっとの会場に6~7分の入りで、ゆったりと観られました。前回は関西芸術座のスタジオで窮屈な観劇だったので、今回は、その点ありがたかったです。やはり、劇団の観客動員に見合ったホールで演っていただけるのは、観客にとってありがたいことです。

 間口8間を上下1間づつせめて6間ほどにして、高校の保健室をつくっておられ、このサイズは、実物の保健室と、ほぼ同じ大きさで、懐かしく共感させていただきました。

 舞台は最初から開いていて、しばらくすると、舞台設定がよく分かり、この点でも観客には親切でした。驚いた発見がありました。下手の養護教諭の席の上の壁に時計が掛かっており、本当に時を刻んでいました。8時ごろから、始まり、9時45分ぐらいに芝居が終わったように記憶しております。
 時あたかも卒業式当日、花粉症の校長が、花粉症の薬をもらいにくるところから、芝居が始まります。ティッシュペーパーも切らし、トイレットペーパーで鼻をかんでいるところなど、わたしも現役時代に同じことをやっていたので、親近感です。養護教諭は折悪しく席を外しており、校長は鼻をかみながら、祝辞の練習。すると、電話がかかってくる。校長が受話器をとると、音楽の仲先生を呼んでほしいとのこと。
「いや、わたし校長だけども、だれもいないよ」
 するとカーテンの向こうから人の気配。音楽の講師仲ミチルが顔だけ出す。
「ちょっと待ってくださいね」
いったん仲はカーテンの向こうに姿を消してガサゴソ……で、現れると、ほとんど裸の姿に毛布(?)を巻き付けたアラレモナイ姿で現れ、電話に出る。『ローマの休日』で、オードリー・ヘプバーンが、掃除のおばさんに見とがめられ、バスタオルを体に巻き付けてバスから出てくるシーンを思い出したのは、年齢のせいでしょう。
 仲先生は、1月まで、クラブでシャンソンを歌っていた人で、どうやら3学期になって、臨時講師で、この学校にきたようだ。で、歌は得意だが、ピアノが苦手で、前日の予行でもピアノのミスタッチばかり。本番を前に緊張し、コーヒーをこぼしてしまい、他の先生に乾かしてもらっている。
 その半分裸の仲先生を見て、校長の花粉症が一時的に止まるところなどは笑わせてくれます。
 
 校長も、花粉症以外に悩みがあります。国歌斉唱の時に起立しないと宣言している社会科の教師拝島がいるのです。逆に、国歌斉唱大賛成の英語科の片桐などがいて、たった5人で、110分あまりの芝居を、破綻させることなく進行させたのは、さすがに劇団きづがわさんでした。

 ただ、今回は、昨年の別役実の芝居と比べると、あれ? と、思うところがいくつかありました。
仲先生の、本番に向けての緊張感が途切れてしまうのです。コンタクトを片方なくして、近視で乱視の目では演奏に自信が無く、社会科の拝島のメガネを借りようとしますが、この拝島は、ゴリゴリの反国歌国旗の教師で、君が代演奏のためには、メガネを貸してはくれません。仕方なく、養護教諭はいろんな先生からメガネを借りてきますが、どれも合いません。拝島も、個人的には、仲先生に同情するが、自分の心情を曲げることはできません。そのへんの葛藤はカリカチュァライズされて表現されていますが、国歌斉唱の問題などが出てきて、拝島などの芝居が始まると、仲先生の緊張感が途切れてしまうのです。他の役者さんにも同様な問題が感じられました。次の演技を意識しながらタイミングを待っているような局面が何度かありました。
 昨年の別役の芝居は見事でした。別役の芝居は、台詞がきちんと肉体化していないと、そらぞらしくアザトイものになってしまいます。それを自然に見事にやってのけられたので、今回は(?)でした。

 これは、役者と本がうまくエンゲージできていないところに問題……と、言うより本に問題を感じました。
 仲先生が緊張感を忘れるほどの事件が書かれていないように感じました。校長がラストで屋上に上がり心情を吐露するところまでの追い込みに弱さを感じました。
 おそらく、この作者は、テーマ(反国旗をコメディーとして表現する)ために、構造を最初に作り、そこに向けて、話を構築していく段階で、無理をしたのではないかと感じました。拝島の反国旗を貫く姿勢に、それまで、そういうことを考えもせず、自分の生活のこと。そしてピアノが上手く弾けるかどうかだけ考えていた仲先生を目覚めさせ、共感させ。国歌ではない歌(シャンソンだと思うのですが)を、渾身から歌わせるところに無理な飛躍を感じます。なによりも拝島の反国旗、思想信条の自由への思いは、単なる思いこみで説得力がありません。
 観客席は7分ほどの入りだったので、300前後の観客がいたのですが、ラストの拍手は200程度の力しかありませんでした。わたしは、性分で、芝居を上手の一番後ろの席で観ます。ここだと観客の反応も客観的に見ることができます。観客によって、受け止め方に温度差がありました。
 日の丸、君が代については、作者と別な見方をしていますので、そういう反感する自分を殺して、できるだけ客観的に観ようとしましたが、以上の問題は、やはり残ってしまいます。

 観劇の評論から、少し離れますが、教育現場での国旗、国歌の扱いは間違っていると、現役のころは職員会議で発言し、よく批判されました。
 まず、本人の思想信条と関わりなく、公務員であるならば公の場では国歌、国旗には敬礼の義務があります。わたしが調べた限り、公の場で公務員に国歌、国旗に敬礼しないことを許している国はありません。もし、反対するならば、私人として、行うべきです。わたしの、かつての職場でも国歌斉唱の場で起立しない教師は居ました。担任の中にもいました。生徒達は、先生の対応を見て戸惑っていました。その先生は教室で「思想信条の自由」について語っておられました。それでも生徒は号令をかけられると起立しそうになります。その先生は式場から退席することで、意志を、さらに強く表現されました。やんちゃくれの男子生徒が、先生を追いかけて連れ戻しにいきました。自分たちの卒業式を潰された気になったのです。
 現場で、国歌斉唱時に起立しない先生は、もうほとんど居なくなりました。橋下クンが知事になる前にその状況はできていました。混乱もほとんどありません。国民の大半が、すでに受け入れているからであると思います。

 日の丸は軍国主義の旗ではありません。ナチスドイツも、イタリアのファシズムも政権を取ってから、国旗を作りました。日本は江戸末から、慣習法によって日の丸を国旗としてきました。ほとんどの国民がそれを是としてきたのです。だから、終戦後、日の丸、君が代を廃止しようという動きは、ほとんどありませんでした。それどころか、正月や祝日には、せめて揚げさせてくれとGHQに頼みました。サンフランシスコ講和条約のあと、式日といえば、大方の家で国旗を揚げていました。小学校では、ちゃんと君が代も習いました。おかしくなってきたのは、昭和40年ぐらいからではないでしょうか。日の丸、君が代を忌避するのは、戦後のひどく政治的な匂いがします。

