大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校演劇・夏期講習会(1)演技

2016-08-13 09:43:37 | 高校演劇基礎練習
高校演劇・夏期講習会(1)演技
 
 
この夏も、全国各地で高校演劇連盟の講習会が開かれる。個人的には、夏の季語になってしまった。

 何度も繰り返すが、演劇の三要素は「戯曲、役者、観客」の三つである。したがって、この三つに絞り込んで、ネット上の夏期講習会をやりたいと思う。

で、初回は演技について
 演技は、水泳に似ていると言ったら驚くだろうか。「ああ、聞いたことがある」という人は勘違い……または、わたしと同じ発想の人である。
 水泳の第一歩は、水に浮くことである。仰向けになって、適度に脱力すると、自然に人間は浮くようにできている。アップアップと沈んでしまうのは、下手に緊張して手足をばたつかせる人である。このことは、割に簡単に理解していただけると思う。
 逆に、水に浮けない人に泳ぎ方を教えるのは無謀であることが分かる。古来「畳の上の水練」と言って、無駄なことの代表的な言い回しである。講習会では、この浮けない人に泳ぎ方を教えているのに等しいものもある。まずは浮くことから話しを進めたい。
 しかし、プロになってウケない芝居をやっていてはいけない……ダジャレは封印する。

☆脱力
 何も、将来プロの役者になって、死人の役がくるときの準備ではない。余談だが、数ある子役養成プロダクションでは、本当に死人の役がきた場合にそなえて、やっているところがあるらしい。

 人というのは、その場、その状況に合った緊張をしている。四月の新学期、たいていの新入生は遠目からでも新入生であることが知れる。これは、新しい環境に馴染めずに余計な緊張をしているからである。
 役者というのは、その場、その人物(時に動物であったりもする。四季の『キャッツ』など、そうであるが、基本的には人間)その状況に合わせた緊張ができなければならない。

 いわば、役者の体と心は、役としての人物を入れる器(うつわ)なのである。普通の人でも、器を持っている。だから、遠くから観ても「ああ、大橋のオッサンや」ということになる。
 勘のいい人なら、もうお分かりだと思うのだが、役者の体(心はあとで)は、どんな役でも入れられるように柔らかくなくてはならない。また優秀な水泳選手は、泳ぐときに無駄に手足をばたつかせ、余計な水しぶきをあげない。だから、まず脱力を学ぼう。
 
 コンニャクになってみる。人間の体の70%は水分だそうである。いわば人のカタチをした革袋の中に、数え方にもよるが230~360の関節があるそうで、もうほとんど水袋と変わりない。
 仰向けに寝て、体の緊張をほぐしていく。ほぐしたつもりでも、なかなかほぐしきれないものである。特に股関節、首の筋肉などは難しい。
 ほぐせたと思ったら介添えが両足首を持って、水袋を揺するようにプルンプルンとゆすってみよう。きちんと脱力できていたら、足から頭の方へプルンと揺すりのエネルギーが抜けていくことが分かる。たいてい、やっている者も、やられている者も、そのおかしさに、ウフフ、アハハになる。で、笑ったとたんに体は液体から固体になって、緊張と脱力した状態の違いが分かる。

☆立ち脱力
 立ったまま、脱力……したら、倒れてしまう。立っているのに必要な緊張だけを残して立ってみる。イメージとしては、リラックスした立ち方。又は、身の丈ほどの草かコンニャクが立っていると想像する。
 で、ここが一番ムツカシイのだが、床が前後にユラっと揺すれたと想像し、その力を足から、腰、腹、胸、首、頭に抜けていくようにやってみる。うまくいくと特大のコンニャクが、プルンと揺すれたように見える。
 
 これで脱力の意味は分かっていただけたかと思う。役を入れる器としての体を柔らかくしておくことである。しかし、脱力の練習は、つまらないので、先に行く。

☆適度な緊張
 人は、日常、その状況に相応しいだけの緊張感をもっている。たとえば歩くという行為だけでも、学校へ行く。それも遅刻しそうになっている。大好きな文化祭の朝、最後の仕上げに急ぎ足になる。友だちとケンカした明くる日。卒業式の日の朝。それぞれに違う。
 バイトの面接にいく。彼(彼女)とのデートに出かける。みんな、緊張の具合が違う。それに相応しい緊張感で歩いてごらん……わたし達が若い頃にやらされて、戸惑い、落ち込んだエチュードである。だから、みなさんには勧めない。

 椅子取りゲームをやってみよう
 人数に一つ足りない椅子を用意して、音楽に合わせて、みんなで、その周りを回る。そして音楽が停まった瞬間、一番身近な椅子に座る。当然一つ足りないので、おもしろい椅子の奪い合いになる。ダルマサンガコロンダでもフル-ツバスケットでもいいのだが、この椅子取りゲームが一番ノリやすい。
 人数が多ければ、ゲ-ムをする側と見る側に分かれるといい。見ている方も、やっている方も楽しく笑いながらできる。
 大事なことは、楽しいことである。そして、なぜ楽しいのかがよく分かること。みんな音楽に合わせながら、椅子に集中し、手早く椅子に腰掛ける人間(回数をこなせば、得意な人間が分かってくる)に意識が集中し、ゲ-ムに相応しいだけの緊張感を正直に、無意識のうちに持っていることである。
 こうやって、相応しい緊張感ということを体感する。

自己紹介
 日本人は、プレゼンテーションの訓練を学校でやらないし、家庭や地域でも、その機会が少なく、自己紹介はヘタクソで苦手である。演劇部でも新入生が入ってきた学年始めに、たいていやるが、演劇部でもヘタクソである。で、やり方を変える。

 もし舞台があったら、舞台の上に、面識のない二人を上げる。
「なにか、二人で芝居を演ってごらん。相談なしに」
 二人は、どうしていいか分からなくなるだろう。どちらかがヤケクソにしゃべり出すか、気まずい沈黙が流れるか。そして、なにより戸惑いの緊張感があることに気づくだろう。集中線は、相手1/3と観客席2/3ぐらいになっている。
「二人で、お互いに知らないことを聞いてごらん」と、水を向ける。そして椅子をそれぞれに与える。
 最初は、名前や、住所、趣味の話しなどで、かみ合わずぎこちないかもしれないが、そのうちに共通の関心が出てきて、話しに熱中するようになってくる。かみ合わないようなら、「学校、どう思う」「このクラブどう」などと、軽く話題を投げ入れてやってもいい。
 二人が、互いに話しに熱中しだすと、集中線が観客席ではなく、相手に向けられていること。不安定な緊張感が無くなり、ときに漫才のようになり、観客席で観ている者も引き込まれ笑い出すことがある。
 このことで、舞台では、状況に合わせた(合った)緊張感が必要であり、それが有効なものであるとき、劇的なオモシロサが出てくることが分かる。

☆無対象縄跳び 
 若い頃、無対象の練習をよくやらされた。「自分の部屋」という、無対象の極地があった。自分の部屋を想像し、その結界だけをバミリ、あとは自分の部屋にいるようにくつろいで、自由にしなさい。というものであった。スタニスラフスキーの時代からの基礎練習で、有効ではあるが、かなりムツカシイし、時間がとられる。発展系に「自分のお風呂」というものもある。無対象で服を脱ぎ、自分が自分の浴室でやっていることを一通りやりなさい。というもので、かなりムツカシイ。
 これらの訓練は、単なる無対象だけではなく、自己解放の意味合いもある。自己解放というのは、役者が、物まねではなく、自分の感情を使って、役の心理を表現するのに欠かせないステップなのだが、有効で安全なメソードは、わたしは、まだ開発できていない。

 で、代わりに、縄跳びをさせている。最低でも6人ぐらいは必要である。2人が大縄跳びのロープを持ち、他のメンバーは、次々に、その無対象の縄跳びの中に入っていく。全員が入れたら、5回ほど、みんなで跳んで、一人ずつ抜けていく。
 不思議なことに、たいていの者が、すぐに出来る。意識を集中しなくても回る縄は、簡単に見ることができ、もし、縄に引っかかった者などがいると、全員が「あ~あ」ということになるからオモシロイ。
 この縄跳びには、適当な緊張感とは何か。無対象演技(役者としての想像力)とは何か。そして、チョッピリ自己解放の要素が入っている。

 おおよそ、緊張が演技にもたらす影響を理解していただけただろうか。椅子取りゲーム、二人の自己紹介、集団縄跳び。みんな、その状況に相応しい緊張感が簡単に感じることができるメソードである。
 もし、芝居の本番中、舞台に猫が現れたら、確実に観客の視線は猫に持って行かれてしまう。
 猫は演技しない。舞台の上に興味のあるものがあったら、完全にそれに注目して近づいていく。それが、ネズミのオモチャであったりすると、猫は本能的に狩りの姿勢をとり、そろりそろそりと接近。そこには無駄な緊張など無く、真剣そのもののハンティングする猫の存在になる。
 このように、きちんとした緊張と集中こそが、観客の目を舞台に向けさせることができる。

☆反応
 舞台で、人を呼び止める場面があったとする。
 かなり、訓練された役者でも、ここでダンドリになってしまうことがある。相手の演技や台詞に止めるだけの力がないのに、止まってしまう。ここに演技としての「ウソ」が始まる。この「ウソ」をやられると観客の興味は、急速に冷めていく。

 具体的な例で示そう。チェ-ホフの名作に『ワーニャ伯父さん』がある。
 劇中第4幕で、ワーニャ伯父さんが、自殺しようとして、医者のアーストロフの鞄からクロロホルムを盗み出す。アーストロフが「返してくれ」と言ってもきかない。そこで、姪のソーニャが、こう迫る。
「伯父さんはいい人ね、あたしたちを、可愛そうだと思って出してちょうだい。我慢してね、伯父さん、我慢してね!」
 この姪の嘆願にワーニャ伯父さんは、引き出しから、クロロホルムを出して、ソーニャに渡す……ことになっていた。
 しかし、ある日、ロシアで、この『ワーニャ伯父さん』が上演されたとき、ワーニャ伯父さんは、そのタイミングになっても、クロロホルムを渡さない。ソーニャ役の若い女優は困ってしまった。
 これ、別に、オッサンの役者が、若い女優をいじめたわけではないのである。ソーニャの嘆願に「ウソ」があったからである。女優は役を超えて「渡して下さい、お願いだから……!」という切ない表情になり、そのときワーニャ伯父さんは、初めて姪の心からの訴えに反応して、クロロホルムを渡した。
 舞台で、行われることは、全て台本に書いてあり、結果は、あらかじめ決まっている。で、役者は、必要で過不足のない緊張感をもって演技に臨まなくなってしまう。「ダンドリ芝居」「引き出し芝居」と言われる、高等な、でもジェスチャーに過ぎない。
 例を、もう一つ。
『ローマの休日』でオードリー・ヘプバーンが、グレゴリー・ペック演ずる新聞記者といっしょに、ローマの名所を見物するところで、有名な「真実の口」のシーンがある。
 オードリーのアン王女が、おそるおそる「真実の口」に手を入れた後「今度は、あなたの番よ」と言う。
 この「真実の口」は、ウソつきが手を入れるとかみ切られるという言い伝えがある。台本では、新聞記者のジョーは、ビビリながらてを差し入れるだけで「あなただって、怖がってたじゃない」と、続くはずだった。
 グレゴリー・ペックは監督と相談し、オードリーには内緒で、手が引き込まれ噛みちぎられるアドリブをかました。オードリーは必死で、ジョーの手を引き抜こうとし。引き抜いた腕から手首が無くなっていることに卒倒しそうになる。そこでジョ-は「ハロー」と言って、袖の中に隠していた手を出す。
「もう、本当に、噛みちぎられたと思ったじゃない!」アン王女は、ジョーの胸を叩く。
 非常に有名なシーンで、ご存じな方も多いと思う。このシーンは、アドリブながら一発でOKが出た。
 つまり、オードリーは、そのときのアン王女の心理で反応したのである。
 無対象の縄跳びで言ったことと共通するものが、ここにはある。

 この話をするとキリがないので、これで一区切りとするが、分かっていただけたであろうか。
 とりあえず、泳ぎ方を教える前に、水に浮くこととはどういうことかということをお話した。

☆感情表現
 さて、水に浮けるものとして話しを進めよう。
 役とは、なんらかの感情・情緒を絶えずしているものである。漢字で「喜・怒・哀・楽」の四文字。技術的アプローチと、メンタルなアプロ-チに分けて話していく。

技術的アプローチ
 感情表現は、大きくは拳を振り上げるような大きなものから、ピクっと頬が引きつる中くらいのもの、微かに顔色が変わる小さなものまで、各種ある。いちいち言及していては、2万字というブログの字数制限を超えてしまうので、かいつまんで説明する。
 人の筋肉は、意思のままに動く随意筋(例えば、手を上げる。首をかしげる)と不随意筋(心臓や内臓の筋肉)そして、訓練次第で動く半随意筋(耳を動かす、ウィンク=欧米人には随意筋であるが、日本人の大半は半随意筋)がある。

 役者の肉体訓練は、体育会系のそれとは違う。丈夫さと柔軟さは、並の人間より少し高めぐらいでいい。随意筋のより高いコントロールと、半随意筋の可動化である。
 
 横隔膜という随意筋がある。胸と腹の境目にある筋肉で、これがなければ呼吸ができない。普段は意識しなくても動いている。思わず横隔膜を動かすのを忘れて死んだ人間はいない。僅かな時間なら停めることもできる。いわゆる「息を止める」ことである。
 横隔膜をケイレンさせることを身につけて欲しい。一発だけのケイレンは「しゃっくり」または瞬間的な笑い「ハッ!」である。このケイレンを持続的にできるようになろう。そう、持続的にケイレンさせれば、笑いになる。「ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ」で笑えるように訓練しよう。は、は、は、は、とケイレンさせ、次第にその早さを増していく。早い人は半月ほどで笑えるようになる。泣きも、程度によっては横隔膜がケイレンする。いわゆる泣きじゃくりというやつである。「笑い3年、泣き8年」などと役者の中では言われているが、真剣にやれば、そんなにかからない。
 他にも表情筋は鍛えておかなければならない。日本人は一般に笑顔が苦手で、笑ってというと、虫歯の痛みを堪えているような顔になる。鏡を見て、訓練しよう。よく訓練できれば表情筋をケイレンさせることもできる。

メンタルアプロ-チ
 台本に「笑う」演出から「笑え」と指示されて笑っていては、観客が共感できる「笑い」にはならない。
 舞台における喜怒哀楽は、物理的記憶の再現によってなされる……などと書くと、非常にコムツカシイものになってしまう。思い出していただきたい。椅子取りゲームや無対象集団縄跳びが、なぜおもしろかったのか。
 椅子取りゲームにしろ、無対象集団縄跳びにしろ、そこにはインストラクター(演出)の「楽しそうにやって」という指示はない。でも、楽しいのである。
 椅子取りゲームでは、椅子なり、椅子を狙っている仲間の顔なり、今にも停められそうな音楽に意識が集中している。
 無対象集団縄跳びでは、回転する縄に意識が集中し、あるものは縄に飛び込めた成功のイメージが、あるものには、失敗して縄を引っかけてしまうイメージが、その集中から喚起されてくる。だから、失敗しないようにタイミングを計ろうとし、縄が回転するテンポ、リズムに自分を合わせようとする。で、うまくいったらニマニマとなる。失敗すれば集中線がズッコケて笑いになる。けして笑おうとはしていない。
 役者が舞台で集中するのは、次の台詞や、芝居のダンドリではない。役として真実である具体的なモノに集中している。椅子や、縄が、そうであったように。

 具体例を。体育の体育の着替え中に、真剣な話しをしている。その最中、一人のスカートがホックのかけ方が悪く、ストンと落ちる。真剣な話しの最中にスカートが落ちるというアクシデントで笑ってしまう。
 基本的には、無対象集団縄跳びと同じであるが、数段ムツカシイ。
『ローマの休日』の真実の口のように、相手役に内緒でやってみてもいい。スカートは床まで落ちるかもしれないし、反射神経が良い(設定ならば)落ちかけのスカートを、途中で、押さえられるかも知れない。いずれにしても、真剣な雰囲気はこわされ、笑いにつながる。
 このエチュードをやるときは、スカートの下はハーフパンツではいけない。AKB48の子たちのように、ミセパンを穿いていてほしい。ナマパンがいいのだが、高校という枠の中では、そこまでやらなくてもいい。
 で、このエチュードをくり返してみる。くり返すと、スカートが落ちることを予感してしまい、しだいに笑えなくなってくる。演劇とは再現性のある芸術で、同じことを何度も再現できなくてはならない。しだいにダンドリになってしまい、演技として新鮮さが失われていく。前述した『ワーニャ伯父さん』のソーニャが、そうである。ソーニャ役の女優は、ワーニャ伯父さんがクロロホルムを渡してくれることが当たり前になり、「渡して下さい、お願いだから……!」の台詞に真実性が失われてしまったのである。だからベテランのワーニャ伯父さんは、いつものようにはクロロホルムを渡さなかった。

 もう一つ具体例を。彼を自分の部屋に招いて、二人だけのパーティーをやろうとしている。バースディでもいいし、クリスマスでも、婚約記念、彼の何かの成功でも構わない。いそいそと準備をしていると、玄関でチャイム。「彼が来たんだ!」喜んでドアをあけると、彼との共通の友人が立っている。
「彼、○○のことで来られないって。メールじゃ失礼だから、あたしに知らせてくれって……じゃ、あたし、仕事の途中だから」友人は去っていく。
 この後に、いきなり落胆や、怒りの表現をしたら、演出としても、役者としても未熟であるし、芝居はダンドリの説明演技になってしまう。感情が湧いてくる前に、今まで作った料理などのパーティーの準備に意識がいく。「これ、どうしよう」「これって、無駄になった」そう、「これ」に意識が集中される。あとは、役者が設定(意識的にも、無意識的にもやっている)した役の個性で行動する。ゆっくりと片づけ、その途中で涙がこぼれるかもしれない。カッとなって、パーティーの用意をひっくり返すかも知れない。
 大事なことは、いきなり感情に飛びつかないことである。集中するものは、基本的に、具体的なものかも、無対象かもしれないが、舞台の上にしかない。
 感情というのは、物理的な観察や、記憶の想起から湧いてくるものである。高校生の芝居のほとんどは、これができていない。

 水泳に例えて、浮くことが大切と言ってきた。そして泳ぐことに関しては、バタ足程度のことを示してきた。
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高校演劇の基礎2ー演出

2016-03-07 12:05:20 | 高校演劇基礎練習
高校演劇の基礎2-演出      初出 2011-07-01 11:55:50

【演出】演出の仕事は、演劇を上演するにあたり、まず台本を研究し、演出プランを作り、配役を行い、舞台装置・照明・小道具・衣装・効果・音楽・舞台監督・などの演出スタッフを編成し、上演のための全参加者に演出方針を伝え、一つの芸術的目標に向かって協力させていくかとである……と、演劇辞典(演劇小辞典抜粋)には書いてあります。その通りだと思うのですが、小規模演劇部にはむつかしいですね。

【実際的な演出の問題】創作、既成に関わらず、本が決まったら、台本に穴が開くほど読んでください。できることなら普段から本を読み、プランを持っていて欲しいものです。  蜷川幸夫という名演出家は、世間の注目を浴びる前に、何本もの本の演出プランを持っていました。蜷川さんは知らない人が多いですね。 ジブリの宮崎駿を始め、監督をつとめた人は、日頃から、何本もプランを持っています。「紅の豚」というアニメをご存じでしょうか? 「カッコイイとはこういうことさ」がテーマでした。この本のアイデアが決まるまでに数年を要しています。マニアならご存じでしょうが「豚の虎」というアイデアもありました。宮崎さんは、モデルになるドイツの老人にも会ってこられました。でも、これはダメだと思うとあっさり捨てました。監督=演出というのは、かほどに難しいものなのです。

 なんだか脅かしのようですね、気楽にいきましょう。とにかく読み込んで、今読んでいるところが全体では、どこにあたるのか、どんな意味があるのかまで分かるように読み込んでください。 例えて言うと、今の学校に入学したときの頃を思い出してください。右も左も分かりませんよね。それがどうですか、三年生にもなると学校の様子はほとんど分かっていますね。中には、先生の目をかすめて校外に抜けられる抜け道まで知っている人もいます。 そこまでいかずとも、この先生は「こういう人だ」と知っていますよね。この先生は、静かにさえしていればいい。また、ある先生は、こそっと携帯をいじっていても気づかないフリをしてくれるとか、あの非常階段は、ワルのたまり場になっっていて寄りつかないほうがいいとか、食堂のメニューは何がイチオシだとか……そういうレベルまで本を読み込んでください。 例えを続けます。転任の先生が「今度の耐寒訓練にはフルマラソンをやろう!」などと言い出したら、どうでしょう? 「そんなのムリ~!」と、思うでしょ。自分の学校をよく知っているから判断がつくんです。台本も同じです。「この表現は、うちの演劇部にはムリ~!」と、分かったら、他の表現にかえればいいんです。「フルマラソンは無理です。せめて、学校の外を10周にしましょう」という提案をするようなものです。「そのかわりショボクレちゃいけないので、スタートの時は花火をあげましょう! ゴールした子には食堂のうどんの券をあげましょう!」……これ、わたしが現役の教師だったころ、耐寒訓練を縮小したときに実際やったことです。大いに盛り上がりました。 これが演出なんです。少し分かってもらえたでしょうか。

 自分たちの力、個性をよくつかんで、力の中で、個性の範囲で一番光るように持っていくのです。たとえ話を続けます。学校でこれは無駄、または無理と思っていることはありませんか? 使いもしない守衛室。だれもこない同窓会館。なにやってんだかよく分からない総合学習の時間。などなど……そういうものは、廃止するか、縮小すればいいんです。具体例を二つほど……かつて学校では宿泊学習が流行った時期がありました。一年の四月の終わり頃にやっていました。あれ、準備と、お金が大変なんです。延べ二十人くらいの先生達が、延べ何千時間という時間を、忙しく大事な学年始めにとられます「そんなことをやる暇があったら、もっと生徒と接触してやろう」と、主張して、三年がかりで廃止にしました。今、やっている学校はほとんどありません。また女子の体育の時間のブルマ、今はほとんど絶滅してハーパンに替わっています。これも現職時代に、女子から「せめて、体育祭の時ぐらいジャージにして欲しい」という声がもとで変わりました。 演出も同じです。これは「うちのクラブでは無理」と分かったら、止めるか、他のものに置き換えます。

【実例】一昨年から去年、わたしは、ある高校の演劇部のコーチをやっていました。たまたまそのクラブがわたしの本を演ってくれることと、顧問の先生とのクサレエンで、そういうことになりました。「パリーホッタと賢者の石」という芝居で、コメディーです。なかなかコメディーにはなりませんでした。なんとか芝居らしくしてコンクールに臨みました。案の定、予選落ちでした。で、次の年は「ノラ」というSFロボットコメディーを演りはじめました。途中から、「これは無理だ」と思いました。6人という大人数の芝居にクラブが慣れていないのです。また、ロボット的コミカルさが出てきません。そのうち欠席者が増え、主役級の役者が、役が出来ずに落ち込んでしまいました。 そこで景気づけに名古屋音大のミュージカルコースの学生さんたちが演ってくれた「すみれの花さくころ」という芝居のDVDを見せました。「こんなんできたら、ええやろなあ~」と、ため息と憧れの両方を見せてくれました。 「ほんなら、これでいこか!?」ということで「すみれの花さくころ」をやることになりました。登場人物はほとんど2人、女子高生役で一人出ますが男に書き換え、3週間ほどで仕上げました。ロボット的コミカルさで悩んでいた男子は吉本的気楽な役で、いわばハマリ役でした。三人とも唄うことがすきだったので、気づけば挿入曲が6曲にまで増えていました。あとは、舞台上でのリアリティーにこだわって(あとで述べます) 部分によっては状況だけ説明して、役者たちに自由にさせたところもあります。バイトがあったり、兼業部員が多いこともあって、道具は大幅に簡略化しました。そしてコンクール。予選では全員個人演技賞と最優秀賞をいただきました。アマチュアやプロの人相手に芝居を作ってきたので、我ながら、うまく欠点を隠し、長所を引き出せ、高校演劇としては一級品に仕上がったと思いました。本選では、審査員の演劇的主観に合わず選外になりましたが。作品としては一級で、協力いただいた大学の先生も喜んで下さいました。本論に戻ります。演出とは、自分のクラブの個性を知り、本の個性を知り、マッチさせていく仕事で、ザックリ言って、出来ないもの、苦手なものを見極め、理想と現実の間に折り合いをつける仕事です。

 お気づきの方もいるかもしれませんが、わたしは演出とプロディユーサー、舞台監督の仕事をごっちゃにしています。少人数のクラブでは、それらを分けることは、無理だし、無意味でもあります。当然顧問の先生のアドバイス(主に励ますこと、今の子はノルのも早いですが、落ち込むのも早いです)が必要なことは当然です。

【高校演劇の基礎練習としての演出】役者に必要なように、演出にも基礎練習が必要です。沢山書いては混乱するだけなので、少なくまとめます。静物画の用意をするように、物を並べます。お店のショ-ウィンドウの飾り付けをやっているつもりでやればいいでしょう。それをシャメに撮って品評会をやりましょう。役者は商品です。いかにお店のコンセプトに合わせてきれいに見せるかが大事です。この舞台上での役者の配置をミザンセーネといいます。一番になったシャメを今度は絵にしましょう。演出とは舞台という額縁(本当にそうよびます)に絵を描く仕事なんです。出来た絵をさらに品評会にかけましょう。同じシャメを見ても、描く絵は様々です。 役者を花に見立てて、人間生け花をやってみましょう。これは役者の訓練にもなります。最近の子は、あまり花の名前を知りません。具体的な花でなくてもかまいません。「赤くて、大きくてゴージャスな花」ぐらいでけっこうです。むろん図書室へいき、植物図鑑を見て決めてもかまいません。 部員全員を使って飛行機をつくってみましょう。むろん役者の体を使ってです。役者には、飛行機のどの部分をやっているか自覚させて、できるだけ大きな飛行機にします。できたら、離陸から着陸までやってみましょう。

 演出は、各場面ごとに絵コンテを描きましょう。稽古場に臨むまえに描いておき自分の中に明確なイメージを持っておきましょう。むろんそれは固定されたものではありません。稽古では何が飛び出してくるか分かりません。いいと思ったら、こだわらずに替えればいいのです。ただ、演出が最初からイメージを持っていないことはいけません。

 稽古場のモチベーションの源になるのは演出です。絶えず前向きに明るくあってください。むろん他の役者やスタッフもそうでなければなりませんが。中心は演出です。

 あと、できたら、いろんな芝居を観て目を肥やしていてください。芝居が無理なら、映画、DVD,小説、マンガでもかまいません。物を見る目を研ぎ澄ませてください。

【次回予告】道具と照明につぃて語りたいと思います。おそらく、みなさんの常識を外れたものになると思います。

          大橋 むつお(劇作家、劇団大阪小劇場代表)

『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』          青雲書房より発売中。大橋むつおの最新小説!  お申込は、最寄書店などでお取り寄せいただくか、下記の出版社に直接ご連絡いただくのが、一番早いようです。ネット通販ではアマゾンや楽天があります。青雲に直接ご注文頂ければ下記の定価でお求めいただけます。 青雲書房直接お申し込みは、定価本体1200円+税=1260円。送料無料。 送金は着荷後、同封の〒振替え用紙をご利用ください。 大橋むつお戯曲集『わたし 今日から魔女!?』  高校演劇に適した少人数戯曲集です。神奈川など関東の高校で人気があります。  60分劇5編入り 定価1365円(本体1300円+税)送料無料。 お申込の際は住所・お名前・電話番号をお忘れなく。 青雲書房。 mail:seiun39@k5.dion.ne.jp ℡:03-6677-4351 大橋むつお戯曲集『自由の翼』戯曲5本入り 1050円(税込み)  門土社 横浜市南区宮元町3-44 ℡045-714-1471   
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高校演劇の基礎1ー演技