 軍国主義の残滓や象徴に反対するなら、他にいくらでもあります。
 今、わたしは、左から右に文章を打っています。戦前は左右ごちゃ混ぜで、日本人は、なんとなくの雰囲気で読み分けていました。で、だいたい右から左が主流でした。大阪府庁の看板は現在も右書きのままです。
 旧南洋庁という、南方の植民地を統括する役所があり、戦時中に植民地の人たちが混乱しないように、日本語を横書きする場合は左書きするように政府に働きかけ、通達(法律ほどの拘束力はない)として出され、戦後定着しているので、閣議で追認したものです。これに文句を言う人はいません。
 また、近鉄等が大私鉄であるのは、戦時中に中小私鉄を国策により、合併させたままになっているからで、ガス、電気もそのまま軍需のために合併したままですが、だれも文句はいいません。酒税、源泉徴収、郵便貯金、東京の区が他府県と違い大きな独立性を持っているのも昭和18年、軍需を潤滑に稼動させるため国策で行われたものです。でも、だれも文句は言いません。

 日の丸は、アジアの人たちから嫌われ、恐れられているという人がいますが、その場合言うアジアとはひどく限られた国しか指していません。パラオやバングラディシュは建国にあたり、その国旗のデザインを日の丸にあやかりました。また、前述の限られたアジアの国でも、日本から外交使節が来れば君が代を演奏してくれます。事ほど左様に、反日の丸というのは、意図的に戦後しばらくして作られたものです。

 重箱の隅をつつくようで申し訳ないのですが、卒業式の校長は燕尾服が一般的です。それから、卒業生の担任である拝島の衣装は、反日の丸以前の問題で、教師の道から外れています。
 また、卒業式の前の担任は、クラスに貼り付きで、説明したり、服装の点検などしていて、のんびりと保健室に入り浸っている余裕などありません。「思想信条の自由」を生徒に語るなら、ほぼ100%予行演習の前後のホームルームです。

 最後になりましたが、国歌を斉唱しない、起立しない教師を懲戒にかけることは、わたしは反対です。起立しない、歌わない教師は、そんなことをしなくても自然に淘汰されてきています。なぜなら、一般の感覚が許さないからです。

 もう一つ。卒業式に国歌を斉唱する国は、どこかの知事や市長が言うほど多くはありません。ベトナム、韓国、カナダ、ロシア、アメリカは州や学校によって様々です。しかし、卒業式に歌わない国でも、別の記念日には歌っているところが大半です。年間に、入学式、卒業式の、たった2回しか歌わない日本は少数派であると、浅学ではありますが記憶しております。

 
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高校ライトノベル・らいと古典・わたしの徒然草47

2012-05-12 10:53:43 | エッセー
わたしの徒然草47・くさめくさめ

徒然草 第四十七段

 或人、清水へ参りけるに、老いたる尼の行き連れたりけるが、道すがら、「くさめくさめ」と言ひもて行きければ、「尼御前、何事をかくはのたまふぞ」と問ひけれども、応へもせず、なほ言ひ止まざりけるを、度々問はれて、うち腹立てて「やや。鼻ひたる時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、養君の、比叡山に児にておはしますが、ただ今もや鼻ひ給はんと思えば、かく申すぞかし」と言ひけり。
 有り難き志なりけんかし。

 まずは解説から。
ある人(兼好自身かも)が、知り合いの尼さんを連れて、京都の清水さんにお参りにいく途中、この尼さんが、しきりに、こう呟く。
「くさめ……くさめ……くさめ……」
 で、その人は、尼さんに聞いた。
「オバチャン、なんで、そんなに『くさめ…くさめ……』て言うのん?」
 それでも、尼のオバチャンは「くさめ……」をやめない。
 で、その人は、何度も、その尼のオバチャンに聞いた。そして、ようやく答えが返ってきた。
「わたいが、むかし世話してたボンボンが、比叡山(延暦寺、日本の仏教の卸元みたいなところ)に稚児、分かりまっか。坊主の見習いの見習い。相撲でいうたら序の口。野球でいうたら、新人の二軍選手。落語でいうたら前座。物書きでいうたら大橋むつお。そのお稚児はんにならはりましたよって、風邪でもひいて病気にならはったら、あかんさかいに言うてますのや」
 なかなか、見上げた心がけ。ありがたい話やなあ。

 と、こんな内容であるが、さらに解説がいる。
 比叡山延暦寺は、シキタリにうるさいところで、修行中に余計な言葉は、独り言であっても言ってはいけない。
 当時は、クシャミをすると寿命が縮むといわれ、クシャミをしたら「くさめ」というお呪いをいうことが普通であった。
「くさめ」というのは「糞はめ」が転訛したもので、今の言葉では「糞くらえ」になる。
 今は、あまり使わないが、縁起でもないことを誰かがいうと「つるかめ、つるかめ」と言う。怖い話をきくと「くわばら、くわばら」になる。これと同じである。
 で、この「くさめ」は、クシャミをした本人でなくとも、側にいっしょに居る人が言ってもいいことになっていた。まあ、小さな親切といったところ。
 それを、この尼のオバチャンは、遠く比叡のお山にいる稚児のボンボンのために代わりに言ってあげていたのである。比叡山は、湿気と寒さがひどく、風邪をひいたり、それがもとで肺炎なんかになる者もいたと思われる。しかし、修行中の身。たとえ風邪の前兆であるクシャミをしても、「くさめ」のお呪いが言えないのである。
 で、この人は思った。
 なかなか、見上げた心がけ。ありがたいことやなあ……と。

 今の時代、こういうことはあまり見聞きしない。「くさめ」にしろ「つるかめ」にしろ「くわばら」にしろ。これが通じる前提には、仲間というかコミュニティーの存在が前提になると思うのだが、どうだろう。
関西では、あまり知られていないが、関東では「えんがちょ」という言葉がある。
『千と千尋の神隠し』の中で、千尋が、ハクの体内から出てきた呪いを踏みつぶし、カマ爺と千尋の会話にこんなのがある。

カマ爺  エンガチョしろエンガチョ。
千尋  (両の手で輪っかをつくる)
カマ爺  切った!(手で、千尋の手の輪を切ってやる)

 これは、関東で、子どもの間で、たとえば犬のウンコを踏んだり、毛虫を踏み殺したときなどに友だち同士でやった。友だちの中で、なにかのイサカイがあり、特定の子を仲間はずれにするときも、この「えんがちょ」をやった。大阪人であるわたしには、この「えんがちょ」が、まだ現役の言葉なのか、悪い意味で使われているのかは分からないが、コミュニティーの存在があって生きている言葉であると思うのだが、どうであろう。 
 で、現代社会では、この種の言葉が減ってきた、または変質してきたように思う。
 現代社会で残っているのは、千羽鶴を折ってあげることや、女の子が、好きな男の子にミサンガを編んであげることに変形している。または、募金をつのったり。
 それらのことは、けして悪いことではない。しかし、なにか心理的な構えが、そこにはあるような気がする。
 ミサンガを編んであげるのは、そこにいくまでの関係の発展……つまり、お互いが相手を異性として認め合うという手間のかかるプロセスが必要で、また、個人の間の、ひどく狭い関係の間に成り立つことである。
千羽鶴、募金は、それを実行するために仲間同士でアラタマッタ話をした上で行われることで、「くさめ」や「えんがちょ」のように、反射的に出てくるものではない。
 そういうところに、なにか寂しいものを感じるのだが、考えすぎだろうか。
 
 逆の表現は豊かになった。「なんちゃって……」「べつにぃ……」「まじぃ……」「やば……」「むり!」「うざい」「めんどい」「死ね!」などなど、相手と距離を置く、あるいは拒絶する言葉である。
 いささか、寂しい目で見すぎであろうか……?
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高校演劇・こんな情報を待っていました^0^

2012-05-11 07:12:08 | エッセー
こんな情報を待っていました^0^
 ブログというのは、9割方一方通行に終わってしまうのですが、時々、ありがたい反応や、情報がいただけます。湘南の中高演劇の指導者柊かおるさんや、大阪の某校演劇部のコーチのベジタリアンさんです。
 こんな本があったらいいな。とブログで書いたところ、情報をいただきましたので紹介します^0^!

思い当たる台本 (ベジタリアン)

2012-05-10 21:25:20  大橋先生の挙げた台本の中に『ピグマリオン』がありましたね。
 私のお気に入りの台本の一つに『淑女のお作法』という題の台本があります。
 高橋いさをさんが書かれた台本で大阪市立中央図書館にも置いてあります。
 その台本なのですが、なんと『ピグマリオン』をベースにしています。
 主人公が高校生ですので演じやすいし、何といってもテーマがはっきりしています。
 私の中では是非高校生に演じてほしいものです。
 先生もしも読まれたことがないのなら、是非読んでみてください


さっそく検索しました。

【淑女のお作法】作・高橋いさお

 あらすじ

「女性の美しさは生まれ持ったもの」
 有名マナー研究家を母に持ち、母のそんな考えに疑問を抱いた息子「吾郎」
 そこで、彼はそんな母の考えを覆すためにある計画をたてる
 それはガサツな不良女子高生「吉田ともみ」を、誰もが認める
 1人前の淑女にすることだった…
(公演パンフレットより)

 この本は、プロ用の芝居のようです。声優養成学校の卒業公演などで演じられており、登場人物は15人、上演時間は90~120分かなと、思います。大阪市立図書館で、当たってみたいと思います。
 ただ、登場人物の多さと、時間的な問題で、相当なレジーが必要かと思われます。著作権の問題もあるので、登場人物5人程度で、自分で翻案してみたいと思います。しかし、ベジタリアンさんは、よく本を読んでいらっしゃるようです。
 こんな感じで、緩やかに高校演劇の応援団が結びつき、情報交換ができればと思います。
 ベジタリアンさん、ありがとうございます!
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高校演劇・こんな演劇部があった!!

2012-05-10 07:58:04 | 評論
こんな演劇部があった!!
 高校演劇というと、創作劇、それも「等身大の高校生」というフレーズが昔から流行っていましたが、わたしには、昔懐かしい「造反有理」などという言葉のネガのように感じられてきました。高校演劇は、創作と等身大のラビリンスに落ち込んでいました。そこに一石を投じるような取り組みがありました。少し長くなりますが、ご紹介します。

フルタルフ文化堂さんの記事から

フルタさんのプロフィール
本名/フルタ。1961年生まれ。演劇のプロデュース公演をしたり、教師や演劇部顧問のふりをして生活している。ここは、日々のとまどいやため息のいくつかを、残しておくためのページである。



■[演劇]高知追手前高校演劇部/岡本綺堂作「番町皿屋敷」


 5/3~5の3日間、高知県の春の高等学校演劇祭に、昨年度に引き続き、講師審査員として招かれた。今年で26回目。高校生が元気だというのが高知の印象。演劇に向かい合おうという意思が感じられて、とても頼もしかった。以下、何回かに分けて、各校の感想を記したい。



1 高知追手前高校演劇部/岡本綺堂作「番町皿屋敷」



 事前に配布された台本を見ると「大正5年1月」とある。旧かなづかいで書かれた古い台本を、高校生が上演しようと試みた意欲を買いたい。これほどまで、チャレンジングな作品選定をする学校は、全国を見回しても、そうはあるまい。この演劇祭でも随一だろう。そのチャレンジングな姿勢に敬意を表して、本作については長めに語ってみる。



 「番町皿屋敷」と言えば、歌舞伎や講談として江戸時代からよく知られた題材。それを大正時代にあえて戯曲化した作者の岡本綺堂の意図を考えないといけない。



 とくに「一枚、二枚・・・・一枚足りない」というお菊の幽霊のシーンは有名。おじいさんおばあさんなら誰でも知っている。だが岡本綺堂の作品には、そのシーンはない。代わりに主人公である青山播磨が「一枚、二枚」と数えながら、皿を割る場面がつけ加えられている。よく知られたエピソードを本歌取りしつつ、怪談話にしたくないという綺堂の意地と機知をよく示した場面と言えよう。



 主人公の旗本青山播磨と腰元お菊は恋仲である。播磨に見合い話が持ち上がったことで、彼の真意を試そうと、お菊は家宝の十枚一組の皿のうちの一枚をわざと割る。そこにあるのは、封建社会に生きる運命に柔順な女性の姿ではない。愛に生きようという個人としての確固とした意志の発露である。一方の播磨は、男の真心を試そうとしたお菊の意図を知り、無念さと怒りを感じ手討ちにする。



 そこに描かれているのは「愛」という個人的行為の成就のために意志的に行動する「近代人」と、愛する者を殺さなければならない状況におかれた個人の「葛藤」である。それは、シェイクスピア以降の西欧近代演劇が何度も描いてきた主題と重なる。本作は、ヨーロッパ流の演劇をめざす「新劇」に強く影響されて再解釈されているのでる。



 追手前高の上演は、様式性が強い。シンメトリーの簡素な抽象舞台、衣装の抽象化、会話している者同士が向かい合わず(視線もあわせずに)、客席の正面を向いて喋る。リアクションを取らない。これらの演出自体は、「能」的な空気と空間すら感じさせ、古典的内容にはふさわしい。だが実際の上演では、登場人物が「いま-ここ」を生きている実感に乏しく、様式を表面的になぞるだけで終わっているように見える。



 また追手前高は「ナンバ歩き」を試みている。「ナンバ」とは「右手と右足、左手と左足を同時に出す」日本人の伝統的な歩き方である。西欧的な行軍練習などが日本に導入されてから、いつのまにかナンバはすたれてしまった。それをやろうとする追手前高の皆さんの努力は買う。だが単なる投げかけで終わってはもったいない。形をなぞることが目的ではないはずだ。追手前高の皆さんは、身体を通して、江戸時代に生きた人々の実像にたどりつき、より深く理解しようと思ったから、ナンバをやろうとしたはずだ。だとしたら「ナンバ」を身体化するところまでつきつめないといけない。身体化とは「その作品世界で求められる振舞い方を空気のように身につけること」。また「ナンバ」以外にも、さまざまなことを学ばなければならない。たとえば明治以前の人々の座り方について書かれた新書も出ている。谷田部英正「日本人の座り方」なども参考にすること。http://d.hatena.ne.jp/furuta01/20110412/1302577187