2016-02-25 23:55:39 | 高校演劇基礎練習
高校演劇の基礎1ー演技                                                               

【演技】演劇の三大要素は、観客・戯曲・役者の三つです。まずこれを頭に置いてください。まず役者の演技について話を広げていきたいと思います。

演ずるということは、嘘をつくことです。例えば、学校をズル休みしたいために仮病を使うときがあります。「なんだか気分悪くて……」「お腹が痛い……」 たいていばれてしまいますが、中には親もコロっと騙されるほど真に迫った演技ができる子もいます。「気分が悪くて……」と、言っているうちに、本当に気分が悪くなることがあります。本当にお腹が痛くなることもあり、お医者さんにいくと(急性胃腸炎)と診断されることもあります。例えは悪いですが立派な演技です。本人も、「学校を休みたい」という気持ちを離れてその気になってしまうのです。テレビゲームなどが無かった時代、小さな子供たちは、段ボールの箱などに入って、自動車にしたり、飛行機にしたり、自分だけのお家にして遊んでいました。「00ちゃん、なにしてんの?」と聞くと、「自動車ウンテンしてんの」などと答えが返ってきます。真剣な顔で「ブルルーン」などとやっていて、傍目にはおかしいのですが、ちゃんと自動車を運転しているように見えます。おかしくって、おもしろくって、しばらく見惚れてしまうこともあります。もう一時代前の子供は箒(ほうき)にまたがり「お馬さん、パッカパッカなどとやっていました」なんせ、そのころは、本物の馬がいましたから、またがった箒のリズムなど本当の馬のようでした。蒼井優という女優さんがいます。子供のころに「魔女の宅急便」を見て、自分もキキななれると思い、黒のワンピースに赤いリボンをつけ、デッキブラシにまたがり「飛べ…飛べ……」と、やっていらっしゃったようです。

まず、ここから入りましょう。高校生にもなると、段ボールに入っても、デッキブラシにまたがっても、なかなかF1のドライバーにも、魔女のキキにもなれません。 ロープ無しで集団縄跳びをやってみましょう。二人がロープの端を持ち、回します。すると残りの人たちの視線が見えないロープを追っていることが分かります。そして、順に回るロ-プの中に入っていきます。女子が多い演劇部、きっと盛り上がります。見えないロープ(無対象と言います)なのに、ロープが足に絡んだりすると「キャー」とか「もう」とか「あらー」などと声があがるからおもしろいものです。 これ無対象演技と言って演技の基礎です。 玉子を割ってみましょう。案外、玉子を手に持った感覚というのは難しいものです。家で本物を持って感覚を確かめてください。割るときの力のいれ具合もやや難しいようです。実際にやって体で記憶しましょう。割ったあと手前に90度ほど玉子を回して割ったところを、左手の親指が楽にくるポジションに持ってきていることに気づけば「ああ!」という発見があります。無対象演技には、このようにコツがあります。いろんな無対象を試して演ずることに慣れてください。

役者は自分の感性を自由にしなければなりません。感性とは喜怒哀楽のことです。人前で笑顔になれない子が日本人には多くいます。いわゆる「恥じらいの文化」で、われわれのDNAに組み込まれたもので、今の子でも、あまりできません。アメリカ人などは、笑顔が上手いですね。子供のころからそういう文化の中で育っているからです。AKB48の子達の笑顔いいですね。鏡を見て、笑顔の練習をしてください。目標はAKB48でいいでしょう。笑顔で大事なのは顔面筋、とくに頬にある笑筋は、日本人は未発達で、「笑顔!」というと虫歯が痛いのを堪えたような顔になります。しかし、鏡を見て練習すれば三日もあればできるようになります。ただ、家で一人ならできるのに、みんなの前ではできないということがあると思います。人間には、人前では見せたくないというブレーキのかかる感性や、行動があります。 無対象で服を着たり脱いだりしてみてください。服の着脱というのは、意外に全身運動であることがわかります。ブレザーやカーディガンを着ると、右腕を通すとき左手で左の身頃を無意識にひっぱっていることなどに気づけば、縄跳びほど楽ではありませんが、わりと誰でもできます。

本題です。では、皆の前で無対象で服を脱いでお風呂に入ってください……たいていの人ができません。恥ずかしいのです。役者が超えなければならない感性の壁が、ここにあります。プロではありませんので、こんなことできなくても高校演劇はできます。一度コンクールの芝居を観て驚いたことがあります。無対象の女子トイレを設定し、そこで用を足す無対象演技をやってのけた学校がありました。脱帽でした。 まあ、トイレや風呂まで演れとは言いませんが、自分の感性のタブーはなるべく減らしておきましょう。

【役者としての筋トレ】並の学校生活をおくっていれば、体育会系のような筋トレはいりません。役者の筋トレはまるきし違います。 まず筋肉には三種類あることを理解してください。「随意筋」手足や、体一般を動かす筋肉です。「手を挙げて」「右足前に出して」……誰にでもできますね。 「不随意筋」自分の意志では自由にならない筋肉です。「心臓止めて!」……できませんね。 大事なのは「半随意筋」です。訓練次第では自由になる筋肉のことです。日本人には先ほど述べた顔面筋がこれにあたります。ウィンクできますか? できない人が多いです。生活習慣にウィンクが無いため、日本人はひどく苦手です。アメリカの映画を観るまでもなく、大統領や国務長官のスピーチを見ただけで、かれらの顔面筋が自然に鍛えられていることがわかります。 もう一つ大事な「半随意筋」があります。「横隔膜」です。胸と、腹の間にある筋肉で、呼吸の大半はこの筋肉が担っています。「横隔膜」は一見「随意筋」です。「息を止めろ!」と言われればできますよね。 では、「横隔膜」をケイレンさせてみてください。難しいことではありません、クシャミをすれば一回ですがケイレンします。では、連続してケイレンさせてみてください……クシャミの連続ではありません。もっと小刻みに「ハ、ハ、ハ、ハ……」と。 そう、これは笑いなのです。笑いというのは横隔膜のケイレンなのです。「ハ、ハ、ハ……」の間隔を詰めて笑いになるまでやってください。そして、時間にして30秒は笑えるように、「ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ」全てで笑えるように。 「泣き」も横隔膜のケイレンです、激しい場合、過呼吸から泣きじゃくりになります。 この「笑い」「泣き」も感性の壁があります。人前で泣くことにはブレーキがかかりがちですが、この程度の壁は乗り越えてください。

【発声】よく、「腹から、声を出せ!」と言われますが、精神的にはともかく、実際には意味がありません。お腹は「グー」とか「ゴロゴロ」としか言いません。大阪の大学で、演劇を教えている先輩が、こぼしていました。「高校演劇出の学生は、声を張ることしかしらん」 声は喉にある「声帯」から出てきます。これが硬口蓋にぶち当たり、その上の前頭洞を振動させることで、頭骨が振動(マスク共鳴)することによって、自然な声でもよく響く声になるのです。 では具体的に。舌で上の前歯を触ってください。最初硬いでしょ、そこを「硬口蓋」と言います。さらに奥をなぞっていくとストンと柔らかくなっているところがありますね、それを「軟口蓋」と言います。「声が小さい」「響いてない」と言われる人は、声帯で生まれた声がこの「軟口蓋」に逃げて響かなくなっている人です。これで理屈は分かったと思います。では、メソードを。口を閉じてハミングしてください。そのとき口の中はできるだけ大きく広げていてください。そして「ウ~」と、ハミング! どうですか、顔の前のほうが振動していることが分かりますでしょ。次に、そのまま口を開きます。ただ口から息を出さないでください。まだ、響いていますね。そうしたら次に、鼻と口の両方から息を抜いてください。そして、まだ同じように響いているようなら、今度は口から」だけ息をだして響いているようなら完成です。 しかし実際は、この口から抜く段階が難しく、挫折する人が多いようです。 自転車に乗る感覚に似ています。最初は慣れません。ガチガチです。でも自転車に慣れたころを思い出して根気強くやってください。

【総論】もっともらしく述べてきましたが、高校演劇の基礎練習としては、かなりストイックなもので、なかなか長続きしません。わたしは、思い切って、いままで述べて来たことは、最初レクチャーしただけで、あとは個人に任せています。「誰でも良いから、憧れの女優さんを一人持ちなさい」と、今は言っています。憧れていれば意識してその人の演技を見ます。また真似もします。このほうが効果的かと、今はそうしています。わたしもいろんな人のメソードをやってみましたが、気づくと、憧れの役者さんの真似をしていました。滝沢修、宇野重吉、尾形拳などなど……標準語を覚えたのは、小学生のころNHKのニュースをアナウンサーのあとに続いて声に出すことで覚えました、上手かどうかは分かりませんが、「好きこそ、もののナントカ」であると思っています。

【次回予告】演出論を手短にやってみたいと思います。

   大橋 むつお      

『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』          青雲書房より発売中。大橋むつおの最新小説!  お申込は、最寄書店などでお取り寄せいただくか、下記の出版社に直接ご連絡いただくのが、一番早いようです。ネット通販ではアマゾンや楽天があります。青雲に直接ご注文頂ければ下記の定価でお求めいただけます。 青雲書房直接お申し込みは、定価本体1200円+税=1260円。送料無料。 送金は着荷後、同封の〒振替え用紙をご利用ください。 大橋むつお戯曲集『わたし 今日から魔女!?』  高校演劇に適した少人数戯曲集です。神奈川など関東の高校で人気があります。  60分劇5編入り 定価1365円(本体1300円+税)送料無料。 お申込の際は住所・お名前・電話番号をお忘れなく。 青雲書房。 mail:seiun39@k5.dion.ne.jp ℡:03-6677-4351 大橋むつお戯曲集『自由の翼』戯曲5本入り 1050円(税込み)  門土社 横浜市南区宮元町3-44 ℡045-714-1471   
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高校演劇・クラブはつらいよ 秋編三

2012-11-04 05:39:44 | 高校演劇基礎練習
クラブはつらいよ 秋編三

 秋深し……となりはなにをする……クラブ。

 コンクールもあらかた予選が終わり、あなたのクラブは、なにをしているのだろう?
 この時期、クラブは、大きく四つに分けられる。
一; コンクールの予選を勝ち抜き、本選出場の準備に追われている、ごくかぎられた幸運なクラブ。
二; コンクールの予選で落ちたクラブ。これはさらに二通りに分かれる。地域の発表会など、スケジュールのあるクラブと、なにも目標のないクラブ  
三; もともとコンクールにも参加しなかったクラブ。これも二通りに分かれる。しようと思っていても参加できなかったクラブ(事情はさまざまで、コンクール直前に断念せざるをえなかったクラブ、部員が少なく参加できなかったクラブ、連盟加盟費や、コンクール参加に必要な費用がまかなえなかったクラブ) コンクールなど頭から否定して参加しなかったクラブ。
四; すでに、つぶれてしまったクラブ……

【未来を見据えたクラブ活動】
 一のクラブは、「おめでとう!」である。ただ、主な出演者が三年生である場合、来年度につなげるため、出演者の一部に一二年生を加えておこう。無理矢理に配役を増やしてでも、これはやっておいたほうがいい。役者が無理なら舞監か、その助手にして、芝居作りのノウハウを伝えておければいい。
 二の予選で落ちたクラブ。これが大多数だと思う。地域や校内で発表の機会があるなら、それに専念してもらいたい。そのプロセスで演劇部のノウハウを一二年生に伝授しておかなければならないのは一のクラブと同じである。
 
 わたしが、もっとも心配するのが、コンクールの予選に落ちて、春、どうかすると、来年の文化祭あたりまで、目標のないクラブである。ここで安易に休部などしてしまうと、来春は自然消滅ということになりかねない。年内か年度内には上演の機会を持とう。とにかく「芸術は場数!」である。走っている自転車と同じで、止まれば倒れてしまう。
 では、その場数の機会である。一番簡単なのが校内公演。ただ、生徒の絶対数が少ない学校が多いので、ただボンヤリと「校内公演やります」では、人は集まらない。顧問の先生に交渉してもらって、PTA総会などでほんの二十分ほど時間をもらって、コント(下手なりに、わたしも何本か紹介してきた)を、二本ばかり上演させてもらうという手がある。また、総合学習などのボランティアで、幼稚園、保育園、老人施設などとコネのある先生がいたら、ワタリをつけてもらって、子ども向きや、お年寄り向きのコントを工夫してやらせてもらおう。

 三の、コンクールに参加しなかった(できなかった)クラブ。上記の予選に落ちたクラブと同様、なにか公演の機会を持とう。それから、予選に落ちたクラブも、参加しなかったクラブも本選は観にいこう。「さすが……」にしろ「この程度」と思うにしろなにかしら、得るものはある。念のため「この程度」と思っている場合、自分たちの力量を客観的に見られていないことが多い。

 四の、すでに潰れてしまったクラブ。対策は二通り。もし君が、あなたが二年生以下、もしくは顧問であられる場合で、来春クラブを復興しようと思っているのなら。わたしの「クラブはつらいよ」を、春編一から読み直していただければと思う。いろんなことを書いてきたが、人の芝居を観て、戯曲を読むことである。熊が冬眠前に食いだめするように自分を演劇的に太らせておいておくことが大事である。以前も書いたが戯曲は百本は読んでおいてもらいたい。
 もうクラブには懲りてしまった人。芝居そのものに嫌気がさしているのなら、自分が熱中できるなにかを探そう。「少年老いやすく……」のたとえ通り、ものごとに一番熱中できるのは十代の後半である。オッサン、オバハンになってから後悔しないように、何かを探し、また挫折してもかまわないから、熱中時代でいてほしい。
 クラブはイヤだが芝居は続けたい人。そういう人は学校を飛び出そう!なにも学校を辞めろというのではない。どこか地域の劇団を探し、そこでやってみることを勧める。ただ、劇団といっても様々で、中には高校生には勧められないものも多い。教育委員会の社会教育課や、地域の市民会館や文化ホールに問い合わせてみよう。地味ではあるが健全な劇団を紹介してくれると思う。もし、それで飽き足りないのなら、都市部に限られるが、放送劇団がお勧めである。ただ付属養成所は、入所時期が決まっており、テストもあり、そう多額ではないが学費もかかることを頭に入れておいてほしい。大手プロダクションなどの養成所は、学費も高く、卒業しても皆がプロになれるわけではない。経済的に余裕があり、勉強のためと割り切っているのなら、それも道である。
 演劇科を持った大学への進学という道もある。ネットで検索したり、進路の先生と相談することを勧める。
いろんな道があるが、真剣に演劇への道を考えているのなら、若い時代に専門教育を受けておく必要がある。まあ、それは、君やあなたの中で、演劇がどれくらいの比重を持っているかによる。もの思う秋の夜長、少し自分にとってのクラブや演劇について考えてみるのもいいのではないだろうか。つれづれなるままに……

今月のコント『一寸法師の忘れもの』

サスに照らされた地面の上に、お椀と箸が一本おかれている。かすかに水の流れる音。 

好子; あ、これこれ、これだよ。まだ、まんま置いてある。
まり子; え、何これ?
好子; 見りゃわかるでしょ。お椀と箸よ。
まり子; そりゃ分かってるわよ。わたしが聞いてんのは、このシチュエーシ ョンよ。
好子; シチュエーション?
まり子; 状況とか様子って意味よ。
好子; さすが、国語クラス一番!
まり子; 失礼ね。学年で二番よ。
好子; 一番って言った方がかっこいいかなって思ったのよ。
まり子; あの福井里香には勝てないもんね。関東大推薦確実。
好子; 学年一の秀才でイケメンの後藤君ともウワサだしぃ。だから気ぃつか って……
まり子; まあ、そんなことはいいけど。
好子; 後藤君っていいよね。秀才ってとこ鼻にかけてないもんね。こないだも数学の補習課題でうなってたら、さりげに教えてくれてさ。
まり子; 答え教えんのって、イヤミじゃない?
好子; 答えじゃないよ。ヒントよヒント。あくまでも答えはわたしが出せるようにレクチャーしてくれんの。 
まり子; 後藤君はいいの。それより、ここ普段はだれも通らない学校の裏の小川のほとりじゃん……
好子; そこに一個のお椀と、お箸が一本……
まり子; 好子、どうやって見つけたの?
好子; 体育の時間にテニスボールがとんでっちゃって。探しにフェンスの隙間から出てきて見っけたの。
まり子; ふーん……たいてい、防球ネットに当たってグランドに落ちるのにね。
好子; たまたま防球ネットの破れ目から抜けちゃったのよ(お椀にさわろうとする)
里香; さわらないで!(飛びだしてくる)
二人; わ!
好子; 里香。
まり子; どうして、あなたが……
里香; ごめん驚かして。
まり子; これ、あなたが置いたの?
里香; ……うん。
好子; なにかのおまじない?
里香; ……
好子; あ、飼ってたペットが死んじゃったとか……でも、お箸一本てのは変よね。
まり子; ……これって、なんだか一寸法師だ。
里香; あ……
好子; イッスンボウシ?
まり子; お椀の舟に、箸の櫂~♪ だったよね?
里香; 知ってたんだ。
好子; さすが、国語一番と二番だ。で、そのイッスンボウシって?
まり子; 昔話よ。一寸。三・三センチの男の子が、お椀の舟に乗って、都にやってきて、お姫さまと仲良くなって、鬼退治して、打ち出の小槌で立派なイケメンになるってお話。
好子; ふーん……
まり子; でも、まさか……
里香; うん……そのまさか……
まり子; うそ!?
里香; こないだここで校外清掃やったときに見つけたの。岩にひっかかって舟が動かなくなってるとこ。
好子; マジで!?
里香; 疲れてるみたいだったから、お椀ごと家につれてかえったの……信じら れないでしょ。
二人; ……
里香; でね、家に帰ってお話したら、とってもおもしろいの。今昔物語や、徒然草とか、やたらに詳しくって。わたしは、パソコンでいろんなこと教えてあげた。あの子も飲み込みがとても早くて。もう一人でいろいろ検索とかしてたの……本気にしてないでしょ。
まり子; それは……
好子; ね……
里香; わたしね、関東大の推薦やめることにしたの。まり子もあそこの推薦ねらってたでしょ。よかったらどうぞ。
まり子; どうぞって、里香……
好子; じゃ、どこの推薦ねらうの?
里香; 帝都大。
好子; あ、そう。
まり子; あ、そうって、あそこ推薦枠ないわよ。一般入試でうけられるの後藤君くらいのもんだわよ。
里香; わたしも一般入試。
二人; ええ!?
里香; 一寸法師がそうしろって。自分に一番正直で、まっすぐな道が一番だって。
まり子; それって……
里香; あとは言わぬが花。
好子; それもイッスンボウシが……?
里香; さあ……
まり子; で、その一寸法師は?
里香; 出て行っちゃった。パソコンに「お別れします。一寸」って、書き置き残して……この、お椀とお箸もね。
好子; それで……
まり子; これがなきゃ困るでしょうしね、一寸法師も。
里香; ……わたし、賭けてんの。
まり子; 賭ける?
好子; 何に?
里香; パソコンには、一寸としか書き込まれてなかった。
好子; それって名前でしょ、あの子の。
里香; だったら、一寸法師て書くじゃない……
まり子; あ、それって……?
里香; そう、だから賭けてみたの。
好子; え、なに、なに?
まり子; 一寸と書いて「ちょっと」て読むのよ。
里香; パソコンで世界が広がっちゃって、ちょっとの間だけのお別れなんじゃないかなって。
まり子; それで……
好子; じゃ、ここで待ってりゃ……
里香; ここにいちゃ、あの子も現れにくいわ。お椀とお箸を忘れていくくらいだもん。何かとっても大事なことか、おもしろいこと……
好子; 聞き出すんだね、それを!?
里香; ううん、そっと見守るだけ。
好子; なんだ、つまんない。
まり子; それが礼儀……なんだよね。
里香; うん。
まり子; じゃ、わたしたちも隠れていようよ。
里香; ごめん。ありがとうね。
好子; ううん、会いたいなあ……
まり子; いくよ。
里香; じゃね、一寸法師……

 その場を名残惜しそうに離れる三人。お椀とお箸にサス残り、一寸法師の歌フェードアップするうちに幕

 コントというには、少し長く、地味かなと思った。しかし作品には色というかスタイルというかがあるものなので、あえて、こういう作品にしてみた。わたしの場合ファンタジーの色が濃いので、そのひな形みたいなものにしてみた。というか、こういう情景が広がり、ふくらんで、一本の戯曲になっていく。このコントから、君やあなたなりにふくらませていただければ幸いである。わたしは……すでにふくらませてある。その手の内は……ナイショ、ナイショ。
 


『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』    

 10月25日に、青雲書房より発売。

青雲書房直接お申し込みは、定価本体1200円+税=1260円。送料無料。
送金は着荷後、同封の〒振替え用紙をご利用ください。

お申込の際は住所・お名前・電話番号をお忘れなく。

青雲書房。 mail:seiun39@k5.dion.ne.jp  ℡:03-6677-4351

また、アマゾンなどのネット通販でも扱っていただいておりますので、『まどか、乃木坂学院高校演劇部物語』で、ご検索ください。

 このも物語は、顧問の退職により、大所帯の大規模伝統演劇部が、小規模演劇部として再生していくまでの半年を、ライトノベルの形式で書いたものです。演劇部のマネジメントの基本はなにかと言うことを中心に、書いてあります。姉妹作の『はるか 真田山学院高校演劇部物語』と合わせて読んでいただければ、高校演劇の基礎連など技術的な問題から、マネジメントの様々な状況における在り方がわかります。むろん学園青春のラノベとして、演劇部に関心のないかたでもおもしろく読めるようになっています。
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高校演劇・クラブはつらいよ 夏編三

2012-07-31 06:56:57 | 高校演劇基礎練習
クラブはつらいよ 夏編三

 夏マッサカリ! いかがお過ごしでしょうか? ごくまれに、この時期、地区で発表会をもたれているところもあるが、おおかたのクラブは開店休業。せいぜい合宿をやったり、地区の連盟主催の講習会。熱心なクラブは夏の全国大会を観にいっておられるかもしれない。しかし、自分たちの部活はほとんどやってない……というのが実情ではないだろうか。
 最初に、おことわりしておくが、講習会や合宿を全否定するつもりはない。ただ、合宿にしろ講習会にしろ、「やった!」「参加した!」という精神的な充足感はあっても、即、実力には結びつかないと申し上げておく。
 とくに合宿は、費用対効果の面で問題があるので「やめときなはれ」と、前回申し上げた。正直にみんなでワイワイやりたいのなら、合宿などという大義名分をかかげずに、ただのヴァケ-ションにしてしまったほうがいい。遊ぶときは遊ぶ。そこに国会議員さんの海外視察のような、変な名目はつけないほうがいい。
 講習会に効果がない。と言うと、お叱りを受けるかもしれない。しかし「ほんまに、効果はうすいでっせ!」と言い切ります。講師の先生方は、その道のプロであったり、特別に技能優秀な顧問の先生であったりする。演技、演出、戯曲創作、道具、照明などの分野に分かれてワークショップのかたちで行われることが一般的であろう。講師の先生方は、たしかに熱心に教えてはくださる。そして、ここでコムツカシイ理屈ばかり覚えて、それを自分たちのクラブに持ちかえり、ハンパな理解のまま部活に反映させる。コンクールなどで、やたらと大仰な装置を持ちこんだり、コムツカシイ照明プランをもってきたりする。コンクールは多数の学校が一日に十公演近くやるのである。むつかしいプランや装置は、仕込みやリハに余計な時間と労力をとられるだけで、自他共に無駄で、迷惑なことである。演技、演出については言わずもがな。たった、数時間の講習で「わかった!」となれるほど生やさしいモノではない。わたしも、過去何度か講師をつとめたが、演技、演出、戯曲創作で実をむすんだことはない。 いくども、この「クラブはつらいよ」で触れてきたことであるが、部活は全国的に危機的な状況なのである。人と時間と金がない。演劇部もその例外ではなく。部員が五人以下というクラブがほとんどである。そこに優れているとはいえ、昔の(団塊の世代や、そのジュニアたちが現役であったころ)メソードは通用しない。だから、クラブはつらいのである。だからこそ、そのつらいクラブに合った、部活のメソードこそが、今必要なのである。
 かつて、「演劇をとりまく環境が悪くって」とこぼした、アマチュア演劇の指導者に宇野重吉さん(わかりまへんやろなあ……寺尾明のお父さん。劇団民芸の創設者の一人。二年前に亡くなった「となりのトトロ」の、おばあちゃんの声をやった北林谷江の仲間……わからん人はネットで検索してください)が、こう言いました。「座敷一間ありゃ芝居なんてできるよ」 また実際、新派の大御所、島田省吾さん(緒方拳の師匠。わからない人はネットでどうぞ)は、マンションのリビングで一人芝居をやっておられました。
 なにが言いたいかと言うと、この危機的な、つらいクラブの状況では、原点に立ち返らなければならないということである。演劇の原点とは、すなわち演劇の三要素。役者、脚本、観客の三つ。それゆえに、この「クラブはつらいよ」では、それ以外のことには、あえて触れない。しかし講習会で一つやって欲しいことがある。それは、芝居をやるときのマナーである。コンクールなどで、優秀な成績を残したクラブが案外マナーが悪くヒンシュクをかった例をたくさん見てきた。マナーについては後日余裕があれば触れたいと考えているので、ここではご容赦を。
 この夏休み、私服を着て図書館にいき至福の時間を過ごし雌伏することができているであろうか? 四月からこっち、あなたは、きみは、もう何本、本が読めたであろうか? 何本芝居を観ることができたであろうか? 一度自分の頭の中で中間決算をしてみてはいかがであろうか。夏休みは、自分の頭の中の演劇という部屋の大掃除をやって、クローゼットの中味を増やす時である。