さらに必要とされるのは、それをベースにして、台本に書かれている「近代人としての葛藤」を盛り込むことだ。シェイクスピアは16世紀に活躍した人だが、題材を中世や古代にとって、その中に近代人の葛藤を盛りこもうとした。そう考えると、岡本綺堂のやろうとしたことは、シェイクスピアのやろうとしたことに重なる。だとしたら、シェイクスピアをはじめとする西欧の近代演劇と、その時代背景、そしてこの作品の書かれた大正時代についても理解を深めた方が、この作品の構造をより深く理解できるはずだ。



 こう考えると、芝居作りが、気の遠くなるような作業に思えてくる。高校生の身の回りの世界を描く芝居が、今の高校演劇に圧倒的に多いのも当然だろう。身近な題材を選べば、難しい本を読む必要もないし、それほど背伸びをしなくてもいい。「身体化」など考えなくてすむ。しかし追手前高の皆さんは、この作品を選んだからこそ、未知の深い世界への入り口に立つことができた。オイラはそうしたチャレンジを試みる高校生を、お世辞ではなく尊敬する。



 表現を深めていくためのヒント



 本をたくさん読んで頭でっかちになる前に、まずは身体実感を広げることをから始めてみよう。様式的な作品だからと言って、作品に生きた人間が息づかないはずはない。個人の葛藤を描こうとするのなら、なおさらのこと。基準は自分の身体にある。役の立場に則って、相手役の人のセリフを聞いて、感じたこと、そのときの気持ち、そしてどんなリアクションが取られるかを問い直してみよう。



 たとえ演出から「リアクションを取るな」と言われたとしても、あなたは心中の問いかけをやめてはならない。もちろん演出が「リアクションを取るな」と指示することは妥当である。それがこの芝居のスタイルなら、そしてそれを演じる側が受け入れて、メンバーの共通理解になったのなら、役者はその指示に従うべきだ。だが、ああそうか、リアクションを取らなければいいんだ、そう考えて思考停止してあとの箇所をボーっとつっ立っているだけでは、この芝居は深まらない。



 リアクションを取ることは自然な行為である。自然な行為が規範によって禁じられると、なおさら感情のうねりが、表情や動作に出ようとする。ましてやこの作品世界は、強い葛藤が支配している。殺人の場面もある。だから、あなたは思わず微妙に動いてしまうかも知れない。だが「リアクションを取るな」と指示した演出は、その抑制されたリアクションの自然さに、OKを出すかも知れない。

 

 「いま-ここ」で感じ、その結果として生じた身体の葛藤や緊張こそが、劇的なのだ。恋愛をはじめ、昔は振る舞い方に規範があり強い制限があった。だからこそ、恋愛などの個人的な感情の発露にとまどい、葛藤し、抗ったのである。シェイクスピアをはじめ、近代演劇の作り手は、そこに着目した。この台本がまた個人の葛藤を表現を要求するなら、スタイルという規範の中で、役者もまた、精一杯葛藤してみることだ。



 演劇の魂を演技にこめよう。それらしい振る舞いをなぞるだけでは魂は宿らない。役者なら、登場人物の心を動きを、論理的に理解したうえで、その切なさを誰よりも感じること。お菊と播磨ために心の中で泣いてやれ。それが魂をこめるということだとオイラは思う。



青空文庫 岡本綺堂作「番町皿屋敷」http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1309_20626.html



わたしの注目点
 今の高校生、顧問の先生の大方が、人の本を読みません。高校演劇の世界でも、創作、等身大の高校生の表現を奨励する風潮があります。わたしには、なんだか大昔の「造反有理」「反戦平和」ほどに軽い言葉に聞こえます。
 その中で、この高知追手門高校の取り組みには、高校演劇が復権する、足がかりになる要素があると思います。
 既成脚本を、高校生がコンクール等で上演しようとすると、上演許可がいります。しかし、昔の作品には著作権が切れて、自由に上演できる本が、探せばあります。高知追手門高校さんなどは、そういう意図ではないのでしょうが、結果的に、そういう道を指し示してくれました。
 『星の王子さま』『にんじん』『ピグマリオン』などは、著作権が切れています。チョー有名なシェ-クスピアの作品もそうです。

 なにも、上演料惜しさに言っているのではないのです。それらの古典の中には、フルタさんがおっしゃるように、古い酒壺の中に新しい酒を入れることができるのです。
 前記した『ピグマリオン』は、ご存じ無い方が多いと思いますが、『マイフェアレディー』の原作と言えばおわかりになるでしょう。ロンドン下町の花売り娘イライザをヒギンズ教授が一流のレディーに仕立て上げていく、ラブコメディーです。これを、さえない女子高生に置き換えれば、「愛されることの意味」を問う、立派な現代劇になると思っています。
 やはり演劇の王道は、たくさんの本を読んでおくことだと思います。有名な『ウェストサイドストーリー』は、『ロミオとジュリエット』のオマージュです。

 へたな創作ばかりでは、高校演劇は痩せていくばかりです。高校演劇は高校吹奏楽にかないません。なぜでしょう?
 吹奏楽には、スタンダードがあります。イベントに呼ばれて演奏しても、「あ、この曲知ってる!」で、聞いてもらえます。当然、そこには、自分たちなりの編曲があります。これが、高校演劇と、高校吹奏楽の大きな違いです。
 参考になれば、幸いです。
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こんな資料をみつけました

2012-05-05 07:28:29 | 評論
こんな資料をみつけましたこんな

大阪府高等学校演劇連盟総会で検索すると、こんな資料が出てきました。

均衡のとれたブロック編成
 今の9地区ではなく。10地区でした。地区も12校から15校とバランスがとれていることが分かります。現在はA地区8校。I地区15校と、大きな開きがあり、ネットでは公開されていません。
 コンクール参加校については、99年度の資料はありませんが、01年では91校でした。この10年では08年の72校の参加が最低でした。昨年は84校以下です。公には85校と発表されていますが、棄権校1校を確認していますので、84以下(他に棄権校があったかもしれません)です。こういう点でも、情報の公開が待たれます。
 加盟校も129校と、現在の105校よりも24校多いようでした。

オープンな情報公開
 現在の連盟のサイトでは、加盟校の一覧はありません。活動計画も09年と10年の両年だけは載っていますが、その前後は無いようです。情報公開と、連盟の活性化について試行錯誤がなされたようにお見受けいたします。
 ザックリ言って、公開される情報は減ってきているような印象をうけます。99年に比べ、この2012年のパソコンの普及率の高さには雲泥の差があります。携帯やスマホからでも情報が得られる現在。もう一歩踏み込んだ、情報公開がなされるべきかと思います。今は常任委員の先生が一人で、連盟の広報を担っておられますが、地区毎に情報を連盟の広報に送られ、内容の充実をはかられてはいかがでしょう。

   
                                                 99年度加盟校一覧(129校)
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<<Index>>
 A地区  B地区  C地区  D地区  E地区  F地区  G地区  H地区  I地区  J地区
地区大会日程