【基礎練習】
今回は年齢や、性別による表現の訓練について考えてみたい。以前から、高校生が、自然に表現できる年齢の幅はプラスマイナス五歳程度だと言ってきた。しかし、そう制約してしまうと、やれる本は、かなり限られてしまう。そこで、わたしとしては反則なのであるが、年齢と性別を超えた演技を少し考えてみたいと思う。
(1)子どもを演じる。子どもといっても、もう幼児は無理……かもしれないが、あえて挑戦してみる。幼児や児童の時期は身体の準備運動期間である。公園や街で見かける子どもをよく観察してほしい。とんだり、はねたり、はたまた無意味に叫んでみたり。笑ってみたり。一見無意味にみえる行動だが、そこには子どもの心理がうらづけとしてあることを見抜いてほしい。
○横断歩道 子どもが四五人駆けてくる。二人渡ったところで、信号が変わる。残った子どもたちは、一瞬たじろいだり、悔しがったりする。渡りきった子どもたちと、横断歩道を隔ててなにか、会話がある。信号と、向こう側の仲間を交互に見る子。フライングしようとする子。それを止める子。そこから、じゃれ合いになったり、ケンカになったりもする。やや長い信号。待ちきれずに「待て!」といわれた子犬のようにチョロチョロし、やがて、信号が変わるやいなや、声をはりあげながら、横断歩道を渡る子どもたち。
 以上の状況を、いろんな設定でやってみる。公園に遊びに行く途中。遠足の日に登校する途中であった。友だちの家に新しく子犬が来たので見に行く途中。先生が入院しているので、そのお見舞いにいく途中。みんなで遊んでいたのが、急に雨が降り始めたので、急いで帰る途中。道路で倒れている人を見つけたんで、急いで大人を呼びにいく途中。などなど、
○ダールマさんが、こーろんだ! むつかしくはない。子どものころ、だれでもやった遊びである。高校生なら、数年前までは、やっていたと思う。そのころの感覚を思い出して、自分の中にうかんでくる無邪気なドキドキやハラハラこみ上げてくる、わけわかんない嬉しさを、ほんのちょっと増幅してやってみよう。喜怒哀楽の表現にブレーキがかかって、なかなか演技に入りこめない役者志望のきみには、いい練習になるだろう。
(2)老人になってみる。 老人になれというと腰(正確には、背中)を曲げる人がいるが、まちがいである。腰は落ちるものである。股関節を軸に骨盤が後ろに傾き、それをおぎなうために、膝が前に出て背中が曲がるのである。これを「腰が落ちた」という。歩くときも、若い人は、足と同時に少しではあるが腰が前に出る。これを少し誇張すると外人さんらしくなり、さらに誇張するとモデルさんの歩き方になる。研究生だったころ、よく「腰で歩け」と言われたが、このことである。老人になると、この「腰」が前に出なくなる。骨盤が動かなくなり、「足で歩く」状態になる。若い人も疲れると、こういう歩き方になる。駅や街で、お年寄りをよく観察しよう。お年寄りといっても、近頃は多様で、一見若い人と変わらない人もいるが、やはりご年配の共通点がある。ほとんど無駄な動きはしないということに気づくと思う。高校生も子どもに較べると、それほどでもないがやはりガサゴソし、感情が、そのまま動きにシャープに反映されていることに気づくと思う。
○横断歩道 老人が四五人やってくる。最初の一人が渡ったときに信号が変わる。残されたうちの一人が「先にいけよ!」というが、渡りきった老人は耳が遠くて聞こえない。そのうち無駄と悟り沈黙になる。空を見上げる者(光が目に入りクシャミになる) じっと信号を見つめる者(ただ、途中でなぜ信号を見つめていたかは忘れてしまう) アメをしゃぶりだす者。嫁などの悪口をつぶやく者。そのうち信号が変わるがしばらくだれも気づかない。ややあって、信号の変わったことに気づき、あわてて横断歩道を渡る。これを、いろんなシュチュエーションでやってみる。
○だ~るまさんが、こ~ろんだ。 子ども編でやった「だるまさんがころんだ」を、老人版でやってみる。詳しくは書かない。きみたちの観察力と想像力でやってみよう。
(3)性別を替えてみよう。本番としてはともかく、基礎練習では、一度やってみてもいいと思う。とくに、あなた、きみが演出をやるのだったら、恥ずかしがらずにやってもらいたい。異性の服装をしただけで「あ、こんなにちがうのか!?」と気づくことが多い。服の打ち合わせが男女では逆である。まるで、右利きの人が左手でご飯を食べるような違和感があるだろう。女の子なら、ズボンをはいてみよう。今の女の子はズボンにはあまり抵抗がないだろう、日常的にはく機会があるから。しかし自分が男と想定して男装してみると感覚が違う。女子校が、ときに女子に男役をやらせることがある。いやらしくはないが、どこか男になりきれず、違和感がのこる。宝塚の男役は、男が見ても男らしい。彼女たちは、宝塚音楽学校のころから、男役、娘役に分けられ、訓練されている。なにも宝塚をやれというわけではないが、一度、戯曲の一部か、わたしのコントのような短いもので試してみるといい。案外むつかしいことや、男役への向き不向きがわかる。男の子も一度スカートをはいてもらいたい。内股が直接接触する感覚に驚くと思う。「女っちゅうのは、こんな感覚で生きとるんか!?」という発見がある。男女共学校なら、『ロミオとジュリエット』の第二幕第二場など男女を入れ替えてやってみるのもお勧めである。机を四つほどくっつけてバルコニーとし、そこに男のジュリエットを立たせ、床をキャピュレット家の庭に見立てて女のロミオをひざまずかせ、世界で最高の愛の語らいをやってみよう。異性を演ずるのは、まさに演技である。地ではできない。「演ずるということ」を、演るほうも、観るほうもイヤでも感じなくてはならない。また、演出する者としては、演出することの意味 を、これまたイヤでも感じなくてはならなくなるだろう。役の入れ替えの効能は他にもあるのだが、紙幅の制限があるので、別の機会に述べることにする。

今月のコント【始まらない授業】
先生(老人) なんだ、みんなどこへいったんだ(教室や、廊下を見わたす)友子(児童) 先生、なにやってんの?
先生 ああ、友子か。他の子たちはどうしたんだ?
友子 ああ、体育の授業の後かたづけやってるよ。
先生 また、中井先生か。どうも今の若い先生は……おっと、先生の悪口じゃ ないよ。
友子 悪口じゃないの?
先生 ああ、中井先生は熱心な先生だ。そう言おうとしたんだよ。
友子 フフ ほんとかなあ?
先生 友子はどうしたんだ、また体育休んだのか?
友子 おなかが痛かったから。ほんとだよ。
先生 いつも体育やすんでるんじゃないか。
友子 そんなことないよ。
先生 先週は頭イタだったな。
友子 ちがうよ、めまいだもん。
先生 ほら、やっぱり休んだんだ。
友子 あ……
先生 ハハハ、友子はうそのつけない子だ。先生は、友子のそういうところが 好きだよ。
友子 ウフフ、先生って、ほめてくれるのうまいね。
先生 本当のことをいってるだけさ。
友子 ほめてくれたから、これあげる。
先生 なんだ、アメチャンか。
友子 ほんとは持ってきちゃいけないんだよね。
先生 そうだよ、でも、これは友子の真心だから(ポケットにしまおうとする)
友子 今食べてくんなきゃ、やだ。
先生 でも、もうすぐ授業だから。
友子 ちっこいアメだから、大丈夫だよ。いざとなったらガリってかめばいい よ。
先生 ハハ、そうだな(アメを食べる)
友子 わたし黒板ふくね。
先生 正確には、ホワイトボードだけどな。
友子 そうだね。でも黒板っていったほうが好きだ。
先生 先生もだよ。やっぱり教室には緑色の黒板でなきゃなあ。
友子 ミドリ色なのに、どうして黒板ていうの?
先生 ああ、昔はほんとうに黒かったからさ。先生が子どものころは、ほんと うに黒板だった。
友子 ああ、ここんとこどうしても消えないよ。
先生 ホワイトボードってやつは時間がたつと消えにくくなるんだ。どうれ、 先生がやってみよう……ううん、こりゃ雑巾で水拭きしなきゃだめだなあ。 友子すまんが、ぬれ雑巾もってきてくれないか。
友子 はいはい。
先生 はいは一回だけ。
友子 はーい(退場)
先生 こりゃ、英語の授業だなあ……まったく、小学校から英語教えるなんて、 文部省はなにを考えてんだか、ええ邪魔なIDカードだ。教師は犬じゃない んだからな、なんでこんな鑑札みたいなもんぶらさげなきゃならないんだ! ほんとに今の若い教師は……体育も、英語も、時間はまもらん、黒板は消さ ん。暇さえあれば、パソコンの前に座っとる。もっと子どもと……どうも歳 かな、疲れやすくて……

     先生机につっぷして、眠る。そこへ友子が、雑巾の入ったバケツを     持ってもどってくる。

友子 先生……寝ちゃった(スカートのポケットから携帯を出す)友子です。 先生、あ、佐藤さんまた会議室にきてます。ええ、眠らせてあります。ヘル プ願います。先生にとっちゃ、いつまでも小学校三年の友子……びっくりし ましたよ、初めてここに配属になったときは……今度、ほんとの黒板置いて もらえるように、所長にかけあっときますね……あ、ヒグラシ。もう夏も終 わりかなあ……林間で先生教えてくれましたよね。ヒグラシが鳴くともう秋 が近いんだって。もう、秋か……

     介護士の亜紀が車いすを押してやってくる。

亜紀 ごくろうさま。
友子 おねがいします。
二人 よっこらしょっ……と!
亜紀 やっぱ、友子ちゃん、移動?
友子 ええ、しかたないです。人が足りないのここだけじゃないし。
亜紀 その小学生のなりも、板に付いてきたのにね。
友子 もう、からかわないでくださいよ。これでも一級の介護士なんですから。亜紀 ケアマネになったら、少し楽になるよ。
友子 ええ、先生の授業が始まったら、考えます。
亜紀 ハハ、佐藤さんも、いい教え子もったもんだ。わたしは、新任の女先生 ってとこでやってみるかな。
友子 先生のことよろしくお願いします。
亜紀 まかしときな。
友子 じゃあ、先生、部屋におつれしにいきます(退場)
亜紀 うん、ここの片づけはやっとくからね……授業が始まったらね。か…… もう少しうまいしゃれ言いなよ。ね、ヒグラシの諸君。君たちが小学生にな って……無理か……ね!

     ヒグラシの鳴き声ひとしきり。幕。
 
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高校演劇・夏期講習会(1)演技

2012-07-09 22:00:25 | 高校演劇基礎練習
高校演劇・夏期講習会(1)演技
 
 
この夏も、全国各地で高校演劇連盟の講習会が開かれる。個人的には、夏の季語になってしまった。

 何度も繰り返すが、演劇の三要素は「戯曲、役者、観客」の三つである。したがって、この三つに絞り込んで、ネット上の夏期講習会をやりたいと思う。

で、初回は演技について
 演技は、水泳に似ていると言ったら驚くだろうか。「ああ、聞いたことがある」という人は勘違い……または、わたしと同じ発想の人である。
 水泳の第一歩は、水に浮くことである。仰向けになって、適度に脱力すると、自然に人間は浮くようにできている。アップアップと沈んでしまうのは、下手に緊張して手足をばたつかせる人である。このことは、割に簡単に理解していただけると思う。
 逆に、水に浮けない人に泳ぎ方を教えるのは無謀であることが分かる。古来「畳の上の水練」と言って、無駄なことの代表的な言い回しである。講習会では、この浮けない人に泳ぎ方を教えているのに等しいものもある。まずは浮くことから話しを進めたい。
 しかし、プロになってウケない芝居をやっていてはいけない……ダジャレは封印する。

☆脱力
 何も、将来プロの役者になって、死人の役がくるときの準備ではない。余談だが、数ある子役養成プロダクションでは、本当に死人の役がきた場合にそなえて、やっているところがあるらしい。

 人というのは、その場、その状況に合った緊張をしている。四月の新学期、たいていの新入生は遠目からでも新入生であることが知れる。これは、新しい環境に馴染めずに余計な緊張をしているからである。
 役者というのは、その場、その人物(時に動物であったりもする。四季の『キャッツ』など、そうであるが、基本的には人間)その状況に合わせた緊張ができなければならない。

 いわば、役者の体と心は、役としての人物を入れる器(うつわ)なのである。普通の人でも、器を持っている。だから、遠くから観ても「ああ、大橋のオッサンや」ということになる。
 勘のいい人なら、もうお分かりだと思うのだが、役者の体(心はあとで)は、どんな役でも入れられるように柔らかくなくてはならない。また優秀な水泳選手は、泳ぐときに無駄に手足をばたつかせ、余計な水しぶきをあげない。だから、まず脱力を学ぼう。
 
 コンニャクになってみる。人間の体の70%は水分だそうである。いわば人のカタチをした革袋の中に、数え方にもよるが230~360の関節があるそうで、もうほとんど水袋と変わりない。
 仰向けに寝て、体の緊張をほぐしていく。ほぐしたつもりでも、なかなかほぐしきれないものである。特に股関節、首の筋肉などは難しい。
 ほぐせたと思ったら介添えが両足首を持って、水袋を揺するようにプルンプルンとゆすってみよう。きちんと脱力できていたら、足から頭の方へプルンと揺すりのエネルギーが抜けていくことが分かる。たいてい、やっている者も、やられている者も、そのおかしさに、ウフフ、アハハになる。で、笑ったとたんに体は液体から固体になって、緊張と脱力した状態の違いが分かる。

☆立ち脱力
 立ったまま、脱力……したら、倒れてしまう。立っているのに必要な緊張だけを残して立ってみる。イメージとしては、リラックスした立ち方。又は、身の丈ほどの草かコンニャクが立っていると想像する。
 で、ここが一番ムツカシイのだが、床が前後にユラっと揺すれたと想像し、その力を足から、腰、腹、胸、首、頭に抜けていくようにやってみる。うまくいくと特大のコンニャクが、プルンと揺すれたように見える。
 
 これで脱力の意味は分かっていただけたかと思う。役を入れる器としての体を柔らかくしておくことである。しかし、脱力の練習は、つまらないので、先に行く。

☆適度な緊張
 人は、日常、その状況に相応しいだけの緊張感をもっている。たとえば歩くという行為だけでも、学校へ行く。それも遅刻しそうになっている。大好きな文化祭の朝、最後の仕上げに急ぎ足になる。友だちとケンカした明くる日。卒業式の日の朝。それぞれに違う。
 バイトの面接にいく。彼(彼女)とのデートに出かける。みんな、緊張の具合が違う。それに相応しい緊張感で歩いてごらん……わたし達が若い頃にやらされて、戸惑い、落ち込んだエチュードである。だから、みなさんには勧めない。

 椅子取りゲームをやってみよう
 人数に一つ足りない椅子を用意して、音楽に合わせて、みんなで、その周りを回る。そして音楽が停まった瞬間、一番身近な椅子に座る。当然一つ足りないので、おもしろい椅子の奪い合いになる。ダルマサンガコロンダでもフル-ツバスケットでもいいのだが、この椅子取りゲームが一番ノリやすい。
 人数が多ければ、ゲ-ムをする側と見る側に分かれるといい。見ている方も、やっている方も楽しく笑いながらできる。
 大事なことは、楽しいことである。そして、なぜ楽しいのかがよく分かること。みんな音楽に合わせながら、椅子に集中し、手早く椅子に腰掛ける人間(回数をこなせば、得意な人間が分かってくる)に意識が集中し、ゲ-ムに相応しいだけの緊張感を正直に、無意識のうちに持っていることである。
 こうやって、相応しい緊張感ということを体感する。