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A地区

A地区加盟校一覧(13校)
池田高等学校  追手門学院大手前高等学校   大阪教育大池田高等学校  大阪福島女子高等学校 金蘭会高等学校 桜塚高等学校 少路高等学校 宣真高等学校 豊中高等学校 西野田工業高等学校 梅花高等学校  都島工業高等学校  淀川女子高等学校
--------------------------------------------------------------------------------
B地区

B地区加盟校一覧(12校)
 追手門学院高等学校  北千里高等学校 吹田東高等学校 摂津高等学校 千里高等学校 豊島高等学校  東豊中高等学校  福井高等学校 箕面高等学校  箕面自由学園高等学校  箕面東高等学校 山田高等学校
--------------------------------------------------------------------------------
C地区

C地区加盟校一覧(13校)
芥川高等学校 阿武野高等学校 茨木東高等学校 大冠高等学校  大阪成蹊女子高等学校  北淀高等学校 柴島高等学校  金光第一高等学校   高槻北高等学校  高槻南高等学校 鳥飼高等学校 東淀川高等学校 三島高等学校
--------------------------------------------------------------------------------
D地区

D地区加盟校一覧(14校)
磯島高等学校  大阪国際大和田高等学校  交野高等学校 関西創価高等学校 長尾高等学校 長尾谷高等学校  西寝屋川高等学校   寝屋川高等学校   東寝屋川高等学校   枚方高等学校   枚方津田高等学校  枚方西高等学校 牧野高等学校 守口高等学校
--------------------------------------------------------------------------------
E地区

E地区加盟校一覧(15校)
旭高等学校 扇町高等学校 大阪国際滝井高等学校  大阪産業大学高等学校  大阪信愛女学院高等学校 加納高等学校  四條畷高等学校   四條畷学園高等学校  四條畷北高等学校 成城工業高等学校 相愛高等学校 大東高等学校 鶴見商業高等学校 西高等学校 野崎高等学校

--------------------------------------------------------------------------------
F地区

F地区加盟校一覧(12校)

大阪女学院高等学校 勝山高等学校  関西福祉科学大付属高等学校   近畿大付属高等学校  清水谷高等学校 樟蔭高等学校 花園高等学校  東商業高等学校   プール学院高等学校  南 高等学校  八尾北高等学校   八尾東高等学校 
--------------------------------------------------------------------------------G地区

G地区加盟校一覧(14校)

生野高等学校  大阪教育大天王寺高等学校  大阪女子高等学校 金岡高等学校 工芸高等学校 堺女子高等学校 堺市立商業高等学校  四天王寺高等学校   天王寺高等学校  長吉高等学校 初芝高等学校 平野高等学校 松原高等学校  明浄学院高等学校 

--------------------------------------------------------------------------------
H地区

H地区加盟校一覧(12校)

泉尾工業高等学校 市岡高等学校 今宮工業高等学校 大谷高等学校  港南高等学校  城南学園高等学校 住吉高等学校  住吉商業高等学校   帝塚山学院高等学校  阪南高等学校 東大谷高等学校 東住吉高等学校
--------------------------------------------------------------------------------
I地区

I地区加盟校一覧(13校)

 大阪女子短期大学付属高等学校  河南高等学校 金剛高等学校 狭山高等学校  清教学園高等学校  千代田高等学校 富田林高等学校 長野高等学校 長野北高等学校 農芸高等学校 羽曳野高等学校  PL学園高等学校  美原高等学校
--------------------------------------------------------------------------------
J地区

J地区加盟校一覧(11校)

 和泉高等学校  岸和田高等学校 砂川高等学校  堺上高等学校 堺西高等学校 堺東高等学校 泉北高等学校  泉陽高等学校 高石高等学校 伯太高等学校 日根野高等学校
--------------------------------------------------------------------------------
地区大会日程
11月初旬に、A~Jの10地区に別れて開催します。
地区 会場 日程 A地区 金蘭会高校  3(祝) B地区 追手門学院高校 14(日) C地区 茨木市青少年センター  6(土)・ 7(日) D地区 枚方公園青少年センター 13(土)・14(日) E地区 四条畷北高校  6(土)・ 7(日) F地区 関西福祉科学大学高校  6(土)・ 7(日) G地区 平野高校 13(土)・14(日) H地区 東住吉高校 13(土)・14(日) I地区 富田林公会堂 13(土)・14(日) J地区 岸和田市立まどかホール  6(土)・ 7(日) --------------------------------------------------------------------------------
地区大会終了後には上演校、上演作品名をのせます。
大阪府高等学校演劇連盟の加盟校は今年度、129校です。
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高校演劇、クラブはつらいよ春編その3

2012-05-04 07:09:52 | エッセー
クラブはつらいよ 春編その3

あっ……という間に連休も終わり、気がつきゃ中間テストの直前。たいていの学校ではテスト一週間前の部活動停止期間。さあ、あなたのクラブでは何人の新入部員が残っているだろうか? ここでは一応三人程度の新入部員が残っている(それ以上残っていれば喜ばしいかぎりだが)として話を進めていくことにする。

(1)基礎練習について
 前回言ったように体育会系の練習は続いているだろうか。グラウンド二周のランニング「あ、え、い、う、え、お、あ、お」「あめんぼ赤いな、あ、い、う、え、お」ヨイショの習慣は身に付いただろうか? ここまで続いているようなら、クラブの基本的なリズムはできたと言っていいと思う。このあたりから、基礎練習にしろ、なにか具体的な進歩が見えてこないと部活そのものがルーチンワーク……決まり切った仕事を、先の進歩も見込めず、ダラダラやることになり、意欲は急速におとろえてくることになる。具体的な公演のスケジュールを持たなければならない。連盟によっては六月の頭くらいに新人の公演会を持っているところもあるが、無いところは、視聴覚教室などを借りて、小公演を持ったほうがいい。まとまった四・五十分程度の芝居ができればいいのだが、それをやるためには、もう先月の段階で上演する本が決まっていなければならない。無理をせずに、いつもやっているコント(エチュード)を四つほどならべてオムニバス(語源は、乗合馬車の意味。つまりなんの関連もない小作品を連続して商品見本のように一山いくらで見せる手法)できたら、共通というか通底したテーマが持てればいいのだが、今まで紹介してきたようなコントの連続上演でもいいと思う。同じコントといっても、基礎練習の一つとしてやるのと、人に観せることを前提に稽古するのとでは、気持ちの入りようが、タイ焼きにあんこが入っているかいないかほどに違う。のちほどコントを紹介するが、同じコントをちがうチームで解釈や演出を変えてやってもいい。しかしさすがに全部同じコントでは飽きられるので避けるべきである。そういう公演があることを前提に基礎練習を語ってみようと思う。

(無対象のメソード)
(1見えない壁) 目の前に壁があると想定して、その壁に両の手のひらを肩幅に広げ、触れてみる。まず垂直に手のひらが壁についているか、自分で点検し、他の部員にも点検してもらう。案外自分では垂直だと思っていても前後左右にかたよっていたり、壁が平面にならず球体になっていたりする。平面であることの感覚が点検できたら、片方の手はついたまま、もう片方の手を左右どちらかに移動させる。このとき残っている手が動いてはいけないし、新しくつきなおした手が同じ壁の平面についていることを点検する。そして同じことをくり返して五メーターほど移動してみる。自分でも、他の部員が見ても平面な壁が実感できれば、一応完成。次に同じことを上下、斜め、開く手の間隔を変えてやってみる。 左右のときと同様に壁が実感できれば完成。次にこれをできるだけ速くやってみる。 どこまでリアリティーを失わずにできるか競ってみるのもおもしろい。
(2吸い付く壁)1の見えない壁の応用編。たとえば、壁に粘着力のあるゴムなどが塗ってあると想定して1でやったことと同じことをやってみる。手をはがすときの感覚をいろいろ変えてみる。完全に手が壁にくっついて離れないという設定もやってみる。体を前後左右に動かしてもとれない。他の部員が手をかしてやっととれる。今度はその部員の手が離れない、何度かくりかえしているうちにやっと二人とも離すことができて喜び合う。二人ができたら、三人で試してみる。同じことをゴムではなく鉄板の壁に磁石を仕込んだ手袋をはめていると想定してやってみる。ゴムと磁石のちがいを実感できれば完成。
(3みんなの壁)略してミンカベ。部員の半数で上記1.2のことをやり、残りの半数はリアリティーが失われていないか観察。できているようなら、残っている半数で手をたたいてリズムをとる。ミンカベをやっている者たちはそのリズムに合わせてやってみる。簡単な四拍子(タンタンタンタン……)くらいから始めて、ジャズのような裏拍(ンタンタンタンタ……)まで、最後はジャズやロックを流し、その音楽にあわせてやってみる。
(4壁の点検)略してカベテン。ここまで高度になってくると分かってくる人もいるだろう、神経が二重三重になっていることが。壁の無対象をやっている自分。人の動きを観察し、それに合わせようとしている自分。音楽のリズムに合わせている自分。そう、これは無意識に神経を多重につかうメソードでもある。そして、気づいた人もいるだろう「わたしは、できない! あいつはできるのに……」もしくは「あいつ、あそこはできるのに、どこそこはできてない」
 これは、おじょうず、へたくそ、というより個性であるととらえた方がいい。実際できている子でも、「あ、ちがうなあ」というところがあるのではないだろうか? どうもできてないなあ、と感じたら、二三歩もどったところからやりなおせばいい。特に、個人的にはできても集団になったらできない場合は、みんなで同じリズムをとる練習や、以下に示す(信頼のメソード)で、修正してもらいたい。
(信頼のメソード)部員を半分に分け、半分は点検のための観察にまわる。まず二人一組になり、一人は人差し指をさしだし目をつぶる。もう一人は目を開いたままそっと人差し指をさしだし、相手の人差し指の腹にそっと触れる。そして稽古場になっている教室やグラウンドを安全に連れ回す。意図的に他の組と交差するように動かすと効果的である。指先一点だけで相互に情報のやりとりをするのである。誘導される方は腰が引けているようではだめである。また、誘導する側は相手の安全に気を配り、かつ大胆でなければならない。信頼関係ができていないカップルは見ていればすぐにわかる。個人的な演技はうまいが、アンサンブルのとれない役者にはいいメソードである。ただ一つ注意してもらいたいのは、高校生のレベルでは段差のある場所は避けてほしいことである。完全な信頼ができていると、多少の段差の情報は伝えることができるが、高校生のレベルでは危険がともなうので避けてもらいたい。

(発声のメソード)
 前回、声には方向と目標があることを指摘し、そのためのメソードを紹介した。今回は前回に後回しにした「声には目的がある」ということを指摘しておきたい。目的とは言葉の力と意味と言い換えてもいい。
 チェーホフの「ワーニャ伯父さん」の中で、主役のワーニャ伯父さんの姪のソーニャが愛するアーストロフが酒を飲み過ぎ、アーストロフからグラスを取り上げるシーンがある。「……いけませんわ、後生です、お願いですわ」と、ソーニャ「もう飲みますまい」と、グラスを差し出すアーストロフ(新潮文庫 神西清訳)そこでこのシーンは終わり先へと進んでいくのだが、ロシアの劇団で上演されたとき、何度目かの公演でアーストロフがソーニャの台詞が終わってもグラスを渡さなかったことがある。ソーニャ役の若い女優さんは困り果て(なんせ、芝居が進まない)しぼりだすような声で「後生ですから……」 そこでやっとアーストロフはグラスを渡した。なぜこんな意地悪をアーストロフ役の役者さんはやったのだろうか? それは彼女の台詞に目的(言葉としての力と意味)が無く、ただのダンドリとしての声しかなかったからである。このように発声の「目的」は重要なのである。
(1、発声に目的を持たせる)「あ、え、い、う、え、お、あ、お、」や「あめんぼ赤いな……」になんらかの意味を込めて、相方の部員に投げかける。受け止めた部員はそれに応えや疑問などを乗せて「浮き藻に小エビも泳いでる」とか「か、け、き、く、け、こ、か、こ」と応えて、最後までつないでいき、それを見ていた部員たちが二人の間でどんな気持ちのやりとりがあったかを言い当て、やった二人がそのあとでなにをやりとりしたのかを答える。最初はヘキサゴン並のトンチンカンで大爆笑。しだいになんとなく分かってくるから不思議である。ただ、一度通じた内容は当分使わないで、新しい話題にすること。基本的には言葉だけで、身振り語(ジェスチャー)は禁止であるが、最初のころは身体表現の意味ももたせてOKにしてもいい。            (2、一言コント)言葉を一つだけ使ってチョー短いコントをやってみる。例をいくつかあげてみる。
○ミルク
客 ミルク(ちょうだい)
店員 ミルク(ですか?)
客 ミルク(そうだよ)
店員 ミルク(探す)
客 ミルク(はやくしてよ)
店員 ミルク(奥の店員に聞く)
二人 ミルク(奥の店員の答えを聞いている)
店員 ミルク(切れてるんだって、もうしわけないです)
客 ミルク(飲みたかったのに、残念だ)
○チャウチャウ(関西向き)
A チャウチャウ(チャウチャウという犬だ)
B チャウチャウ(?)
A チャウチャウ(かわゆい!)
B ちゃうチャウチャウちゃう(ちがう、チャウチャウじゃないよ)
A チャウチャウちゃう(チャウチャウじゃないの?)
B チャウチャウちゃう(チャウチャウじゃないよ)
A ちゃう(ちがうんだ)
B ちゃう(ちがうって言ってんだから、早くいこ!)
○あれ(状況をいろいろに設定する)
A あれ(あそこ見てよ)
B あれ(?)
A あれ、あれ(あれだよ、あれ)
B あれ(あれかい?)
A あれ(あれだよ)
B あれ、あれ(あれ、あれーなんだかへんだ)
A あれ(あれ、へんだ)
AB あれ(たいへんなことになった!)