自己紹介
 日本人は、プレゼンテーションの訓練を学校でやらないし、家庭や地域でも、その機会が少なく、自己紹介はヘタクソで苦手である。演劇部でも新入生が入ってきた学年始めに、たいていやるが、演劇部でもヘタクソである。で、やり方を変える。

 もし舞台があったら、舞台の上に、面識のない二人を上げる。
「なにか、二人で芝居を演ってごらん。相談なしに」
 二人は、どうしていいか分からなくなるだろう。どちらかがヤケクソにしゃべり出すか、気まずい沈黙が流れるか。そして、なにより戸惑いの緊張感があることに気づくだろう。集中線は、相手1/3と観客席2/3ぐらいになっている。
「二人で、お互いに知らないことを聞いてごらん」と、水を向ける。そして椅子をそれぞれに与える。
 最初は、名前や、住所、趣味の話しなどで、かみ合わずぎこちないかもしれないが、そのうちに共通の関心が出てきて、話しに熱中するようになってくる。かみ合わないようなら、「学校、どう思う」「このクラブどう」などと、軽く話題を投げ入れてやってもいい。
 二人が、互いに話しに熱中しだすと、集中線が観客席ではなく、相手に向けられていること。不安定な緊張感が無くなり、ときに漫才のようになり、観客席で観ている者も引き込まれ笑い出すことがある。
 このことで、舞台では、状況に合わせた(合った)緊張感が必要であり、それが有効なものであるとき、劇的なオモシロサが出てくることが分かる。

☆無対象縄跳び 
 若い頃、無対象の練習をよくやらされた。「自分の部屋」という、無対象の極地があった。自分の部屋を想像し、その結界だけをバミリ、あとは自分の部屋にいるようにくつろいで、自由にしなさい。というものであった。スタニスラフスキーの時代からの基礎練習で、有効ではあるが、かなりムツカシイし、時間がとられる。発展系に「自分のお風呂」というものもある。無対象で服を脱ぎ、自分が自分の浴室でやっていることを一通りやりなさい。というもので、かなりムツカシイ。
 これらの訓練は、単なる無対象だけではなく、自己解放の意味合いもある。自己解放というのは、役者が、物まねではなく、自分の感情を使って、役の心理を表現するのに欠かせないステップなのだが、有効で安全なメソードは、わたしは、まだ開発できていない。

 で、代わりに、縄跳びをさせている。最低でも6人ぐらいは必要である。2人が大縄跳びのロープを持ち、他のメンバーは、次々に、その無対象の縄跳びの中に入っていく。全員が入れたら、5回ほど、みんなで跳んで、一人ずつ抜けていく。
 不思議なことに、たいていの者が、すぐに出来る。意識を集中しなくても回る縄は、簡単に見ることができ、もし、縄に引っかかった者などがいると、全員が「あ~あ」ということになるからオモシロイ。
 この縄跳びには、適当な緊張感とは何か。無対象演技(役者としての想像力)とは何か。そして、チョッピリ自己解放の要素が入っている。

 おおよそ、緊張が演技にもたらす影響を理解していただけただろうか。椅子取りゲーム、二人の自己紹介、集団縄跳び。みんな、その状況に相応しい緊張感が簡単に感じることができるメソードである。
 もし、芝居の本番中、舞台に猫が現れたら、確実に観客の視線は猫に持って行かれてしまう。
 猫は演技しない。舞台の上に興味のあるものがあったら、完全にそれに注目して近づいていく。それが、ネズミのオモチャであったりすると、猫は本能的に狩りの姿勢をとり、そろりそろそりと接近。そこには無駄な緊張など無く、真剣そのもののハンティングする猫の存在になる。
 このように、きちんとした緊張と集中こそが、観客の目を舞台に向けさせることができる。

☆反応
 舞台で、人を呼び止める場面があったとする。
 かなり、訓練された役者でも、ここでダンドリになってしまうことがある。相手の演技や台詞に止めるだけの力がないのに、止まってしまう。ここに演技としての「ウソ」が始まる。この「ウソ」をやられると観客の興味は、急速に冷めていく。

 具体的な例で示そう。チェ-ホフの名作に『ワーニャ伯父さん』がある。
 劇中第4幕で、ワーニャ伯父さんが、自殺しようとして、医者のアーストロフの鞄からクロロホルムを盗み出す。アーストロフが「返してくれ」と言ってもきかない。そこで、姪のソーニャが、こう迫る。
「伯父さんはいい人ね、あたしたちを、可愛そうだと思って出してちょうだい。我慢してね、伯父さん、我慢してね!」
 この姪の嘆願にワーニャ伯父さんは、引き出しから、クロロホルムを出して、ソーニャに渡す……ことになっていた。
 しかし、ある日、ロシアで、この『ワーニャ伯父さん』が上演されたとき、ワーニャ伯父さんは、そのタイミングになっても、クロロホルムを渡さない。ソーニャ役の若い女優は困ってしまった。
 これ、別に、オッサンの役者が、若い女優をいじめたわけではないのである。ソーニャの嘆願に「ウソ」があったからである。女優は役を超えて「渡して下さい、お願いだから……!」という切ない表情になり、そのときワーニャ伯父さんは、初めて姪の心からの訴えに反応して、クロロホルムを渡した。
 舞台で、行われることは、全て台本に書いてあり、結果は、あらかじめ決まっている。で、役者は、必要で過不足のない緊張感をもって演技に臨まなくなってしまう。「ダンドリ芝居」「引き出し芝居」と言われる、高等な、でもジェスチャーに過ぎない。
 例を、もう一つ。
『ローマの休日』でオードリー・ヘプバーンが、グレゴリー・ペック演ずる新聞記者といっしょに、ローマの名所を見物するところで、有名な「真実の口」のシーンがある。
 オードリーのアン王女が、おそるおそる「真実の口」に手を入れた後「今度は、あなたの番よ」と言う。
 この「真実の口」は、ウソつきが手を入れるとかみ切られるという言い伝えがある。台本では、新聞記者のジョーは、ビビリながらてを差し入れるだけで「あなただって、怖がってたじゃない」と、続くはずだった。
 グレゴリー・ペックは監督と相談し、オードリーには内緒で、手が引き込まれ噛みちぎられるアドリブをかました。オードリーは必死で、ジョーの手を引き抜こうとし。引き抜いた腕から手首が無くなっていることに卒倒しそうになる。そこでジョ-は「ハロー」と言って、袖の中に隠していた手を出す。
「もう、本当に、噛みちぎられたと思ったじゃない!」アン王女は、ジョーの胸を叩く。
 非常に有名なシーンで、ご存じな方も多いと思う。このシーンは、アドリブながら一発でOKが出た。
 つまり、オードリーは、そのときのアン王女の心理で反応したのである。
 無対象の縄跳びで言ったことと共通するものが、ここにはある。

 この話をするとキリがないので、これで一区切りとするが、分かっていただけたであろうか。
 とりあえず、泳ぎ方を教える前に、水に浮くこととはどういうことかということをお話した。

☆感情表現
 さて、水に浮けるものとして話しを進めよう。
 役とは、なんらかの感情・情緒を絶えずしているものである。漢字で「喜・怒・哀・楽」の四文字。技術的アプローチと、メンタルなアプロ-チに分けて話していく。

技術的アプローチ
 感情表現は、大きくは拳を振り上げるような大きなものから、ピクっと頬が引きつる中くらいのもの、微かに顔色が変わる小さなものまで、各種ある。いちいち言及していては、2万字というブログの字数制限を超えてしまうので、かいつまんで説明する。
 人の筋肉は、意思のままに動く随意筋(例えば、手を上げる。首をかしげる)と不随意筋(心臓や内臓の筋肉)そして、訓練次第で動く半随意筋(耳を動かす、ウィンク=欧米人には随意筋であるが、日本人の大半は半随意筋)がある。

 役者の肉体訓練は、体育会系のそれとは違う。丈夫さと柔軟さは、並の人間より少し高めぐらいでいい。随意筋のより高いコントロールと、半随意筋の可動化である。
 
 横隔膜という随意筋がある。胸と腹の境目にある筋肉で、これがなければ呼吸ができない。普段は意識しなくても動いている。思わず横隔膜を動かすのを忘れて死んだ人間はいない。僅かな時間なら停めることもできる。いわゆる「息を止める」ことである。
 横隔膜をケイレンさせることを身につけて欲しい。一発だけのケイレンは「しゃっくり」または瞬間的な笑い「ハッ!」である。このケイレンを持続的にできるようになろう。そう、持続的にケイレンさせれば、笑いになる。「ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ」で笑えるように訓練しよう。は、は、は、は、とケイレンさせ、次第にその早さを増していく。早い人は半月ほどで笑えるようになる。泣きも、程度によっては横隔膜がケイレンする。いわゆる泣きじゃくりというやつである。「笑い3年、泣き8年」などと役者の中では言われているが、真剣にやれば、そんなにかからない。
 他にも表情筋は鍛えておかなければならない。日本人は一般に笑顔が苦手で、笑ってというと、虫歯の痛みを堪えているような顔になる。鏡を見て、訓練しよう。よく訓練できれば表情筋をケイレンさせることもできる。

メンタルアプロ-チ
 台本に「笑う」演出から「笑え」と指示されて笑っていては、観客が共感できる「笑い」にはならない。
 舞台における喜怒哀楽は、物理的記憶の再現によってなされる……などと書くと、非常にコムツカシイものになってしまう。思い出していただきたい。椅子取りゲームや無対象集団縄跳びが、なぜおもしろかったのか。
 椅子取りゲームにしろ、無対象集団縄跳びにしろ、そこにはインストラクター(演出)の「楽しそうにやって」という指示はない。でも、楽しいのである。
 椅子取りゲームでは、椅子なり、椅子を狙っている仲間の顔なり、今にも停められそうな音楽に意識が集中している。
 無対象集団縄跳びでは、回転する縄に意識が集中し、あるものは縄に飛び込めた成功のイメージが、あるものには、失敗して縄を引っかけてしまうイメージが、その集中から喚起されてくる。だから、失敗しないようにタイミングを計ろうとし、縄が回転するテンポ、リズムに自分を合わせようとする。で、うまくいったらニマニマとなる。失敗すれば集中線がズッコケて笑いになる。けして笑おうとはしていない。
 役者が舞台で集中するのは、次の台詞や、芝居のダンドリではない。役として真実である具体的なモノに集中している。椅子や、縄が、そうであったように。

 具体例を。体育の体育の着替え中に、真剣な話しをしている。その最中、一人のスカートがホックのかけ方が悪く、ストンと落ちる。真剣な話しの最中にスカートが落ちるというアクシデントで笑ってしまう。
 基本的には、無対象集団縄跳びと同じであるが、数段ムツカシイ。
『ローマの休日』の真実の口のように、相手役に内緒でやってみてもいい。スカートは床まで落ちるかもしれないし、反射神経が良い(設定ならば)落ちかけのスカートを、途中で、押さえられるかも知れない。いずれにしても、真剣な雰囲気はこわされ、笑いにつながる。
 このエチュードをやるときは、スカートの下はハーフパンツではいけない。AKB48の子たちのように、ミセパンを穿いていてほしい。ナマパンがいいのだが、高校という枠の中では、そこまでやらなくてもいい。
 で、このエチュードをくり返してみる。くり返すと、スカートが落ちることを予感してしまい、しだいに笑えなくなってくる。演劇とは再現性のある芸術で、同じことを何度も再現できなくてはならない。しだいにダンドリになってしまい、演技として新鮮さが失われていく。前述した『ワーニャ伯父さん』のソーニャが、そうである。ソーニャ役の女優は、ワーニャ伯父さんがクロロホルムを渡してくれることが当たり前になり、「渡して下さい、お願いだから……!」の台詞に真実性が失われてしまったのである。だからベテランのワーニャ伯父さんは、いつものようにはクロロホルムを渡さなかった。

 もう一つ具体例を。彼を自分の部屋に招いて、二人だけのパーティーをやろうとしている。バースディでもいいし、クリスマスでも、婚約記念、彼の何かの成功でも構わない。いそいそと準備をしていると、玄関でチャイム。「彼が来たんだ!」喜んでドアをあけると、彼との共通の友人が立っている。
「彼、○○のことで来られないって。メールじゃ失礼だから、あたしに知らせてくれって……じゃ、あたし、仕事の途中だから」友人は去っていく。
 この後に、いきなり落胆や、怒りの表現をしたら、演出としても、役者としても未熟であるし、芝居はダンドリの説明演技になってしまう。感情が湧いてくる前に、今まで作った料理などのパーティーの準備に意識がいく。「これ、どうしよう」「これって、無駄になった」そう、「これ」に意識が集中される。あとは、役者が設定(意識的にも、無意識的にもやっている)した役の個性で行動する。ゆっくりと片づけ、その途中で涙がこぼれるかもしれない。カッとなって、パーティーの用意をひっくり返すかも知れない。
 大事なことは、いきなり感情に飛びつかないことである。集中するものは、基本的に、具体的なものかも、無対象かもしれないが、舞台の上にしかない。
 感情というのは、物理的な観察や、記憶の想起から湧いてくるものである。高校生の芝居のほとんどは、これができていない。

 水泳に例えて、浮くことが大切と言ってきた。そして泳ぐことに関しては、バタ足程度のことを示してきた。
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高校演劇の基礎練習・へたくそなウィンク

2011-08-03 16:22:22 | 高校演劇基礎練習

                       へたくそなウィンク

 あるアイドルユニットの曲で『へたくそなウィンク』という内容の曲があることに気づき、PVを見てみました。ある子がウィンクできずに困っている様子が背景にあり、その間に他のメンバーは次々と出来て、その子一人が取り残され、とうとう撮影はテイク48までいってしまいます。メンバー、スタッフみんながため息ついて「こりゃ、だめだ……」の雰囲気。そこにディレクターらしきオジサンが、「これ可愛くっていいんじゃない……!」ということでOKが出て、メデタシメデタシとなる6分ほどのものでした。

 ここに、高校演劇が抱える問題が二つ隠れていることに気づきました。

 一つは、表情をつくるという演技の問題。日本人は顔の表情筋が弱く、一般的に欧米人よりも表情の変化に乏しく、ウィンクのできない人がかなりいます。以前、大阪府高等学校演劇連盟の演技の講師をやったとき「さあ、みんなでウィンクをしてみよう!」と、ぶちかましました。すぐにウィンクのできた人は一割ほどでした。

 基礎練習で鍛えなくてはならない筋肉がいくつかありますが、わたしは二つに絞り込んでいます。一つは横隔膜。笑ったり、泣いたりするときにこの半随意筋(訓練しだいで意識的に動かせる筋肉)が役にたちます。このことは、わたしの他の基礎練習のブログにあるので見て下さい。 もう一つが表情筋です。豊かな表情が作れなければ役者はつとまりません。まずウィンクしてみましょう。両目をつぶってしまうか、まるで目にゴミがはいったようにギュっと顔半分しかめっ面になってしまいませんか? 鏡を見て一時間も練習すれば、たいていの人はできるようになります。タレントさんやアイドルの子達はみんなできますから、むつかしくはありません。ただ生活習慣にウィンクがないもので笑ってしまったり、とまどってしまう自分を発見するでしょう。そう、いつもの自分とは違う感覚を体験することは大事なことです。

 話が少し横道に入りますが、これを読んでいるあなたが男なら、一度スカートを穿いてみることを勧めます。スカートは内股が直接触れあいます。女性というのは、ささいなことですが、こうやって「自分というものを感じながら生きているんだなあ」ということを実感できます。衣装や道具で、感覚が変わることを実感することは大事なことです。それと同様に、普段やらない表情をすることで自分の感覚が変わることを実感しておくことも大事です。

 ウィンクリレーをやってみましょう。メンバーを半分に分けて向かい合い、最初の人がウィンクして、前の人に伝えます。受け取った人は筋向かいの人に伝え、次々にリレーしていきます。気持ちがのったら「ウッフン」くらいカマシてもかまいません。なにか、今までの自分には無かった感覚やエモーション(感情、情緒)が感じられたら成功です。

【顔のストレッチ】顔のパーツである、眉、目、鼻、口を「ギュッ!」てな感じで、できるだけ顔の真ん中に寄せます。これ以上できないと思った瞬間、「パッ!」てな感じで、これ以上は広げられません! というぐらいに広げます。次に、顔のパーツを出来るだけ下に向けます。物真似のタレントさんがときどきこんな顔をしています。これができたら次に、顔のパーツを上に向けます。次に左へ、右へと寄せていきます。一人でやると、なかなかできません。人についてもらって点検してもらいましょう。みんなで「アハハ」と笑いながらやればいいと思います。

 さあ、次のステップです。顔のパーツを左右逆に上げ下げしてみましょう。たいていのパーツは上下逆にできますが、目だけはできません。目は、両方いっぺんに同じ方向しか向けません。ただ目を真ん中に寄せることはできますので試してください。気を付けてほしいのは、コンタクトをしている人です。目を大きく動かすとズレることがありますので、コンタクトは外してやったほうがいいでしょう。

【顔のネオンサイン】顔の表情で色を表現してみましょう。最初は、赤とか黒とか白とかはっきりした色がいいでしょう。 え、顔で色なんか表現出来ないって? そんなことはありません。「顔を真っ赤にして怒った」とか「青ざめた顔」とかいうじゃないですか。がんばってください。それができたら、点滅するように顔の色を変えてみてください。ネオンサインのようになったら成功です。

【顔で唄ってみよう】好きな曲を流して、それに表情を合わせてみてください。カラオケなんかいくと、みんな普段だったらやらない表情したりしていませんか? もちろん歌は声に出してやってもかまいません。慣れたら、歌詞のついていないクラシックなどに挑戦してみてください。むろんスキャット(意味のない言葉、ラララ~とか)つけてもかまいません。動画サイトでオペラなどの歌手が、唄いながらどれだけ色(表情)をつけているか見れば、良い勉強になります。

【応用、発展編】今までは顔だけでしたが、今度は体全体でやってみます。要領は顔と同じです。

【こ曲の演出への応用】PVでは、その子がテイク48でもできなくて、ディレクターのおじさんが「これもいいんじゃない」でメデタシメデタシになります。これは演出の重要な素養を現しています。 演出は、戯曲が要求している表現と、役者の表現、技量の釣り合いを探す仕事です。役者ができないと思ったら(むろんできるための努力は必要ですが)できる表現に置き換える、柔らかい頭が必要です。その子がウィンクができない。でも、できずに困った顔、表情がいいと、ディレクターは判断します。どうやらマスカラのCMを撮っているという設定のようです。マスカラを使ったカワイラシサが表現できればいいのです。みなさんも演出するときは、この見極めと、置き換えを頭に置いておくといいとおもいます。 わたしが以前「引きこもり」の子の役を演出したとき、友だちがやってきたので、その気配だけでソワソワするというシーンがありました。いくらやってもリアリティーが出ません。役者がヘコミかけました。そこで台本に書かれているソワソワするというト書きを無視し、その場でフリ-ズさせてみました。みごとに、友だちがやってきた緊張感が出てきました。                                    演出は柔らか頭で、稽古場の空気をポジティブにしておかなければならないというお話でした。

   大橋 むつお

『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』          青雲書房より発売中。大橋むつおの最新小説!  お申込は、最寄書店などでお取り寄せいただくか、下記の出版社に直接ご連絡いただくのが、一番早いようです。ネット通販ではアマゾンや楽天があります。青雲に直接ご注文頂ければ下記の定価でお求めいただけます。 青雲書房直接お申し込みは、定価本体1200円+税=1260円。送料無料。 送金は着荷後、同封の〒振替え用紙をご利用ください。 大橋むつお戯曲集『わたし 今日から魔女!?』  高校演劇に適した少人数戯曲集です。神奈川など関東の高校で人気があります。  60分劇5編入り 定価1365円(本体1300円+税)送料無料。 お申込の際は住所・お名前・電話番号をお忘れなく。 青雲書房。 mail:seiun39@k5.dion.ne.jp ℡:03-6677-4351 大橋むつお戯曲集『自由の翼』戯曲5本入り 1050円(税込み)  門土社 横浜市南区宮元町3-44 ℡045-714-1471   
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高校演劇の基礎4 創作劇の書き方

2011-07-15 09:28:03 | 高校演劇基礎練習
高校演劇の基礎4 創作劇の書き方

 正直、創作劇を書くのは難しいのですが。世の中にはアイデアで、けっこうイタシテしまう人もいますので、『創作劇の書き方』を、お話します。

【弱い人ほど良く書ける】戯曲を始め、書き物というのは、「弱い人ほど良く書ける」と思っています。弱い人間というのは、感じやすい人です。感じやすい人は、強い人なら何にも感じないことに、ひっかかるものです。そのひっかかるものに、表現意欲と、表現力がつけば、そこに作品が生まれます。

【恋いの三段跳び】という詩をつくった子がいました。今から40年ほど昔の女子高生です。こっそりわたしに見せてくれました。

ホップ、あなたに恋いをして。  ステップ、あなたに近づいて。  ジャンプ……しても、とどかなかった。

 良い詩だと思いませんか。失恋した自分の心を癒すために書いた詩です。傷ついてはいますが、そういう自分を、カラッと、可愛く突き放して書いています。本人の名誉のために言っておきますが、とても可愛い子でした。松田聖子によく似ていて……彼は、松田聖子が好きではなかったようです。 

【わたしは、とんでもないフラレ男でした】50回は失恋しています。だから、モテル人よりも、モテナイ人の心情がよく分かります。その心で、『ロミオにふられた、ロザライン』を書きました。モテル人が、『ロミジュリ』を読むと、ロミオとジュリエットに心が傾斜していって」しまいます。わたしのようにフラレっぱなしの男が『ロミジュリ』を読むと、あることに気づきます。 ロミオはジュリエットと知り合うまでに、ロザラインという彼女がいたのです。飲み屋の娘で、ロミオもかなり熱を上げていたことが分かります。登場はしません。ロミオと彼の友人の会話の中に2度ほど出てくるだけですが、ストーリーの結果から、ロザラインはフラレたことには間違いありません。そのロザラインの心情に立って、ジュリエットの亡霊とお話させてみました。放っておくと、原稿用紙の中で大げんかを始めました。公平、公正を旨とするわたしは、ジュリエットを太陽の光で消滅させ、ロザラインは毒薬で、ロミオの頭蓋骨を抱きながら死なせました。ただ、その頭蓋骨は、墓から取り出すときに失敗して、ジュリエットの頭蓋骨ではありましたが……天王寺区にある女子校が一度演ってくれましたが、シェ-クスピアの文体模写をやったので、苦労されたようです。

【白雪姫に王子さまがキスをしなっかったら】白雪姫は、毒リンゴを食べたあと仮死状態になり、白馬の王子さまがキスをして生き返り、めでたくハッピーエンドになります。そこで、王子さまがキスをしなければ……と、ふられ男のわたしは考えました。王子さまがキスをするのは求婚の象徴です。結婚というのは、人にもよりますが、かなりの決心がいります。わたしも長い人生の中で、女の子のほうから告白されたことがあります。わたしも憎からず思っていたのですが、いざというと躊躇する自分がいました。結婚とは、互いが、互いの人生に責任をもつことです。で、考えてしまうのです。当時のわたしはフリーター同然の非常勤講師でした。大学も当時世間では三流大学と言われた桃山学院を出たところで、赴任先の校長に、こう言われました「大橋君(先生ともよんでもらえませんでした)桃山出て、高校の採用試験通ったやつ、おらへんで、悪いこと言わへん、進路変更しぃ」ただでも自信の無かったわたしはオチコミました。しかし桃山学院の名誉のために申しあげておきますが、教師になってから分かりました。二人、わたしより先に採用試験に通り、高校の先生をしている先輩がいました(校長は偏見と予断で、わたしに言ったのです) 非常勤だけでは食えないので、テレビのエキストラもやっていました。ちょい役でしたが、台本に役名が載り、大女優さんと同じフレームに収まっていたりしました。しかし、実態はフリーター同然でした。彼女が告るのには、相当な勇気と、わたしへの信頼があったのでしょう。でも、そのときのわたしには主に経済的な見通しから、彼女を幸せにする自信がありませんでした。だから、刹那(一瞬)躊躇してしまったのです。時間にして十秒ほどの間が空きました。その十秒で、彼女は話題を変えてしまいました。今と違い、女の子のほうから告るのはとても勇気のいる時代でした『時をかける少女』の実写版で主人公のアカリが1974年にタイムリープして、こんな台詞がありました「この時代のオトコってめんどくさいね」 まさにそうでした。で、そのころに『白雪姫』を読み直してみたのです。「王子さまて、勇気あるなあ」と、感じました。白雪姫と結婚するということは、彼女にまつわる問題を背負い込まなくちゃならないのです。悪い妃によって荒れ果てた領地の回復、離れてしまった民心を取り戻すこと(今の日本の首相を見ていても民心が、離れ、国難にあった政治家はむつかしいということが分かると思います) 白雪の領地を自分の領地に併合することで、まわりの国から見られる疑心暗鬼は、王子の国の外交をひどく難しいものにしてしまいます。だから「オレが王子さまやったら、きっとためらうなあ……」 ここから生殺しのような状態におかれた白雪の悲劇が始まる……『ステルスドラゴンとグリムの森』という作品になりました。

【走れメロス】をご存じですよね、友人セリヌンティウスを救うため、メロスは、自分に打ち勝ち、友人を助けるという太宰治の名作です。あれは、太宰の体験が基になっています。 友人たちと箱根かどこかの旅館にとまり大騒ぎ、ところが、だれもお金を持っていません。そこで太宰は、「知り合いの偉い人から借りてくる」と言って一人東京にもどります。しかし、太宰は戻ってはきませんでした。後日、それを「よく、そんなことができたな!」と詰め寄られると、太宰はこう言いました「君たちは分からないだろう、待つ者の苦悩より、待たせる者の苦悩の方が、何倍も強く、苦しいのを」 実に勝手な言い分ですが、ここから、「待たせる者の苦悩」を描いた名作『走れメロス』は生まれたのです。

【少し畑はちがいますが】小説の作方で、お話したいと思います。一昨年のことになりますが、出版社 から、「高校演劇の基礎練習について書いて欲しい」と言われました。売れない本書きなので、断ったら、あとの仕事がありません。「喜んで!」と、返事はしましたが、鉛を飲んだように、気が重かったです。この手の入門書、めったに売れません。演劇の基礎練習など、口で説明するのも難しいのに、文章では……

【もう一つ、エライことを引き受けました】ある、大阪市立の演劇部が、わたしの作品を演るというので見に行ってしまったのです。そしてシマッタのです! 一年間、その演劇部のコーチをやるハメになりました。現場で指導されている先生なら、よくお分かりだと思うのですが、クラブというのは思ったようにはいきません、進路やバイト、ほかの部活との兼業、演劇部に独特な人間関係の難しさ(ガラスと、鉄が入り交じったような心をした子が多く、ひどく傷つきやすく、反面傷つけやすい子が多いです。まあ、こういう感受性をしていないと、感受性そのものである芝居など出来ませんが)