(そろそろ本を読もう)
 文化祭やコンクールが、半年後ぐらいに迫ってきている! 今のうちに本(戯曲、脚本)を決めよう。わたしは高校生のころ、授業中はたいてい本を読んでいた。そのためか留年し、四年間高校にいくはめになった。二年生を二回やったので、修学旅行も二回行った! コースも宿舎もいっしょ。バスも同じバス会社で、バスガイドのオネエサンも二日目は同じ人! 最初の修学旅行で善光寺の門前町のおみやげ屋で買い物をしたら「ご縁がありますように」と、五円まけてもらったら、きっちりご縁があって同じ店に……は入らなかった。話をもどそう。わたしは、その四年間で二百本ぐらいの戯曲を読みこんだ。木下順二の「夕鶴」から、当時定番だった未来社の未来劇場と言った戯曲のシリーズ。井上ひさし、別役実、清水邦夫、安部公房、唐十郎などなど、今はかなり大きな本屋さんに行かないと戯曲は置いていない。その大きな本屋さんにも高校生向けの本となると、門土社、晩成書房、星雲書房などがほんのチラホラ。ネットで検索して取り寄せるぐらいしか手がない状況であるが、日頃から、ネットで読めるものを読んだり(小規模演劇部用戯曲などで出てくる)図書館や書店に寄って本の背中だけでも見ておくべきである。二年生の終わり頃には二百本ぐらいは読んでおいて欲しい。そして読んだ本はメモ帳にだいたいの上演時間、分からなければページ数。そして男女別に登場人物の人数、版元、できたらあらすじや、気に入った台詞の一部でも書いておけば上出来! 
(無料で芝居を観よう!)
 学校にはいろんな劇団から、公演の案内がきており、たいがい演劇部の顧問や、芸術鑑賞担当の先生のもとに送られてくる。その半分ほどには招待券が付いており、忙しい先生たちは観に行くひまがなく、その多くが廃棄されている。先生と話しをつけてキープしておき観に行くことを勧める。ただ場所と時間に気をつけ、なるべくマチネー(昼の公演)を選んで行くといい。「芸術は場数」演るばかりでなく、観ておくのも場数の一つである。他校の公演や合同の発表会を一学期のうちに数多く観ておこう、他校の特徴、傾向をつかむ。また他校が持っている照明器具などの機材、レンタルならばそのレンタル先の確認。そして仕込みの手順やら、マナーなども知っておくことができる。秋のコンクールでおたつくことがなくなる。また、この学校はスゴイと思ったら、正直に「すごかったです!」と感動を伝えておき知り合いになっておこう。のちのち見学(一年生などにはいい刺激になる)したり、機材を借りるときのコネに……交流のいいきっかけになることまちがいなし!

          今月のコント(オタカラ)
A ここで間違いないんですか?
B むこうから数えて三番目なんですよね?
C ああ、間違いない(見取り図を見る)縦に四番目、横に三番目のブロック。たしかにここだ。手袋をしろ。
A ほんとに、こんなもんで分かるんですか?
C ああ、でも反応の差は微妙だからな、注意してやらないと見落とすぞ。
B 重たいっすね。
C あたりまえだろ、手のひら側に強力な磁石が仕込んであるんだからな。すっぽ抜けないように、手首のベルトしっかりしめとくんだぞ。
AB へい(手首のベルトをしめなおす)
A ……それにしても、すごい数っすね。
C ああ、でたらめにやってちゃ時間の無駄だ。おまえは右から、おまえは左、オレは真ん中あたりからやるからな、
AB へい。

三人それぞれのポジションにつき、磁石付き手袋でコインロッカーを一つずつ調べる。平面の感覚、手袋が鉄のロッカーに吸い付き、離れるときの感覚を正確に。時々ためらって、調べ終わったロッカーを調べなおしたりする。

B  しかし、こんなもんで分かるんですかね?
C オタカラは鉄の箱に入っているから微妙にちがうんだ。
B しかし、めんどいっすね。
A 文句たれずにやれよ。これがヒットすりゃあ五年は遊んで暮らせるんだからよ。
C そうよ、勤労の精神を大事にしなきゃいけねえ。
B とは言いましてもね……ん?
A 文句たれずに……
B シッ! ヒットした!
C やったか!?
B はいはい、ぴったりくっついて……離れねえ……
C しょうのねえヤロウだな(手伝いにいく)う~ん……こいつは……おまえも手伝え。
A へいへい(手伝いにいく)
三人 う~んこらしょ!!(やっと離れる)
A こりゃたいしたオタカラなんでしょうね!?
C 開けてみろ!
B へい(針金で簡単に開ける)
C どけ、オタカラはおれが直接……
B へいへい。
C ……こりゃ!?
A どうか……
B しましたかい?
C 逃げろ、爆弾だ!
AB ギョエ!
三人 ドッカーン!!

スローモションで吹き飛ぶ三人

三人 ありがとうございました!(礼)

コインロッカーも持道具も無対象。男の台詞ではあるが、むろん台詞に手を加えて女子部員でやってもかまわない。コインロッカーの平面と手が吸い付き離れる感覚を大事に。吹き飛ぶスローモーションは、安全を考えてのことであるが、演出的効果もねらっている。正確に、多少のデフォルメを加えおもしろく工夫してもらいたい。
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西村和洋さんのお話に共感して

2012-05-03 22:19:02 | エッセー
西村和洋さんのお話に共感して
四国高演協だよりに載っていた、西村和洋さんの以下のお話が、とてもいいので転載させていただきました。


■[演劇]西村和洋「高校演劇におけるフィクションを考える-三島由紀夫『葵上』の上演を通して」その1
                                    

1.高校演劇の何が問題なのか……等身大の演劇に欠けているもの



 語弊があるかもしれませんが、どうにも高校演劇に関わる人々の中に、高校生の日常で起こる出来事から物語を綴ったような等身大の創作脚本を上演することが、その王道であるという錯覚があるように思います。この背景には、作り手に高校生と顧問しかいない状況の中で、有効な俳優のトレーニング方法を見つけられず、何をリアルと捉えて良いかわからない感覚があるのではないかと私は思っています。



 リアルとは何か、と問いかけられた場合、多少の言葉の差はあっても、高校演劇では「生きた高校生が舞台に存在すること」と捉えているように思います。ここで「生きた高校生」という言葉がクセモノになってきます。生きた高校生とは、生き生きとした等身大の高校生が物語の登場人物として舞台に存在するということでしょうか。それとも高校生が物語のある役となり、生きた俳優として舞台に存在するということでしょうか。今のところ前者で捉えられているケースが圧倒的に多いように私は思います。



 大人しか登場しない既成の戯曲は高校生の演技では説得力を欠くと考えられますし、また大人ばかりが登場する戯曲に取り組むことは良いけれど、形だけをなぞっただけのひどく不格好な作品になってしまう。むしろ、高校生なのだから、高校生の感性に合った脚本、それも演じる必要のない当て書きされたような脚本が、最も効率良くリアルな演劇をつくることができるに違いないという直感が働くためだと思います。私はこうした一連の考え方について、高校生のつくる演劇にこれほど単純明快なリアリティを与えるものはないと思います。