【そこで閃きました!】この感受性の相克そのものを書いてみれば、技術面だけでなく、メンタルな面も含めて、高校演劇全体のマネジメントを表現できるのではないかと……演劇部の生徒は部活を通して、技術的に成長するだけでなく、人間的にも成長(少なくとも変化)していきます。本が全国紙であるため、大阪弁だけで書くことはできません。そこで、東京から、親の離婚がもとで大阪のY高校に転校してきた坂東はるかという少女を主人公にしました。顧問の強引さから、演劇部に入れられ、そこで、たった二人の先輩部員と、コーチに出会います。大阪と東京の文化の違いにとまどう主人公。大阪での親友に由香という子を、高校を少し斜めに見ている生徒会長吉川を配置しました。吉川は中学のときに横浜から大阪に来た子で、大阪と、高校の部活に斜めの思いがあります。サックスが上手く前の学校では軽音に入っていましたが、あまりの技術の差から、トラブルを起こし、過年度生として、このY高校に入ってきています。彼は部活を「遊び」だと定義づけます。だから、しだいに演劇部にのめり込んでいく、はるかを見る目は複雑です。最初は同じ演劇部員だった親友の由香は、家庭事情で、演劇部を離れていきます。はるかは、両親の仲をもとにもどそうとひそかにタクラミも持っています。吉川 と、はるかの連絡役をやっていた、由香はいつのまにか吉川に心が惹かれ、はるかとの友情の板挟みに悩みます(由香は、はるかと吉川は、いい仲だと思って います) 三回の公演とコンクールと、はるかの、坂東家復活のタクラミが並行して進んでいきます。その中で、仲間の退部、それに伴う人間関係のこじれ、役者としての頭打ち。吉川との人間関係の変化(吉川は、最初は同じ関東人としての親近感から、はるかに関心を持ち始め、恋心に変化し、やがては、ジャンルこそ違い、同じ「物事に打ち込む者」同志として、はるかを陰日向に応援します。結果的に、はるかの坂東家復活も、コンクールでの最優秀受賞も果たせませんが、演劇人として、高校生として大きく成長していきます。はるかの成長と共に、演劇部のあり方、練習の仕方、マネジメントの仕方がわかるように書けました。 

【本題】に戻ります。本の書き方は多様ですが、本の中で、同調者と対立者を設定しておくことと、主人公に行動の目的を持たせること。そして、その問題解決のための反対行動(事件や人間)を設定しておき、そこで葛藤がおこり、人間関係に化学変化が起こる(前述の由香や、吉川) そして、結末は書かない方がいいでしょう。ほのめかすだけでいいと思います。本の書き方には、大きく二種類あります。一つは「落語形」 最初にオチ(結末)が決まっていて、そこに向けて本を書いていきます。話としては安定感がありますが、話がパターン化し、わるくすると最初から結末が分かってしまう欠点があります。テレビの『水戸黄門』などは、その典型です。 もうひとつは赤塚不仁夫形、話の最初だけ考えておき、あとは、気の向くままというか、登場人物におまかせ。なんせ、書き始めた時には、作者にも結論が分かっていないですのですから、話の展開が面白くなります。ただ欠点としては、話が破綻(メチャクチャ)しやすいことです。赤塚さんのように「これでいいのだ!」と、言い切るのには、相当の努力と才能が必要です。 実際の劇作家は、この両方を混ぜて使っています。故井上ひさしさんなどは、その典型であったと思っています。

【どちらにせよ】「書きたい」という気持ちだけでは本は書けません。物事へのこだわりと、努力、時間が必要です。ジブリの作品に「耳をすませば」というのがあります。本が大好きな雫(しずく)という中三の少女が、聖司君というバイオリン作りの職人を目指す彼ができ、いい意味で対抗するために本を書きはじめます。苦悩につぐ苦悩、夏の終わり頃に「書こう!」と決心し、書き上がったのは初冬。期間にして三ヶ月ほどです。わたしも、一本の本が書き上がるのにそれくらいかかります。前述した『ホンワカ女子高生HBが本格的に演劇部にとりくむまで』略称『女子高生HB』を書き上げるのにも、それくらいかかりました。コンクール、文化祭に向けては、すこし厳しい時間にきています。他のブログでも述べましたが、先輩たちが残した創作劇に手を加えてみるのもいいと思います。 以上、参考になれば幸いです。         大橋 むつお 

『ノラ バーチャルからの旅立ち』ノラ バーチャルからの旅立ちクララ ハイジを待ちながら星に願いをすみれの花さくころの4編入り(税込1080円) 『はるか ワケあり転校生の7ヵ月』     (税込み799円=本体740円+税)  東京から転校してきた坂東はるかが苦難を乗り越えていっぱしの演劇部員になるまでをドラマにしました。店頭では売切れはじめています。ネット通販で少し残っています。タイトルをコピーして検索してください。また、星雲書房に直接注文していただくのが確実かと思います。 『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』          青雲書房より発売中。大橋むつおの最新小説と戯曲集!  △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼  ラノベとして読んでアハハと笑い、ホロリと泣いて、気が付けば演劇部のマネジメントが身に付く! 著者、大橋むつおの高校演劇45年の経験からうまれた、分類不可能な新型高校演劇入門ノベルシリーズと戯曲!  ネット通販ではアマゾンや楽天があります。青雲書房に直接ご注文頂ければ下記の定価でお求めいただけます。  青雲書房直接お申し込みは、下記のお電話かウェブでどうぞ。送料無料。送金は着荷後、同封の〒振替え用紙をご利用ください。 お申込の際は住所・お名前・電話番号をお忘れなく。 青雲書房。 mail:seiun39@k5.dion.ne.jp ℡:03-6677-4351
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高校演劇の基礎3ー道具・照明

2011-07-01 17:54:00 | 高校演劇基礎練習
高校演劇の基礎3 道具・照明

【基本原則】演劇の三要素は、観客・戯曲・役者の三つでしかありません。道具・照明は脇役にすぎません。これ最重要点です。

【道具・照明の基本】つまらない芝居で、道具・照明が立派なのは、つまらなさを強調するだけで惨めなものです。野球で言えば、走・攻・守なにをとっても満足にできない野球選手が、ルックスとユニホームだけがかっこいいのに似ています。こんな選手、グラウンドに出ただけでブーイングでしょう。道具は無いのが理想です。ギリシャの悲喜劇、能や狂言、ほとんど道具はありません。照明もただ明るいだけです。イッセー・オガタという一人芝居を演る役者さんがいます。彼の芝居もほとんど道具がありません。つかこうへいさんの芝居も道具の無い芝居が多くありました。くり返します。道具・照明は要りません。

【これでは身も蓋もない】ので、今一歩踏み込んでお話したいと思います。芝居の出来がいいときに道具が無いと、芝居が痩せて見えることがあります。そういうときには、適度な道具は必要です。道具には大きく二つの考え方があります。

【一杯もの】と、わたしは習いました。例えば室内の芝居であったとしましょう。三方を壁で囲み、ドアや窓を付け、テーブル、ソファー、書架、その他の什器(もろもろの、置き道具)で、リアルに舞台を飾るやり方です。場合によっては、下手に庭、前栽の切り出し、張りぼての庭石、遠見の遠景……などなど、やりだしたらキリがない道具立てです。チェーホフのように情感を大事にする芝居や、豪華さが前提の商業演劇では必要です。わたしも若い頃は、道具に凝りました。町井陽子さんの『山の動く日』をやったときなど、舞台に家一軒建てたものです。道具の製作に一ヶ月、立て込み撤収の練習にまる一週間使いました。最初40分かかった立て込みも、練習の成果があって7分にまで縮めることができました。あのころは、部員が15人ほどいて、専門の道具係などが置けたのでできたことです。部員が5人を割り込むような演劇部には無理です。それに4トントラック一杯分の道具は場所ふさぎで、道具や進行担当の先生や、実行委員の生徒諸君には迷惑をかけました。道具というのは専門にやりだすと面白いもので、つい全体のスケジュールや、演出の意図を超えてやりすぎてしまうものです。わたしも家を建てただけでなく、実物大の戦車や幌馬車、飛行機一機まるまる作ったこともあります。今から思うと邪道でした。クラブに余裕があり、独立した公演ができるようなところは、このやり方でがんばってください。豪華な道具は芝居がいいと、芝居そのものを大きく引き立ててくれます。こういう事が出来る学校は、もうノウハウをご存じなので、お教えすることはあまりありません。ただ一つ。目立ちすぎる道具はいけません。歌舞伎などの道具は原色を使いません。役者より目立つ道具は、歌舞伎ではタブーです。だから遠見と言われる背景幕などは、どれも霞がかかったように淡い色彩になっています。コンクールではこういう道具は迷惑です。10校以上の学校が出場するんです。本選など大きな場所ふさぎになり、最初に搬入した学校など、ちょっとした道具の出し入れも出来なくて、一部の衣装道具など駅のコインロッカーを使わざるを得ない悲喜劇でした。また、リハも道具の立て込み、照明のチェックだけで時間いっぱいになってしまい、それでも時間がおして、他の出場校に影響が出てしまいました。

【中心もの】と、わたしはよんでいます。例えば室内の芝居であったとしましょう。一杯ものと違って、椅子と机だけで済ませます。それだけあれば、だれでも、そこが屋内であると理解してくれます。つまり、舞台の中心に、その芝居の状況を感じさせる一つか二つの道具で、中心から外の世界を感じさせます。役者の演技で、舞台空間は無限の広がりを見せてくれます。ですから、同じ芝居をやっても一杯ものだとトラックで2台ぐらいかかったものが、赤帽さんの軽トラだけで済みます。小規模演劇部だけでなく、コンクールなどにはお勧めの道具です。別役実さんの芝居などには、こういう設定が多くあります。

【抽象もの】小規模演劇部にお勧めの道具です。劇場が持っている、平台や、箱馬をうまく使うやり方です。平台は、長さ八尺(2・4M)と、六尺(1・8M)の二種類が基本で、幅は共に三尺(0・9M) 高さは四寸(12センチ)  箱馬は45センチ、30センチ、15センチのもので、平台共々単体でも組み合わせても使える便利なもので、椅子になったり切り株になったり、ベンチに、土手に、墓石などにばけることもできます。これなら劇場にあるものなので、持ち込む道具は無しで済みます。ただし本番の日に「使わせてくれ」というのはいけません。リハ前の打ち合わせで言っておくのがルールです。

【道具の材料】ベニヤに寸角(すんかく)が、道具の材料としては一般的ですが、これで道具を作ると、案外重たいものです。また、今の子……と言っては失礼ですが、大工道具には慣れていません。また、芝居が終わった後の保管も大変です。湿気の多いところでは、すぐに虫がつきます。道具もすぐにユガミやヒズミが出てしまいます。重量のかからない道具ならボール紙がいいと思います。大型のペーパークラフトだと考えればいいと思います。色は塗らないで、安い生地を買ってきて、ガムテで貼り付けます。観客に見えるところだけきれいに見えていればいいんです。安い!早い!上手い!出来になります。わたしはこのやり方で、大木やら、飛行機(後ろ半分だけですが)を作りました。この道具の良いところは軽さと、後始末のやりやすさです。生地をはがして小さく破ってしまえば、そのまま燃えるゴミに出せます。

【照明】一言で言って「明るければいい」です。特にコンクールなどでは、道具同様凝ったものは好ましくありません。昨年も調光卓を原寸大に描いたもので、コンクール会場のロビーで必死の形相で、照明のオペの練習をしている学校がありました。ところがプリセットがリハの時と違ったものにされていて、パニックになっていました。わたしがコーチをしていた学校でも、ピンスポの灯体が違い、担当の子が慌てていました。今の本選会場は、その位置が北に偏りすぎている点、会場の対応などを考えると、替えたほうがいいと思うのですが、本題から外れますので、言及しません。明るいというのは地明かりのことです。サスの上からの明かり、フロントサイドからのスポットが上下(かみしも)6発ほど、あとはシーリングライトがあれば十分です。ただ上からの明かりにボーダーを使うことは感心しません。光が拡散して、芝居の空間にならないのです。色は赤、青、生が基本になっていますので、ミックスして点ければいいでしょう。ホリゾントは、わたしは基本的には使いません。大黒にしておきます。ホリゾントを使うと空間が具体性を持ってしまうのです。無難に青く染めてしまうと、夕方や夜の場面になったとき変化をつけなくなくなってしまい、それに従ってほかの照明もアンバーにしたり、複雑になってしまいます。大黒の地明かりだからこその自由さがあります。役者が「暗くなってきたなあ」と言えば夜になります。ここで変に凝った照明をすると肝心の役者の表情が見えなくなります。また、地明かりに抽象ものの道具にしておくと、リハで芝居が一本通せます。前述しましたが、芝居の基本は、観客・戯曲・役者なのです。それ以外は脇役、引き立て役だと思いましょう。 それから暗転はなるべく避けたほうがいいと思います。観客の集中が途切れてしまいます。50分の芝居なら、暗転は2回が限度かと思います。

【次回予告】わたしの専門でもありますが、劇作について完結に述べたいと思います。この夏期講習は高校演劇の基礎練習の総まとめでもあります。

    大橋 むつお    劇作家   劇団大阪小劇場代表

『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』          青雲書房より発売中。大橋むつおの最新小説!  お申込は、最寄書店などでお取り寄せいただくか、下記の出版社に直接ご連絡いただくのが、一番早いようです。ネット通販ではアマゾンや楽天があります。青雲に直接ご注文頂ければ下記の定価でお求めいただけます。 青雲書房直接お申し込みは、定価本体1200円+税=1260円。送料無料。 送金は着荷後、同封の〒振替え用紙をご利用ください。 大橋むつお戯曲集『わたし 今日から魔女!?』  高校演劇に適した少人数戯曲集です。神奈川など関東の高校で人気があります。  60分劇5編入り 定価1365円(本体1300円+税)送料無料。 お申込の際は住所・お名前・電話番号をお忘れなく。 青雲書房。 mail:seiun39@k5.dion.ne.jp ℡:03-6677-4351 大橋むつお戯曲集『自由の翼』戯曲5本入り 1050円(税込み)  門土社 横浜市南区宮元町3-44 ℡045-714-1471   
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