 しかし、演じるとは何をなすことなのか、演劇の醍醐味は何なのか、ということを今一度考えてみますと、演じることを求めない演劇のつくり方ばかりが横行する現状を私はたいへん寂しく思うのです。いやいや、台本を憶えて、段取りを憶えて、今まさにそこで生まれたようなみずみずしい演技を目指しているのだから、どれも演じることをきちんと求めた結果のものだ、と言うかもしれません。嘘のない、素晴らしい演技だと。そして、最も素直でリアルな演技だというかもしれません。残念ながらそこにはどれもフィクショナルな身体が存在していない。演技者の生理感覚に従っただけのある種テレビドラマ的なナチュラルさ、あるいはバラエティ番組的なギャグセンスがあるばかりです。特に台詞は単なる言い方ばかりに注目が行き、台詞の言い方がよりそれらしくナチュラルでありさえすれば「リアルで上手い」などと評価されます。高校演劇ではフィクションを生きる方法が一般的に知られていないため、役を自分に近づける、いやそれよりむしろ等身大の自分が役として舞台に登場する。テレビドラマに例えるなら、ある流行のタレントさんがいろんな作品の役として登場するけれども、作品が変わってもそのタレントさんの演技そのものに全く変化がないのと同じことです。



 フィクションという言葉はどこか誤解されていて、架空の、作り事の、嘘の、とマイナスのイメージで捉えられがちですが、フィクションを生きる俳優の存在が高校演劇にはほとんどありません。フィクションを生きるとは、舞台に日常の身体感覚を持ち込まないことが前提です。果たしてフィクションを生きる、あるいはフィクショナルな身体の造形をつくるということは、高校演劇には不可能なことなのでしょうか。私は、高校生がフィクションを生きることができたならば、高校演劇の持つ可能性をさらに推し進めることができると考えています。



   つづきはこちら 「高校演劇におけるフィクションを考える――三島由紀夫『葵上』の上演を通して]その2 http://d.hatena.ne.jp/furuta01/20120426
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高校ライトノベル・らいと古典・わたしの徒然草46

2012-05-02 21:45:15 | エッセー
わたしの徒然草46『強盗法印』

徒然草 第四十六段

 柳原の辺に、強盗法印と号する僧ありけり。度々強盗にあひたるゆゑに、この名をつけにけるとぞ。

 上京区の柳原のあたりに、強盗法印と、あだ名を付けられた坊主がいる。度々強盗に遭うため、こんなあだ名が付いたそうだ。

 口語訳するとこれだけである。
 いろんな人が意訳している。この坊さんは優しい人で、貧しい人を見れば、放っておけず、身ぐるみ脱いで与えてしまう。寺にかえって「どうなさったんですか!?」と、聞かれると、「いや、そこで強盗に遭っちゃってさ……」と、はにかみながら誤魔化していた。という人情話めいたものから、しょっちゅう強盗に遭っている不用心な間抜けな坊主である。というものまで。
 この段は、前の四十五段と対になっており、あだ名のおもしろさを言っている。四十五段の「榎木の僧正」が、気短で了見の狭い坊主のことを言っているので、この「強盗の法印」は逆のイメージの坊主のことを言っていると受け止めるとバランスがとれるのだが、たった二行では、まったくの想像にしかならない。

 あだ名については、前号で書いたので、ここでは話を広げて名前について、タワムレに考えてみたい。
中宮定子は、学校では「ていし」と習った。もう四十年前の話である。そのころNHKの歴史教養番組で、「さだこ」と読んだ説が有力であると聞いて、教育実習で「さだこ」という説もあると言って、担当の先生に叱られた。
 今は「~子」と書いて「~し」ではなく「~こ」と読むのが主流になりつつあるようで、NHKの大河ドラマ『平清盛』では、女性の名前を「~こ」と呼んでいる。
 NHKの大河ドラマは、第一作『花の生涯』から観ている。実に五十一年間……日本史の教師になろうと思ったのが、この番組であるので、わたしには意義深い番組である。
 この大河ドラマの中で、固有名詞の言い方が変わってきた。パッと思いつくもので、秀吉のカミサンの名前が「ねね」から「おね」に変わった。浅井長政が「あさい」から「あざい」に変わった。記憶は定かではないが「定子」のたぐいは「ていし」と呼んでいたような気がする。
 平安時代からは千年ほどもたってしまったので、当時の日本語で、ドラマをやるわけにはいかない。ちなみに、平安時代は濁音の前には「ん」が入った。ゆうべは「ゆんべ」 そうだは「そうんだ」になり、前半分の「そう」が弱くなり「んだ」になる。勘のいい人はお分かりになるだろうが、東北弁にこの音則が残っている。東北弁こそが、原日本語の姿を多く残していると言われる。そのせいか、東北弁を聞くと、なぜか心がゆったりとくつろいでくる。『スゥイングガールズ』は、この東北弁でなければ、あれだけの人気は出なかったであろう。また『三丁目の夕日』のロクちゃんの堀北真希は、東北弁であったればこその存在感であったと思う。実際彼女がこの役に抜擢されたのは東北弁に堪能であったからだそうである。
 話が横道である。要は「定子」を「ていし」と読む感覚である。この読み方は、古くは本居宣長あたりに由来すると思うのだが、それをそのまま二百年以上、そのままに受け継いできた学者先生の感覚は、普通の日本人の感覚からはズレているように思う。古典に関しては素人のわたしなので、いわゆる有職読みの規則は分からない。しかし分からないことは強いことである。飛躍するようであるが、分からなかったこそ、学校で唯物史観を刷り込まれることもなかった。だから、日の丸、君が代には、優等生的な偏見がない。

 名前でいうと、西郷隆盛の名前は隆盛ではない。「隆永」というのが本当である。明治になって戸籍が新しく作られるとき、西郷さんは忙しいので友人に役所に行ってもらった。で、江戸生まれの戸籍係は、こう聞いた。
「西郷さんの諱(いみな=普段使わない本名)はなんですか?」
「セゴどんの 諱なあ……隆盛じゃっどん」
 と、うろ覚えで答えた。 諱などは、めったに使わない。西郷どんは通称吉之介である。
「おいの 諱は隆永じゃ。隆盛は祖父様の諱じゃ。アハハ」
 で、すんでしまった。弟の従道にいたっては、もっと傑作である。
「西郷さんの、弟君の諱は、なんと申されますか?」
「あれは、隆道(たかみち)じゃっどん」
これが江戸っ子の役人には聞き取れなかった。で、役人は聞き返した。
「音読みするれば、リュウドウじゃ」
役人は、これをジュウドウと聞き間違え「従道」と、なった。
 以上は、司馬遼太郎さんの文章を読んで覚えたことであるが、日本人の名前に対する感覚が象徴的に現れていると思うので紹介した。

 話が、飛んで申し訳ないが、いまの子たちのファッション名前のムツカシサはなんとかならないだろうか。寿里亜(じゅりあ)はまだしも、穣(じょ-) 星菜(せれな) 稀星(きらら)などはお手上げ。昔も読みにくい名前はあったが、ファッション性ではなく、親の子どもへの思いがこもっていた。
 西条八十(さいじょうやそ)などは、生まれた子に苦(九)がないようにとつけられた。

 ちなみに、わたしの本名の睦夫は、名付け親が、自分の名前をそっくりそのままくれたそうである。
 で、ニックネームがムッチャン、子どものころ嫌だった話は前段でやったとおり。
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